第66話 メアリーの脱走
俺から言えるのはこれくらいだな。と村長は話を締めくくった。
「ごめん」
ジョナサンは、後悔の念に押し出されるようにして呟いた。
「なにがだ?」
「エドワード、殺しちまった。あんたにとっちゃ、後を託した頼れる後輩だったのに」
「バカか?」
バシッ、と村長の手のひらがジョナサンの背中を叩いた。
そこに怒りはなく、暖かな情すら感じる。
「海賊をぶち殺したら、死体を蹴っ飛ばして嘲笑うのが礼儀だ。お前はあいつに勝った。自分を打ち負かしたやつに哀れみなんかかけられちゃ、それこそエドワードは浮かばれねえ」
「そういうもんなのか?」
しょぼんと眉を下げているジョナサンを、村長は笑い飛ばす。
「相変わらず海賊には向いてないな。外に出たら馴染むかと思ったが、そうでもねえらしい」
「うるせー」
くすくすと愉快そうに、デビーが笑い声をあげた。
「私も同感よ。ジョナサンは海賊には向いてない。この私の契約しておきながら、大したことに使おうとしないんだもの。望みさえすれば、それこそ海賊王にだってなれてしまうのにね?」
その言葉に、村長は固まった。
「今なんと? 契約? まさかお嬢ちゃん……、いや、あなたは……」
「ええ、私はデビー・ジョーンズ。ジョナサンはね、エドワードを打ち負かしてあなたを助けるため、私に魂を売ったのよ」
「はああ!?」
村長はジョナサンの肩を掴んでガックンガックン揺さぶった。
「デビー・ジョーンズの契約者!? お前が!? 嘘だろ!?」
「マジなんだな、これが。色々あって、俺はデビーちゃんの下僕になったわけで……」
「デビーちゃんだあ!?」
ごつん! と村長のゲンコツがジョナサンの頭に落ちた。
「敬意を持て敬意を! この方が誰か本当にわかってんだろうな!」
「いってーな! なにすんだこのクソジジイ!」
大慌てで村長は、デビーの前に平服した。片膝をつき、こうべを垂れる。
「気づかなかったとはいえ、失礼をお許しください。偉大なるデビー・ジョーンズ。うちのバカがお世話になっております」
デビーは得意げに「ふふん」と胸をそらしてドヤ顔をしている。
「見なさいジョナサン。これが一般的な船乗りの私への対応なのよ? 私、とっても偉いんだから!」
「わかってるって。デビーちゃまは世界一偉い。これ常識」
「デビーちゃまだあ!?」
再びゲンコツが落ちた。
「なに考えてんだ馬鹿野郎! デビー・ジョーンズに向かってなんて態度とってやがる!」
「なんて態度って言われても……。いつも通りだしなあ」
「いつもこんな態度なのか!」
再びゲンコツが落ちた。
「だってほら、デビーちゃんはこんなにかわいいんだぜ? かわいがりたくなるのが人情ってもん……」
「不敬にもほどがあるだろうが!」
再びゲンコツが落ちた。
繰り返されるゲンコツは、回数を重ねるごとに威力が増して行く。
最初のうちは「いい気味よ!」とでも言いたげな顔をしていたデビーだが、だんだんと得意げだった顔がしぼんで、あわあわし始めた。
「ね、ねえ。そこまでしなくていいのよ? 敬ってくれるのは嬉しいけど……」
「ほらー! デビーちゃんもいいって言ってるだろー」
再びゲンコツが落ちた。
デビーは自分が殴られたかのようにひるみ、「痛そう……」と渋い顔をしている。
「これは養父たる俺の責任! 叩き直さねえと!」
「大丈夫。大丈夫だから! 本当に気に食わなければ今頃海に沈めてるわよ! 言動はともかく、ジョナサンは私の忠実な僕なの! 躾はもう充分。やめて? ねっ?」
デビーの言葉に、村長はホッとしたように息をつくと「もったいないお言葉です……」と再び深く頭を下げた。
「こほん。……さて、話を戻しましょうか。メアリー? あなた、持ってるわよね。パパからもらった魔法の葉巻」
ジョナサンは、恐る恐るメアリーの方を見た。
メアリーも青い顔をして、ポシェットを抱えている。
「うん。でも……」
「ふかしてみたらいいじゃない」
迷っているメアリーに向かって、きっぱりとデビーが言った。
「メアリーが「パパに会いたい」って葉巻をふかして、それでエドワードが来たら間違いない。すぐにわかる簡単な話よ」
「やだ」
首を横に振ると、メアリーはポシェットを胸に抱えて身を固くする。
「どうして? 宙ぶらりんにしておくのは嫌じゃない?」
「やだもん!」
脱兎のごとく、メアリーは船から飛び降りて街に向かって走りだしてしまう。
「あっ! おい待て!」
港は、商人や船乗りでごった返している。メアリーの小さな背中は、すぐに人混みに紛れて見えなくなってしまった。
「なんてこった! 追いかけるぞ!」
ジョナサンが大慌てで船を降りると、クラフトとエルモ、村長も後に続いた。
ただでさえ来たばかりの慣れない街だ。迷子になったり、トラブルに巻き込まれたりするかもしれない。
その上メアリーは今、普通の精神状態ではない。
父親が死んだかもしれないと聞かされ、その仇はジョナサンとデビーかもしれない。
逃げだしたのは、はっきりさせるのが嫌だからだろう。
ジョナサンはメアリーの心中を想像して歯噛みする。
メアリーはきっと、ジョナサンとデビーを憎みたくないのだ。宙ぶらりんにしておけば、ジョナサンたちを敵と呼ばずに済む。
「手分けして探そう。僕とエルモは南側、ジョナサンと村長殿は北側、デビーは留守番。いいか?」
