エピローグ Ark-Memory_5
巨人を祭る祭壇のような場所の上で、階段に腰掛けていた少女。
白い衣を纏った彼女の姿に、俺の目は吸い寄せられていた。
その背後で片膝を立てている巨人の姿すら、前に居る少女の形容しがたい美しさの前に霞んでいる。
少女が片手をゆっくりと掲げた。その掌に、小さな蒼い火種が灯った。
彼女がその手をふわりと払うと、白磁のような手に宿る火種がゆっくりと宙を舞う。
「…………」
その神秘的な光景に、俺は言葉を失っていた。
浮かぶ火種は風に流れる綿毛のように宙を進むと、神殿の壁に掛けられていた透明な器にするりともぐりこむ。
ランタンのような器の蓋がひとりでに閉じた。パタンという微かな音が、静謐な神殿に響く。
すると消えかけにも見えた頼りない火種が、その勢いを増した。
薄暗闇に軌跡を残した小さな蛍が、神殿の闇を照らす灯りになる。
少女が今度は逆の手を払うと、対面の壁に掛けられていた器にも火が灯り、神殿が明るく照らされる。
「アルマ」
人知を超えたその力に唖然としていた俺の名を、少女は呼ぶ。
はっと気付いて目を向ける俺に、彼女は慈愛に満ちた微笑みを向けた。
「貴方は、一体…………」
俺は彼女を見上げたまま、茫然と呟いていた。
彼女は微笑みを崩さぬまま、透き通るような声で答える。
「私はイリス。この場所で、巫女として神託を告げる者です」
小さな声でありながら、茫然としている俺にもはっきりと聞き取れた。
巫女、という言葉の理解に数瞬を要した。その意味に気づいてすぐ、俺は祭壇の前に慌てて跪いた。
「そう畏まらなくてもいいですよ」
頭を垂れる俺を見て、イリスは小さく笑う。
「顔を上げなさい、アルマ」
俺は片膝を突いたまま、言われた通りに顔を上げる。
いつの間にか立ち上がっていたイリスは、その後ろで、今の俺と同じように片膝をついている巨人の前に立った。
俺が神と巫女の前に跪いているとすれば、あの巨人は何に対してそれを向けているのだろう。そんな考えが脳裏をよぎる。
「まだ、その時ではありませんが……」
背後で片膝を立てる巨人に、イリスは手を伸ばした。
地下深くでありながら、天井に空いた穴から注ぐ月明かりが、巨人を青白く照らしている。
イリスがなびかせる銀の髪に、月の光が虹色に反射する。
「その巨人は……?」
見上げ呟く俺に、イリスは答える。
「これはアーク。いずれ、この終わりゆく世界を変えてくれる力です」
「この世界を、変える……」
「見てきたのでしょう? 長い旅を、貴方は終えたのですから」
俺は頷いた。
俺の住むこの街では7年に一度、3人の子供を選んで、世界を渡る旅をさせるならわしがある。俺は7年前にそれに選ばれ、なんとか生きて帰ることができた。
共に旅をした幼馴染のミルラと、俺の兄ブルディは神の元へ旅立ってしまったが。
顔を俯けて、俺は瞑目する。
「はい……」
そう答えた俺の声は、震えていただろうか。
今更になって、全てを終えたのだと自覚出来た。それと同時に、もう二度と会えないだろう二人の姿が、瞼の裏に蘇った。
「……こちらに来なさい、アルマ」
慈愛に満ちたイリスの声に、俺は名も知らぬ母の声を思い出した。
引き寄せられるように立ち上がり、祭壇へ続く階段を上る。
イリスと、その後ろに立つ巨人と同じ高さに辿りついて、もう一度そこに跪いた。
「よくぞ帰ってきてくれました、アルマ。これで貴方が、明日の世の光となるのです」
「はい……」
頷く事しか、俺にはできなかった。
生まれてから重ね続けてきたいくつもの別れが、今になって俺の心を突きさしている。
もはや立ち上がることすら出来ず、ただ頭を垂れ続ける俺を、イリスは静かに抱き締めた。
「辛かったでしょう、苦しかったでしょう。けれどどうか悲しまないで、アルマ。貴方が生きて帰って来られたことが、これまでに旅をし続けてきた者たちへの、何よりの報いとなるのですから」
そう言って、イリスは俺の頭を胸元に抱き寄せる。
「…………、……っ」
嗚咽が喉から溢れた。
数年ぶりの人のぬくもりに、堰き止めていた感情が溢れたのだ。
別れた全ての者たちは、みな神の元へ旅立ったのだと、そう自らに言い聞かせてきた。
神の前であるこの場所で、別れを惜しむなどあってはならない。そう理解していながら、俺の心は叫ぶことを止めてくれなかった。
そんな俺を優しく抱きしめて、イリスは囁く。
「貴方の涙を、今は私が許しましょう。だから思うままになさい。ここでその羽を休めるのです」
答える言葉は出ない。
それさえも、イリスは、巫女は許してくれていた。
「旅の意味を、ここで伝えます。そして貴方に一つの力を授けましょう。この閉じてしまった世界を開く、貴方だけの力を」
縋る俺と、支えてくれるイリス。
差し込む月明かりが、抱き合う俺達を照らす。
跪く巨人が、そんな俺達を見守ってくれているようだった。
方舟は、そうしてまた夢を見る。




