2章『涙と、雨と』:2
「待たせてごめん。さ、上がって」
ドアから顔をのぞかせた水城が、自分の肩越しに後を指さしてそう言った。
玄関のドアを勢いよく押してから家に引っ込んだ水城を追う形で、泉美と美倉もドアを潜った。
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」
履いていたブーツとスニーカーをそれぞれ脱ぎながら、家に上がる。適当に足でブーツを揃えただけの泉美に対して、美倉は几帳面にも脱いだ靴を揃えていた。
それには気付かない泉美は美倉を置いて行く形で、灯りのついていない部屋にひょいと踏み込んだ。
先に部屋にいた水城が、ちょうどのタイミングで照明の電源を入れる。パチッという小気味よい音と共に、泉美の視界が一瞬ホワイトアウトする。
眩しさに目を細めてから、すぐに戻った視界でリビングの中をぐるりと見渡した。
「あんまり見ないでよ」
そばに寄ってきた水城が恥ずかしげにそう呟く。
「片付いてるじゃない。変なものも置いてないし」
「それでも」
不思議そうに首を傾げる泉美とすれ違いながら、冗談めかした口調で水城はそう言った。本当に変なものは置いていないかと、それとなく部屋を歩きながら視線を走らせる水城。
挙動不審なのは注視するまでもなく分かったが、触れないでおいて、泉美は手に持ったスーパーの袋の胸の高さまで掲げる。
「これ一旦ここに置かせてもらっていい?」
テーブルの横に立って尋ねた泉美。
水城は一瞬遅れて泉美の方に視線を向けると、
「……あー、いいけど、すぐに作るならキッチンの方で良いんじゃない?」
「それもそうね」
許諾を得ると、泉美は袋をぐいと持ち上げて、キッチンテーブルの上に置いた。
入れ替わりで部屋に現れた美倉も、先ほどの泉美のようにきょろきょろと視線を回していた。
「なんで二人とも反応一緒かなぁ。何も変なもの置いてないでしょ?」
「あ、ううん、なんとなく……」
呆れた様子で呟く水城に、美倉は苦笑いを浮かべた顔を向ける。
水城は毒気を抜かれた様子でため息をつくと、テレビラックの上に置かれていた写真立てをパタリと寝かせた。
「二人とも、とりあえず上着くらい脱いだら?」
同じくテレビラックに置かれていたエアコンのリモコンを操作しつつ、視線も向けずに水城はそう言う。
とは言ってもどこにおけばいいのやら、とおろおろしている美倉。対して泉美は「そうね」とだけ答えて手早く上着を脱ぐと、畳んで椅子の上に置いた。
遠慮の無い態度だが、自分から勧めたのだから、当然水城も咎める様子はまるでない。
美倉も泉美にならって、羽織っていたコートを畳んで、他の適当な椅子に置く。顔を上げながら、美倉は二人に問いかけた。
「もうさっそく作り始めるの?」
問われた泉美はキッチンテーブルの上に置いた買い物袋に目を向けてから、水城の方に視線を投げかける。
「どうしよう? 始めちゃっていいの?」
「私は構わないよ。というか、他にすることもないでしょ? お茶でもする?」
「いいんじゃない。作りながらでも、いくらでも話はできるし」
「なら、決まりだね」
言うが早いか、水城はキッチンに向けて歩きながら、壁のスイッチに軽く触れる。パチッという軽快な音と共に、吊り下げられた照明に光が灯る。
目立つ汚れの無い、眩しい白のキッチンだ。
「へぇー……」
感心した声を上げたのは、美倉だった。
広いキッチンスペースには、ステンレスの小さな段付き棚が置かれていて、そこには一般家庭ではそうそう見られないような調味料の類が並んでいた。こと料理に関しては一家言ある美倉でも、せいぜい見かけたことがある程度の、用途すら薄ぼんやりしているものまである。
