3章『地上のオーロラ』:2
途端に血相を変えた飛鳥が、機体を一気に加速させた。
「先に行く!」
『アスカッ!』
隼斗の静止の言葉を振り切り、アストラルは一直線に空を駆ける。爆音は散発的に、鈍く、かつ鋭く、不吉な不協和の音色となって耳と下腹に響く。
肌を走る疑似的な風の感覚が一際激しさを増す中、視界の奥、嵐のカーテンの中心に緑の点が浮かぶ。
液晶のドットのようだったそれは瞬く間に広がり、生い茂る木々に覆われた小さな島の姿を見せた。
かつてアークの暴走事故を引き起こした神原財団が所有し、現在は鞍馬研究所が所有するアーク研究用の無人島だ。その符合は皮肉だろうか。
「ここに……」
数瞬前から爆音は鳴り止んでいて、音源がどこにあったかは判然としない。
しとどに降る雨の中でも、各所に木々の折れ砕け、折り重なる姿が見えるが、肝心のアークの姿は見えない。雨の影響もあってか、熱源センサーさえもおぼろな反応が、島の各所に分散している状態だった。
とはいえ暴走状態のアークが眼下の島にいることは確かだ。
下手に身動きをとるわけにもいかず、飛鳥が目を凝らして周囲を観察しようとした矢先、眼下の森が爆ぜた。
「ッ!?」
飛鳥が血相を変え、機体の身を翻した直後、アストラルの元居た場所を紅色の閃光が飲み込んだ。
余波で雨粒が散らされ、白いカーテンに一筋の大穴が穿たれるように見えた。
『アスカ!』
「愛の、コードIの攻撃だ!」
飛鳥は距離を離すべく大きく後退しながら、切羽詰まった様子で答える。
有無を言わさず攻撃を受けたということもそうだが、放たれた攻撃の威力に心臓が縮むようだった。
後方へ下がるアストラルと、後方からやってくるバーニングとが横に並ぶ。慣性で前方に滑るバーニングに位置を合わせると、二機は下方の島を見据えた。
攻撃の余波で根元から引きちぎられた木々が、音を立てて崩れる。
放射状に倒れる木々の中心で、攻撃を放った機体が姿を現した。
コードI――アーク・インターン。
「愛……ッ!」
桜色を基調とした装甲には、まるで風か波を抽象したかのような複雑な白い模様が走り、その隙間に埋め込まれるような形で、ライムグリーンのコアと発光体がまばゆく輝く。
ごく有機的な丸みを帯びたフォルムは、随所で波立つように膨らみ、あるいは萎み、花や蕾を連想させつつも、全体として女性的なシルエットを形作っていた。
片膝をついていた姿勢から、幽鬼のように立ち上がったインターン。
言葉もなく、ゆらりと両の腕を掲げる。
「っ、隼斗!」
刹那の殺気に、飛鳥が声を荒げる。
放たれたのは橙の重光子弾。先ほどの照射とは違うが、十分な威力を秘めていることがうかがえる巨大さだ。
言葉ではなく行動で応えたバーニング。その装甲を紙一重で掠め、重光子弾は天高くで爆ぜた。
だが今度の攻撃は一度では終わらない。
インターンの視線は、攻撃を回避した2機のうち、動きの鈍いほうを的確に捉えていた。
バーニングに、掲げた腕が向けられる。
『目ざとい!』
隼斗は素早く回避行動を取りつつも、同時に着弾の衝撃に備える。バーニングという機体の機動性と、耐久性をよく理解した行動だ。
1つ、2つ、橙の光弾が立て続けに発射される。正確にバーニングの軌道を捉えた2射を、バーニングは身をひねり回避する。
1射目は空を切ったが、2射目の光弾が機体の装甲を掠めた。次の1射は避けられないだろう。
バーニングがとっさに腕をクロスさせ防御を固めた直後、しかし明後日の方向へと光弾が消えていく。
発射の直前、インターンが僅かに身をすくませたためだ。
アストラルからの牽制だ。
「やめろ、愛!」
直撃はしないように調整しつつも、ごく至近に着弾するようにフォトンライフルを素早く撃ち放っていた。
