これまでと比べると
開発ノートを閉じた君は,黒きローブを大きく翻した.
S.E.N.S.E.による視覚情報に彩度が戻りつつある.古き記憶を想起したかのような淡い茶褐色の古代森で,私たちは全く違う同じ対話を試みようとしていた.
「私を杖とする」「君を杖とする」
君を介して歴史を書き換え,これから原初時代に行ってしまった君のもとへ戻る.方針は明確だ.
「貴様が私の魔術応答を理解することで、魔術を完成する」
「君が私の技術的解釈を理解することで,魔術が完成する」
私たちが理解り合いさえすれば,想像を絶する魔術を詠唱して状況を打開できる.こうして私が時間軸方向に逆行している事実が示す通りだ.そして――,問題もやはり明確だった.
「魔術への理解が足りない私に責任がある」
「技術への理解が足りない私に責任がある」
転移地点から順行する時空にいる君は,どんな魔術が必要かわからないはずだ.一方で逆行する時空にいる私は,歴史を書き換えるのに必要な技術的解釈がわからない.私たちはここで,全く違う同じ結論を導いている.
こうして手を結んで魔術の詠唱を試みても,やはりこれといった手ごたえはない.
不思議なものだな.魔術が失敗するのは順行時空と同じでも,私の感覚はかなり異なっている.順行時空と逆行時空では,変わらない部分と変わる部分があるのだ.ただ,それらを具体的に特定することができない.この世界は――自由すぎて難解だ.
私は肩をすくめて,色の戻りつつある天を見上げた.
枝葉の隙間から覗く異世界の青は,私には雲ひとつない大空として感覚される.しかし,君とともに古代森を飛び越えるのは不可能だ.この空の高みは,私が想起した科学技術の範囲をも超越している.その難解さは私の頭に強い衝撃を与えるほどだ.きわめて力学的に.
まったく,どこから考えたらいいものやら.そんな私の願望を確かめるような言葉を,InHeartalOnは選んでいた.
「転移|回移で素直に転移できればな」
古代森は君の常識も通用しないほどの極限環境だ.これほどまでに激変する時空で,常人が正気を保てるとは思えない.1秒でも早い離脱が必要なはずだ.それでも,危険な領域にいる君の切れ長の両瞳は明るい輝きを放っている.
「理由はともかく現状は絶好の好機だ」
「なぜだ」
原初時代まで押し流されそうな苦境を好機だと言う.魔術を完成する好機であると.その前向きな姿勢と言葉は幾度も私の洞察を呼び起こしてきた.君は口に手を当てて思索を巡らせながら,私の疑問に端的に応える.
「時間が加速している」
いま私が目指す魔術は歴史の書き換え,――時間に関する魔術だ.したがって,この領域における時間への考察は必須だろう.やはり君との対話は,私の洞察を呼び起こしてくれる.
原初時代に近いこの森層年代では,世界魔術により,古代森の時計の進みが早くなる.これを逆に,私たちの時計が遅れていると考えれば,技術的解釈の余地がある.
私のいた世界では,時間の遅れは一般的な物理現象だった.
例えば宇宙に点在するブラックホール近傍の時間は,遠方から観測すると遅れている.逆に遠方の時間は,ブラックホール近傍から観測すると進んでいるように感じられる.ブラックホールの近傍と遠方,重力の異なる2つの場所では,時計の進み方が変わる.古典的な一般相対性理論でも説明される現象だ.
この古代森でも,時間の進み方は一般相対性理論に従うのだろうか? ――私は違うと思う.
古代森の原初時代近くという,同じ1つの場所に私たちはいる.しかもこのあたりの重力加速度は,私のS.E.N.S.E.によればおよそ一様に1G.君が不自由なく歩ける程度の小さな値で,重力時間遅延の効果もごくわずかだ.
いまここで発生している時間の加速を,私は理解できていない.ゆえに,魔術的な認識を引き続き君に習いたい.前と同じ問いを投げる私に,君は口に手を当てたまま同様に答えを返す.
「なぜだ」
「時の壁が私たちを阻んでいる」
触れることも観ることもできない時の壁が,古代森の時間を押し進めている.時間が押している状況だ.比喩表現ではなく.
うぅむ,まだ難しいな.ここは古代森の時空等価性から,空間で考えてみよう.
