3章『地上のオーロラ』:9
バースト・ドライブの強制解除で機能が著しく制限されていたアストラルは、突如謎の光に包まれた直後、空高くへと舞い上がった。
インターンの放つホーミングビームを、上昇の速度だけで振り切って、機影は雲の向こうへと消え去ってしまった。
天空に消えたアストラルに向けて片手を伸ばすようにしたインターンは、それきりなんの動きも起こさないままだ。
そして見上げる空からは、得体のしれない重圧のようなものが絶えず降り注いでいた。
それは大気を震わせ、地鳴りを起こす想像を絶する莫大な力の奔流だ。
『な、なにが起こっているんだ……!?』
空を見上げ、隼斗は呆然と呟く。
バースト・ドライブのタイムリミット後の性能低下は強烈だ。アストラルの場合は飛行もままならなくなるし、被弾がかさんでいた今回は立ち上がることすら難しかったはずだ。
事実、アストラルは一度は地面に倒れ伏していた。
にもかかわらず、飛び立つ直前のアストラルの凄まじい出力は、バースト・ドライブかそれ以上のものがあった。
『隼斗、一体何があったの!? こちらからでははっきりわからないの。それに、アストラルとも通信が繋がらない。何かわかる?』
『いや、アストラルの出力が急に回復して、そのまま空に飛んで行ったきり、全く……。けど……』
空から降り注ぐ重圧は、それでいて押しつぶすようなものではない。漠然とした大きな力を感じるが、それはどこか暖かくも感じられた。
『……嫌な感じはしない。きっと、アスカはまだ戦っている』
まだ彼が諦めていないなら、愛を助けるという、この戦いは終わっていない。自分もまた戦えると、絶望しかけた心に光明が差す。
そして、輝きが雲を貫いた。
『来たか……!』
雲の向こうの、空のさらに彼方から、強大で、しかし暖かな力が降りてきたのだ。
力は秒ごとに近づき、ついに漠たる力は物理的な変化を伴って顕現する。
『アスカッ!!』
身を震わせる衝撃と共に、天を覆い雨を零し続ける分厚い雲が、轟音を轟かせて吹き飛んだ。
黒雲がそのさらに上から、巨人に踏みつぶされたかのように、下方へ押し出される形に爆ぜる。見上げる隼斗達の目には、まるで天を覆う巨大な花の開花にも見えた。
雲に穿たれた大穴の中心、太陽にさえ見まごうほどに眩しい輝きの中に、人型の影があった。
焼きつくほどの輝きを放つのは、その中心のアストラルだ。
塗装が蒸発してむき出しになった漆黒の装甲は、しかし装甲表面が放つ眩い光によって白く染め上げられている。
機体を青く彩るはずの発光体は、エマージェンシーモードを示す赤色ですらない。過大なエネルギーによって焼き付きを起こし、内部で絶えず爆ぜる火花が黄金の輝きを灯していた。
そして、目に見える光はそれだけではない。
『なんだ、あれは……! 虹……? いや、オーロラのような……!?』
機体自体の放つ光のさらに外側では、青や緑、あるいは紫色の光が吹き荒れ、帯のはためくように広がって空を覆っていた。
その鮮やかな閃光は、機体の放つものとは違う。機体を中心とした暴風に巻き込まれた大気それ自体が輝いているかのように、不規則に波打っていた。
そして事実、隼斗の言葉は的を射ていた。
バースト・ドライブ時などに、ジェネレーターが生み出す過剰な出力は、常時装甲表面から余剰エネルギーを放出することによって保たれる。
だがオーバードライブが生み出す極大のエネルギーにおいては、余剰エネルギーは熱や可視光不可視光にとどまらず、力学エネルギー、さらには超高エネルギーの荷電粒子にまで変換されて放出されていた。
装甲表面から断続的に放たれる荷電粒子が機体の周囲の大気を励起させ、さらにそれを力学エネルギーが吹き飛ばす。
アストラルの纏う虹の輝きは、まさしくオーロラの嵐に他ならなかった。
無人島に覆いかぶさる雨雲は消え去り、太陽と、それに勝るとも劣らないアストラルの光が、夜明けの如く大地を照らし出す。
天より延びる光の柱を、アストラルは一直線に駆け下りていく。
『な、なんて重圧だ……』
押しつぶすような暴風に、隼斗は思わず顔を腕で庇った。アークにとって意味のある行いではないが、反射的にそうしてしまうほどに、アストラルが放つ力は鮮烈だった。
