4章『灰雲の先』:6
――鞍馬脳科学研究所。
一般には鞍馬研究所と呼ばれるそこは、日本有数の大学である鞍馬大学のキャンパスに併設された、これまた大きな研究施設だ。
赤レンガの塀など飾り気に溢れ、レトロな雰囲気を感じさせる大学施設に対して、白い外壁とガラス、投射ディスプレイによる青緑の光が外観を構成する研究所は、モダン以上に近未来的な印象すらある。
二つの施設は入り口を共有せず、片や赤く塗られた門が大きく口を開いて人の入りを歓迎する一方で、その傍らでは無骨な金属門が、立ち寄るものを拒むように固く閉じられていた。
その二つの門の内、人の入りを望まぬ側に、黒塗りの車が一台、滑るように停車した。
「……ん」
ざぁざぁという音は車の中に居てもはっきりと聞こえる。
その音に混じって微かに聞こえていたタイヤの擦過音が止まったことに気付き、飛鳥は閉じていた目を開いた。
「着いたよ、アスカ」
「おう」
隼斗の呼びかけに顔を上げ、窓の外を伺う。
曇天は地上を暗く照らし、灰色がかったフィルターが世界の全てを覆っている。
研究所の外観が醸す近未来的な雰囲気も、嵐のフィルターの向こうでは、破綻した文明の名残のようにどこか重苦しいものに感じられた。
傘を持ち、ドアを押し開く。
途端音量を上げた雨の音が耳を打つ。地面で弾けて跳ね返る水が制服の裾を濡らして、足首に痛みを感じるほどの冷たさを運んだ。
運転手に一言礼を言ってから、傘を開いた飛鳥は車外に踏み出した。
「場所はわかるのか?」
「事前に会長に聞いてある」
隣に立った隼斗は、相変わらずの察しの良さで、飛鳥の問いにそう答えた。
飛鳥は驚いた様子で、隣を伺う。
「聞いたって、……止められなかったのか?」
「今回はね。まぁこれに関しては、ある意味僕らが適任なのさ。……さぁ行こう、付いてきて」
飛鳥は隼斗の目的に関しては聞いていない。それ故に、隼斗の言葉が何を意味しているのかは、この時の飛鳥にはわからなかった。
移動中の車の中でも、互いに物憂げに窓の外を眺めるばかりで、言葉を交わすことはなかったのだ。
出発前に地下研究所で話をした限りでは、決して飛鳥のお目付け役というだけではなく、隼斗にも何らか目的があるようだった。
飛鳥と同じ気持ちだとは言っていたが、それだけではないことは何となくだが察していた。
迷いのない足取りで進む隼斗の後ろについて、飛鳥は周囲に素早く視線を走らせながら歩く。
見るからに研究員という人間たちがあちこちで慌ただしそうに駆け回っている。中には足を止めこちらに訝し気な視線を送っている者もいるが、ごく少数な上、声をかけてくることも静止されることもなかった。
ちらほらと一般の研究員にしては若い、恐らくは大学生らしき人も見かけたが、反応に違いはなかった。
あちこちを行き交う人の間を縫うように、隼斗は奥へ奥へと進んでいく。
外から見るよりも中は随分と広いのか、飛鳥には相当な距離を歩いたようにすら感じた。あるいは彼の中の焦燥が、そう感じさせていただけかもしれないが。
「ここだ」
奥まった廊下の先、無機質なドアの前で隼斗は立ち止まり、後ろの飛鳥を伺った。
やや緊張した面持ちで頷く飛鳥を一瞥してから、隼斗は勢いよく扉を押し開いた。
「失礼します」
「…………」
挨拶をして入室する隼斗と、無言で続く飛鳥。
二人を迎えたのは、スーツの上から白衣を羽織った中年の男性だった。
やせっぽちで肩幅の狭い体躯に加え、体を丸めて俯いているためにひどく小柄に見えた。
彼は部屋の奥で、他の調度品とはまるで趣の違う高価そうな木製の机に肘を乗せ、指を組んだ両手に額を押し付けていた。
慌ただしく人の駆け回る廊下やロビー周辺とは対照的に、この部屋の中は、時間が止まったかのように停滞している。
ドアを閉めた飛鳥が振り返るのと同じタイミングで、部屋の主が顔を上げた。
「……っ、君たちは?」
