第68話 魔法の葉巻
そろそろ日暮れだ。暗くなる前に港に滑り込もうとする船たちが、夕焼けに染まる街に入ってくるのが見える。
水平線に沈もうとしている夕日の残照は、すぐにでも消えるのだろう。あちらこちらで街の明かりが灯り始めた。海風が夜の気配を運び、だんだんと空気が冷えてくる。
街を行き交っていた人々が家に帰っていく。残っているのは、酒場に入り浸っている者たちだけだ。雑踏のざわめきが消え、代わりに潮騒がよく聞こえるようになる。
ギベッドと患者たちはまだ帰ってこない。患者の数が数だし、大変なのだろう。
大きなメアリーがメアリーを連れ去ろうと、またやって来るかもしれない。それを警戒した村長は、用心棒としてこの船に泊まろうと持ちかけた。
ジョナサンたちは、客人をもてなそうと船倉に入っていた料理や酒を持ち出して、みんなで囲む。ちょっとしたパーティのような食卓になったが、メアリーは心ここに在らずといった様子でぼうっとしている。
真っ暗になったらどうしようかと思ったが、幸いすぐに大きな月が登ってきた。街の灯りもあるし、カンテラを一つ出しておけば、視界を確保するには十分だろう。
このままではクラフトが喋れなくて不便だろうと、デビーはラッコに命じて貝殻を持って来させた。加護を込めるとそれを指輪に変え、事情を話して村長にはめさせた。
「家宝にします……!」
「いい心がけね。私、従順な子は好きよ」
大げさなほどに喜ぶ村長を見て、デビーは得意げに胸をそらす。
飲み食いしながら、ジョナサンは村長にここに来るまでにあったいろんなことを話して聞かせた。
ずっと心の底に引っかかっていたものが、少しだけ取れたような気がする。
クラフトは故郷を出た時、ちゃんと家族を説得してから出発した。それにひきかえ自分は、面と向かって語り合わず、逃げるように船を出してしまった。
ずっと胸の奥につっかえていたのだが、こうして穏やかに聞いてもらえている。順番は逆になってしまったが村長が自分の船出を認めてくれたようで、少しホッとしていた。
「ジョナサン、うちの船に顔出してくか? 村の連中が中心になってるから、お前の知り合いも多い」
「……。いや、いいや。あんたも知ってるだろ。俺はあの村に馴染めてなかった。再会を祝いたい相手なんか、正直あんたしかいねえよ」
「へえ、意外だな」
「うん、意外」
クラフトとエルモが顔を見合わせ、頷きあっている。
「なにがだよ」
「いや、君は誰とでも仲良くできるタイプだと思っていたんだ」
「私も。そんなぼっちな過去があったとは。ねえ村長さん、ジョナサンが小さい頃の話とか、聞かせてほしいな!」
「おお、そうだな。どの話からしようか……」
「やめてくれよ! それ絶対俺が恥かくやつだろ!」
どの話を暴露されるんだ? と戦々恐々しているジョナサンを見て、デビーは嘲笑を浮かべて高笑いする。
「ざまあないわねジョナサン! 普段散々人のことを幼児扱いしている報い、受けてもらいましょうか! 村長さん? ジョナサンが幼い頃のかわいいエピソードを聞かせなさい!」
仕返しのチャンス! と言わんばかりに目を輝かせ、デビーは身を乗り出して話をせがむ。
「そうだなあ。あれはジョナサンがようやく喋り始めた頃……」
「やめろってば! 卑怯だぞジジイ!」
「仕方ないだろう。全ての船乗りはデビー・ジョーンズの手のひらの上にいるんだ」
「あら、よくわかってるじゃない。さあジョナサン、観念なさい」
「くそ! 俺の味方はいないのか!」
嘆くジョナサンの肩にポンと手を置いて、エルモが微笑んだ。
「大丈夫。今回私は味方じゃないけど、神はいつもあなたの味方よ」
「そんな投げやりな応援ってあるか? こちとら悪魔に魂売ってるんだから神なんか味方なわけないだろ。俺にはお前らしかいないの!」
ジョナサンは必死になって村長を止めようとするが、「まあまあ」とクラフトがそれをたしなめる。その肩の上でラヴも「マアマア」と鳴いた。
「いいじゃないか。君のことが知りたいんだ」
「わーお、そんな歯の浮くようなセリフ、よく出てくるな」
「ありのままの気持ちを言っただけだが?」
「やめろよ、ときめいちまうだろ」
「なぜだ? 君への好意を口にするのを、はばかる必要がどこにある?」