そしてその力の大きさは、すなわち飛鳥の覚悟の大きさそのものだ。
行くぞ――――
飛鳥の声。
それは空の彼方から、しかし耳元で発せられたかのようだった。
飛鳥の語っていた『声』――アーク波という不可視の力に乗せて放たれる、意志そのもの。
言葉だけでなく、その口調にも意志の宿るものなら、飛鳥の語った一言には、何者にも覆すことのできない確固たる意志があった。
それは隼斗にとってこの上ない希望であり、そして愛の本質にとっても同様であり、しかしアークに歪められた彼女にとっては、最大級の脅威であった。
意志の声に、インターンは迎撃でもって応えた。
天を見上げるインターンの肩口から、6条の閃光が放たれる。
僅かに拡散し放射状に放たれた閃光は、空中で鋭く向きを変え、アストラルへと吶喊する。
迫る攻撃を前に、しかしアストラルは軌道を曲げることも、速度を落とすこともなかった。
『回避、しない!?』
目を見開く隼斗の前で、光線の軌道は確実にアストラルを捉えていた。
だがしかし、高速で接近する光線は、着弾の寸前でわずかにその軌道を捻じ曲げた。
ホーミングビームがアストラルを回避したようにも見えるその現象は、アストラル自身が放つ絶大な力がもたらすものだ。
雲の高さにあって、地上に突風を噴き下ろすほどの重圧。
アストラルを中心とした斥力場が、ある種のバリアのように機体を包み、迫る攻撃をかき分けていたのだ。
アストラルは四肢を伸ばし、こじ開けた隙間に機体を滑り込ませた。
だがそれだけで全てを回避できるわけではない。
降下するアストラルに対し、深い角度で突っ込んでいたホーミングビームだけは、軌道を逸らされてなお、アストラルに食らいついた。
脚部装甲を掠め、降下する機体の姿勢が大きく崩される。
『いや――――、できないのか!?』
崩された姿勢を戻そうとしないアストラル。その姿に目を凝らした隼斗は、機体のスラスターがどれも動作していないことにすぐに気が付いた。
そのあまりに莫大なエネルギーは、アークのシステムをもってしても、御しきれるものではない。
アストラルのシステムは今、機体を自爆させずに維持することのみにそのリソースの大半を費やされ、ゆえにあらゆる推進システムがその機能を停止していた。
超絶たるエネルギーを鎧に、重力の力のみでこの場に向かっているのだ。
つまりは、被弾で揺らいだ姿勢を素早く戻す手段はない。
そしてインターンはその隙を見逃さない。
機体の制御は、ほぼシステム側に奪われているようだ。前兆の無い動きと共にインターンが片手を掲げ、その頭上に3基のヤタガラスが音もなく集う。
今の一撃で着弾のパターンは解析されているのだろう。
『くっ――――』
地上にいるバーニングになど、目もくれない。撃つべきはアストラルだと、インターンのシステムはそう判断していた。
事実バーニングはパワーダウン寸前。次に一発貰えば、たとえ当たり所が良くても、もはや身動き一つできなくなるだろう。
その微弱なエネルギーは、太陽の如きアストラルの光に比べれば、マッチの火も同然だ。
しかし、だからこそ、隼斗とバーニングにできることがある。
3基のヤタガラスが放つのは、合計12の光線。姿勢を崩しているアストラルに回避は難しいだろうし、どれだけ耐えられるかはもはや予測がつかない。
『僕のすべきこと――――』
両腕部のショートカノンを連射し、ヤタガラスの1基に掃射する。
『こっちを見ろ、敵はここに居るぞッ!』
ぬかるんだ地面を履帯で跳ね上げ、バーニングは一息にインターンに向けて突撃する。
そこに策などはない。
ただ飛鳥という希望に全てを掛けて、その光の潰えぬよう、己の身を盾とし僅かな時間を稼ぐための一手だ。
ヤタガラスがバーニングを見据える。
自分は、ここまで。
『だが……』
攻撃をしなかった二基が瞬時に振り向き、バーニングに対してビームを放つ。
迎撃の手段はなく、バーニングはその両腕で機体を守ることしかできない。
『ぐうぅぅううう――――!!』
腕部の武器が残らず吹き飛び、ダメージが限界を迎えた機体がその場に膝をつく。
