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はじめてのおつかい


翌朝。

宮は、まだ静かだった。

けれど、遥か下の方からは、朝早くから大勢の人々の声が上ってきている。

長い階段の先。

さらにその向こうには、昨日よりもずっと多くの人が行き交っていた。

米を担ぐ男。

大きな籠を抱えた女。

薪を運ぶ子供たち。

遠くからは、魚を焼く煙も細く上がっている。

シズカは階段の上から、その様子をじっと見下ろしていた。

「ヒコさま」

「ん?」

「あるじさまは?」

「寝てる」

「まだ?」

「まだ」

シズカは首を傾げた。

「昨日も寝てたよ」

「……それ、本人の前では言うなよ」

「なんで?」

「寝てないことになってるから」

「寝てたのに?」

「寝てたけどな」

シズカはますます分からないという顔をした。

しばらくして、遠くに上がる煙を見つける。

「ヒコさま」

「ん?」

「昨日のお魚、あったよね」

「魚?」

「あるじさまが、ずっと見てたやつ」

「ああ」

「食べたかったのかな」

「たぶんな」

「でも、食べたいって言ってなかったよ」

「あの人はそういうところがあるんだよ」

「ふうん」

シズカはもう一度、遥か下を見た。

そして何かを決めたように頷いた。

「じゃあ、わたし取ってくる!」

磐余彦がシズカを見る。

「一人でか?」

「うん!」

「……行けるか?」

「行ける!」

「今日は人が多いぞ」

「大丈夫!」

「迷うなよ」

「うん!」

「知らない奴についていくなよ」

「うん!」

「貰ったものを何でも食べるなよ」

「……」

「シズカ?」

「行ってきます!」

「おい」

シズカは元気よく駆け出した。

「走るな!」

「走ってないよー!」

「走ってるだろ!」

声だけを残して、小さな背中が階段を下っていく。

磐余彦はその姿を見送った。

長い階段を、小さな背中がどんどん下っていく。

やがてシズカは、二本の太い柱と、その上に渡された一本の木の下をくぐった。

そこから先にも、階段はまだ遥か下まで続いている。

シズカは一度も振り返らない。

さらに下へ、下へと降りていく。

とうとう小さな点になり、その姿が見えなくなった。

「……」

磐余彦は腕を組んだ。

「……まあ」

誰に言うでもなく呟く。

「念のためだ」

そして、ゆっくり階段を下り始めた。

◇

長い階段を下りきると、そこにはいつもの景色があった。

家々から煙が上がり、人々が道を歩いている。

子供が走り、女たちが水を運び、男たちが朝から何かを言い合っていた。

磐余彦のクニの集落だ。

けれど、今日はその先がいつもと違った。

宮へ続く道の両側を抜け、さらに歩いていくと、見慣れない小屋や幕がいくつも並んでいる。

昨日まではなかったものだ。

猿田たち、遠くのクニからやってきた者たちが、寄月の間を過ごすために設けた場所だった。

籠いっぱいの木の実。

形の違う器。

色のついた布。

魚。

肉。

見たことのない道具。

聞いたことのない言葉まで飛び交っている。

さらに遠くにも、人の姿は途切れなかった。

大小さまざまな集団が、空いている場所を見つけては荷を下ろしている。

「もう少し中には寄せられんのか」

「無理だ。昨日のうちに埋まった」

「猿田様のところの近くは?」

「とっくに別の連中がいる」

「もっと早く来るべきだったな」

そんな声が、シズカの横を通り過ぎていく。

何の話をしているのか、シズカにはよく分からない。

それよりも気になるものがあった。

「これ、なに?」

「干した果物だよ。食ってみるか?」

「うん!」

差し出されたものを迷いなく口へ入れる。

「甘い!」

「そうだろ」

「もう一個いい?」

「いいぞ」

「ありがとう!」

シズカは二つ目を受け取った。

少し離れたところで、磐余彦の眉間に皺が寄った。

――何でも食うなと言っただろ。

だが、口には出さない。

今日はシズカ一人のおつかいなのだ。

