4章『灰雲の先』:7
扉の閉まる音が部屋に響き、隼斗はそっと肩の力を抜いた。
「失望させてしまったかな……」
悲しそうな表情で自嘲する誠。ケータイを操作していた隼斗は、ややあって腕を組んだ。
「僕がそうなのですから、彼もまずそうでしょうね」
ちらと後ろを伺いながら、隼斗はそう答えた。
口ぶりはそうでもないが、言葉の意味は目一杯の皮肉だった。
「手厳しいな」
どんな言葉も甘んじて受け入れるつもりか、誠はそう言うだけで、反論する様子も怒る様子も見せなかった。
しかし、そこには諦めがあるのではない。それは誠の目を見れば分かることだった。
「それでも」
だからこそ、隼斗は誠に対して、心底の失望などはしなかった。
「たとえ今日の貴方が酷い人だったとしても、明日の貴方はそうではない。……変わればいい。貴方と、貴方の家族のために」
「……ああ、そうだな」
向けられる言葉一つ一つを噛み締めるように、誠は何度も頷く。
俯く姿はともすれば絶望しているようにも見えるが、それは違う。誠は前向きに、自身の在り方を悔いているのだ。
ひとまず、飛鳥がここに来た理由は果たされたことだろう。
隼斗も態度にこそ出さなかったが、安堵していた。
誠は部屋を出る様子の無い隼人を見て、首を傾げた。
「君の話は、今のとは違うのか?」
「ええ」
隼斗は頷いた。
「僕はこういうことでも、打算的というか損得勘定で考えてしまうきらいがあるもので……。今日の件も、事情を思えば多少なりとも仕方がないのかと思ってしまう。だから、アスカに来てもらったんですよ。今のような話こそ、少なくとも愛さんのためには必要なものでしょう。僕にはどうも、それが苦手だったものですから」
視線を落とし、隼斗はそう告げる。
飛鳥の意志も当然あったが、飛鳥を同行させることの許可を遥に求めたのは隼斗だ。
今後鞍馬研究所がどうなるものであれ、問題の調査と是正は行われることだろう。だがそれはきっと機械的に問題点を洗い出し、修正プランを立てられるだけのことだ。その過程で、あるいは誠は何らかの罪に問われる可能性もあるが、それはいわば社会的なもので、人ひとりの心に寄り添うようなものではない。誠が心の底から、愛のために自らの行いを悔いることがなければ、結局のところは何の意味もないのだ。
そしてその役目は隼斗には務まらない。
それは愛自身に助けを求められた、飛鳥にこそふさわしい役目なのだから。
「僕はただ、確かめたいことがあっただけです」
隼斗は組んでいた腕をおろし、誠を正面から見やる。
「なぜ今日の実験、東桐には何の連絡もなかったのですか? あれば恐らく、我々はそれを止めたでしょう。……それが理由ですか?」
誠は考えるそぶりを見せた後、重々しく首を横に振った。
「いや、そうではない。こういうことは面と向かって言うものではないが、言うなれば危機感だ。ここ鞍馬研究所が他のアーク研究機関に対して優位性を持つのは、アークの思考制御領域に関する技術ばかり。その優位を失えば、我々はすぐにでも役割を失うだろう。自分たちを守るためには、まずこの優位性を守り抜かなければならない」
「……東桐が、それを奪ってしまうと?」
「その危険は常に感じていた。東桐は研究の分野を選ばない。協力するなら心強いが、いつ鞍馬の分野を侵されるものかなどわからない。言い方は悪いが、出し抜かなければ、食われるのは我々だと……。敵だと思っていたわけではない、だが競合になる可能性は確かにあった。鞍馬がそうであるように、東桐の研究もまたビジネスなのだから。利害が一致している間はともかく、そうでなくなれば、全面的に信用というのは難しい」
「…………結局は利益、か」
誰も慈善事業でやっているのでなければ、そういう考えになるのは仕方のないことなのだろうか。
