結果が出ました
研究室の電話が鳴った。
「はい、東都大学文学部、神代です」
『神代先生ですか。以前お預かりした銅剣の件なんですが』
「はい」
『分析結果が出ました』
博繁の手が止まった。
「……三百五十九本目?」
『現場でそう呼ばれてるやつです』
「ちょっと待ってください」
『はい』
博繁は机の上を見回した。
報告書。コピー。付箋。飲みかけのコーヒー。
「……どこやった」
『何をです?』
「メモです」
『大丈夫ですか、先生』
「大丈夫です。たぶん」
『たぶんなんですね』
「あった。お願いします」
受話器を肩に挟み、博繁はノートを開いた。
『まず表面の痕跡なんですが、腐食だけでは説明しにくいですね』
「人為的?」
『その可能性が高いです。ただ、断定はまだしません』
「分かりました」
『画像も送ります。実物だと見えにくかったんですが、処理すると少し拾えました』
「文様ですか?」
『そう見える部分があります。ただし意味までは分かりません』
「十分です」
『成分分析の方もまとめてあります。既存資料との比較は、先生の方が早いと思います』
「ありがとうございます」
『それと神代先生』
「はい」
『三百五十九本目って、報告書には書かないでくださいね』
「書きませんよ」
『現場で定着してるって聞いたので』
「俺も先生に怒られました」
『でしょうね』
電話の向こうで笑い声がした。
「こっちの遺跡から出た一本です。それ以上は、まだ何も言えません」
『その認識でお願いします』
「はい。ありがとうございました」
電話を切る。
ほとんど同時に、メールの着信音が鳴った。
「早いな」
添付された画像を開く。
黒ずんだ銅剣の表面。
その一部を拡大した画像。
さらに、表面の凹凸を強調した画像。
「……傷じゃない」
博繁は画面へ顔を近づけた。
細い線が何本か見える。
中央には、丸いものにも見える痕跡。
意味は分からない。
何を表したものかも分からない。
ただ、偶然できた傷として片づけるには、少し整いすぎている。
「先生」
博繁は立ち上がった。
◇
「人為的に刻まれた可能性が高い」
綾瀬は画面を見たまま言った。
「向こうも同じ見解です」
「意味は?」
「分かりません」
「なら、今はそこまでだ」
「はい」
博繁は素直に頷いた。
綾瀬がちらりと見る。
「なんです?」
「いや」
「何か言いたそうですけど」
「前ならもう少し喋ってたなと思ってな」
「……俺だって学習しますよ」
「そうか」
「なんですか、その顔」
「別に」
綾瀬は画像へ視線を戻した。
「既存の三百五十八本とは照合するのか」
「します。ただ――」
「ただ?」
「三百五十八本に足して、こいつを三百五十九本目にするって意味じゃありません」
「当たり前だ」
「分かってますよ」
「ならいい」
博繁は画面の銅剣を指した。
「出土地点も違う。遺構との関係も詰める必要がある。型式も成分も、まずは別々に見る」
「現場は?」
「続けてもらいます」
「お前は?」
「俺はこいつを調べます」
綾瀬が少しだけ笑った。
「こいつ、か」
「名前ないですから」
「三百五十九本目があるだろ」
「先生が呼ぶなって言ったんでしょう」
「現場で呼ぶ分には勝手にしろ。論文に書くな」
「書きませんよ」
「なら好きにしろ」
博繁はもう一度、画面を見る。
一本の銅剣。
それだけだ。
今のところは。
◇
「博兄ー」
翌日。
聞き慣れた声と一緒に、研究室のドアが開いた。
「ノックしろ」
「したよ」
「聞こえなかった」
「じゃあ博兄が悪い」
「どういう理屈だ」
はるむは気にせず入ってきた。
「お父さんいる?」
「今日は向こう」
「そっか。じゃあこれ置いといて」
「何」
「お母さんから」
「先生に?」
「うん」
「自分で渡せよ」
「博兄、会うでしょ」
「たぶんな」
「じゃ、よろしく」
「それだけ?」
「それだけ」
帰ろうとしたはるむが、博繁のモニターを見た。
