1章『立ちこめる暗雲』:4
その後は特にどうということもないまま、その日の授業は終わった。何か大事な話を聞いたような気がするが、飛鳥にはハッキリと思い出せない。まどろみに置いてきたのだ。
要は放課後の担任の話を9割方眠った状態で聞き流して、終わりの挨拶の音で目を覚ましたということである。
皆立ち上がって挨拶をしている中を堂々と腕枕でやり過ごしてから、目元を擦りながら頭を上げた飛鳥。だがその時には、クラスメイトも半数程度は教室から去った後だった。
誰にも起こされないのはいささか薄情なものではあるが、とはいえ毎度毎度のことなのだから、やはり問題があるとすれば、それは飛鳥自身にあるものだ。
自覚があってか、彼は特に愚痴も吐かない。
寝ぼけ眼を擦りながらでも、日々の習慣というのはそうそう忘れないものなのか、おぼつかない足取りながら、飛鳥は古技研の同好会室を経由して真っ直ぐに研究所へと向かった。
そんな彼の薄ぼんやりとした頭をわずかに覚醒させたのは、研究所を右へ左へと絶え間なく駆け抜けていた、言わば活気のようなものだった。
「おー……?」
なんだかまた忙しい用事でもあるのかと思った飛鳥だったが、よくよく見てみると、少し様子が違う。
忙しそうにしているのは研究者でもごく一部の者で、大半はいつも通りか、いつもよりむしろのんびりした雰囲気を漂わせていた。
「あー、アストラル、だな。こりゃ外か? ならアメリカか」
この研究所では、少数ながら機体ごとの専属の研究者がいるのだが、どうやら慌ただしくしているのはアストラルの専属の研究者が中心のようだった。それも大荷物をまとめている人が散見される辺り、研究所外での活動があることは想像できた。
となるとおおかた海外での開発や研究に駆り出されているパターンなのだが、基本的にはライセンス所有者である飛鳥達にはそういった予定は簡単にでも伝えられるものだ。省略されるのは、アメリカなど頻度の多いもので、今回少なくとも飛鳥は何も聞かされていない。彼の独り言の、推理の根拠はそんなところだった。
とはいえ、わかったところでどうということもない。
まぁいいやと適当に結論付けて、飛鳥は立ち止っていた足を再び動かし始めた。
例の如く休憩室を拠点にしているメンバーの元に、飛鳥は遅れてやってくる。
「あぁアスカ、遅かったじゃない」
「起こしてくれても良かっただろ」
「そもそも寝なきゃいいのに」
「まぁそうなんだけどさ」
怒った様子の無い文句と、悩んだ様子の無い返事を投げ合う飛鳥と泉美。
何やら膝の上に置いたタブレット端末を見ている泉美から目を離して、飛鳥はソファに鞄を放りつつその横にどさっと腰掛ける。
半端にまどろみを引きずっているせいで、途端に眠気に襲われる。これはまずいと、飛鳥は視界に止まった隼斗にとりあえず声をかけた。
「そういやなんかごちゃごちゃしてる人いたけど、またなんか合同研究でもあるのか? その割には割と落ち着いてる感じだけど」
「ごちゃごちゃって……」
言葉のチョイスが相変わらず雑な飛鳥に対して、立ったまま研究の資料に目を通していた隼斗は、苦笑気味にこう答えた。
「アルケインフォースとMSCから、2件ほど新しい装備の開発を持ち掛けられているんだ。慌ただしそうにしてるのは、それの準備だよ」
頭に入れていた情報なのか、隼斗は特に資料などを手に取ることもなくすらすらと答えた。
飛鳥はふぅん、と頷いてから続ける。
「装備ね、メンツ的に……やっぱ、アストラルか?」
「そうだよ。企画倒れだったアストラル用の叢雲ユニットと、確か開発が中止されたコードF用の装備を、アストラル向けに設計変更したものの二つだよ」
「ああ、それでその2社なのか。…………」
そう呟いて、飛鳥は視線を落とした。
「……アスカ、どうかしたかい?」
「いや、なんでも」
ふと黙りこんだ飛鳥は、隼斗の言葉に、少し遅れて首を横に振った。
「そうかい? ならいいけど……」
引っかかる物を感じつつも、隼斗は飛鳥の言葉を信用して頷いた。
叢雲ユニットは現在アメリカが保有するアーク・リンガーに使用されているものであり、コードF、つまりはアーク・フラッシュもアメリカが保有しているものだ。
ちなみに叢雲ユニットというのはアークに実体剣を使わせるための腕部の駆動強化ユニットのことで、振るうための実体剣を含んで総称されることもある。ここではアストラル用の実体剣も含んだ話だ。