どうやら扉を閉じる音が聞こえるまで、彼は飛鳥達の存在には気づかなったようだ。
一瞬驚いた様子を見せたものの、すぐに態度を改め、彼は二人を見据える。
弱々しい視線を強く真っ向から見返し、隼人が口を開いた。
「星印学園地下研究所、コードBのパイロット、久坂隼斗です。初めましてですね、如月博士」
「東桐の……」
如月博士と呼ばれた男性は、今度こそはっきりと驚愕した様子で、弾かれたように立ち上がった。
「私は、ここの所長、如月誠だ。そうだな、直接会うのは初めてになるか、久坂君……。ここには、君たちだけが?」
「ええ、ひとまずは。あとの事に関してはわかりませんが……。ただ、博士が考えていらっしゃるような要件ではありませんよ。それは僕らの仕事ではありませんから」
突然現れた面識もない少年に内心を見透かされたからか、誠は渋面を浮かべて押し黙る。
隼斗の言っている意味は飛鳥にはわからなかったが、しかるべき機関がしかるべき処置を、などとまだるっこしいことを言っていたことと関係があるのだろう。
長ったらしい挨拶にも口を挟まずに沈黙を保っていた飛鳥。
ちらりと隣の隼斗に視線を送るが、隼斗はすっと制止するように片手を上げるだけだった。
瞑目していた誠は一つため息を吐くと、ぱっと目を開けて今度は飛鳥の方に目を向けた。
「そういえば、……そちらの彼は?」
察しろよとでも言いたげに肩をすくめた飛鳥は、腰に片手を当てて答える。
「星野、飛鳥です。アストラルのパイロットの」
「君が、コードAの……」
まじまじと見つめてくる誠に、飛鳥は不快さを隠す様子もなく、細めた目で睨みつけた。
隼斗の言葉が真実ならあまり時間はないのだろう。こうして挨拶を交わしているのも無駄な時間だろうに、暢気なことだ。
「もう無駄話は良いだろ。隼斗、お前も用事あるんじゃなかったのか?」
苛立ち交じりの声音に、隼斗はゆっくりと首を縦に振った。
「……そうだね。ただ、君の要件が先でいいよ」
何かを考えるそぶりを見せたものの、隼斗は飛鳥に続きを促した。
そうかい、と飛鳥は応えると、後ろ手に隠していた包みに意識を向け、それから誠の方へと歩いて行く。
机を挟んで誠と対峙した飛鳥は、片手に持った包を机の上にそっと置いた。
愛の作ったチョコレート。飛鳥に向けたものは研究所に置いてきた。ここにあるのは彼女の父である目の前の男、誠のために作られたものだ。
「これが何か、わかりますか?」
取り調べのようだなと、内心自嘲する飛鳥。
対面の誠はきょとんとした表情で、飛鳥の表情を伺った。
「これは……?」
「……わからないなら、いい」
苦々しい表情で首を横に振って、飛鳥はそこから一歩下がった。
怪訝な表情を浮かべ続ける誠の態度に、心底苛立ちが募る。
これ自体を見たかどうかはわからないが、それでも愛が渡そうとしたというのなら、心当たりの一つでもあっていいものだ。
誠の表情は、それが心底わからないといった様子で、これに限ってはもはや掛ける言葉もなかった。
「はぁ……」
うつむいて強く拳を握る飛鳥の後ろで、隼斗が重苦しいため息を吐く。
飛鳥が口を開く様子を見せないのを見て取って、隼斗が話を継いだ。
「なぜ今日、あんな実験を行ったんですか?」
核心を突く隼斗の言葉に、誠ははっと目を見開いた。
それから何か言いたげに口をもごもごさせて、ややあってから、消え入るような声音で答えた。
「…………政府からの、依頼だった。遠隔制御の兵装に対する、制御信号とエネルギーの統一伝達システムの開発……。今日は、その実機運用テストだった」
ともすれば頭を抱えてしまいそうな様子で、震える声で誠は続ける。
「だが、システムの理論は確立できていた。その上で、それこそ数千回のシミュレーションを重ねた上で実施されたものだ。…………今回の件は想定しえないトラブルによる、事故だ」
