21 始動
「な………何を仰って………。」
もちろん言葉の意味は分かっているけれど頭の理解が追いつかない。
思考が停止したように固まるカタリナにアルシオンは穏やな笑顔で微笑みかける。
「だって、カタリナ嬢は僕の事を好いて下さっているのでしょう?
だったら僕からノクスに婚約者を譲って欲しいと頼んでみますよ。
僕とカタリナ嬢が想い合っていると言えばノクスも辺境伯様も承諾してくれると思うんですが如何です?」
「い…如何って……………。」
アルシオンの提案に困惑する。
何故急にそんな事を言い出すのかさっぱり意味が分からない。
「…あの……冗談…ですわよね?」
なんとか落としどころを見つけて絞りだした言葉だったか、無情にもアルシオンに一蹴される。
「冗談じゃ無いですよ?幸い僕にはまだ婚約者はおりませんし、カタリナ嬢さえ良ければ僕と婚約いたしましょう。
自惚れじゃなければ、カタリナ嬢だって僕が婚約者になった方が嬉しいでしょう?」
サラリと返されてカタリナは焦りの声をあげる。
「で、ですがアルシオン様は私に特別な感情なんて持ってらっしゃらないでしょう!?
も、もし、私の為でしたら嘘をついてまで無理に婚約を結んで頂かなくても…………。」
「無理なんてしてませんよ?
それにこれでも僕も男ですからね。カタリナ嬢みたいな綺麗な女性に好意を向けられて、あれこれ世話を焼かれれば好きになってもおかしくないでしょう?」
「嘘…………。」
信じられなくて唖然とする。
これまでカタリナがどれほど好意を打ち出しても、世話を焼いても、立板に水の如く流していたのになぜ……。
まさか本当にカタリナの事が好きになったのかと背中に冷や汗が落ちる。
「カタリナ嬢……………。」
いつもは大好きな優しい笑顔が今は何だか不気味に感じた。
カタリナの方へと足が一歩ずつ踏み出される度に、カタリナは一歩後ずさる。
「あれ?どうして後ずさるのです?いつもはカタリナ嬢の方から近づいて来て下さいますよね?
僕の事を好いてくれているんでしょう?だったら触れても構わないですよね?ノクスの事だって何とも思っていないのでしょう?」
「そ……それは………。」
確かにカタリナはアルシオンが好きだと日々公言してきた。
穏やかで優しくて人畜無害なアルシオンは王都の腹黒い連中の中で唯一安心出来る存在で癒しだ。
木偶の坊のノクスよりよほど気も利くし思いやりもある。
そのアルシオンがカタリナに好意を持って婚約者になってくれるというなら喜んでもいい話なんだろう。
だけど違う、アルシオンの事は好きだけど、婚約者にと望んでいたのではない。
何て説明したらいいのか分からずにいる間にアルシオンの手がゆっくりとカタリナへと伸びて来た。
真剣な瞳が真っ直ぐにカタリナを映していてカタリナはゴクリと息を呑む。
「待って………アルシオン様… 違うのです…… 私……。」
いつもだったら目が合えば嬉しいと感じていたはずの心が強張る。
いつもは触れる事に戸惑いすらなかった手に嫌悪感を感じる。
大好きなアルシオンの筈なのに向けられる好意に恐怖すら抱いた。
アルシオンの手がカタリナの頬へと触れる寸前、気づけばカタリナはアルシオンの手をパシリと払い除けて、全力で叫んでいた。
「止めて!私の婚約者はノクス様だけです!!」
ハアハアと乱れた息で叫んで、自分の口から出た言葉に驚く。
(………今………私……………何て…………?)