腕部のみならず、肩部の関節までが煙を吹く。疑似的な痛みは、設定値を超越したように、激痛として全身を貫いていた。
『それでも……』
もはや両腕に武器は無い。ショートカノンで怯んでいた残り一基が、ぐるりと振り向き、バーニングを狙う。
先にこの蟻を潰してしまえとでもいうように、4の閃光がまっすぐに放たれる。
『踏ん張れ、バーニング!』
消えかけた両の目に、最後の刹那、光が灯る。
機能停止した自動照準をかなぐり捨て、隼斗はノイズまみれの映像の中、自らの力で照準を合わせる。
迫る光線のその先へ向け、最後の一撃、背部迫撃砲の水平撃ちが炸裂した。
地面を揺らし、放たれた剛弾は光線の隙間を縫って、こちらを見据えるヤタガラスを正面から撃ち抜いた。
強力な一撃を最も脆弱な箇所に受け、ヤタガラスは一瞬のうちに爆散した。
だがそれを見届けるまでもなく、バーニングはホーミングビームの直撃を受けてしまう。
後ろへと倒れ込みながら、空へ向けて手を伸ばす。
痛みはもはやない。
明滅する視界の中、意識を手放す寸前に、隼斗は声を振り絞った。
遠い空の、最後に希望に向けて、祈るように。
『アスカ……』
しかして、その声は届いた。
「……隼斗!」
機械越しの視線が交錯する。
アーク波による意志伝達など関係ない。その一瞬、二人の意志は同じ方向を向いていた。
『――頼む』
「任せろ!」
得られたわずかな時間に、機体の制御を取り戻し、飛鳥は再びインターンを見据える。
親友が切り開いてくれた活路、決して無駄にはしない。
黄金とオーロラの光を纏い、アストラルは地上へと、愛の元へと突き進む。
ヤタガラスを1基失いながらも、バーニングを排除したインターンは、今度こそアストラルを見据える。
最後の脅威である、眩い星を。
両腕を掲げ、そこから真紅の閃光が放たれた。
アストラルの輝きに呼応するかのように、インターンが放つその光も、いっそう強くなっているようだった。
噴火にも似た光の柱と、舞い降りる流星が激突する。
元より回避などできない。
ただ、迎え撃つのみ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
掲げた右手に爆発の如き光を握り締め、迫る閃光に叩きつけた。
機体全てのリミッターは解除されている。スーパーノヴァのボイスコマンドがなくとも、その一撃は最大出力だ。
インターンの最大出力である両腕のビームを、アストラルはハンドストライク一つで相殺する。
大きな2門の砲台から放たれたビームは、あたかも1本に見えるほどに収束され、さらに機体の能力によって結合を強められている。
その重光子の密度は壮絶であり、鋼鉄の壁よりも重く行く手を阻んだ。
だが――――
「それが、なんだってんだッ」
行く手を阻むこの力の大きさこそが、愛が助けを求める声の、想いの大きさなのだから。
「止まるもんかよぉッ!!」
さらに左腕を叩きつけ、そこに閃光を宿す。
指先に、ありったけの力を込める。
雄たけびを上げ、全身の力を奮い起こす。
握り締める光は太陽よりも熱く、眩く。
そしてぶつかり合う真紅の噴火を、真正面からぶち抜いた。
鋼鉄をこすり合わせるようなけたたましい音が響き、そしてその音さえも吹き飛ばしながら、アストラルはなおも進み続ける。
だがアストラルの腕は、自らの放つ莫大なエネルギーに崩壊寸前だった。
引き裂かれた真紅の光線は、傘のように八方にまき散らされる。
それと同じように、アストラルの右腕からも、大量の火花が辺りかまわず断続的に噴出していた。
力に限界はなくとも、もはや腕部全体が、物質的な限界の瀬戸際にあった。
「まだだ!」
インターンの放つ極大の力は、競り負けてなおアストラルの速度を落とす。もはや目と鼻の先にあって、しかし助けを求める少女の居場所はあまりにも遠い。
だがそれでも止まることさえなければ、必ずたどり着ける。
機体の限界は近い。
それでも立ち止まることはない。
足を引っ張る諦念などとうに燃え尽きている。
競り合う噴火と流星。
飛び散る重光子と火花。
その消失は、同時に訪れた。
か細くなり、やがて消えるインターンの重光子ビーム。