誠は万全を期したとでも言いたげだが、そうでないのは愛の言からもわかっている。それに起こってしまった事実に対して、準備がどうだなど、それこそ全ての始末が終わって責任を問うタイミングになってからでいいことだ。少なくとも飛鳥達に聞かせるような話ではない。
飛鳥はちらと後ろを伺うが、隼斗もあきれた様子で目を伏せていた。
「本当に想定できないトラブルだったのか?」
遠回しな言い方をする気も失せて、飛鳥は単刀直入にそう尋ねた。
「どういう、意味だ?」
机に手をついて、苦し気な表情で飛鳥を見据える誠。
飛鳥は殊更に冷めた目で、その顔を見返した。
「実験が失敗する可能性は事前に確認されていた、俺はそう聞きましたよ。失敗が具体的に何を指すのかってところまでは、わからないですけど」
「実験にあたっての緊急時の対応マニュアルの中には、外部からの攻撃によるアークの強制停止が含まれていたはずです。その点については、勝手ですが確認させていただきました。この対応が必要になる状況は、アークが暴走して研究所からの指示、制御を受け付けなくなった場合。これが唯一のリスクなのか、複数ある可能性の内の一つなのかはともかく、暴走の危険自体は間違いなく認知されていた。そうでしょう?」
飛鳥は曖昧だった部分は濁して言ったが、そこに付け加えた隼斗の言葉は論理的で、隙がない。
誠は押し黙ると、机に手をついたまま深く項垂れた。
「……確かに、そういった暴走のリスクは、可能性というレベルならば、確かにあった。しかし確率として計算できるようなものですらない。対策とて万が一、億が一に備えて念の為に策定しておくという類のもので、……可能性レベルのリスクは、覚悟しなければ。でなければ研究など進めようもない」
「じゃあそのリスクを負うのは誰なんだよ」
言い訳じみた誠の言葉に、飛鳥の指摘が刃の如く突き刺さる。
言葉を詰まらせた誠を、飛鳥は容赦なく問い詰める。
「責任がどうこうとか、金がどうこうとかいう話じゃなくて。その暴走が起こったときに、一番危険な目に合うのは誰なんだ。一番苦しい思いをするのは!?」
堪え切れず声を荒げる飛鳥に気圧されたように、誠は一層深く沈黙してしまう。
彼のそんな弱々しい態度に、飛鳥は際限なく憤りが募った。
わかり切っていることだ。飛鳥の問いの答えもそうだし、誠の行いが誤りだったということも。それは誠にとっても自明のことであり、なら自らの行動と違ってでも、この場では正しい答えを返すべきではないのか。
飛鳥は強く拳を握り、怒りを必死に抑えて話を続ける。
「……今回は確かに、愛には直接攻撃をしないで解決ができた。でもそれは結果論だ! 攻撃して機能停止に追い込むしか手がなかった可能性だってあった! もしそうなったらアイツは、どれだけ痛みを負うことになったか、本当にわかってるのか!!」
「……わかっている」
絞り出すような誠の声。だがその答えは、飛鳥の予想に反していた。
ぎりっ、と音がするほどに強く奥歯を噛み締める。
「わかっているとも! ……考慮するレベルではなかったとはいえ、万に一つの可能性でもリスクがあることは承知だった。そしてそのことは、何より愛自身が理解していた。その上で実験に同意し、今日を迎えた。達成するべき目標だったんだ、これしか方法がなかった」
一度声を荒げかけるが、すぐに平静さを取り戻して誠は続ける。
いや、平静なのではなく、ただ平静を装っているだけだ。
「こ、の…………ッ!」
この期に及んでなおも自分の行いを正当化しようとする誠の振る舞いに、いよいよ飛鳥も我慢の限界だった。
一歩踏み出し、爪が食い込み血が滲むほど強く握りしめた拳を一息に振り上げようとする。
だがその瞬間、振り上げかけた腕を、後ろから強く掴まれた。
振り返るまでもなく、それは隼斗で、無言で首を横に振っているのが、振り返らずとも感じられた。
