4章『灰雲の先』:1
壮絶な戦いが終わった。
そして、それを見届けた者たちがいた。
「なるほど、過大量のエネルギー出力による荷電粒子の放出か。それが疑似的なオーロラを作ったと」
一人呟く少女の背後に、一人の少年が足音もなく歩み寄る。
「見るのは初めてか?」
「空のは昔に。……地上のオーロラなんて、世界中探してもまずいないだろう」
「…………」
海風に短い銀髪をなびかせ、答えた少女の言葉に、少年は口をつぐんだ。
洋上に浮かぶ足場の上。
手すりなどは無い酷く狭い空間の縁に、少女は腰かけたまま、遠方の無人島を眺めていた。
その傍らに立つ少年もまた、目を細めて同じ方向を見ていた。
その空間は、潜水艦の甲板の上だった。
小型ながら、ソナー迷彩、光学迷彩を備えた最新鋭のステルス潜水艦。それでいて、どこの国家にも属さないものだ。
「……」
少女はおもむろに後ろを振り返る。髪の先から、小さな滴が零れ落ちた。
その潜水艦のいた場所も、ついさっきまで嵐の只中にあった。
無人島を中心として雨雲に大穴が開き、嵐もろともに吹き飛んだ結果、潜水艦のいた場所にも、晴れ間がのぞくことになった。
少女の方は、嵐の止まぬ内から甲板に上がって、ことの顛末をその目で見ていたが。
おかげで全身ずぶ濡れだが、フードをかぶっていた頭だけは、横髪の毛先を除いて濡れた様子もない。
「何か言いたそうだな。ザイド」
ザイドと呼ばれた少年は、頭に被せていたボロ布のマントのフードを持ち上げ、眩しそうに目を細めた。
風になびく麻布の下に、褐色の肌と短い黒髪が覗く。
局所に晴天となった空のもと、しばらくは濡れる心配もなさそうだった。
「寒くはないのか?」
ザイドは自身の足元、甲板の縁に腰掛ける少女に声をかけた。
「今更それを言うのか?」
「いつも思ってる」
冗談めかして答える声に、ザイドはため息交じりにそう答えて、僅かに視線を落とした。
日本は今、2月の半ば。年間を通しても、最も寒い時期と言って間違いないだろう。
少女の纏う袖なしの黒いパーカーはずぶ濡れで、そのファスナーはへその下あたりまで開いている。胸元だけを覆うハーフトップのインナーも、むき出しのへそ回りも、パーカー同様に雨に濡れていた。
凍り付くほどに冷たいはずだが、少女は震えるどころか、顔色一つ変えることはなかった。
白いショートパンツから伸びる細い足を交互に振って、少女は後ろを振り返る。
耳元を覆うシルバーのヘッドホンが、陽光を反射しきらりと光った。
「どうした?」
黙り込んだザイドを見上げて、少女は薄く笑う。
見透かすような視線に、ザイドは眉を寄せた。
「見せたかったのはこっちか?」
「まさか」
爆音と閃光が止み、静けさを取り戻した無人島を遠くに眺め、少女は首を横に振った。
「君を誘った言葉に嘘はない。鞍馬研究所の実験、噛んだ以上は見届ける必要があった。どちらに転ぶにせよ、な」
島全体を覆い尽くしてなお足りなかったオーロラの嵐も、今はその名残さえ伺えない。
しかし彼女の目には、その残像は鮮明に残っている。人智を超えたとさえ言える現象が事実であったことを示す、それこそが揺るぎない証拠だった。
とはいえ、それは彼女らの本来の目的ではなかった。
「ならまずは、本来の目的の方からだ。どう見る?」
「うん? いや、見たままだろう」
わざとらしく肩をすくめる少女に、ザイドは辟易した様子でため息を吐いた。
彼女はいつもこうだった。ザイド自身よりもずっと聡明なのに、物わかりの悪いふりをして話を長引かせる。
「今回の件、アヌビスの本体が主導だろう。俺はほとんど関わっていない」
「おっと、そうだったか」
なにがおかしいのか、少女はくすくすと笑う。
馬鹿にされている気もしたが、ザイドはいちいち取り合わず、気だるげに足元を見つめた。
ザイドの反応が乏しいのに、少女は不満げに唇を尖らせて、改めてといった様子で話し始める。
「実験の概要は?」
「大まかな内容は先に調べてある。所感としては?」
「ある程度は予想できた範囲だった。パイロットの能力に依存する部分は多いだろうが、2基程度までなら安定した制御ができる。もう少し洗練されれば、3ないし4基ぐらいは扱えるだろう。6基で暴走していたようだが、これはパイロット側の問題だな。無視していいレベルだ。ただそれとは別に、単純にパフォーマンスが著しく低下していたようだし、そこまでの制御は望めないな。やはり4基あたりが現実的な狙い処だ」
少女は考え込む様子もなく、指折り数えてそう答えた。
ザイドは頷く。
