幕間『彗星の如く』
高く舞い上がる。
果ての無い空へ。
分厚くのしかかる黒灰の雲の先に、眩しいほどの青空が広がっていた。
風を切る音は聞こえない。
静寂の中で、ただ景色だけが鮮明に移ろい行く。
雲を超えた先の、澄み渡る空を見ても、なお足りないというように。
まだ高く、どこまでも高く。
大気が薄れ、やがて真空へと近づいていくとも、そんなものは限界たりえないと、見せつけるように空を駆け抜けた。
太陽の浮かぶ、一面の青。
やがてその色が黒く染まるまで、機体は止まることなく飛び続けた。
機体が上昇を続けることに、飛鳥の意思は介在していなかった。
バースト・ドライブの影響で機体がほとんど動かなくなった後、飛鳥の叫びに答えるように、一気にジェネレータの出力が上がってからは、機体は飛鳥の制御を離れていた。
機体がパイロットの制御を受け付けない点では、一種の暴走と言えただろうが、飛鳥にその不安はなかった。
飛鳥の叫びに答えて、もう一度立ち上がったアストラルに、彼は意志に似たものの存在を感じていたのだ。自分はどこまでも行けるぞと、飛鳥に示しているように思えた。
そして何よりも、高く舞い上がる最中にも、愛の心の声が感じられたのだ。
それは音なのか文字なのか、あるいは景色なのか、それさえも定かではない曖昧なものだったが、それが愛の感情であるということだけは、はっきりと感じられた。
どれだけ離れても、その感覚は小さくなるどころか、少しずつ強くなってさえいた。
だからこそ飛鳥は、アストラル自身の意思に機体を預けていられた。
「そうか……、そうだったんだな」
概念のような愛の言葉と、そして『ある記憶』と――。
それらを聞き届けて、飛鳥は強く拳を握り締めた。
愛は決して自分から敵意を抱いていたわけではない。
武器を向けられる、敵意を向けられることに対する根源的な恐怖を増幅され、それを取り除こうとする意志を攻撃へと変えられていたのだ。
愛はただ最初から、助けを求めていただけだった。
自分という存在に対する、救いを。
「ああ……」
そんな愛自身へ、たとえ直感に従っただけだとしても、攻撃を加えずにいられたことに、飛鳥は心底安堵した。
「……よかった」
身を切る覚悟に意味はあったのだと、負った痛みは無駄ではなかったのだと。飛鳥はその一言に全ての想いを吐き出した。
閉じていた目を開く。
突き抜けるような空の青さは、もうそこにはない。
広がるのは真空の闇。
無音の空間に、遠く果てまで続く暗黒の海だ。
大気が作りだす蒼穹の先にある、色の無い宙には、もはや僅かの遠近すら掴めない小さな光が、しかし数えきれないほどに煌いている。
馬鹿げたことに、飛鳥とアストラルは大気圏を超え、広がる宇宙に今まさに身を投げている。
果ての無い暗黒に、普通ならば言いしれぬ恐怖を覚えるだろうが、飛鳥には欠片ほどの恐怖もなかった。
ただ、どこまでも行ける。そんな予感だけがあった。
「見てたぜ、アストラル」
けれど、行くべき先は前にはない。
背に負う青い星には、彼の助けを待つ人がいるのだ。
「やれるじゃねーか」
開いた掌を見つめる。
自分の手と重なるように、純白のマニピュレータが目に映る。
そこに武器はなくとも、飛鳥の覚悟と、アストラルの力が、激しく燃えているのが見えた。
「今度は俺の番だ」
覚悟と力を、飛鳥は強く握りしめた。
アストラルは今、自らの限界がどれほど高くにあるのかを示した。これまで限界に見えていたものは、パイロットである飛鳥を守るためか、あるいはシステムの騙るままに、飛鳥自身が思い込んでいた線引きに過ぎない。
(限界を決めるな……!)
