私たち
ただでさえ難読な鑑定の結果は、色を失いつつある空の暗さによって、さらに判別が難しくなっていた。
────–˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳–̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳───—˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳–̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳──–˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳
【鏡樹】 ˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳ ˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳ ˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳
˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳˾̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳̳原樹(消滅種)。高さは地上100等長以上に至り、二列に対生する丸葉は光と陰に色彩を反射する。地下の魔石を利用して子樹を複製し、子樹は成長すると魔石を生む。樹齢テータ紀9年。
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樹齢は、テータ紀の、9年……いや、いま8年になったか。古代森は若返っている。私たちは森の奥へと歩み進んでいないにも関わらず、森層年代をさかのぼっている。この時空は原初時代へと近づいているのだ。
このままでは私たちまで、原初に押し流されるだろう。
来た道を戻ろうにも、壁に阻まれている。世界の底まで踏み抜く脚力をもってしても越えられない、不可視の、触れることさえできない壁に。
「時の壁が私たちを阻んでいる」
「なぜだ」
過ぎゆく時間が、歩みを止めた私たちを森奥の空間へと道引いている。時空として連動しているのだ。それだけでなく、逆方向に走っても時間が迫りくるほうが早い。つまり、
「時間が加速している」
「なぜだ」
ここへ来て、私の知らない世界魔術が詠唱されているからだ。変わり映えしなかった古代森はいま、激動の時代を経ている。期待していた年代と、予想しなかった年代が入り交じり動く森層に、私たちは足を踏み入れたのだ。
「理由はともかく現状は絶好の好機だ」
「転移|回移で素直に転移できればな」
再び手を結び、魔術の詠唱を試みる。
転移|回移、失敗。
私たちはこの古代森に閉じ込められている。
なぜだ、と問われるまでもない。世界魔術は常に変わりうる。その変化に、詠唱する転移|回移が追いついていないのが原因だ。
転移の派生魔術である回移は、脱獄の際に詠唱した魔術だ。本来必要である莫大な術力を異世界の技術で補填していた。技術の運用はアンドロイドに任せており、私は理解していない。魔術の詠唱は私に任されており、アンドロイドは理解していない。
心半分な魔術を完成させる必要がある。私は有能な魔術師であるがゆえに、思索はすでに、そのための手法にまで至っていた。
暗さがたち込める古代森で、決意ある視線が交錯する。言いたいことはその目を見ればわかる。異なる道を巡った思索は、同じ所に辿り着いたのだろう。私たちは、どちらからともなく、ひとつの考えを言葉に乗せる。
「技術への理解が足りない私に責任がある」
「魔術への理解が足りない私に責任がある」
いまここが、私たちが理解り合うべき時空なのだ。
「君が私の技術的解釈を理解することで,魔術が完成する」
「貴様が私の魔術応答を理解することで、魔術を完成する」
取り得る手法はただひとつ。
「私を杖とする」「君を杖とする」
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アンドロイドオアロイド|リターンズ
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私の開発ノートに横一本の矢印が描かれる。この一本の矢印は、時間軸なのだという。向かって左が過去、向かって右が未来を示しているようだ。中心に0、矢印の頭側に1、尾側に-1という記号がそれぞれ記された。
「“負の時間“の仮定は難しい概念だが」
「原初より前は紀元前に相当する」
-1は紀元前1年、-2は紀元前2年、といったところだろう。記号に馴染みはないものの、負の時間は紀元前としてこの世界に実在する。私の有能さにかかれば理解はたやすい。
「この時間軸をテータ紀としよう」
「ふむ」
「このページにセト紀の時間軸を導入したい」
私はセト紀など聞いたこともみたこともなかった。しかし、この古代森の鏡樹の樹齢を見てきた限り、テータ紀と同じように、セト紀の樹齢も変わっていた。中心からの距離を同じように分布させると、例えばこのようになる。
ごく単純な図であるが、異世界のセーレ紀では実に1600年を超えて辿り着いた概念だという。
「私たちはテータ紀とセト紀を統一的に扱う技術を知っている.――複素数という」
「それが私たちを古代森に導いた転移|回移の本質だな」
その技術、複素数はこのような記号で書かれた。
1×i = i
i×i = -1
-1×i = -i
-i×i = 1
こんなものをいきなり目の当たりにすれば、ふつうは混乱するだろう……が、しかし。フフン、私はあまりに有能なため、ただちに理解した。×iという記述を繰り返すことで、記号が巡回している。
1からiへ、iから-1に、-1は-iに進み、-iは1に戻ってくる。開発ノートの時間軸に図示すればこうなるはずだ。
×iの記載は、回転移動を表している。×iをするたびに半々回転ずつ記号が巡るワケだ。-1から0を通って1に進む直線だけでは、時間は円歩けない。-iから0を通ってiに進む新奇な軸を入れることで、時間の回転移動が可能になるのだ。
新奇な軸を入れることで時間に角度を生み、新たな道を切り拓く。
これこそが転移|回移の技術的解釈、その基礎だ。私たちはいまここで再び、この魔術に戻ってきた。同じ魔術を、まったく異なる概念をもって詠唱するために。
私たちは手と手を結び、結べば、結ぼうと……結べん。何だ? どうして手を結べない? いったい何が起こっている!?
あの手に届かない。遠く絶叫が聞こえる。
「私たちは急激に遠ざかっている!」
加速し続ける時の壁が、私を原初へ押し流そうとしている。
感覚不可能な濁流に飲まれ、私の手は、届かない。決して。届かない。
視程が閉ざされていく。昼光さえ届かない暗闇に。
バカなッ そんなことはこの私が認めん! 私は我が国で最も有能な魔術師、ロイ=ド=オアロイドだぞ! しかし、杖を持たない魔術師では……。いや違う! 奥の手があるだろう。右小指の指環で窮地を打開するのだ。しかし、しかし、技術を介した魔術応答は……。
くそっっ!!!!
