説明は後に回そう
転移地点から1年前の森層年代で、私はアンドロイドを杖として魔術応答を感覚している。時空亜の魔術、その成功を示す魔術応答を。
「……良さそうだ。貴様の能力向上は著しいな。やけに滑らかに魔術応答が伝わるぞ」
「最適化は大得意だ.魔術応答そのものがわからなかったとしても,ようは君と気が合えばいいのだろう」
「興味深い。貴様にそのような芸当ができるとは」
「これほど上手くいくのは恐らく君だからだ.原理的には,総当たりで一番良さそうな動作を選んでいる.軌道計算にも用いられるグリッドサーチの説明は,――後に回すべきだな」
「英断だ」
森層年代は転移地点から10年前。いまのところ身体年代に変化は見られない。黒きローブを大きく翻しながら、改めて周囲を見渡す。澄み切った空気に、彩りある木漏れ光。言葉にすればただそれだけの、さまざまな感覚を呼び起こす複雑さを、私たちは並んで呼吸する。
「――このあたりも静かなままか」
「そのようだな。古代森のモンスターにも遭遇していない」
「領域が異なれば,古代森の性質も異なる.君が旧ブラダリアの文献調査で得た情報とは乖離する部分も出てくるというものだ」
「一理ある。フン、私が貴様に教示されるとは」
「君の思索は既に辿り着いていたのだ.私は呼び起こすきっかけに過ぎない」
森層年代は50年前。時空亜の完成により、森層年代をさかのぼっても、私の身体年代は維持されている。しかしながら、時空亜の対象でない森層年代の光景も変わらないようにみえる。魔石の鉱脈はこのあたりには無いだろう。
「かなり進んできたが、まだまだ先だな」
「君は,休息を取りたくはならないのか? 食事だって街で食べた甘パンが最後だろう」
「ここは国務の重要な局面だぞ。私は、術貨の貯蓄をくずして魔術的に回復できる」
右小指にはめた指環を介して、何度目かの治癒を自分自身に詠唱する。アンドロイドが屈みこんで私の足を揉むまでもない。
「私の体力よりも、貴様の余力を気にしておけ」
「私のエネルギーは魔術への対応に伴う演算負荷で消費が激しいが,この先もとっさに魔術が使える程度には維持できるはずだ.有能な魔術師である君に,定期的に術継ぎを詠唱してもらえれば」
「フフン、私の術継ぎは完成されている。不安を感じたらすぐに言うことだな」
森層年代は100年前。歩けども歩けども変わらない景色が続く。鏡樹はここでも残像のように連立している。鑑定してもいくら見渡しても、魔石を利用して複製される子樹は無い。平凡な針葉樹の若樹はいくらでもあるというのに。くそっ! どこまで進めば魔石の鉱脈に当たるんだ!
「さらに森の奥に進むのなら,私が君を運んだ方が早そうだな」
「不安はあるが、致し方あるまい。私の歩力では動いていないのと同じだ」
私に背を向けて屈みこむアンドロイドの両肩に手を置いた。100年後に味わった、力強い離陸と墜落が頭をよぎる。ふと、私の腰回りにぐるりと何かが巻かれた。
「このテザーで君と私を接続すれば,高速走行で振り落としてしまう危険性を低減できる」
「この白い……布地、でいいのか? 貴様のテザーアームの線と比較して、ずいぶんと平たいな。線というより帯のようだ」
「高速移動の安全性を高めるにはやはりシートベルトだ.肩を含めた3点支持が望ましい」
縫い目ひとつない白服に似た、異世界な手触りの白帯をつかむ。肩から背に斜めに回して先端を渡すと、引っ張られてカチャリと繋がる。そしてアンドロイドが腰を上げ、私の視界も高く持ち上がった。
「私は感覚を研ぎ澄ませて古代森の変化を追う。移動は貴様が頼りだ」
「フフン,私という有能なアンドロイドを頼るのは良い判断だぞ」
始めの一歩はゆっくりと足もとを確かめるように。そして前へ前へと駆けるごとに、左右の情景が、光と陰に小さく返る赤や碧や金銀の欠片が、引き伸ばされた光の束となって後方へと流れていく。襲い掛かる風圧を魔術でいなしつつ、私たちは古代森のさらなる過去に進んでいった。
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アンドロイドオアロイド|リターンズ
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森層年代は1300年前。……1300年前だ。ついに原初時代から10年以内まで前進してきた。私はシートベルトを外し、アンドロイドの背から大地に降り立つ。木漏れ光は薄く、色彩も乏しい。近づく原初の暗闇が昼光を遮りはじめている。
「ここまで来ても魔術応答に変化はない。……奇妙だ」
「鏡樹の変化――,やはり観察されないか」