少しくらいは好きにさせてやろう。

シズカはさらに先へ進んだ。

そこでは男たちが太い木材を運び、女たちが大きな器を並べていた。

「そっちじゃない。火の近くに置いたら邪魔になるぞ」

「分かってるよ」

「じゃあ早く動かせ」

「今やってるだろ」

あちこちから声が飛ぶ。

誰かが細かく指図しているわけでもない。

それぞれが周りを見ながら、必要なことを見つけて勝手に動いている。

その一人がシズカに気づいた。

「あれ?」

「ん?」

「お前、シズカか?」

シズカが足を止めた。

「なんで知ってるの?」

「昨日、あるじ様の娘になった子だろ」

「もうこっちまで話が来てるぞ」

「えっ」

シズカは目を丸くした。

男が笑った。

「よかったなあ」

「うん!」

「ほら、これ持ってけ」

「なに?」

「うちで採れたやつだ」

「食べられる?」

「お前はそればっかりだな」

周りから笑い声が上がった。

その声を聞きつけたのか、奥から大きな男が出てきた。

「なんだ、騒がしいな」

「あ!」

シズカの顔が明るくなる。

「猿田さま!」

「おお、シズカか」

猿田は昨日と変わらない険しい顔で近づいてきた。

シズカはもう後ろには下がらなかった。

「何してるの?」

「見て分からんか」

シズカは辺りを見回した。

人々が忙しそうに動いている。

それから猿田を見る。

「猿田さま、何もしてないね」

「…………」

近くにいた男が吹き出した。

「シズカ。それは言わんでいい」

「だって、みんな働いてるよ?」

「ワシにはワシの仕事がある」

「何してるの?」

「……みんながちゃんと働いているか見ている」

「猿田様、それ昨日からずっと言ってるぞ」

「うるさい!」

また笑い声が上がる。

猿田は咳払いをした。

「それよりシズカ。何をしに来た」

「おつかい!」

「ほう」

「お魚を探してるの」

「魚なら、もう少し先だ」

「ほんと?」

「ああ。海の近くから来た連中が持ってきている」

「行ってくる!」

「待て待て」

猿田がシズカを呼び止める。

「これも持っていけ」

渡されたのは、小さな包みだった。

「なに?」

「食い物だ」

「甘い?」

「……たぶん甘い」

「ありがとう!」

「今度は本当にワシのクニにも遊びに来いよ」

「うん!」

「いつでもいいぞ」

「絶対行く!」

シズカは包みを大事そうに抱えると、また人の間へ入っていった。

猿田はその後ろ姿を見送った。

「元気な娘だ」

そう言って、ふと横を見る。

「……」

少し離れた小屋の陰に、見覚えのある男が立っていた。

猿田は目を細める。

「……磐余彦」

「…………」

「お前、何してる」

「声がでかい」

「ああ?」

「シズカに見つかるだろうが」

猿田は遠ざかるシズカを見る。

もう一度、小屋の陰の磐余彦を見る。

「……お前、それで隠れてるつもりか?」

「うるさい」

「シズカについてきたのか?」

「違う」

「何が違う」

「たまたまこっちに用があった」

「何の用だ?」

「……いろいろだ」

猿田はしばらく磐余彦を見た。

「そうか」

「なんだ」

「いや。いろいろあるんだなと思ってな」

「……」

磐余彦は黙って歩き出した。

猿田もその後ろを歩き出す。

「……猿田」

「なんだ」

「なぜついてくる」

「いいだろ」

「お前のクニの連中だって忙しいだろ」

「ああ?」

猿田は振り返った。

自分のクニの者たちは、猿田などいなくても声を掛け合い、荷を運び、火を起こしている。

「俺のクニは優秀な奴らが、みんな自分で考えて動くからな」

猿田は胸を張った。

「俺は必要ねぇよ」

「……ちっ」

「なんだ今の」

「何でもない」

「そうか。じゃあ行こう」

「だからついてくるな」

◇

「これ、なに?」

「布だよ」

「きれい」

「触ってみるか?」

「いいの?」

シズカが布に手を伸ばす。

少し離れたところで、二人の男がそれを見ていた。

「楽しそうだな」

「ああ」

「だったら別にいいだろ」

「何がだ」