ポカン、と口を開けている村長を見て、ジョナサンはしまったと思った。
「ジョナサン。お前もしかして……」
「待て。そういうんじゃねえから。村長、一回話聞いてくれ。多分あんたは誤解してる」
「悪いな、察してやれなくて。窮屈だっただろう。なに、隠すことはねえさ。船乗りの間じゃよくあることだ。いい友達ができてよかったなあ」
おそらく、誤解を受けていることを把握していないであろうクラフトが、満面の笑みで大きく頷いた。
「はい。ジョナサンはとても良い友人です」
ジョナサンは背中に冷や汗が伝うのを感じた。いつもなら、メアリーが恋敵を消そうとピストルを向けてくる頃合いだ。
しかし、メアリーはぼんやりとしたまま、いつから噛んでいるかもわからない干物を咀嚼し続けている。
「メアリー? 飲み物いる?」
エルモに勧められるまま、ライムのジュースを口に運んで、噛んでいたものを喉に流し込んだ。
考え込んでいるようだ。今日はあまりにもいろんなことがあって、疲れたのだろう。よく見れば、まぶたがいつもより重たげだ。
「メアリー? もう寝るか?」
「やだ」
「でも眠そうだぞ?」
「寝る前に、葉巻使う。決めた」
ついに、曖昧だったものの答えを見る時が来てしまった。
わからないままでもいいんじゃないか? はっきりさせずに今のまま、仲のいい兄妹のままでいられる方がいいんじゃないか?
その言葉は、苦悩に満ちたメアリーの目を見た瞬間に、しぼんで消えてしまった。
「あのね。私が誰か、わからなくなりそうなの。私は、メアリーの身代わり? ママの身代わり? それとも、別の何か? 調べればわかるんだったら、はっきりさせたい」
ポシェットを開いて、メアリーはなめし皮のシガーケースを取り出す。使い古されたケースは濡れた痕跡でよれて、色あせ、糸がほつれてボロボロだ。
「使い方、わかるか?」
村長はメアリーの手から葉巻を一本受け取ると、先端を少しだけ切り落とし、カンテラの蓋を開けて火を移す。
「ほら、吸ってみな」
手渡された葉巻を恐る恐る受け取ると、メアリーは口をつけ、一息吸った。
「ケホッ」
煙たさに一度はむせたが、もう一度息を吸い込んで、今度はフーッと大きく吐き出した。
不思議なことに、吐き出された煙は風に流されることなくその場に留まり続ける。
それは、だんだんと人の姿を取り始めた。
顔が浮き出し、手足が伸びて、色がつく。煙の中に現れた男は、まずメアリーに目をやり、次にジョナサンと村長の姿に気づいて目を見張った。
「パパ!」
メアリーは男にそう呼びかけた。
ジョナサンは、覚悟していたこととはいえ腹の奥に重石を抱え込んだような心地になってしまう。
煙の中から現れた男は、紛れもなくエドワードだ。自分は、メアリーの父の仇なのだ。
エドワードは、メアリーの前でしゃがむと、モゴモゴと口を動かしてなにか語りかけている。しかし、ジョナサンたちにはなにも聞こえない。
「聞こえないな」
ジョナサンの疑問に、デビーが答えた。
「そりゃあそうよ。死人とは話せない。生きてる人を呼び出したのなら、会話もできるでしょうけど」
しかし、メアリーはうんうんと頷いて、熱心に彼の言葉に耳を傾けている。
「メアリーには聞こえてるっぽいぞ?」
「たまにいるのよ。霊的なものに共感しやすい、向こう側の声が聞ける人が。メアリーはそれ。エルモもそうよね?」
エドワードは、どうやら伝えるべきことは伝え終わったらしかった。
立ち上がって村長の方へ歩み寄り、帽子を取ってから深くお辞儀をしたかと思うと、風に吹かれて消えていった。
「なんて言ってたんだ?」
エルモはしんみりした顔で十字架を切り、小さな声で「魂に安らぎあれ」と唱えてから、ジョナサンの問いに答える。
「メアリーには「頑張れ」ってことと「シガーケースの左から七番目の葉巻を破って中身を出せ」ってこと。村長さんには「この子をよろしくお願いします」って」
しばしの間呆然としていたメアリーは、ハッと我に帰るとシガーケースを開けて、左から七番目の葉巻を取り出した。
「なんか他のより大きいな……。あれ? これ、葉巻じゃない。……なにか入ってる」
メアリーが外側に巻かれたカモフラージュのための葉っぱを引き剥がす。
中から現れたのは、ひどい癖字でなにかが書かれた、三枚の羊皮紙だ。