「くっ、……ぐっ、はぁ……!」
意識して深く息を吐いて、頭を埋め尽くす怒りの感情を一緒に吐き出す。
怒りに震える肩を何とか落ち着かせて、飛鳥は長い沈黙の後、俯けていた顔を上げた。
「合意があったら、それでいいのか。アンタは…………。…………っ。……貴方は、止める立場じゃないんですか!」
怒りに煽られる態度から一転、真摯さすら感じさせる飛鳥の言葉に、誠ははっと顔を上げた。
「自分の子供が危険な目に会おうとしている。そのことをわかっているなら、それを防ぐのが親の役目じゃないんですか!」
「ぁ……、だ、だが、私は……!」
「あいつの父親でしょう?」
言葉を返そうとした矢先の飛鳥の問いかけに、誠は再び口を閉ざした。
今度こそ、返す言葉などなかったからだ。
「貴方がこの研究所の責任者であっても、それ以前に愛の親のはずだ。たとえ立場を失っても、愛は貴方の傍に残る。だから、たとえ愛が危険を受け入れていたとしても、まず貴方の意志で止めなければいけなかったはずだ! それが、貴方の果たすべき責任だったはずだ」
怒りに任せず、言葉を尽くし、誠の心に届くようにその奥底めがけて必死に想いを投げかける。
これは、踏み越えてはいけない最後の一線だ。そこを超えてしまったら、仮に立場を守れても、人の親として、そして一人の人間としての尊厳を失う。
だからここは、この一線だけは、何としてでも守り抜かなければならない。
愛が大切に思う人を、決して『人でなし』などにはしないためにも。
この男の、一人の父親の間違いをここで正さなければならない。
沈黙は長く、二人の視線がぶつかり合う。
いくつもの迷いが誠の瞳の内に浮かぶ。その度に、飛鳥の瞳の揺るがない光がそれを撃ち抜く。
言葉にはならない意志の交錯がそこにはあった。
それは拳も刃も交えない、しかし紛れもない戦いなのだ。
数分、果たして、最後まで意志を折らなかったのは飛鳥だった。
「ああ、そう、だな……………………。私は…………、私は、間違っていた」
机に手を突き、深く項垂れて、懺悔するようにそう呟いた誠。
彼はその境界の瀬戸際で、かろうじて踏みとどまることができたのだ。
自分の役割は、果たせただろうか。あの最低最悪な嘘の償いは、これで少しでもできただろうか。
飛鳥は天を仰ぎ、心を侵す不安を飲み干す。
省みる背後では、隼斗が喜びとも、悲しみとも取れない複雑な表情を浮かべて、一度だけ小さく頷いていた。
胸に去来するのは達成感ではなく、やはりただ純粋な哀しみか、あるいは後悔だった。項垂れる誠の胸の内にも、きっと同じ痛みが渦巻いていることだろう。
だが、それでいい。
その痛みこそ、誇るべき人であることの証なのだから。
「それ」
すっと、飛鳥は机の上の包を指さした。
「バレンタインのチョコだって、愛が言ってました。渡そうとしたけど、ダメだったって」
「これ、が……?」
誠は思わず立ち上がり、その包に手を伸ばした。
「……貴方は、過去の家族の形を追っていたのかもしれない。だけど少なくとも愛は、今の貴方の姿をずっと見てましたよ」
膝から崩れ落ちそうになりながらも、誠は必死にそれを堪え、包を静かに手に取った。
乾ききらぬ雨の跡が冷たく、けれどその内にどこか、温かさを持っているような気がした。
誠が歯牙にもかけなかったそれは、紛れもなく、家族に向けられた愛情に他ならないものだ。
誠は自らの愚かな行いに、めまいがするようだった。
瞳の端に透明な滴が浮かぶ。
彼は目をきつく閉じ、その一滴だけを押し出して、それから決して、涙を流す素振りなど見せなかった。
その権利は自分にはないと、自らを罰するように。
「あぁ…………」
隼斗の口から、思わずため息が漏れた。
誠のそんな不器用な振る舞いが、自分に背中を向ける飛鳥の姿に重なって見えたからだ。
その飛鳥の背中がゆっくりと遠ざかる。彼は再び誠に歩み寄り、机を挟んで対面する。