光を切り裂いていたアストラルのハンドストライクも、一瞬の内に数度瞬き、そして腕部が根本から吹っ飛んだ。
過負荷が機体の許容限界を超え、蓄積された腕部のエネルギーが内側から爆ぜたのだ。
「――――――――ッ!!」
右腕を力づくで引っこ抜かれたような激痛を、飛鳥は必死の思いで耐え抜いた。
通常ならもう機体は動かないだろう。
普通ならもう意識は保てないだろう。
それでもアストラルは彼の想いに応え、限界を超えて戦ってくれるのだから。
こんな疑似的な痛みなど、捻じ伏せ進んで当然だ。
遮る壁は消え去った。
アストラルはまっすぐに、よりいっそうの高速で、インターンへと降下する。
インターンはその両手を広げ、最後の一手を放つ。
音もなく展開される重光子のバリア。
バースト・ドライブのアストラルを阻んだ、紫光の障壁。
『こな……いで。私、は……! あああああああああああああああああああああああ!!!!』
愛が叫び、展開するバリアの厚みが一段と増す。
右腕は失われ、左腕は火を噴いている。
だが、それがなんだ。
それがどうした。
「お前を、助けに来たぞ、愛ッ!」
手段など関係は無い。そんな薄皮一枚で、彼が、彼らが、止まるものか。
「うぅぅ、らあああああ!!!!」
身を捻り、アストラルは左脚で渾身の蹴りを放つ。
武器は無い。
ただその身一つで、彼女を助けると決めたのだから。
不格好でも何でもよかった。彼女を闇に閉じ込める壁を、叩き壊せる一撃ならば。
激突し、砕け散る。
紫光のバリアはガラス片のようにはじけ飛び、アストラルの足は膝から下が根こそぎ爆散した。
だがもう飛鳥は呻くことすらしない。
救うべき相手が、助けを求める少女が、すぐそばにいるのだから。
手を伸ばす。
ただひたすらに、ただひたむきに、真っすぐに。
「この手を取れ!」
バリアが生んだ斥力は、その大半を吹き飛ばされても、アストラルに僅かな後退の力を与えていた。
なおも絶大な出力に包まれていながら、真実アストラルには、再び立ち上がる力すら残されていない。
地に伏せば、二度と近づくことはできないだろう。
伸ばしたその手が、最後の願いだった。
その時、まるでその想いを踏みにじるように、闇の残骸が鎌首をもたげた。
もはや愛の意志など無関係に、敵を排除する破壊兵器と化した2基のヤタガラスが、その照準を再びアストラルに合わせたのだ。
しかし飛鳥は、そちらには目もくれない。
「俺を、見ろ! 愛!」
自らの危機など、そんなくだらないことなど、今はどうだっていい。
「片腕吹っ飛ぼうが!」
殻は割れ、光の中にあるはずの少女に、飛鳥は懸命に呼びかける。
「片脚吹っ飛ぼうが!」
目を閉じ、膝を抱える彼女に、もう夜は明けたと伝えるために。
「俺は、お前を!」
その手を伸ばす。
「愛!! お前を助けに来たんだ!!」
『アスカ……!』
今度こそ、声が届いた。
白く輝くアストラルの手を、インターンの手が掴む。
直後ヤタガラスの攻撃が放たれた。
腕を引き合い、2機は、あるいは2人は互いを抱き寄せた。
薄紅の光線が迫る。
輝きが、二人を包み込んだ。
着弾の寸前、ホーミングビームがその軌道を捻じ曲げ、抱き合う2機を紙一重で躱す。
それはアストラルの力によるものではない。愛が土壇場で、機体の制御を取り戻したのだ。
本当に大切なものは何か、もう見失うことはない。
彼女を閉ざす深い闇は、たった今切り開かれたのだから。
光線は二機の周囲を回り、螺旋を描き、そして天高くまで絡み合う8条の軌跡を刻んだ。
光の柱の中、飛鳥と愛は向かい合う。
アストラルに片腕は無く、片脚もなく。それでもその足で立ち、その腕でインターンを抱きしめる。
「遅くなって、ごめんな」
それ以上の言葉は、きっといらなかったのだろう。
『来てくれるって、信じてた』
愛の声を震わせるのは、決して悲しさなどではなかったのだから。
暴走していたインターンが、ついにその機能を停止した。
天高く伸びる光の柱が、音を立てて砕け散る。
雲に空いた大穴から太陽の光が降り注ぎ、その中を薄紅の光の粒が、ふわり、ふわりと舞い降りる。
それはあたかも、季節外れの桜のように。
寄り添う二人を包んでいた。