そういったコアな物も含めて数多くの料理関連の物が並んでいながら、整理はぬかりなく、それでいて普段からよく使われている様子が見て取れた。ここを使っているのは、それなり以上の料理好きであることは、想像に難くない。
そんな、ある意味ハイレベルなキッチンを、特に迷う様子もなくひょいひょい動きながら、適当に使いそうな食器その他を取り出している水城。
それを見て、美倉はこう尋ねた。
「悠乃は、よく料理するの?」
「ん? なんで?」
背伸びして高くにある棚に手を伸ばし、内側のラックを引き下ろしながら、水城は疑問の声を上げた。
「珍しい調味料が置いていたから、料理好きなのかなって」
「料理好きなのは母さんだよ、時々手伝わされるけど」
水城はそう言いながら、引き下ろしたラックからアルミの小鍋を取り出して、美倉の眼前に差し出した。
「使う?」
「うん、使う使う」
ひょいと両手で受け取って、美倉はキッチンの空いたスペースにそっと置いた。
「調理器具はこれぐらいあれば足りるよね?」
「うん、これだけあれば十分だよ。ありがと」
背中から覗き込む水城に、美倉は振り向いて笑顔を向けた。
「なんていうか……」
さて、ここで完全に蚊帳の外だった泉美である。当事者のはずなのだが。
「二人ともさらさらやっちゃうんだね。あたしはこの辺詳しくないから、よくわかんないな」
「この辺って?」
首を傾げる美倉に示すように、泉美はピッピとキッチンテーブルの買い物袋や道具を指さした。
「お菓子作りとか、料理とか」
「泉美やらないの? 意外。一人暮らしじゃなかったっけ?」
水城が興味深げに身を乗り出すのに、泉美は恥ずかしそうな表情でこう返した。
「一人暮らし、だから。適当にやっちゃうんだよねぇ、どうせ自分しか食べないからさ。……って話をしたら、前に男かよって言われたよ」
「今どきそれは関係ないんじゃない?」
肩をすくめる水城に、同じ態度で返す泉美。特段中身の無い話だ。
故もなく腕まくりをして見せて、泉美はこう宣言する。
「だから気合入れて作るのはこれがホントに始めてかな。失敗するかもだけど」
冗談めかして言って、泉美は肩の力を抜いた。
どことなく不安げな気持ちを端ににじませる表情を見て、美倉はフォローするように、自信ありげにこう告げる。
「それも考えて、結構多めになるように買ってあるから、失敗しても大丈夫だよ」
「っていうか、砕いて溶かして型に流したら後は冷蔵庫に放り込んでおくだけなんだし、失敗なんてそうそうしないって。大丈夫大丈夫」
茶化すように続く水城だったが、そこからさらに泉美が茶化した。
「ま、それでもミスる時はミスるんだけどね」
「何言ってるんだか……。泉美、不器用だっけ?」
「ううん、全然。あたし器用な方だよ」
「じゃあさっきの態度なんなのさ」
とぼけた態度で、ともすれば口笛を吹きそうな表情の泉美を横目に、水城は呆れた様子でため息をついた。
さて、こうして口を動かしながらも手を動かしていたので、準備はおおよそ整っている。
とはいえ、言いだしっぺである泉美が先陣を切ることはできない。ここからどうすればいいかを知らないからだ。
だから、そこで口を開いたのは美倉だった。
「さて、それじゃ早速はじめよっか」
パンと手を叩いて袖を少しだけまくると、両隣にいた水城と泉美の様子を伺った。
「まずは由紀からやるってこと?」
そこで、目のあった水城が、不思議そうに首を傾げる。
美倉はキョトンとした表情を浮かべた後、首を横に振った。
「ううん? そういうつもりじゃないよ。でも……、そうだね。スペース広いし、一緒にやっちゃおっか、泉美」
「あ、そう? 見てからにしようかと思ったけど、まぁでも一緒にした方がいいよね。……そういえば、悠乃はどうするの。一緒に作る?」
