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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第8部-地上のオーロラ-
245/259

幕間『闇に煌く』

 何かが見えていたわけではなかった。

 何かが聞こえていたわけではなかった。

 ただ、漠然とした焦燥、恐怖から逃れようと、私はひたすらに手足を振り回していた。

 駄々をこねる子供のように、あてもなく闇雲に。

 鎖に繋がれた手足を、それでも必死に。


 アークがとらえた映像を、私はそのまま見ていたはずだった。なのに『それ』が何かわからない。

 思考に靄のかかったように、見えているものの正体を掴めない。

 ただ『それ』が武器を持ち、私に向かってきていることだけは、どうしてかはっきりとわかっていた。

 向かってくる『それ』は純粋に恐怖であって、私の抵抗は、思考や理性よりも、本能に近かった。

 迫るたびに遠ざけようと、私は叫ぶ。

 声はアークを介して光となって、声を媒介する何かから、絶えず放たれ続ける。

 叫ぶたびに『それ』は遠ざかり、しかし遠ざけてなお、『それ』は幾度となく私に迫る。

 払いのける度により深く踏み込んでくる『それ』の姿に、恐怖は肥大し、しかし同時に、違和感が顔をのぞかせる。

 何か、違う気がする。思考ではなく感覚が、私にそう告げる。

 けれどそこに気付きかけるたびに、頭に響く声が大きくなる。

 頭の中を無数に反響し、私の思考を妨げるその声が、私自身の意志を無理矢理に矯正してしまう。

『それ』は『敵』だ、と。排除しなければならない、と。

 違和感を覚えるたびに、『それ』が何かを理解しかかるたびに、覆いつぶすほどの恐怖が私を飲み込んでいく。

 閉ざされたノイズと闇の中で、向けられる武器の存在ばかりが、酷く眩しかった。

 青く、鋭く、軌跡を刻む。

 頭を抱え、暗い部屋の隅で震える自分に、振り向けられるナイフのよう。

 排除しろ、排除しろ、木霊する声に突き動かされ、際限なく湧き上がる恐怖に追い立てられ、私は何もわからないままに叫び続けた。

 助けて、と。

 けれど、手が差し伸べられることはない。それでも悲鳴を上げるたびに、反響する声が生む恐怖が和らぎ、向けられる刃が遠ざかる。

 私は自分を守るために、そうせざるを得なかった。

 反響する自分の声、敵だと、排除しろと。それ自体が私自身の、言い表せない恐怖になって、考える余裕を覆いつぶしていく。

 そこに、私は抗わなかった。ほんのわずかな、恐怖から逃れられる時間のために、私は恐怖に立ち向かうことをせず、ただ流されるままに、喚き続けていた。

 けれど『それ』は違った。

 私とインターンが放つ拒絶の光の只中で、それよりもずっと眩しく煌く光が、私の闇を一閃に引き裂く。

 これまでは恐怖を増すはずだった光景の後、どうしてか、頭に反響する声がその数を減らした。

 恐怖を掻き立てる声が薄まれば、頭の中にかかる靄が少しだけ晴れる。

 けれどそれに対するように、今度は一つ一つの声が大きくなる。

 沸き立つ恐怖は脈動するように不安定で、でもその大きさは小さくなることはなかった。

 声が壁となり私を覆い、闇を作る。

 その中で、光が何度も、青く瞬く。

 幾度となく声が響き、私を闇に押し込める。

 その度に『それ』は煌き、刃のように、光を私に突きつける。

 反響する声が一つ潰える。思考を潰す恐怖が強まる。

 私の心の叫びは、自分自身の目を焼くほどに眩しく、闇に瞬く『それ』を穿つ。

 近づかないで。

 叫びが、次は私自身からあふれた。

 空で貫かれ、地に叩きつけられてもなお、『それ』は私に向かってくる。

 怖いよ。

 こんなにも必死に、声を枯らして訴えても『それ』は聞く耳など持とうともせずに。

 そしてまた、私を覆う声が消える。

 頭を突き刺すような痛みが走った。敵の驚異の大きさを、いっそう強く訴えてくる。