「お前がついてこなくても」

「……分かってる」

「分かってない顔だな」

「猿田」

「なんだ」

「帰れ」

「嫌だ」

「子供か、お前は」

その時、シズカがこちらを向いた。

「おい」

「ん?」

「こっち見るぞ」

磐余彦がさっと身を屈める。

猿田もつられて屈んだ。

「お前、もっと下がれ」

「なんでだ」

「でかいんだよ」

「お前もでかいだろうが」

「静かにしろ」

「お前が喋ってるんだろ」

「……何してるんだ、お前ら」

二人が振り返る。

そこには、タヂカラが呆れた顔で立っていた。

「……何でもない」

「シズカを見てる」

「猿田!」

「別に隠すことでもないだろ」

タヂカラは遠くのシズカを見た。

「シズカなら一人で大丈夫だろ。普段から一人で出歩いてるんじゃないのか?」

「そうだ」

「なら何してる」

「俺もそう言ってる」

磐余彦が猿田を見る。

「だったら、お前はなぜいる」

「面白いからだ」

「帰れ!」

タヂカラが吹き出した。

「相変わらずだな、お前ら」

「タヂカラ、お前も自分のところへ戻れ」

「ああ、そうする」

タヂカラはそう言った。

だが、なぜか同じ方向へ歩き始めた。

「……おい」

「なんだ」

「お前はどこへ行く」

「俺もそっちに用がある」

「何の用だ」

「いろいろだ」

猿田が大きく頷いた。

「やはり、いろいろあるものだな」

「お前ら……」

◇

シズカは、ようやく魚を見つけていた。

「これ!」

「これが欲しいのか?」

「うん!」

「一匹でいいか?」

「うん。あるじさまが食べるの」

「あるじ様が?」

魚を焼いていた女が目を丸くした。

すぐに隣の男と顔を見合わせる。

「だったら、こっちの方がいい」

「こっち?」

「今日入ったばかりだ」

「大きい!」

「持てるか?」

「持てる!」

シズカは魚の入った包みを受け取った。

すでに反対の手には果物と菓子と布がある。

「……本当に持てるか?」

「持てる!」

かなり怪しかった。

それでもシズカは満足そうに歩き出した。

少し離れた場所では、男たちが三人並んでいた。

その横を、遠くから来たらしい一団が通り過ぎる。

一人が三人を見て、足を止めかけた。

「……あれ、磐余彦様じゃ――」

「見るな」

隣の男が小声で制した。

「猿田様もいるぞ」

「何をしてるんだ?」

「知らん。何か大事なことだろ」

三人は、ただシズカを見ていた。

「……増えてるじゃん」

突然聞こえた声に、三人が振り返った。

咲耶が立っていた。

「何してんの?」

「静かにしろ」

「は?」

「シズカに見つかる」

「……シズカ?」

咲耶が前を見る。

両手いっぱいに荷を抱えたシズカが歩いている。

次に男たちを見る。

三人とも申し訳程度に身を屈めていた。

咲耶は大きくため息をついた。

「そんなでかい図体の男が三人も屈んだくらいで、隠れるわけないでしょ」

「……」

「……」

「……」

「馬鹿なの?」

「うるさい」

「だいたいヒコ、何してんの?」

「何でもない」

「シズカについてきたんだと」

「猿田!」

「あははは!」

咲耶が腹を抱えて笑う。

「ヒコ、そんなに心配なの?」

「違う」

「シズカなんて普段から一人で出歩いてるじゃん」

「今は寄月だ。見たこともない連中がいくらでもいる」

「はいはい」

「なんだその顔は」

「別に?」

咲耶は笑いながらシズカの方を見た。

「あ、行っちゃうよ」

三人が一斉に歩き出す。

咲耶も歩き出した。

磐余彦が振り返る。

「咲耶」

「なに?」

「お前も来るのか」

「うん。面白そうだし」

「お前がいると余計に目立つ」

「何言ってんのさ」

咲耶は呆れたように三人を見た。

「クニの長が三人もこそこそ子供をつけ回してる方が、よっぽど目立つでしょ」

「……」

「もう手遅れだよ」

猿田が深く頷いた。

「それはそうかもしれん」

「お前は黙ってろ」

「まあいいじゃん。私も混ぜてよ」

咲耶は楽しそうに、三人の横へ並んだ。

◇