「ふっ………そうですね……。カタリナ嬢の婚約者はノクスだけです。」
呆然とした顔でアルシオンを見れば、笑いを噛み殺すように口元を押さえてぷるぷると震えているのが見えた。
「………………私のことをからかったのですか?」
魂の抜けたような顔で尋ねれば、アルシオンはコホンと咳払いをしてから少し申し訳なさそうに笑う。
「ええ、すいません。ですが僕もそろそろ恋の鞘当に使われるのはごめん被りたいと思ったものですから。」
「こ、恋の鞘当!?」
カッと顔に熱が集まった。
「何を馬鹿な事を仰ってるのです!私は…………。」
カタリナは抗議の声を上げようとするが続かない。
とうして『自分の婚約者はノクス様だけ』なんて叫んでしまったのか自分の気持ちが自分でも分からないからだ。
アルシオンの告白が嘘だと分かって安堵が胸に広がることにも戸惑いを隠せなくて動揺する。
「私……………私は…………。」
そんなカタリナにアルシオンは優しく労るように声をかける。
「混乱させてしまったみたいでごめんなさいカタリナ嬢。
でもね…………カタリナ嬢がどうして僕なんかに好意を示していたのか一度考えてみて貰えませんか?」
アルシオンの言葉にカタリナの心はざわめく。
「先程カタリナ嬢は好きなタイプは穏やかで優しい人だと仰ってましたが、そんな人は僕じゃなくても学院の中にだって沢山いるはずです。
それなのに婚約者の親友である僕をターゲットにしたのは何でだと思います?」
「何でって……。」
カタリナは困惑の表情を浮かべる。
「僕はね、こう思いますカタリナ嬢。
カタリナ嬢が僕という存在をあえて選んだのは、カタリナ嬢はノクスと全く違うタイプの僕を絶対に好きにならないから、そしてノクスの親友である僕なら絶対にカタリナ嬢を好きにならないからじゃないかって……。」
そう言われてカタリナは息を呑む。
「絶対に好きにならないし好きになられる心配もない相手……だから安心して好きなフリが出来たんじゃないですか?」
穏やかな口調だったが、その言葉はカタリナの頭をかち割るような鋭さがあった。
「ノクスにも言ったんですが……カタリナ嬢も自分の心の声に少し耳を傾けた方がいいと思います。
そうすればきっと、本当は誰の世話が焼きたかったのかも見えてくるでしょうから。」
心の奥底の真実に触れられた気がして、カタリナは無言で俯いた。恥ずかしさで顔を上げられない。
アルシオンの言わんとしている事はわかっても、心が受け入れられないのだ。
(私……………本当にノクス様を?ううん…まさか…そんな筈は……。)
心の中で葛藤が渦巻く。
ともかく今はもう少し考える時間がほしい。
と思ったところでザッザッと此方に誰かが近づいてくる足音に気づいた。
「カタリナ嬢!」
同じくアルシオンも足音に気づいたらしく鋭く名を呼ばれて警戒するが……
「おお!やっと見つけましたよ、麗しのカタリナ嬢!この様なところにおられましたか。」
声の先には従者を一人連れたケビンが満面の笑みで立っていた。
「ケビン……様?」
「え、ケビン殿?」
思いもよらないケビンの登場にカタリナもアルシオンもポカンと口を開け目を白黒させた。
一方カタリナ達と離れたノクスはというと、森で狩りに精を出して………るのではなく森の抜けた先にある辺境へと続く街道へと駆けていた。
街道の脇にある大きな岩場の側には頬に傷跡が走る熊のように大きな男が立っている。
この立派な体躯の男はノクスが辺境から共として連れてきた辺境騎士のジャイルだ。
森の方を鋭い眼光でずっと見据えていたジャイルは森を切るように飛び出してきたノクスを見つけると声をあげた。
「若!こちらでございます。」
「おおっ、そこか。」
声をかけられてジャイルの姿を認めるとノクスは足早に駆け寄った。
かなり急いで来たのかノクスの額には大粒の汗が浮かんでいる。
「随分と早かったですな若。予定では決行は狩猟大会の終わりと聞いてましたが…何か問題でも起こりましたか?」
ノクスの様子に何事か起きたのかと緊張が走るジャイルたが、ノクスは緊張を打ち消すようなような明るい声をあげる。
「いや違う。だがカタリナに『狩猟大会で優秀して欲しい』と頼まれての、それで予定を前倒しせねばならなくなった。」
「ほう…………。」
聞かされてジャイルはノクスの嬉しそうな様子に目を細めた。
カタリナが辺境を出て行った時、ノクス本人は何も言わなかったが、ノクスがどれだけ落ち込んでいたか知っている。
当時はジャイルだけでなく辺境の騎士達全てがノクスを心配した。
カタリナが何故去ったのか理由は分からないが、カタリナは将来の辺境伯夫人となるべく鍛錬をこなしノクスの事も思いやっていただけに、誰もが首を傾げてノクスとカタリナの関係に気をもんでいた。
しかしどうやら二人の間の氷が溶けそうな様子に、厳ついジャイルの様相も僅かにほころぶ。
「それはそれは……ならば何としても狩猟大会の優秀をお嬢 (カタリナ)へ捧げなければなりませぬな。
………しかしそうなると狩猟大会を壊さずに事を進めなければなりませぬが如何いたしましょうか?」
「それは心配いらぬ。相手の指揮官が思うた以上に優秀での、獲物がおる場所だけに完璧に布陣しておるから逆に獲物がおらぬ場所には人はおらぬ。」
「ほうほう、それは上場。でしたら人の目をかい潜って北方近衛師団の砦まで容易に近づけそうですな。」
「うむ、それで準備は済んでおるか?」
「はっ、準備万端ぬかりなく。
お言いつけ通り活きが良さそうなのを見繕って参りましたぞ。」
ジャイルは岩陰の方を親指で指し示す。
岩陰の後ろには隠されるように荷馬車があり、荷馬車の荷物にはガタガタと揺れる大きな木箱が積んであった。
ノクスはそれを見て大きく頷くと
「良し、ならば作戦の開始と行くかの!」
と満足気に笑った。