 叫びは破壊を伴う光となって、『それ』をまた飲み込む。

 なのに、『それ』は止まらない。

 向かってこないで。

 インターン、そしてヤタガラスの放つ攻撃を搔い潜って、それは私の元へ、深く何度も踏み込んでくる。

 そして振るう刃で、私を閉じ込める闇から、引きずり出そうとする。

 なのに私は、根拠もないまま湧き上がり続ける恐怖に、叫びを止めることができない。

 だから、近づいてこない欲しかった。

 あなたを傷つけてしまうから。

 いつの間にか、『それ』は恐怖ではなくなっていた。

 光は刃ではなく、闇の中の私を照らす標のよう。

『それ』が何なのか、私の頭に過る。

 私を覆う声の隙間を縫って、その姿が、ほんの一瞬だけ私にも見えたのだ。

『それ』の姿を知っている。名前は……。

 気づきかけた瞬間、声が爆ぜた。

 敵だ。敵だ。敵だ。

 違う、嫌だ、敵じゃない。

 歯を食いしばって、私は踏みとどまった。

 叫びを堪えて、『それ』を遠ざけてしまわぬように。

 インターンから放たれる光が消えて、それでも遠く浮かぶヤタガラスは、私の中の恐怖をくみ取って、絶えず攻撃を続けていた。

 自分の体を掻き抱いて、私は必死に声を堪え続けた。

『それ』がずっと、私に呼びかけていてくれたから。

 闇の向こうに、瞬く一つの星のように。

 けれどふと唐突に、その青い光が消えてしまう。

 世界は再び闇に閉ざされ、堪えられない恐怖に満ちる。

 光がインターンから溢れ、怒涛の勢いで『それ』を撃ち抜く。

 ああ、どうして。

 消してしまった。

 後悔が胸を貫く最中。

 闇を、私を覆う暗い壁を、光が一息に焼き払った。

 爆発のような輝きの中、青い閃光が私の元へ来て。

 声が聞こえた。

 私を呼ぶ、私を愛と、そう呼ぶ声が。

 お願い、届いて。私はここに居る。

 ねぇ――


『アスカ』


 差し伸べられた手が、届いたと思ったとき、何かが再び、私を閉ざす。

 それは一瞬の出来事。

 瞬きの後には、私を再び闇が覆っていた。

 心が爆ぜる。

 せき止めていたすべての感情が、決壊して私の中に溢れかえる。

 頭を突き刺す濁流のような痛み、衝撃、言い表せない何か。

 飲み込まれ、もう何も、考えることはできなかった。

 助けてと、叫ぶことしか。

 ただそれだけしか、私にはできなかった。

 手を伸ばす。それがあなたを傷つけてしまうと知りながら。 

 それでもあなたは、また立ち上がる。

 私の声を聞き届けて。

 光をたたえ、太陽よりも眩しく。

 朽ちることなく、闇に煌く。



 空が見えた。

 私の声は、その向こうに。

 彼の心へと届いた。


 ――初めから、わかっていた。

 私は、私なのだと。

 家族の中の一人ではなく、アークのパイロットではなく、如月愛という、一人の人間。

 そういう風に認められて、そういう形として、私は誰かに愛して欲しかったのだと。

 私、を。

 そのたった一つが、いつの間にか欠け落ちて、私は本当に望むものを心の中からも失ってしまった。

 どんな形であれ、愛されるのなら、求められるのならそれでいいと。

 私のただ一つの願いは、そうして歪み、歪んだまま、けれど消えずにここにあった。

 たどり着くべき場所は見えないまま、それでも求めてきたはずだったのだ。

 だというのに、今の私は、なんだろう。

 自分を失い、闇雲に悲鳴を上げるだけのこの空虚な私は、誰かに愛してもらえるような人間だろうか。

 自分が傷つかないために、誰かを傷つけてしまえるこの私は。

 だけど、それでも。

 そんな私を、認めて、受け入れてくれるなら。

 それでも大切だと、必要だと、一言言ってもらえるなら。

 それが嘘でも、どれだけ救われることだろう。

 ねぇ、聞こえる?

 ここにいるよ。

 だから、アスカ。

 お願い。

 助けて――

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