「私? ううん、二人を手伝う。私はまぁ、渡す相手いないし」
両手を軽く広げておどけたように言う水城。
普通なら余計なことを言ったかと思う場面だが、水城の態度からか、泉美は悪いことをした気にはならなかった。
「道具ってこれで全部?」
美倉の横からキッチンテーブルを覗きこんだ泉美がそう尋ねた。
美倉は少し迷った様子を見せてから、曖昧に頷く。
「うーん……たぶん、大丈夫。ホントは私の家に調理器具がそろってるから、それを使おうと思ってたけど、悠乃が一通り出してくれた分で問題なく作れると思うよ」
キッチンテーブルを見る分には、小鍋が二つにヘラが二つ、あとはアルミだかステンレスだかのプレートと、星型やハート型のありきたりな形の型があるばかりだった。
存外シンプルなものなのだなと思う泉美の隣で、美倉は首を傾げている。
視界の端にそれを見止めた泉美は、美倉の顔を横から覗き込んだ。
「問題ないって感じじゃないけど?」
「んー……、できれば温度計があると良かったんだけど」
「温度計? 何に使うの?」
「温度を測る」
首を傾げる泉美の背後から、水城がそう茶化した。
「悠乃のあだ名は明日から国語辞典ね」
何故か割り込んできた水城の冗談に、泉美は殊更冷めた声でそう返した。
「ひっどい」と肩をすくめる水城を苦笑気味に一瞥して、代わりに美倉が答えた。
「チョコレートを溶かすのに温めるじゃない? 製菓用のチョコレートってバターが入ってるんだけど、これって中の成分ごとに溶けたり固まったりの温度に違いがあって、温度を上手く調整しないと種類ごとに分かれて固まっちゃうんだよ。そうなると見た目が悪くなるから、気をつけないといけないの」
「じゃあ温度計って結構重要なんじゃないの? 無くて大丈夫?」
聞く分には、上手に作るためにはなかなか重要な要素になりそうだが、それが無いという状況に、しかし美倉は曖昧ながら首を縦に振った。
「うん。というか、ダメだとしても今から用意できないし、仕方ないかな。あればいいってぐらいだったよ、温度は感覚で分かると思うし」
「そんなの感覚で分かるんだ……」
しれっとなかなかハイレベルなことを言う美倉に、泉美は驚いたというか感心したというか、そんな複雑な表情を向けた。
美倉はそれには気付かない様子で、顎に手を当てて考えた後、こう提案した。
「よし! じゃあ二人でいっしょに作るのは作るとして、溶かすところはまず私が先にやってみるよ。上手く出来たら私が手伝いながら泉美の分も同じように作ればいいし、出来なかったらまたやり方を考えるって形でどうかな?」
合理的な提案に、水城が頷いた。
「いいんじゃない? 出来なかったら、その時はその時って感じで、とりあえず作ってみないとできるか分かんないんだし」
「なんかあたしが気を使われてる感じがするけど……。でも、由紀がいいって言うんなら、それでお願いしようかな」
泉美はどちらかと言うと手を貸してもらう立場だ。手間のかかる状況になったことにやや躊躇していたが、美倉に屈託の無い微笑みを向けられて、遠慮がちながら頷いた。
そこからは手を動かしながらのお喋りだった。
火を入れるところまでは、美倉と泉美は同時進行の作業ができる。それとなく茶々を入れようとする水城を適宜あしらいつつ、二人は買ってきたチョコレートを砕いていた。
真剣に作業をするほど口数は少なくなる物で、それに伴って泉美にはちらちら視界の端に映る水城の姿が気になりだした。
「悠乃、やっぱり暇なんじゃ……」
「うん、ちょっとだけね」
そう答えた水城はキッチンテーブルに背中を向けて、縁に腰を当てながら、横目に泉美達を見据えた。