それからシズカは、寄月の中をあちらこちら歩いた。

猿田のところを離れれば、また違う言葉が聞こえた。

少し先では、見たことのない形の器が並んでいる。

その隣では、大きな魚を捌いていた。

さらに先には、色鮮やかな布を広げる者たちがいる。

クニが変われば、並んでいるものも、人々の話し方も少しずつ違った。

シズカはそんなことなど気にせず、気になるものを見つけるたびに足を止めた。

見たことのない器を覗き込み。

知らない木の実を食べ。

綺麗な紐を手首に巻いてもらい。

どこへ行っても、

「シズカか」

「あるじ様の娘だろ」

「これ持ってけ」

と声を掛けられた。

ある場所では果物を。

別の場所では小さな器を。

さらに別の場所では、綺麗に編まれた紐を。

シズカはそのたびに、

「ありがとう!」

と笑った。

気づけば、魚一匹を取りに来たはずなのに、両腕では抱えきれないほどの荷になっていた。

「んしょ……」

シズカが一つ落とした。

ころころと果物が転がる。

「あ」

拾おうとする。

だが両手が塞がっている。

その果物を、大きな手が拾った。

「ほら」

「ありがとう!」

シズカが顔を上げる。

「……ヒコさま?」

「……」

「なんでいるの?」

「……散歩だ」

「猿田さまもいる」

「おう」

「タヂカラさまも!」

「……まあな」

「咲耶さまも!」

「やっほ」

シズカは四人を見回した。

「みんな散歩?」

「そうだ」

「違うよ」

「咲耶!」

シズカは首を傾げた。

だが、すぐにどうでもよくなったらしい。

「ヒコさま、これ持って!」

「……はいはい」

磐余彦は荷を受け取った。

「これも!」

「おい」

「これも!」

「ちょっと待て」

「磐余彦」

タヂカラが何かを差し出した。

「……お前まで何だ」

「これも頼む」

「なんでだ!」

「どうせ宮まで戻るんだろ」

「自分で持っていけ!」

「俺はまだこっちに用がある」

「お前の用って何なんだよ!」

横から猿田も大きな包みを載せる。

「ワシのも頼む」

「猿田!」

「あるじにだ」

「自分で渡せ!」

「ワシは忙しい」

「さっき自分は必要ないって言っただろ!」

「事情が変わった」

「いつだ!」

「今だ」

咲耶が笑いながら小さな包みを差し出した。

「じゃあ私のもお願い」

「咲耶!」

「どうせ同じところまで持っていくんでしょ?」

「俺は荷運びじゃない!」

そう言いながら、結局すべて受け取った。

帰る頃には。

シズカよりも磐余彦の方が、遥かに多くの荷を抱えていた。

◇

日が傾き始めた頃。

シズカと磐余彦は、再び長い階段を上っていた。

「ヒコさま、遅いよ」

「誰のせいだと思ってる」

「がんばって!」

「お前な……」

両腕いっぱいに荷を抱えた磐余彦の前を、シズカが軽い足取りで上っていく。

集落が遠ざかる。

寄月に集まった人々の声も、少しずつ小さくなっていった。

それでも階段はまだ続く。

やがて、二本の太い柱と横木が見えてきた。

シズカは何気なくその下をくぐる。

磐余彦も続いた。

その先には、さらに階段が続いている。

「ヒコさま」

「なんだ」

「まだ?」

「まだだ」

「いっぱいあるね」

「……お前、毎日これ上ってるだろ」

「今日は荷物ないもん」

「俺にはある」

「いっぱいあるね!」

「お前が言うな」

シズカが笑った。

やがて空の色がゆっくりと変わり始める。

長い階段の先に、宮が見えてきた。

◇

「あるじさまー! ただいま!」

宮の奥から、ゆっくりとあるじが姿を見せた。

「……おお。戻ったか」

「お魚もらってきた!」

「そうかそうか」

あるじはシズカの抱えた荷を見る。

「……随分と多いの」

「いっぱいもらった!」

「魚を一つ取りに行ったのではなかったか?」

「お魚もあるよ!」

「ならばよいが――」

「ただいま戻りました」

後ろから磐余彦の声がした。

あるじが顔を上げる。

「……」

止まった。

磐余彦の両腕には、シズカの何倍もの荷が積まれている。