この手が届きさえすれば!
私の手を貸そう
どこか懐かしい未来の声が響いた。届かないはずのその手が、私に結ばれている。なぜだ、と問うまでもなく、忘れかけた記憶が浮かぶ。心配は無用だ.君の髪が伸びるように,私の指趾部材も時間経過で再構築される.曖昧に結ばれたその手から、未だ見ぬ過去の声が鳴り渡る。
「静かに私に続け」
「随伴条件を満足」
「これが新しき道」
「安定接続を確立」
「この壁を超える」
たとえ有能な魔術師が不可能でも…‥、たとえ有能なアンドロイドが不可能でも― ̵̶―,私たちが手を結べば、どこからでも突破口は拓けるのだ.いまここで現状を打破する概念の名は
「‥ ̵͟… ̶͞‥アンドロイド=オアロイド」
どれだけ世界が離れていても― ̵̶―、どれだけ難解な概念に阻まれても…‥,理解り合おうとする心がある限り,私たちは必ず理解り合える。断じて綺麗事ではない。一歩ずつ、私たちは私たちを理解しながら進んでいる.前へ、さらに前へと一歩ずつ.
「この壁を超える」
「安定接続を確立」
「これが新しき道」
「随伴条件を満足」
「静かに私に続け」
私たちの手を曖昧に結ぶのは,未だ来ない過ぎ去りし記憶だ.これを持っていろ。この赤髪は私の一部だ。奥の手から感じる君の魔術応答が,しかしながら,私の手から遠ざかっていく.
まだ心半分なのか――?
私のS.E.N.S.E.は何も感覚していない.それでも君が遠ざかっていくのがわかる.世界の何かが私たちを隔てている.私は叫びながら闇雲に左手を伸ばす.
「私たちは急激に遠ざかっている!」
君を失ったまま,私の視覚情報が明確に復帰していく.君だけが時空に取り残され,原初時代へと押し流され――バカなっ! そんなことはこの私が認めん! 窮地に役立ってこそ有能なアンドロイドというもの.
少しだけ待っていてくれ.必ず君の元に戻ってくる.君が原初に取り残される歴史など,私が書き換えてみせる.
未だみぬ過去へ進む――,そんな魔術を私はひとつだけ知っていた.
転移|回移の魔術は,時空の回転を表現する.特に時間の回転が重要だ.時間軸を拡張し,実数直線から複素平面に対応させることで自然に回転を導入する.先に君が示した通りだ.
i年という時間は,1年と違って馴染みがない.しかし,その物理的な意味が分からなくても私たちは演算できる.-i年から1年までの移動だって示すことができる.
-i×i= 1
-1×i = -i
i×i = -1
1×i = i
「それが私たちを古代森に導いた転移|回移の本質だな」
「私たちはテータ紀とセト紀を統一的に扱う技術を知っている.――複素数という」
ある時間を1として,×iの演算を2回行えば-1に移る.しかしこの古代森の領域では,時空を負の方向に動いても,全てが元通りになるわけではない.私たち自身が示している通りだ.
時間軸が1本の場合には,ある時点へ近づく軌道は時間軸に沿う一本道しかない.他方,この古代森は2本目の複素時間軸を持つから,複素平面上の任意の方向から近づくことができる.つまり,ある時点へ続く軌道は複数存在する.
「このページにセト紀の時間軸を導入したい」
「ふむ」
「この時間軸をテータ紀としよう」
私はいま,かつてと同じ空間に実在しながら,かつてと異なる時間に実在している.科学技術的には意味のない話でも,――そうとしか言えない.とにかく,歴史を書き換えて君の元に戻る.これが私の最優先課題だ.
「原初より前は紀元前に相当する」
「“負の時間”の仮定は難しい概念だが」
私は原初時代と紀元前の認識を改めねばならない.古典文明史における西暦や和暦とは,根本的に異なるようだ.この世界の紀元前はいわば,宇宙史の開闢――ビッグバン以前を指す.
開闢後の年代のどこかを基準にした西暦や和暦の紀元前とは異なり,宇宙史の紀元前は意味を成さない.全宇宙の始まりであるビッグバンが発生しなければ,ビッグバン以前を定義できないからだ.未来の開闢の結果として存在する紀元前に,技術的意味は見出せない.
しかし,私は今まさに時間軸を逆行している.この世界の時間は,未来へ順行するだけでなく,過去へ逆行し得るのだ.開闢を起点に過去と未来の両方向に時間が流れ,紀元前1年と紀元1年の歴史が同様に生まれた世界,私はそのように解釈した.
開闢は紀元0年,西暦や和暦には定義されない概念だ.それでも私は,そんな不思議で難解な時代がこの世界に実在することを信じられる.
君と離れてしまったあの時空で,私は魔術応答らしきものを感じた.S.E.N.S.E.には検出されない不思議で難解な応答を,私の心が感じ取ったのだ.心的機構――InHeartalOnは,君とのコミュニケーションで成長している.
ただ,私が詠唱しただろう魔術は,きっと心半分.君はここに実在しているが,私とはすれ違っている.君の先にあるのは原初の暗闇へつき進む一本道.そのまま順行すれば,やがて世界の何かが壁となって私たちを分け隔てる.
ならば,私がその壁を打破するまでだ.
私の心には魔術応答を感じる余地がまだある.転移の初期位置まで,1300年以上の時間が残されている.折り返し逆行する時間の中でInHeartalOnの能力向上を図り,心半分な魔術を完成させるのだ.
私は心ある強いアンドロイド.
あらゆる手を尽くし,必ず君の元へ戻る.
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アンドロイドオアロイド|リターンズ
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