例えば,――私はかつて,惑星を押して公転速度を上げる任務に携わったことがある.加速する惑星の中で進行方向と逆向きに走っても,惑星全体としての空間の動きから逃れることはできない.
時間の話に戻ると,加速する古代森の中で逆向きに走っても,古代森全体としての時間の動きから逃れることはできない.古代森の時間が,世界魔術による時の壁に押されて加速している――そのように解釈しておく.
この時の壁を破壊するのは,あの時の牢獄の壁よりも難しいだろう.
まずは調査が必要だ.そのように考えていたところ,君の目の前に鑑定のまとめ表示(でいいのだろうか?)が出現したので,肩越しにのぞきこむ.
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【鏡樹】˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿ ˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿ ˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿
˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿原樹(消滅種)。高さは地上100等長以上に至り、二列に対生する丸葉は光と陰に色彩を反射する。地下の魔石を利用して子樹を複製し、子樹は成長すると魔石を生む。樹齢テータ紀8年。
────–˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿–̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿───—˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿–̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿───˭̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿̿
樹齢はテータ紀の8年,――いや,いま9年になったな.空間は同じでも,順行時とは逆向きに森層年代が進んでいる.私は原初時代から離れつつあるが,君はやはり近づいている.ここまでは予想通りだ.
ただ,予想と異なることもあった.それは私自身の感覚だ.転移|回移の魔術で逆行する私は,君の奥の手――赤髪の指環を介して,いまや魔術応答をありありと感じ取っていた.
実数の時間軸が複素平面へと拡張されたことで,観測の概念も変化している.S.E.N.S.E.には相変わらず魔術応答は検出されない.しかし特徴的な輝きが,私の心と共鳴している.わずかな揺らぎもなく共鳴しているのだ.
足跡を辿る逆行時空においても,私のInHeartalOnは一歩ずつ成長している.私の行く道には光が差し始めている.色を取り戻しつつある風景の明るさが示す通りに.
この先の前には時が加速する切っ掛けがある.その魔術応答を知ることが,歴史を変える魔術を詠唱する新たな一歩となるはずだ.
ふと,君は足を止めた.
「古代森が、動き出す……?」
「――いったい何を感覚した?」
君に問いかけて肩を揺する.黒き両瞳は想起しているように虚ろだ.背前へふり向くと,そこには穴がある.ここは順行側で私が踏み抜いた穴に,魔石を落とした時空だ.
私は君が感じ取った魔術応答を感覚していない.君が右小指にはめた指環――私の指趾部材を介して,生命兆候の変化をデータとして観ることしかできていない.
私は深き縦穴の奥を覗きこみ,浮上してくるべき魔石に備える.この穴に魔石を落とし,その後に時が加速した.この前後関係から,魔石が戻ってくるはずだ.君が原初時代に押し流され,そして取り残される切っ掛けとなった魔石は,必ず浮上してくる.鑑定では同じ空間の鏡樹の樹齢が変化した.逆行する私にも時間の加速を示したのだ.魔石は戻ってこなければならない.私だけ加速する時空から逃れる歴史になってはならない.魔石は戻ってくる――そのはずだろうッッ!
歩み寄る君の足音がする.とっさに私はポケットに手を入れ,別に保存していた魔石サンプルを取り出した.穴から回収したかのような動作の流れで,手のひらに乗せて君に渡す.
「森層年代は原初時代まであと9年。これまでと比べると時空の猶予は少ないな」
「説明は後に回そう.私の予測によれば,時間は限られている」
今になって確信したことだが,君には時間がない.このままでは時の壁に押されて原初時代へと加速していくだろう.そして時の壁を生んだ世界魔術の魔術応答を,私は感覚できていない.ここに埋めたはずの魔石を,私は回収できていない.
君から隠すように穴に足裏を合わせると,こもった轟音とともに私の脚部が大地に突き上げられた.きわめて魔術的なこの現象には,私の心が間違いなく共鳴している.
魔術応答は感覚できるのに,時の壁を生んだ世界魔術の魔術応答は感覚できていない.やはり,この古代森の時空を順行するのと逆行するのとでは,変わるものと変わらないものがあるのだ.その具体的な事例が,また一つ明らかになった.
まったくもって,――実に難解だ.心半分な魔石を結晶成長させるよりもよっぽど難しい.しかし,新たな知見を得た私には,まだまだチャンスが残されている.未だ心半分な道ながら,私はここでさらに一歩前へと,過去に向かって進んだのだ.