「何か手伝うこともあるかと思ったけど、案外なにもないからさ。手持無沙汰なんだよ」
「まぁあそこで会うこと自体が偶然だったしね。……じゃあ、悠乃も作っちゃえばいいじゃん」
特に深く考えた様子もなく、思い付きで泉美は言う。
「渡す相手いないってさっき言ったじゃん」
「あたしが貰うよ。由紀も」
ニッと口の端を釣り上げて、不敵というか、からかうような笑みを向ける泉美。
名前が挙がった美倉は一瞬キョトンとした後、聞こえていた話を反芻してから、水城の方を向いて頷いた。
水城は首を傾けて視線を軽く上に向けると、「それがあったか」と言ってポンと手を合わせる。
「じゃ、二人が終わったら私の番だね。でも同じことするのも芸がないし、チョコレートクッキーにでもしようかな」
さらっとレパートリーを開示するなり、恐らくはクッキーに使うのだろう薄力粉なりの材料を探し始めた。
「いいんじゃない? っていうかそんなのまで作れるんだ……」
手を止める様子もなく作業を進める水城に感嘆の声を上げつつも、泉美はふと気になったことを、冗談めかして口にした。
「それにしても、悠乃って案外、恋愛脳だよね」
バレンタインデーがどうこうなど、いくらでも意味は変わっていく。今日日のそれなど、男女に限らずチョコレートに限らず、渡したい相手にお菓子を渡す程度の意味があるばかりだ。
そういう点では泉美や美倉の、今年のバレンタインに臨むスタンスは、やや古めかしい物ともいえる。
一般的にはおおむね正しいにしろ、それを重視する者などいまどきそういないからだ。
とすれば逆に、友達にプレゼントするという発想自体が無かったのだから、水城は男女間でのプレゼントという考え方に注視していたと言える。恋愛脳という軽口は、つまりはそういうことだ。
「そんなこと……」
図星をつかれた水城は不満げな表情で泉美を見返したが、結局否定はできずに、諦めたようにため息をついた。
ならばと、開き直った水城は嫌味な笑みを浮かべて、並んだ二人を見る。
視線に気づいた泉美と美倉がふと手を止めて、水城の方を伺う。
怪訝そうな表情をしたのは、この話題に関してはとばっちりの美倉だ。対して泉美は挑戦的というか、不敵な表情で水城と目を合わせていた。
まず口を開いたのは、この空気を作りだした張本人である水城だった。
「ま、そういうことでいいよ。だったら恋愛脳らしく恋バナでもしますか」
「恋バナ? 開き直ったね悠乃」
何かしら配慮があったのか、実は美倉が伊達と付き合うようになってからも、少なくとも水城から美倉に対して、恋愛絡みで積極的に話を聞くといったことはなかった。
基本的に全員セットで行動していることが多いこの3人なので、結果的には泉美も話の的になることはなかったが、どうやら今回はその限りではないようだ。
不敵な笑みを浮かべながらも、果たして水城がどう話題を切り出すのかと戦々恐々としていた泉美だったが、予想外にもターゲットはからかった泉美ではなく、美倉に向いていた。
「そういえば前から気になってたんけど、由紀と伊達って結局どういう流れで付き合うようになったの? あの陸上の大会の時からっていうのは知ってるけど、予想だけど……文化祭の頃に何かあったよね?」
耳を傾けつつも作業をしていた美倉だったが、文化祭という単語が出た途端、びくっと肩を震わせてその手を止めた。
いくらなんでもあからさま過ぎる。
泉美と水城は顔を見合わせてくすりと笑った。
これまで聞く機会はなかった、というか聞かないようにしていた水城だが、興味自体は十分あった。
飛鳥の無粋な計らいによって、実は文化祭でのやり取りを直接見ていた泉美も、本人の口から聞くことには興味津々の様子だ。