「愛から、事情は聞きました。家庭の事情の、踏み込んだことまで聞いてしまって……、すみません。でも俺は、助けを求められた以上、ここまでするべきだと思ってます」
そこで飛鳥は一度言葉を切って、顔を上げた誠と目を合わせて話す。
「研究を続ける理由は聞いてます。離れて暮らしてる家族と、もう一度一緒に暮らすためだと。それがどれだけ重いものかは俺にはわかりませんし、理由の是非は、俺からは何も…………。けどその家族っていうのが大事なら、なんで、愛の事をないがしろにしたんですか。今日の事だけじゃない、こうなるまでに、ずっと苦しい思いをさせてきたはずだ。何故、なんです」
飛鳥の言葉に、誠は息を呑む。
それは酷く本質的な問いかけだった。
「愛だって貴方の家族だ。取り戻そうとしている家族の中に、あいつだっているんでしょう? 貴方の望みがどれだけ尊いものだとしても、だったらなおのこと、それを支えている愛の事は、何より大事にしなきゃいけなかったはずだ。あいつは貴方の誰より近くで、貴方の事を支えている家族なんだから。貴方が一番に報いなければいけないのは、一番大切にしなきゃいけないのは、誰よりもまず愛だったはずだ……!」
違いますか、と。震えるのを堪えて、飛鳥は絞り出すような声音で尋ねる。
誠は今度こそ、ためらうことなく首を横に振った。
「……いや、違わない。全く君の言う通り…………、私は、見なければならないものこそ見えていなかった。本当に、愛には辛い思いをさせてしまった…………」
唇を噛んで、目を伏せる。
態度や表層のものでは決してない、心底の後悔が、誠の言葉からにじみ出ていた。
「ならこれからは、愛のために変わってあげてください。あいつの願いはただ、誰かに必要とされる大切な存在でありたいって、本当にただそれだけなんですから」
胸にしがみつき、涙を流しながら必死に想いを告げた、愛の姿を思う。
「……きっと、貴方にとってはそうだと思います。だから、それを伝えてあげてください。…………貴方なら、愛の父親である貴方なら、それは嘘にはならないはずですから」
飛鳥の心に突き刺さった、咎の傷跡が痛みを叫ぶ。
それでも飛鳥は最後まで言い届けた。彼にとってはこの言葉を届けることが、自らの不誠実な行いを贖罪する、唯一の方法だったからだ。
誠は頷く。
言葉はなく、しかし何度も。
「…………」
これで果たされただろうか。そう思う飛鳥の胸の内にあるのは、達成感にも似た、それでいてどこか空虚な感覚だった。
意図せずに、深いため息が飛鳥の口元から漏れ出した。
彼はよろめくように後ろに下がった。その背中を、隼斗が支える。
「隼斗…………」
飛鳥は腕を借りて崩れかけた体勢を整えると、誠に背中を向けて、隼斗の方を横目に伺った。
「悪い、話長引いちまって」
「構わないよ。必要なことだった」
隼斗にも言いたいことの一つもあったが、全て飛鳥に任せた。
誠の態度を見れば、その判断が正しかったことは明白だった。
「大丈夫かい、アスカ」
飛鳥に視線を戻すと、酷く疲労しているようにも見えた。
俯けた顔から、影は消えない。
数瞬の沈黙の後、飛鳥は自嘲気味な笑みを浮かべた。
「……どの口で言ってんだろうな、俺は」
「アスカ…………」
飛鳥は誠のことを責めるばかりで、自分のことは何一つ語らなかった。
愛は少なくとも今日、飛鳥にこそ救いを求めていたというのに。
「隼斗、悪い。先帰るわ。……歩いて戻るから、車は心配しなくていい」
沈痛な面持ちで、隼斗は飛鳥の隣を通り抜ける。
隼斗はその背を見送り、飛鳥が扉を開いたところで、聞こえるかどうかというぐらいの小さな声で、こう言った。
「ありがとう、アスカ」
果たして、その言葉は届いていただろうか。
部屋を出る直前に一瞬立ち止まった飛鳥は、返事を返すことはないまま、その場から立ち去って行った。