声を荒げながらも、狙いは極めて正確だった。射撃へのインターンのリアクションに関わらず、着弾の衝撃は足元の地面を揺らし、僅かでも照準をずらす。確実性のある一手だ。
「くっ……!」
だが飛鳥は歯噛みをしていた。
彼の選択は正しく、放った牽制は完璧だった。インターン、愛には僅かもダメージを与えず、バーニングへの攻撃を抑えたのだ。
だから問題はそこではない。
飛鳥はとっさに愛に向けて攻撃を放ったのだ。バーニングへの攻撃を止める手段として、土壇場で、呼びかけではなく攻撃を選択してしまった。
「愛、聞こえるか!?」
せめてと必死に声を張り上げても、響く音はどこか空しく、厚い雲に飲まれるようだった。
届かない。そう直感した。
『…………』
その勘は全く正しく、無言のままに、下げられていたインターンの両腕が再び持ち上げる。
今度はすべて、アストラルに向けて。
「愛ッ――!」
飛鳥は呻くような声を上げるが、もはやインターンの動きは止まらない。
光弾の放たれる刹那に、アストラルは素早く身を翻し射線を逃れる。
両腕の重光子砲による砲撃を避けた直後、今度は両肩の装甲から覗いた砲門から、片側3条の桜色の重光子ビームが放たれた。
インターンから放たれた6本の光線は、上空に向けて放射状に広がった。
回避を行うアストラルの進行方向とも、元居た場所とも違う、さっぱり見当違いの場所に打ち込まれた攻撃に、インターンを見据えつつ、飛鳥は内心首を傾げた。
暴走の影響かと疑った直後、見据えていた飛鳥は自分の目を疑うことになる。
『アスカッ! 油断するな!』
「っ!?」
隼斗の声に我に返った飛鳥が周囲に注意を向ける。そこでは、明後日の方向に飛び去ったはずの光線が、鋭く弧を描き、アストラルへと突進してくる様が見えた。
「曲がるのか!」
発射後に屈折し、多角的に襲う攻撃かと飛鳥は刹那に判断。アストラルを上方へと加速させ、紙一重で光線を捌く。
だが回避によって去ったはずの脅威が、直後には再び鎌首をもたげていた。
見下ろす視線の先、まるで獲物を捉えた蛇のごとく、6条の光線が再度天へと舞い上がる。
「な、まだ来るッ!?」
のたくり、渦巻き、自らの速度の慣性に流されつつも、光線は巻き付くようにアストラルへと襲い掛かる。
高速の攻撃を身をひねって回避しても、閃光はまるで花の開くように拡散し、また花の萎むようにアストラルへと収束する。
それは自らを喰い散らす狂気の花弁にも見えたし、巣に迷い込んだ蝶を狙う獰猛な蜘蛛にも見えた。
鮮やかで美しい軌跡と、そのうちに秘められた破壊力。まるで退廃的な芸術のようだ。
不覚にも、視線を奪われかける。
『ホーミングビームか――、くっ!』
内に向きかけた思考を払い、隼斗は素早く下方のインターンを見据える。掲げたままの両腕は、すでに次の攻撃の意思を滾らせていた。
隼斗の視線に追いつくようにバーニングの右腕が下に向けられ、さらに同じタイミングで回転を始めていた多銃身のガトリング砲から、怒涛の勢いで砲弾が放たれる。
音速を超える数多の礫は、突き刺すような雨粒をことごとく置き去りにし、嵐よりなお激しく島の大地に降り注いだ。
着弾の衝撃で地面が抉れ、土塊が跳ね上がり、倒れた木々が文字通り木っ端となってはじけ飛ぶ。
着弾痕はインターンの足元を真一文字に突き抜けた。
それまで微動だにしなかったインターンも、掠める間際の攻撃に慌てた様子で飛び退いた。
「助かる!」
追撃があれば、今度こそ回避は難しかっただろう。
「うらぁっ!!」
ホーミングビームに追い立てられるように上空へと舞い上がっていたアストラルは、両手に携えたフォトンブレードを振りぬき、竜巻のように回転。時間差でもって襲い掛かる6条の閃光を、まとめて叩き落した。