「あ、これあの剣?」
「そう」
「結果出たの?」
「出た」
「なんか分かった?」
「人が刻んだ可能性が高い」
「へえ」
はるむが画面へ顔を近づける。
「これ?」
「触るなよ」
「触ってないじゃん」
「画面に指近づけるな」
「細かいなあ」
「研究者だからな」
はるむは博繁を無視して画像を見た。
「……線?」
「そう見える」
「何本?」
「数えてない」
「一、二、三……」
指を動かしかけて、博繁を見る。
「触ってないよ」
「分かったよ」
「四、五、六……七……」
少し首を傾げる。
「……八?」
「八本?」
「たぶん」
博繁も画像を見る。
一本ずつ目で追った。
「……八本あるな」
「で、真ん中に丸?」
「円形の文様には見える」
「太陽みたい」
「そう見えるだけだ」
「博兄、夢ないね」
「研究に夢を持ち込むな」
「つまんないの」
「つまらなくていいんだよ」
「じゃ、私行くね」
「本当にそれだけかよ」
「それだけだよ。よろしくね」
「はいはい」
「じゃーね」
はるむは来た時と同じ勢いで出ていった。
静かになった研究室で、博繁は画面を見る。
「……八」
口に出してみる。
何かが引っかかった。
「……なんだ?」
どこかで見た。
最近だ。
八。
数字そのものではない。
もっと、どうでもいいような――。
「……まあ、いいか」
博繁は画像を閉じた。
◇
夕方。
今度は携帯が鳴った。
発掘現場を任せている院生からだった。
「はい、神代」
『先生、お疲れさまです』
「お疲れ。今日どうだった?」
『特には。土器片が何点か出たくらいです』
「位置は?」
『記録してあります。写真も共有に上げます』
「分かった。層位も一緒に頼む」
『はい』
「作業は予定通り?」
『大丈夫です。明日も同じ区画を続けます』
「そのまま進めてください。無理に広げなくていいから」
『分かりました』
「何か変わったことがあったら連絡して」
『はい。先生は明日来ます?』
「いや。もう少しこっちで銅剣を見ます」
『三百五十九本目ですね』
「お前ら本当にその呼び方好きだな」
『分かりやすいんで』
「正式名称じゃないからな」
『分かってますよ』
「ならいい。お疲れ」
『お疲れさまでした』
「じゃあ――」
そこで、研究室の入口に人影が見えた。
静香だった。
博繁と目が合うと、小さく手を上げる。
「……はい。じゃあまた明日」
電話を切った。
「お疲れさま」
「静香さん。いつからいた?」
「土器のかけらが何点か見つかったところ」
「ほぼ全部聞いてるじゃないか」
「ふふ」
静香は研究室へ入ってきた。
「何か見つかったの?」
「土器片が何点か。今のところ、それくらい」
「そっか」
静香は少し考えた。
「剣と来たら、次は盾かな」
「……」
「何?」
「君、あの美咲ミヅキの娘だろ」
「うん」
「その時代に盾なんて――」
「私はお母さんと違うもん」
「開き直った」
「考古学者でもないし」
「それは知ってる」
「じゃあいいじゃない」
「よくない。俺の前で言うと訂正されるぞ」
「面倒くさいなあ、考古学者」
「静香さんが適当なんだよ」
静香が笑った。
「それで、博繁さんは?」
「俺?」
「今日は何してたの?」
「こいつ」
博繁はモニターを指した。
「三百五十九本目?」
「まだそう呼ぶなって先生に怒られた」
「じゃあ、なんて呼ぶの?」
「……こいつ」
「名前つけた方がいいんじゃない?」
「つけないよ」
「かわいそう」
「銅剣に同情するな」
静香が画面を覗き込んだ。
「傷?」
「たぶん違う」
「模様?」
「その可能性が高い」
「へえ……」
「なんだよ」
「ちゃんと調べてるんだなと思って」
「何だと思ってたんだ」
「ふふ」
静香が笑う。
博繁はため息をついて、画像をもう一度開いた。
八本の線。
中央の円形文様。
「……八」
「ん?」
「いや」
やっぱり何か引っかかる。
どこだった。
最近見た。
論文ではない。
もっと短い。