もともと叢雲ユニットはアストラル用に構想され、しかし機体負荷の大きさと極めて限定的なパフォーマンスから、開発自体が見送られていたものだった。ただアストラルの拡張性の高さと、ジェネレーター出力からくる負荷許容量の大きさ、そしてリンガーに用いられた叢雲ユニットの稼働実績から、数年たった今になって計画が再始動することになったのだ。
「コードF用装備の方はこの研究所主導になるから、忙しくしてるのは基本的にはそっちの関係の人だね。叢雲関係でも、一部は駆りだされていると思うけど」
「叢雲関係っつーと、確か虎鉄がそうなんだっけ?」
「虎鉄が出した企画って所だね。主なメンバーは大体が今は駆動系の研究に回ってるよ。確か何人かはバーニングの専属にも回っていたと思うけど」
「へぇ、なんでバーニング?」
「まぁあの機体、全部が駆動強化ユニットみたいなものだから。あと忙しいのは、アストラルの専属の技術者だけど、そっちはほとんどがアメリカへ行った後だね」
隼斗の方は状況をしっかり把握しているのか、回答プラスαをすらすらと述べていた。
眠気を拭いきれない飛鳥にとっては話半分気味だったが、それでも必要なことは理解できたし、口を開いていくらか調子は戻った感覚があった。
ソファの背もたれに上半身を10割預けていた飛鳥が、そこでやっと少しだけ身体を持ち上げる。ぼんやりしていた頭を左右に振ると、両ひざに腕を置くように、今度は前のめり気味に座り直した。
そうして一つため息をついた飛鳥を、泉美はやや心配そうな表情で横から見つめる。
「どしたのアスカ、疲れてるの?」
「ちょっと寝不足なんだよ」
「いつもじゃない」
「いつもより、まぁちょっとだけさ」
肩が凝ったように首をぐるりと回した飛鳥は、低い声でそう答えた。
泉美は首を傾げて尋ねる。
「どうして?」
「ちょっと考えごとがあって」
「考えごと?」
「ああ」
首を傾げる泉美。
対して飛鳥は目を合わせることもなく、淡々と頷いた。
「……ふぅん」
詳しく話す気はなさそうなのを飛鳥の答えから察して、泉美は曖昧に頷いただけで、それ以上は深く突っ込まなかった。
飛鳥が僅かに険しい表情を浮かべたとき、ちょうど背中側のドアが開いて、遥と一葉が姿を現した。
「あら、みんな来ていたのね。今日は特に招集も掛けていなかったのに」
「みんな暇なんですよ」
「おい待て隼斗、サラッと巻き込むな」
「それ少なくともアスカの台詞じゃないわよ」
「3人とも相変わらずね」
勢いよく交わされる言葉に、遥はくすくすと肩を震わせた。
全体としては忙しくないという隼斗の言葉の通りか、珍しく手ぶらで部屋に入って来た遥と一葉。遥は何かと電子データより書面で情報を扱いたがるのもあって、書類を持ち歩いていることが多いのだが、今回はそれもない。
飛鳥の視線に気づいて、遥は掌を向けてぱたぱたと振って見せた。
「今日はこれと言ってやることが無いのよ。前まではコード解析があったけれど、今はそちらが一区切りついた形になるから。新しいことも、アメリカと共同開発をする装備のスケジュールが出来てからになるの」
「それで今日は、ってことなんすね」
「ええ。とは言っても、明日明後日で急に何かを始めるというわけでもないのだけれどね。動く人員と残る人員がハッキリしてから、ストップしていた研究が再開される形になるから、少しの休養のようなものよ」
実際に何もしていないということは当然無いのだが、正確には一部の研究がストップしているせいで手の空いた者が出ているという状況だった。そういう者たちが、さて優雅にティータイムなどと洒落込むことなどないのだから、やることと言えば担当とは違う研究への助力である。
そうして人が流れると、今度は遥など、全体の管理やサポートを主に行なっている管理側の仕事が減るという状況になる。遥が今、手空きにしているのは、彼女の所まで面倒な仕事が上がって来ないからだ。
「コード解析の詰めでしたよね。会長、結果はどうでした?」
「特に進展なし、残念だけどね。……心配しなくても大丈夫よ、そう急いてはいないから」
僅かに眉を寄せた隼斗の横を抜けながら、遥は囁くような声音で言う。
コンピューターの設置されたデスクに腰掛けながら、遥は据え付けられたモニタに指を走らせる。コンピューターの微かな起動音が、部屋のBGMを気取っているようだった。