両隣をそんな二人に囲まれた美倉。左右にババッと視線を送るも、当然ながら逃げ場はない。諦めた様子で一つ息を吐いてから、赤面しつつも話し始めた。
「……文化祭で、私怪我しそうになったでしょ? その時伊達君に助けられて、でもそれで伊達君が怪我しちゃったから、その時は逃げ出しちゃったの。……って、二人ともその時は居たんだっけ」
美倉が顔を向けるのに、水城は頷いて返した。
「すぐ近くにいたよ。でも逃げ出しちゃったってさ、アレは大声出した星野が最悪だっただけでしょ。伊達の怪我はともかく、由紀は悪くないよ」
「…………」
水城の言い分に僅かに眉を寄せるも、泉美は口をはさまずに聞き届けようとする。思わず、その手は止まってしまっていたが。
「あれは私の不注意だったけど……。でもそれから、なんとか気持ちを切り替えて舞台はやり遂げたんだけど、伊達君には謝ることもできてなくて……。その時に星野君に校舎裏に呼び出されてね、行ったら何故か、伊達君が居たの」
「…………」
今度は口をつぐんだのは水城だった。「なんで?」という質問をするほど、水城の察しは悪くない。
「ま、あれあいつの仕込みだしね」
泉美がぼそっと言わなくてもいいことを呟くが、美倉も分かっていたことなのか、むしろ楽しげに口元を緩ませるばかりだ。
「顔を合わせてすぐに謝ろうとした私に、「謝られたら負けるのが決まったみたいだろ」って言って、謝るなって言ってくれたんだ」
言葉を綴る美倉の心中は、まるで懐かしいアルバムをめくるようで、同時に僅かな期間でありながら、二人で築けた思い出の多さを実感していた。
ノロケとは少し違う雰囲気に、水城も優しい微笑みを浮かべる。
「伊達らしいね」
美倉は一つ頷いてから、また続けた。
「あの時の私は、それでも謝ろうとするのを止めなかったから、だから伊達君が約束してくれたの。必ず勝つって、どんなハンデがあっても一番でゴールするって」
「言うねぇ~、伊達。カッコいいじゃん」
冷やかすようで、それでいて祝福の気持ちを含んだ言葉を泉美が発する。
美倉は恥ずかしげに身じろぎするも、黙っていた水城の「もっと、続きはないのか」とでも言いたげな視線に気づいて、やや顔を赤くしながらも口を開いた。
「その後、伊達君に言われたの。必ず一位をとるって。……だから優勝したら、その時は大事な話があるんだって、言われたんだ」
「で、有言実行、優勝したってわけね」
この先の顛末は皆の知るところだ。美倉は頷いて、どこかふっきれた表情でこう締めくくった。
「うん。それでその大会の後に伊達君の所に行って、それで告白されたの。付き合うことになったのは、それからだよ」
言いきって、そうして少しだけ顔を伏せた美倉を跨ぐような形で、泉美と水城は視線を交わす。
何か言いたげに、しかし首を横に振った水城とは対照的に、泉美はあからさまにうらやましそうな声を上げる。
「いいなぁ、カレシ」
冗談のようにも、同時に真剣なようにも聞こえる言い方だった。
美倉は横目気味に泉美に視線を送るが、これと言って気の利いたセリフは出てこない。結局、口を開いたのは水城だった。
「泉美は、星野だっけ?」
「まぁね。まだ片思いだけど」
泉美が作っているチョコレートを指さして、水城が投げ掛けるダブルミーニングな質問の、泉美は片方だけを取り上げてそう答えた。本当に気にしていないかのように、泉美は軽い調子の声だ。
突っ込んでもいい話かと、水城は泉美のかもす雰囲気に乗っかった。
「泉美が片思いってのも、なんていうか似合わないよね。逆なイメージ。告白とかしないの?」
「したよ」
「まぁ…………え?」
「断られた」
あっさり答える泉美に、水城は面食らった様子で口をつぐんだ。