「オーケーだ。じゃっ、行ってくる! デビー! いい子で留守番しててくれよな!」
四人は二手に分かれ、さっき買い物を終えたばかりの街へと再び戻って行く。
「メアリー! どこだ!」
村長と並んで走りながら、道ゆく子供を一人一人確認していく。
商店街には、海の向こうからやって来た舶来の品々が並んでいる。その中に、メアリーが興味を持ちそうなものはないか、店の中に入り込んではいないかと目を走らせる。
たくさんの商店は、それぞれが客を呼び込もうと看板を出したり、店の壁を派手に塗ったり、思い思いの方法で存在を主張している。さっきまではそれが賑やかで好ましかったが、今は目がチカチカして嫌になってしまう。
「ジョナサン。お前、本当にあの子がエドワードの娘だと思うか?」
村長に問われて、脳裏に浮かぶのはメアリーの今までの言動だ。
事あるごとにピストルを持ち出し、カバンが欲しければ強盗を働こうとする。さっきだって、ジョナサンを空き瓶で殴ろうとした。
「あの子は……。確かにちょっと乱暴者だ。暴力を持ち出すことにマジで躊躇がない。そういう意味では、エドワードの血を引いてるって言われても納得だ」
しかし、それだけではないことをジョナサンは知っている。
「でも、メアリーはな。かわいい女の子を目指してるんだ。たまに暴れん坊の血が騒いじまうけど、「かわいい女の子はそんなことしない」って我慢できる」
最初はクラフトの「おしとやかな子が好き」という話を間に受けただけだったかもしれない。でも、服を選んでいた時、花を初めて見た時、その目に宿っていたきらめきは本物だ。
「あの子はお洒落とお花が好きな、普通の女の子だよ。俺は、メアリーがエドワードの娘だったとしても、海賊王なんかよりお花屋さんになって欲しい」
「お花屋さん?」
「あの子の夢だよ。さっき、初めて花を見たんだ」
そうだ! とジョナサンは踵を返した。
あの花屋にいるのではないか?
急に方向を変えたジョナサンを、村長は慌てて追いかけてくる。
「どこ行こうってんだ?」
「花屋だ! もしかしたらあそこに戻ってるかもしれねえ!」
頼むからそこにいて欲しい。願いを込めてジョナサンはさっきまでいた花屋へ戻った。
しかし、そこで愕然とすることになる。
さっきまで色とりどりの花が飾られていた店が、無残に荒らされているのだ。
店内には鉢植えからこぼれた土と、割れた鉢の破片が飛び散り、生花は踏み荒らされてぐちゃぐちゃだ。
その無残に荒らされた花屋の前で、メアリーは呆然と立っていた。
「メアリー!」
ジョナサンが呼びかけると、メアリーは顔を上げた。
「なにがあった!? 怪我はないか!?」
メアリーは店の奥を指差した。そちらの方に目をやると、店主らしきおばあさんが腰を抜かしている。
村長はおばあさんを助け起こし、なにがあったのかを聞き始めた。
大慌てでそばに駆け寄り、ジョナサンはメアリーを抱きしめた。
「大丈夫か?」
安心したら緊張の糸が切れたらしい。メアリーはジョナサンにひしっとしがみついて泣き始める。押し殺すような泣き声からは、不安と恐怖が強く伝わって来た。
「おお、よしよし」
あまりにも必死で泣いているせいだろう。だんだんとメアリーの体がほてり始める。
「その子のお兄さんですか?」
店主に話しかけられて、ジョナサンは顔を上げた。腰の曲がったおばあさんだ。村長に支えられて、えっちらおっちらこちらへやってくる。鷲鼻と皺だらけの顔が、さながら魔女のようだ。
「はい。そうです」
「勇敢な子ですね。海賊に襲われているこの店を、守ろうと頑張ってくれたんです。でも、もうこんなことはしちゃいけないよ? 怪我をしたら大変だ」
老婆は泣いているメアリーをあやすように、ほっぺたを優しく撫でた。汚れた爪が、土いじりが日常であることを物語っている。
「海賊?」
「ええ、最近多くて。お嬢ちゃん、お名前はなんていうの? ぜひお礼をさせて? 好きなお花はある? 今は全部ぐちゃぐちゃだけど、なんでも用意するから教えてくれるかしら」
メアリーはびっくりしたように、目を丸くすると、ジョナサンの肩に顔を埋めて老婆の視線から逃げた。
「おいおい、恥ずかしがることないだろ? えらいじゃないか。海賊を追い払ったんだろ?」
「違うもん!」
それだけ叫ぶと、メアリーはまた泣き始める。
ジョナサンは困ってしまった。
村長が色々と調べたが、その場でわかったのは花屋が海賊に襲われたということと、その海賊にメアリーが立ち向かったということだけ。
帰り道の間、メアリーはずっとジョナサンにしがみついていた。まるでなにかに怯えているようだ。
クラフトとエルモはすでに帰って来ていた。
「メアリー! ブジダッタカ!」
ホッとした顔のクラフトに出迎えられると、メアリーは慌ててジョナサンに強くしがみついて顔を隠してしまう。
「ドウシタンダ?」
「目が真っ赤だから見られたくないんだと思うな。メアリー、怪我はない?」
エルモに聞かれて、メアリーは黙ってコクンと頷いた。
さっきは泣いてばかりで何も話せなかったが、どうやら落ち着いて来たようだ。
ジョナサンは、メアリーの背中をトントン叩きながら尋ねた。
「なにがあったか話せるか?」
もう一度コクンと頷くと、メアリーはジョナサンにしがみついたまま話を始めた。