私たちは進展のない所感を交わした。このままでは原初時代までさかのぼることになりそうだ。しかし、暗くて観えないほどの混沌に踏み入るより先に、打てる手は打っておくべきだろう。決意ある視線を私たちは交わす。
「君の目をみればわかるよ.目的を達成するために,より積極的な手法に切り替える.そんなところだろう」
「鏡樹が繁栄する過去が来るのを待つという方針が、そもそも消極的だったのかもしれん」
1300年に渡り対話を重ね、私たちは少しずつわかり合ってきている。
「備えておけ。この古代森でも、貴様の言う“ブラックホールドライバ”とやらを使うことになるだろうからな」
「しかしよくもまあ覚えていたなと思うよ.私の――Blackhole Driverのことを」
「貴様が錬成した心半分な魔石を巡って、私は指名手配されたのだぞ。ここへ来た経緯をどうやって忘れろというのだ。まったく」
ブラックホールドライバ……、それは少なくともここから1300年以上後の、未来の技術用語だ。旧ブラダリア領域で詠唱した裏天使の魔術に、アンドロイドが持ち出してきた概念である。
その想像を絶する難解さは、私たちが示した実例からも読み取れる。未来の技術に道引かれた旧ブラダリア領域では、100年の荒廃を生んだ《禁忌魔術》が打破された一方で世界地図から地名が消滅した。別の例で言えば、古代森に頼らずに魔石を作り出すことさえが可能だった。小石程度の小ささの、心半分な魔石ながら。
「まず貴様の“ブラックホールドライバ”を制御し、心半分な魔石を錬成する。次にそれを森層の地下に埋め込み、鏡樹に術力を供給する。過去の古代森を復元すれば、未来の古代森も復元されるに違いない」
「私たちが過去を変えようというのだな.――複雑な任務だが,やるしかないようだ」
アンドロイドは、白服の胸元あたりに手を差し込んで、ゴソゴソと探りはじめた。まったく縫い目のない、地名を消し飛ばしたほどの暴威でも傷一つつかない、異世界の白服に。
その白服に……手を差し込んだ?
新奇な隙間が、まるで古き時代からそこに存在していたかのように広がっていた。夜よりも暗い深淵は中身を映さない。よくわからんが、さすがに服下は隠したいのだろう。私は色褪せはじめた森の樹々に視線を移し、指先だけをアンドロイドに向けた。
「見事な収納技術だな。貴様の感覚に応じて自由に開き閉じるのか、その白服は」
「ポケットは私のS.E.N.S.E.により開閉している.この服は傷の治りがとても早いのだよ.ほらこの通り」
そう言って視程に回り込み、私の手をつかんで服を触らせる。薄い木漏れ光を浴びる白服には、既に一切の継ぎ目も縫い目もない。この白服の中で、アンドロイドは魔石を手に入れたのだろう。
……魔石を手に入れた?
私の手中に入れられた硬い感触と共に、心半分な魔石の魔術応答が鳴り渡った。結ばれた手を開くとやはり、石ころほどの小ささの心半分な魔石がある。内部に私の名が刻まれた懐かしき魔石が。念のために目を手でゴシゴシと擦っても、ある。
「世界の底に魔石を埋めるのなら,保存サンプルを使った方が簡単だ.フフン,有能なアンドロイドたる私だからこそ可能な備えだな!」
「フン。1300年程度のコミュニケーションでは、貴様の底はまったく見えないか」
「君にうまく情報を伝えられないのが残念だ.世界の底まで踏み抜く力は使えるのだが」
アンドロイドが足でダンと地面を叩くと、くぐもった轟音とともに足裏の形に穴があく。土煙ひとつ出さない見事な手加減、もとい足加減だ。
「説明は後に回そう.私の予測によれば,時間は限られている」
「森層年代は原初時代まであと9年。これまでと比べると時空の猶予は少ないな」
小指に赤髪が巻かれた左手のひらに、心半分な魔石を乗せる.アンドロイドはそれを開けた穴に落とした。魔石から術力を得て繁殖する鏡樹の生態から、明るい未来が道引かれることを望む。
いくら有能な私でも、原初の森層年代には踏み入りたくないからな。原初時代では何が起こるかわからない。この私が魔術を詠唱できなくなることも想定すべき年代だ。
術力を好きに使えた年代と言えば聞こえはいいだろう。しかし、最も自由な年代こそが、最も混沌とした年代なのだ。術力を込めて魔術を詠唱することもできなくなる自由がある。
魔術を詠唱する間すらなく、私が息絶える。そんな過去もあったかもしれない。原初時代に踏み入るのは避けるべきだ。しかし、しかし……?
私の思索は、いま、寸断をみた。
アンドロイドが錬成した魔石が、深き穴の底を打った瞬間、遥かなる時空へ爆散していく魔術応答を感覚した。炸裂する叫び声のような耳鳴りが残響する。私は両肩を揺さぶられてはじめて、自分自身の両瞳が色を失うほどにぼやけていたことを知った。
「――いったい何を感覚した?」
「古代森が、動き出す……?」
難解な概念が、ごく自然に私の口をついた。