固まってしまった水城に顔を向けて、泉美はいたずらな笑みを浮かべる。
「と言っても、まだ終わったつもりもないけどね。今は地道にこんな感じ」
結局泉美の態度は、そうしてすぐに冗談めかしたものになってしまう。
なんだかんだと言って、彼女は自分を悲観していないし、ある意味ではこの片思いという状態すらほどほどに楽しんでいる。
そんな泉美の態度から、水城は余計な話をしてしまったわけではないと理解して、ため息と共に肩の力を抜いた。
ただその瞬間、泉美の鋭い視線が水城を射抜いた。
「で、悠乃? 聞きっぱなしってワケには……」
「いかないよねぇ~」
頬を引きつらせながら、水城はそろりと視線を外した。
そこに降りる僅かな沈黙の中、手を止めていた泉美と美倉は作業を再開させる。
プラスチックのぶつかり合う湿った音にまぎれて、泉美の声が水城の耳に届いた。
「悠乃は彼氏いないの?」
水城は一つ息を吐いて、ぶっきらぼうに答える。
「渡す相手いないって言ったじゃん」
「前は?」
「…………いた」
殊更言いたくなさそうな素振りを見せてから、水城は呟くような声音で答える。
視線はキッチンから見える窓の、さらにその外に向いていた。彼女はその先に、そう遠くない記憶を振りかえっていた。
自分が踏み込まれた腹いせに見せかけて、泉美は図々しく質問を重ねる。実際は単なる興味だ。
「新しく作ったりはしないの?」
「別れたの今年に入ってから。だから少し時間を置きたいの」
らしくない、と泉美は思わず言いたくなったが、そう言えるほど水城の恋愛観に詳しくもない。気の利いた言葉が出てこないとき、しかし話を終わらせたくないのであれば、むしろおとなしく口をつぐんでいるのが正しい。
黙って視線を向ける様が「なぜ?」と問うているように見えたのか、水城はやはり無表情に、しかし淡々と話し始める。
「……ノリで付き合い始めたとか、最初はホントそんな感じだったんだよ。でもいざ彼氏彼女って関係になったら……ふふっ、結構熱入っちゃってさ」
「別にそれはいいんじゃない?」
「うん、それはよかったよ、実際それなりに楽しかったし。でもまぁ、舞い上がってたって奴なのかな。……私だけが本気だったみたいに感じてきて、高校入学してからそんなに経たないうちに別れた。別れる直前なんかは相手を見て、こんな奴じゃ無かったとか思ったもんだけど、実際はそんな奴だったのかもしんないや」
自分の記憶を思い出しつつ話している水城だが、傍から見れば、まるで他人の気持ちを想像しながら語っているようにすら見えた。
それほどに、今の水城の心には動きがなかった。
そこに泉美は強く興味をひかれていた。
「なんで、そんな風になったの?」
「なんで……。んー……、まぁ自分勝手だったのよ、私も。好きで付き合った相手だったから、その全部が自分にとって好きな人だと思ってた、とかかな。理想を被せて、それを相手だと思いこんで、違うといちいち怒ってた。……恋愛脳って言うけど、私は恋愛向いてないね」
自嘲気味に呟いて、しかし水城は笑って泉美と美倉を見やった。
「ふふふ。ま、何にせよ相手のことはしっかり見てあげることだよ。それが自分のためにもなる。経験者は……んー」
「……かく語りき?」
何か言いたげながら言葉の出てこない様子の水城を横目に見て、美倉はぼそっと言う。
「そうそれ」
ひょいと軽く美倉を指さして、水城は笑って答えた。
結局水城は、ともすれば暗くなりそうな話題を、終始笑い話として語りきっていた。
泉美もそれに合わせるように、殊更軽い調子でこう呟く。
「はぁ、なんだか難しいのね~」
「そうよ、でも、だから楽しいんじゃない?」
水城の言葉に、泉美と美倉は顔を見合わせて肩をすくめるばかりだった。