米。

酒。

魚。

布。

器。

果物。

何に使うのか分からない木の道具まである。

「……ヒコ」

「なんです?」

「おぬしは何をしに行ったのじゃ」

「……散歩です」

「散歩」

「はい」

「散歩をすると、それほど荷が増えるのか?」

「いろいろありまして」

「いろいろ」

「はい」

あるじの目が細くなる。

「シズカ」

「なあに?」

「一人で行けたか?」

「うん!」

シズカは元気よく答えた。

「途中まで!」

「……途中まで?」

「途中からヒコさまたちがいた!」

あるじが磐余彦を見る。

「……たち?」

「……」

「猿田さまと、タヂカラさまと、咲耶さまと――」

「シズカ」

「なあに?」

「もうよい」

磐余彦は遠い目をした。

あるじはしばらく黙っていた。

やがて、山のような荷を見る。

「……わらわ一人では食い切れぬ」

「いっぱいあるね!」

「誰のせいじゃと思うておる」

「みんながくれたの」

「そうか」

あるじは磐余彦を見る。

「ヒコ」

「なんです?」

「おぬしも責任を取れ」

「なんで俺まで」

「これだけ抱えて帰ってきておいて、何を言う」

「俺が貰ったわけじゃありませんよ」

「宮まで運んだ時点で同罪じゃ」

「そんな無茶な」

「食え」

「……はいはい」

「二度言わせるな」

「食べますよ」

シズカが山になった荷を眺めていた。

「あるじさま」

「なんじゃ?」

「みんなで一緒に食べるの?」

「みんな?」

「ここで働いてる人たち」

あるじは少しだけ考えた。

「……一緒には食べぬよ」

「どうして?」

「わらわが直接会うのは、おぬしと族長たちくらいじゃからの」

「じゃあ、みんなとは?」

「会わぬ」

「そっか」

シズカは荷物に目を落とした。

あるじも同じものを見る。

「じゃが」

「?」

「あれらが日々、この宮を支えてくれておることくらい、わらわも知っておる」

あるじは積まれた食べ物を顎で示した。

「寄月の間は、いつにも増して忙しかろう」

「うん」

「食べ切れぬものは、あれらにも振る舞うがよい」

「みんなに?」

「うむ。日頃の労いじゃ」

シズカの顔がぱっと明るくなった。

「お魚も?」

「よい」

「果物も?」

「よいぞ」

「甘いのも?」

「…………」

「あるじさま?」

「……少しくらいは、わらわに残せ」

「やっぱり食べたいんじゃん」

「シズカ」

「えへへ」

シズカはさっそく食べ物を抱えた。

「みんなに持っていってくる!」

「待て。一人では持てまい」

あるじが横を見る。

「ヒコ」

「……嫌な予感しかしないんですが」

「責任を取れと言うたであろう」

「まだ取るんですか?」

「最後までじゃ」

「はいはい」

磐余彦が立ち上がる。

シズカは嬉しそうに、その腕へ次々と荷を載せていった。

「これも!」

「まだあるのか?」

「これも!」

「シズカ、前見えなくなるぞ」

「大丈夫!」

「俺が大丈夫じゃない!」

シズカは笑いながら、宮の奥へ向かって歩き出した。

その先には、今夜の務めにつく女たちがいる。

「これ、あるじさまから!」

驚いた声が聞こえた。

「……あるじ様から?」

「うん! いつもありがとうって!」

少し間があった。

奥にいたあるじの眉がぴくりと動く。

「シズカ」

「なあにー?」

「そこまでは言うておらんぞ」

「でも、そういうことでしょ?」

「……」

「あるじさま?」

「……早う持っていけ」

「はーい!」

女たちの小さな笑い声が聞こえてきた。

あるじは何も言わなかった。

目の前には、シズカが持ち帰った魚が一つ残っている。

あるじはそれを一口食べた。

「……うまいの」

奥からシズカの声が飛んできた。

「でしょー!」

「聞こえておったのか」

「聞こえたー!」

あるじは小さく笑った。

遥か下では、日が落ちてもなお、大勢の人々の声が続いていた。

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