「モノとしては十分か。あとは、それがいつ形になるかというところだが」
「ゼロ用に調整は必要だろうが、基幹技術としてはあれを見る限りほぼ確立できている。今回の実地試験のフィードバックもあるし、3か月もあれば形になるだろう」
「……ふん、十分だな」
腕を組み、満足した様子でザイドは頷く。
まるでこの実験に関わっているような物言いだが、事実そうだった。
「だがまぁ実験結果自体はどのみち得られたものだ。早くはなったが、とはいえそれだけだな。となれば、鞍馬に実験を投げたことの本命は別にある」
「……そこまでは読んでいたか」
口調の変わったザイドに釣られるように、少女も目を細める。
「今回の件、アヌビスが出した条件は相互の技術提供。こちらとしても得る物は大きかった。アークの制御システムである思考制御に関して、鞍馬研究所は最も進んでいる。その技術を、今回の実験に際して吸い上げることができた」
「……アーク技術を集約し、全てにおいて最前線で在り続ける。それでこその監視者、か」
「鞍馬研究所が持つ中で最も貴重かつ重要な技術だ。比肩するものは世界に無い。同じ日本の東洞グループが近しいが、それでも隔絶している」
少女はそこで言葉を切り、怪しく口の端を釣り上げる。
「そして今日、鞍馬はその機能を失う。この分野において、対抗組織がいなくなるわけだ」
「……なるほど、政府にも入り込めてはいるのか。しかし組織を潰しただけじゃ不十分だ。所詮は入れ物に過ぎない。……中身の扱いは?」
「技術自体はさっき言った通り。そして技術者の引き抜きも、準備は済んでいる。今日明日にでも大部分が合流するだろう。実験の前段階から既にこちら側に協力していた人間もいた。スムーズに運んだよ」
余裕ぶった少女の態度に、ザイドは顔をしかめた。
「急くなよ。足が付く」
「構わない。気付かれるだろうが、それでも彼らでは間に合わない。彼らが自力で我々の影を捉えるよりも、我々が自ら姿を現す方が、恐らく少し早い」
確証はないがな、と少女は付け足す。
ザイドは鼻で笑ってあしらうと、瞑目して空を仰いだ。
「しかしよく調べればおかしなことも多かっただろうに、よくもまぁ簡単に実験にまでこぎつけるものだ。鞍馬研究所の設立思想とも、今回の実験は合致しないはずだ」
「金が入用だったのかな、あるいは実績か。組織というよりは人の問題だ。付け入った形にはなるが、その隙はあった。東洞を締め出し、鞍馬と日本政府の間でのみの実験という形に収めることも、こちらから提案する前に、向こうが言い出した」
「……どういうことだ? 競争関係にはなかっただろう」
ザイドは訝し気に眉を寄せると、肩越しに視線をよこす少女の横顔を伺った。
「東洞は手広くやりすぎたんだ。次は自分のテリトリーに踏み込まれるかもと、どうやら以前から警戒していたようだ。鞍馬としても、私達の提案は渡りに船だったのかもしれないな。まぁ、結果は御覧のありさまだが」
「…………、気の毒だが、身の程を弁えていればこうはならなかった、か」
物事の本質はいつも水面下にある。表面的に発生する事象など、所詮は結果の一部分に過ぎない。今回のアークの暴走も、行き過ぎた実験による事故で片づけられることだろう。
巻き込まれた者たちを想えば、心が痛む。
それが顔に出ないほど、ザイドという少年は大人ではなかったが、それを後悔できるほど、彼は夢想家ではなかった。
彼の内心を察してか、少女は早々に沈黙を破った。
「ただ……、日本政府がどう動くかな。内部に既にアヌビスの人間が入り込んでいるが、だからこそこちらの存在、動向に気付いている可能性もある。そもそも鞍馬の前は、政府は神原と組んでいた。エンペラーの暴走と神原の逃亡には我々の手引きもあったが、財団そのものを潰すところまでは予想していなかった。一方的に潰したことで、財団に残された研究成果は丸ごと政府が吸い上げていた」
「……それで?」
「その後は不明だ。だが研究成果は美術館には飾れない。どこかで使っているはずなんだ。その痕跡をたどれなかった。潜入しているアヌビスの工作員ですら、この件に関しては早々に手を引いた。……考えすぎかもしれないが、神原は逃げたのではなく、財団諸共に切り捨てられた可能性がある」
深刻な少女の言葉でも、ザイドはくだらないことであるかのように鼻で笑った。
皮肉が混じってはいたが、それ以上の愉悦もあった。
「切り捨てられた、か。あの黒狸にはふさわしい。だが手ぬるいな。富と名誉欲で骨まで腐った愚物だ、手を切るなら逃がさず消してしまうべきだったろう」