ちなみにこのコンピューター、もともとはもっと簡易なものだったが、ライセンス所有者3人に引っ張られる形で遥の主な作業場にもなってしまっていたことから、より性能と使い勝手のいい物に付け替えられたのだ。
モニタを見もせずに、遥は表面に指先を走らせつつ、一葉と隼斗がソファに腰掛けたのを見てから口を開いた。
「まぁコードからの情報に関しては、あらかじめ見込んでいた分の情報だけが入った形になるわ。過不足なく。期待以上ではないだけで期待通りだったのだから、何も悪い部分はないわ。だからこれは一旦ここまで。で、今後のことだけれど、今のところは予定なし。実はアメリカから研究が持ち掛けられているのだけれど……、隼斗、少しは話してある?」
「ええ、簡単に。新規の開発があるということと、人が駆りだされているということと、それが叢雲と、そしてフラッシュからの流用であるということ。両方アストラルにものだというところまでです」
「ほとんど全部ね。いいわ、手間が省ける」
遥はそう言って、モニタの上で指先を軽く上にフリックする。
すると部屋の中心、3つのソファが囲む場所に配置されたガラステーブルの中に、ワイヤーフレームの3次元モデルがいくつか表示された。
「こんな機能あったんすね」
「確か一度ぐらいは使わなかったかしら? これで値が張る物だから、腐らせるものでもないでしょう?」
おどけた態度でそう言ってから、遥は真剣な表情に戻ってこう続けた。
「開発予定なのは聞いている通り二つ、弐式叢雲A型とフォーミュラ1号機。ただ叢雲に関してはアルケインフォース製の物がベースになることもあって、私もあまり詳しくはないから、気になるようだったら虎鉄辺りに直接聞いてちょうだい。私からは簡単な説明になるけど、もう一つの方ね」
遥はガラステーブルの内部に表示された3Dモデルを指さす。
ゴテついたバイクのようにも見える、2輪の装備だ。身につける装備というより、上に乗る物であることが、その姿から容易に想像できた。
「フォーミュラ1号機というのは、もとはフラッシュ用に設計された積載・機動強化ユニットのことなの。で、ほぼ設計が固まって製造に取り掛かり始めた段階で、アルフレッド君の要望で仕様の大幅な変更が行われたのよ。結果その計画は一旦凍結されて、開発は1から設計された2号機に引き継がれたの。凍結された1号機の設計はしばらくそのままだったのだけれど、最近、あぶれた1号機の設計を利用してもらえないかということで、私たちのところに話がきたっていうわけ」
「設計だけでわざわざ引き継いだりするもんなんですね。製造とか、ほとんどやってないんでしょ?」
ある程度研究にも積極的に協力しているものの、設計など、特に専門的な分野の価値についてまでは正しくイメージできていない。
遥は小さく笑って、
「設計にもかなりのコストがかかるのよ。各部の試作や実験も含むから。ただまぁ、本来自分たちが持つ極秘の技術の塊だからおいそれと余所には見せられないものなのだけれど、今回は開発自体をほぼ東洞が受け持つ形になったから、実現したともいえるわね。物を作るということより、互いの技術を吸収することのほうが目的になっているの」
そのためだけに装置一つを作り上げるのはなかなか大げさなものだが、東洞側が受け持つとなれば、それに足る価値があるということなのだろう。
どうあれ、飛鳥がやることは基本的には一つだ。機体の動作それ自体や、他にはパイロットの情報や感性が必要なら、必要に応じて協力するのみだ。
「それって、俺は何か手伝わなくていいんですか?」
「うーん、今回は機体にしても数字の情報が揃っていれば作れるものになるから、完成した後の動作実験まで、機体もパイロットも、出番は無いと思うわ。気にしなくて大丈夫よ」
「ああ、機体も持って行かないんだ」
本当に自分に関わる範囲ではほとんど変化がなさそうだな、と飛鳥は肩をすくめた。
それとなく視線を遥の方に向ければ、早くも手元のモニタに意識を集中させている姿が見える。
その奥に、壁に雑に掛けられたカレンダーが見えて、彼は微かにため息をついた。
「なんか、色々ある割にはいつも通りっすね」
「そうねぇ、忙しい人は忙しいんだけど」
言葉の裏など察しもせず、遥はモニタに視線を向けたまま、ながら返事をするばかり。
視線を辿ってか、頼んでもいないのに意図に気付いた泉美が、隣で噴き出してしまうものだから、飛鳥はしかめっ面になって、彼女の脇腹を肘でつつくのだった。