頭上を覆う曇天も、その先の蒼穹も、空を閉ざす天蓋ではなかった。それを超えた先、この宇宙に浮かぶ星の全てに、手が届くほどの可能性こそが真実だ。
そこに触れるために、求められるものは力ではない。
アストラルの中に眠るものを呼び起こす、強く、そして揺るがない意志だ。
息を止める。無音の中に、かすかに声が聞こえる。
「聞こえるか、アストラル」
彼の名を呼ぶ声が、愛の声が聞こえる。
「俺達に、助けてくれって叫んでる。それに応えたい。……俺は、そのための力が欲しいんだ」
呟くように紡ぐ言葉は、アストラルに語り掛けるためのものでもあり、自分の意志を研ぎ澄ますためのものでもあった。
「今のままじゃ届かない。だからもっと強く、張り裂けてでも、この声をあいつに届けられる力が欲しい。ただ、そのためだけの力を!」
飛鳥はその両腕を果てしない宇宙に伸ばし、空の掌を見つめた。
「アストラル、ここに何がある。この俺の手に、そのお前の手に。見えるか、見えるだろ、これが俺の答えだ。さあ、行くぞ!!」
両手を握り締める。
見届けたというように、飛鳥の想いに機体が答えた。
【指示を受諾
システムに自己干渉し、制約を強制的に無効化
バースト・ドライブ 再起動】
力の波動が、津波のように身体を駆け巡る。
【code_A_Unlimited_Second BURST!!】
全身を覆う純白の塗装を焼き払い、装甲は漆黒に、発光部は真紅に輝く。
限界を迎えたはずのバースト・ドライブが、再びその光を宿した。
【ジェネレーター出力、制御限界を突破
機体保護のため、各種リミッターを解除
エマージェンシーモード 強制発動 】
そして変化は、そこに留まらない。
「まだだ!」
漆黒に染まる装甲が激しく熱を放ち始める。
真紅に輝く発光体の内側で、さらに眩い火花が飛び散る。
絶大な力を発揮するエマージェンシーモードでさえ、御しきれないほどの出力が機体を内から焼いていた。
【ジェネレーター出力、400%を超過
コードAジェネレーター、出力理論値の上限を突破
機能維持限界に到達
システム予測領域外のため、機体稼働率の計測不能
ジェネレーター出力を強制停止し、保護モードに移行します】
「止まるな!」
吐き出しきれない出力は際限なく機体に蓄積され、今にも決壊しそうなほどに張り詰めている。
ひとたび均衡を失えば、溢れるままに機体を内から起爆させ、コックピットの飛鳥ごと自らを宇宙の塵と化してしまう危険さえ秘めていた。
それを分かっていてなお、飛鳥は踏みとどまることを許さなかった。
「お前の見せた世界は、こんなもんじゃないだろう! 俺はまだ行ける、お前もそうだ! 進み続けろ! そのためなら、力はいくらでもくれてやる! 邪魔な枷なんざ、全部取っ払っちまえッ!!」
叫びがさらなる力を呼び起こし、全身を焼き尽くす莫大な熱の奔流となる。
【指示を受諾
自己干渉により、機体保護システムを強制停止
出力上限の規定値を消却
理論出力無限大を想定し、基幹システムを自己構築】
機体がもつ時間はもう10秒もない。
新たな次元へ到達したアストラルは、共に戦う飛鳥の意志を力に変えて、新たな世界のシステムに自らを超高速で適応させる。
生物における進化、数百代の生死が築く数千年の歴史を、数瞬の内に駆け抜けるような感覚。
目指すのは限界のない世界。手を伸ばす全てに、その手が届く世界だ。
無限の飛翔。想像もできない遥かな高みへと、飛鳥は懸命に翼を広げた。
闇のようだった。あまりにも光に満ち、それ故に何も見えなくなるほどの、真白な闇。
それでも迷うことはなかった。
彼を呼ぶ声が、彼に行く先を示し続けたからだ。
身を焼く熱に包まれながら、アストラルはついにたどり着いた。
【基幹システム構築完了
固有波形エネルギー支配領域を、機体内部から外部空間へと展開
アーク波臨界エネルギー量から理論出力における展開範囲を算出
機体コアを中心に、半径500mを臨界化及び固有波形エネルギー支配領域に設定
全エネルギー供給ルートを最適化準備
発動権限をパイロットに移譲】
両手を広げ、地球の放つ青い輝きを全身に浴びた。
言うべき言葉はわかっている。
「いくぜ!」
それはアストラルだけではない。飛鳥も共に築き上げた力だったからだ。
「オーバードライブッ!!」
【Code_A OVER_LIMIT!!】
力の波動が機体からあふれ出し、空間を歪ませ叩き壊した。
音を媒介するものの無い宇宙に、しかし確かに爆音が轟いた。
その力の名は――
「アドバンスト・バーストォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!!!!!」
【Force_activate -- ADVANSED_BURST!!!!】
形を与えられないまま蓄えられていた力は、そのシステムの起動と共に一気に機体の外へとあふれ出した。
それは光や、熱や、あるいは重圧となって、アストラルの全身から竜巻のように吹き荒れる。
空間を歪ませるほどの力を、眩い輝きと共にその身に宿した。
重力に引かれ、アストラルは降下する。
「聞こえてるよ」
光を纏い、残滓を残しながら、まっすぐに。
「一人にはしない」
拳を握り、飛鳥は地球へと振り返る。
「だから、愛」
無限の宇宙に背を向けて、助けを呼ぶ声に向かって。
「待ってろ」
叫び、飛び立つ。
「今行く!!」
その輝きは彗星の如く。
星は、大地へと――