「スポンサーの悪口は言うものじゃない。せっかく私が裏から手をまわして、アヌビス本体ではなく、君の側に括り付けた財布なんだ。機嫌を損ねて紐が堅くなったら、苦労するのは君だぞ」
諭す少女の言葉にも、ザイドが謝罪を返すことはない。ただ肩をすくめ、ため息と共に、いからせていた肩の力を抜いた。
そんなザイドの態度を見ても、少女は表情を変えることはなかった。
「ともかく、我々だけではなく、日本政府にも今回の実験のフィードバックは入る。それを持って、今度は東洞と合流するだろう。研究の主導が東洞に残るか政府に移るか、東洞に残ってくれた方が楽だが、いずれにしても一筋縄ではいかない組織になるだろう。西側諸国、つまりは君にとって直接の敵となる勢力の中では、恐らく最大の脅威になるはずだ」
そして、と少女は目を細めて続ける。
「その筆頭になるのが……」
「コードA、か」
そう呟くザイドの声音には、それまでとは全く別の剣呑さが宿っていた。
視線は鋭く、遠洋に浮かぶ無人島を睨みつけていた。
「すでに半数のコードを手に入れているという事実は、生半可なものではない。コードAは、強い。アヌビスが全ての計画を日ごとに前倒ししているのも、彼とあの機体の存在が大きな影響を与えている。とはいえ、機体自体は他と比べて特別なものではない。かつて一度はプロジェクトの最終フェーズまで残ったこともある機体だが、逆に言えばそれだけだ。今日のような超常の現象が引き起こされたことなどない。あれは本来あの機体には、いやどんな機体にも存在していない機能だ。なら何が違うのか、……それは自ずと、そう、彼という人間になる」
もったいぶった調子で語り、少女は最後にそう締めくくる。
もってまわった大仰な言い回しだが、わざわざ順序立てて語られなくとも、ザイドも同じ結論には至っていた。
「お前は会ったんだろ? どんな奴だった」
「……気になるか?」
少女は肩越しに後ろを振り返ると、にやりと口の端を上げて尋ねる。
だがザイドは無人島を睨みつけたままだ。少女の視線に宿る怪しい色にも、気づいた様子はなかった。
「特別な生まれの、特別な力を持った人だと、そう思うだろう? 私もそうだった。だがな不思議なことに、彼はそれこそ普通の少年だったよ。君とは違う、ごくありきたりな、ね」
少女がごく平坦な調子でそう答えると、ザイドは思わずといった様子で声を荒げた。
「普通の? 少年? あれが? 馬鹿を言うな」
少女の言葉を鼻で笑い飛ばして、彼は大仰に両手を広げた。
「あんな力を出せる奴が、普通だと? 下手な冗談はやめろ、あんなものが当たり前にいてたまるものか。あれが普通なら……」
「自分の選択が間違いになる、か?」
語気を強め語るザイドの言葉を遮って、少女は冷酷に言い放つ。
とっさに言い返す言葉も出てこなかったザイドは、忌々しげに唇を噛むと、そのまま口を閉ざした。
「だが私は嘘を吐いてはいないぞ。そして君が、その目で見たものも事実だ」
眩しいものを見るように、少女は目を細め、遠くの島を見つめる。
吹き飛ばされた雲が風に流され、再びその島の頭上を覆わんとしていた。
「だから、私は今こう思っている。……あるいはあの力こそが、人が本来持ちうる力なのではないかと」
諭すような口ぶりではなかった。淡々と、自分の思ったことを告げるだけの言葉。
それは彼女の感じたことではあっても、意見ではない。彼女は迷う時に行く先を指差しはしても、決して手を引き進むことはない。
だからこそ、ザイドは彼女を信頼しているのだ。
「そんなの、一部さ……」
閉じかけの口をついたのは、そんな曖昧な言葉だった。
断定というには弱い言い方は、自分の中の未練を映しているようで、ザイドは苦い表情を浮かべる。
それにも少女は何も言わず、ただそれとなくザイドの様子をうかがっていた。
僅かな逡巡の後、ザイドは踵を返して歩き出した。
波立つ遠洋に、もはや見るべきものは無い。
「また降り始めるぞ。そろそろ中に戻ったらどうだ」
マントのフードを被りなおし、座ったままの少女を見やる。
「――リリィ」
片手を上げる少女を視界の端に、ザイドは再び歩き出す。
おもむろに懐へと手を伸ばすと、通信機器をつかみ取った。
やがて静かに、しかし強い意志を込めて語り始めた。
「――神原。ああ、俺だ。……計画を早める。準備を始めてくれ」
通信の向こうから、何事かを問いただすようなことを言われるが、ザイドは首を横に振った。
「覚悟は決めている。引き返すつもりは、ない」
決して巻き戻ることの無い歯車が、音を立てて回り始めた。