光線は刃と触れた瞬間、1つごとに紫の火花が散り、乾いた音を響かせて下方に弾かれた。
それが直接の原因だったのか、途端に制御を失った光線は一直線に下方、波立つ海へと飛び込み、巨大な水柱を上げた。
「ぐぅ……」
想像を遥かに超える重い衝撃に、飛鳥は強く顔をしかめる。
手に加わった力の大きさは、一葉とのシミュレーションでフルロードのフォトンライフルを弾いた時と、およそ遜色のないものだった。
6条の光線、それぞれ一発でそのレベルだ。直撃していたらと考えると、今更ながらに背筋が凍った。
そして何よりも、今の愛は躊躇なく、それほどの攻撃を放ってきている。
僅かでも彼女自身の理性が残っているなら、きっとこれほどの攻撃はしてこないだろう。
「くそっ、愛ッ……!」
きつく眉を寄せ、視界に映し出されるインターンを見据える飛鳥。
いくら強力な攻撃を仕掛けてきているといっても、見知った相手を武力で抑え込むのに忌避感を覚えないものではない。
しかしこれが愛としての理性、あるいは人格を覆いつぶすような暴走なのであれば、躊躇いは命取りにしかならない。
『アスカ、もうダメだ。聞こえていない……!』
冷静に諭すように告げる隼斗だが、その言葉の端から、煮えたぎる憤りが顔をのぞかせていた。
「神原の時と同じかよ。だけどっ!」
静止の言葉を聞かず、容赦なくこちらを襲ってくる様は、神原財団が所有していたエンペラーの暴走と極めて酷似している。
そうと分かっている以上、同じように撃破し機能を停止させるべきなのだろう。
だが一つの決定的な違い、暴走するアークを操るのが愛であるという事実が、飛鳥にとっては無視できないほどに重かった。
「くっそ……」
歯噛みしたところで、状況が変わるはずもない。
バーニングの二つのカメラがアストラルを見据える。コックピットの中の隼斗が強く視線を送ってきているのを感じるが、飛鳥は答えることができないでいた。
覚悟が決まらずとも、相手は待ってくれない。
バーニングの威嚇射撃から身を躱していたインターンが、木々の隙間から再び姿を現した。
血のように赤く煌く相貌が、ねめつけるようにアストラルとバーニングを順に見据える。品定めをするようにも、獲物を前に舌なめずりをするようにも見えた。
ゾクッ、と背筋に悪寒が走る。
「――――っ!?」
『……アスカ? っ、なんだ』
インターンから漂う気配が、そのとき明確に切り替わって見えた。飛鳥の態度を不審に思った隼斗も、直後にその気配に気づいたようだ。
これまでも、殺気に似た気配を覚える瞬間はあった。しかしそれは武器を掲げた瞬間など、はっきりとした攻撃の予備動作を伴っていた。それ以外はほぼ意図の読めないおぼろげな気配と、ごく機械的な攻撃行動だったはずだ。
だが今はどうだ。
こちらを見据える視線には形容しがたい生々しさがあり、それ以上に、もはや漂うなどという表現は不適切なほど、インターンからはっきりとした敵意、あるいは害意が噴出している。
明らかに、何らかのスイッチが切り替わったように見えた。
―――――て
飛鳥の耳に、あるいは脳裏に、微かに声が聞こえた気がした。
そちらに注意を向ける余裕は、しかしながら存在しなかった。
島を覆う鬱蒼とした木々が、爆ぜた。
一斉に、6か所で。
『な、なんだ!?』
驚いた隼斗の声。バーニングが音源に素早く視線を走らせた。
跳ね上がった木っ端と泥が、生い茂る木々にぼたぼたと降り注ぐ。
その中心に、巨大な黒い物体が不気味に浮遊していた。
『本命、お出ましみたいね』
沈黙を守っていた遥が、ふいにその重い口を開いた。
浮かぶ八つの異物。その名を告げる。
『――――ヤタガラス』
敵意が花開くように、それらは一斉に翼を広げた。