走り書きみたいな――。
博繁は眉間を押さえた。
「どうしたの?」
「分からない」
「何が?」
「……でも、何か引っかかるんだ」
「八が?」
「ああ」
「八なんて、どこにでもありそうだけど」
「そうなんだよ」
だからこそ、分からない。
博繁はしばらく考えたが、結局思い出せなかった。
◇
翌朝。
「博兄、おはよー」
「……」
「何、その顔」
研究室へ入ってきたはるむを見て、博繁の頭の中で何かが繋がった。
「……あ」
「何」
「はるむ」
「はい?」
「八だ」
「朝から失礼じゃない?」
「お前じゃない」
「じゃあ何」
「ミヅキのノート」
「知らないよ」
博繁は立ち上がった。
「先生!」
「いないよ」
「そうだった」
「大丈夫、博兄?」
「大丈夫。たぶん」
「昨日も誰かに言ってそう」
「言った」
「やっぱり」
博繁は机の脇に積んでいたコピーを探った。
「どこだ……」
「また探し物?」
「静香さんと読んだ時の――」
「あ、静香先輩なら今来るって」
「それよりノート」
「ひどい」
何枚かめくる。
違う。
次。
違う。
「あった」
コピーの余白。
美咲ミヅキの文字。
『八?』
博繁は黙った。
「……これだ」
「何が?」
「昨日の銅剣」
「うん」
「線が八本だった」
「私が数えたやつ?」
「そう」
「で?」
「ミヅキも八って書いてる」
「同じじゃん」
「同じ数字ってだけだ」
「関係ないの?」
「分からない」
「じゃあ偶然?」
「それも分からない」
はるむが首を傾げる。
「じゃあ何が分かったの?」
「何も」
「……博兄、朝から大丈夫?」
「分からない。でも何か引っかかるんだ」
博繁は『八?』の前後を見た。
何度も読んだはずのページ。
今度は答えを探すのではなく、この文字を書いた時のミヅキが何を見ていたのかを追う。
「この時期……」
「何?」
「ミヅキ、出雲の資料ばっかり見てる」
「そうなの?」
「発掘報告。古い調査記録。祭祀関係……こっちは未刊行資料か」
「お母さん、出雲好きだったのかな」
「好き嫌いで三十冊も書かないだろ」
「博兄なら書きそう」
「俺をなんだと思ってる」
「面倒くさい研究者」
「静香さんと同じこと言うな」
「静香先輩も言ったの?」
「昨日な」
「やっぱり」
博繁はノートのページをめくった。
「……ここで読んでても駄目だな」
「何が?」
「ミヅキがこの時期に何を見て、何に引っかかったのか。元の資料を追った方が早い」
「どこにあるの?」
「出雲」
はるむの目が輝いた。
「え、博兄、出雲行くの?」
「行く」
「私も行きたい!」
「遊びじゃないぞ」
「分かってるって」
「絶対分かってないだろ」
その時、研究室のドアが開いた。
「おはよう」
「あ、静香先輩!」
「おはよう、はるむちゃん」
はるむはすぐ静香のところへ行った。
「静香先輩、出雲行きたいよね?」
「え?」
「おい」
博繁が止めるより早かった。
「博兄が出雲行くんだって」
「調査でな」
「ミヅキさんの研究を追うんでしょ?」
「そうだけど」
「だったら静香先輩も関係者じゃん」
「関係者ってそういう意味じゃない」
静香が博繁を見る。
「お母さんの?」
「うん。この頃に見てた資料を追ってみようと思ってる」
「出雲で?」
「そう」
「へえ」
「静香先輩も行こうよ」
「私も?」
「行こうよ。ね?」
静香は少し考えてから、笑った。
「邪魔じゃなければ」
「ほら!」
「何が『ほら』だ」
「二人になった」
「多数決じゃないんだよ」
「博兄、細かいなあ」
「調査なんだから細かくていいんだよ」
はるむが静香を見る。
「ね?」
「面倒くさいね、考古学者」
「静香さんまで乗るなよ」
二人が笑った。
博繁はため息をついて、もう一度ミヅキのノートを見る。
『八?』
意味は分からない。
銅剣との関係があるのかさえ分からない。
それでも。
「……出雲か」
今度は、自分の目で見てみようと思った。