疑心暗鬼だと言ってしまえばそこまでだが、事実東桐側に所属している隼斗自身、誠の不安を杞憂とは切り捨てられなかった。
組織の責任者ともなれば、なおのことだろう。自らの選択に数百人分もの人生が掛かっている、楽観的な選択はできない。
「そこは理解できます。僕が貴方の立場でも、同じ選択をしたかもしれない。……だけど、それだけじゃあ足りない」
そう、その選択は理解できるのだ。
だが納得できない部分もある。そしてそれが、最も根本的な問題だった。
「痛覚神経まで含めて、全感覚接続レベル最大で実験を行ったのはなぜです? 暴走の危険が100%無いと判断されていたならともかく、今回に限っては暴走のリスクはごく僅かであれども見込まれていた。その場合の強制停止プランも外部からの攻撃によるもの。痛覚他の感覚接続レベルの検証は、過去に僕ら星印学園地下研究所と鞍馬研究所で共同で行っています。その時の機体はバーニング、テストパイロットは僕でしたから、よく覚えていますよ。そしてその時の実験で、痛覚レベル最大での過度な被弾はパイロットをショック症状により死亡させる、あるいは重篤な障害を残す危険すらあると、結論を出したのは貴方がた鞍馬のはずです」
隼斗が語っているのは、もう何年も前のアーク研究についての情報だ。
隼斗がバーニングのパイロットとして登録されて間もない頃に、地下研究所と鞍馬の共同で行った実験の事だ。アメリカの研究機関を交えてシミュレーターを開発した時よりも、さらに遡る話になる。
それしか手段がないと、飛鳥は痛覚レベルまで含めて全感覚神経の接続レベルを最大化させていたが、本来は隼斗の語る通り、壮絶なリスクを背負った行動だったのだ。
だからこそ、愛にそれを強いた鞍馬の判断は異常だった。
「あえてインターンにその条件を適用した、その理由は何です? リスクにリスクを重ねた、その理由は」
隼斗が問い詰めても、誠はしばらくの間口を開かなかった。
黙秘しているのではなく、言葉を必死に選んでいるように見えた。
「……今回の実験は、簡単に言えばヤタガラスユニットの制御テストだ。ヤタガラスは6基あり、十分に制御ができる基数を探る意味でも、最良の条件での検証が必要だった」
「聞きたいのはそこではありません。それにパイロットに大きなリスクを強いるのは、むしろ条件としては最悪でしょう。いずれにしても危険すぎる。なぜあれほどの危険を冒してまで、ヤタガラスというものの実験をする必要があったのか。僕はそれを知りたい」
「それは…………」
はぐらかそうとしたことを見抜かれて、誠は再び押し黙る。
これは待っていても答えは得られそうにないと、隼斗は再び問いかける。
「そもそも、ヤタガラスとは何なのです? 単純に制御性を知りたいだけなら、単なる飛翔体でもよかったはずです。エネルギー伝送との兼ね合いを見るとしても、もっと危険の無い装置を用意することだってできたはず。なぜ、攻性兵器を搭載した飛行砲台などというユニットを使用したのですか? そもそも、あんなもの鞍馬の技術だけで作れるはずがない。そして今回の件に東洞は一切関わっていない。いったいどこの組織と実験の協力をしていたのですか?」
直前に誠の語った通りだ。鞍馬に重光子砲の製造能力などは無い。
ヤタガラスに重光子ビーム砲が搭載されていた以上、そこには間違いなく外部の協力があったはずだ。
誠は眉間にしわを寄せ、口を開こうとしてはその度に躊躇い、それを何度も繰り返してから、苦悩の表情のまま答えた。
「今回の実験は鞍馬ではなく、政府の主導だ。鞍馬は基本的には、出資者の意向に従った形になる。研究のプロセスも実験の段取りも、鞍馬は口出しこそしたが、おおむねは政府によって決定された。ヤタガラスは、政府から提供されたものだ。…………だが製造したのは政府直轄の組織ではなく、そもそも国内の組織でもない」
「それは、どこが?」
「私たちは、詳しいことを聞かされていない。だがこの研究に際して、研究で得られた情報と本件に関わる開発技術の提供を条件に、莫大な出資が約束されていた。そして同時にアーク用兵器の開発技術が、政府から提供される手はずになっていた。少なくとも政府は、ヤタガラスを開発・製造し、その技術を提供できるだけの組織と協力を結んでいるか、あるいは何かしらの交流があることになる」
誠は政府がその技術を持っているのではなく、提供可能な組織と交流があるのだと断言した。
今の誠に、上手な嘘を吐けるだけの余裕があるようには見えない。とすれば、彼の言葉には根拠があるはずだ。
そこを聞き出す必要があった。
「それは、かつて神原財団の研究成果などではないのですか? それならば財団を潰す際に、政府が水面下で研究の記録や技術を回収していたはず」
「神原の技術はそこまで進んでいない。エンペラー暴走事故を起こしたタイミングは、まだ研究としては本格的に始動したばかりのころだ。形になるような技術などほとんどなかった。ヤタガラスはそんな水準の代物ではない」
「ならば、一体どこが……?」
訝し気な視線を送りつつ尋ねる隼斗に、誠は再び押し黙る。
しかし意を決した表情で、隼斗の目をまっすぐ見据えた。
「詳しくはわからない。だが名前だけは、私も知る機会があった」
「それは?」
「……これを言っていいものなのか、私には判断がつかない。この名は、危険なものかもしれない。だから一つ、約束をしてほしい」
「なんです?」
「愛を頼む」
短くそう言って、机に手をついた誠はまっすぐに頭を下げた。
その態度に、隼斗は面食らう。
「っ、如月博士」
目を見開く隼斗に向かって、誠は頭を下げたまま続ける。
「どうか頼む、私のことはどうでもいい、愛の身の安全を守ってほしい。今更どの口が言うのかと思うだろうが、これは父親として、果たさなければならない義務だと思っている」
「…………わかりました。東洞の力を尽くして、愛さんの安全は確保しましょう」
「ありがとう……」
誠の言葉の真摯さに打たれ、隼斗は一考の後、首縦に振った。
礼を言い、一層深く頭を下げた誠は、それからすっと頭を上げた。
「組織の名は、『アヌビス』」
「『アヌビス』…………」
「おそらく、アーク技術において、他と隔絶した技術と知見を持つ組織だ。今にして思えば、政府はただ、そこと私達との間を仲介していただけなのかもしれない。だとすれば、今日の私たちは彼の組織の掌でもてあそばれていたのかもしれない」
「………………」
全容の見えない驚異の大きさに、隼斗は言葉を失う。
そんな彼に、誠は重い口調で告げる。
「心して置くんだ。この名はこれからのアーク研究と、恐らくはその戦いに対して、大きな意味を持つことになるだろう。これ知っていることが、君にとってプラスになるかはわからない。ただ、備えておいた方がいい。私からは、それだけしか言えない」
「……。ご忠告、痛み入ります」
隼斗がそう言って頭を下げたとき、雨音に混じって、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。
「連中か」
隼斗は腕を組み、背後のドアを伺いながら、そう呟いた。
「時間、だな」
誠は隼斗から視線を外し、部屋の中をぐるりと見渡す。
それから小さく、口元に笑みを浮かべた。
「ありがとう、久坂君、愛を守ってくれて。それから星野君にも、お礼を言っておいてくれないか。同じように。……おかげでまだ父親でいられると」
「……ええ、わかりました。伝えておきます」
誠は、優しいな表情でゆっくりと頷いた。
その姿は、紛れもなく、愛の父の姿であったのだろう。




