4章『始祖の末裔』:5
「そんな……、アークは…………」
自分が操る力のそんな目的を示されて、飛鳥は言葉を失った。
無表情に、少女はただ続ける。
「そんなものさ、あの力は。過ちだった歴史を清算し、その始まりを変えてもう一度全てをやり直す。過去においては、アークが持つ全ての力で以って、大地に僅かに残った人類と、欠片のような文明を消し去ったんだ。そしてそのアークを操り、一人残った人間を起点に人類の歴史を再び始めた」
それがこの世界に続いているとでも言うのだろうか。全ての文明が消えて、しかしアークだけがこの時代にまであるということはそういうことなのか。世界を滅ぼす等という大きすぎる話に、飛鳥の理解は追い付いていなかった。
それでも、たった一人を残して、という点が飛鳥には引っかかった。
疑問を声に出す前に、答えは少女の口から発せられる。
「アークに記録された始祖の遺伝子、もう知っているな? 今の通しは『second Adam』と『Third Eve』だったか。あれはそういう存在がいたのではなく、巫女を模して造られた遺伝子なんだよ。そう……。最後に残った人類の、その番いとして作られる、人造人間だ」
「は…………?」
有性生殖を行う生物である人間は、一個体では種を増やすことはできない。どうしても、その番いとなる別性の固体が必要になる。
当たり前のことだった。
当たり前のことだったが、その言葉の衝撃は計り知れないものだった。
「人造……、人間……!? 人間を作るってのか? アークが!?」
「できないわけではない。そもそもさほど難しいことでもない。種の繁栄を目的としたうえで、たった一人だけが生き残るという状況を想定していたのなら、至極合理的な対策だ。巫女が持つ遺伝子を使ったのも、その後確実に種を残せる優秀な個体だったからだ」
まるで何事でも無いかのように淡々と続ける少女の言葉に、飛鳥はもう付いて行けなかった。
混乱でまともな思考ができなくなりかけたところで、飛鳥は頭を振ってなんとか頭を落ちつけようとする。
「ちょ……っと待ってくれ、じゃ、じゃあお前、お前や遥さんは……、始祖の末裔ってのはどうなるんだよ!?」
「始祖の末裔は巫女を模して造られた始祖、その遺伝子を宿した存在だ。巫女は人の進化の可能性の一つであるとすれば、人類は全て巫女の遺伝子、つまりは始祖の遺伝子を内包しているともいえる。それが発露したのが始祖の末裔だ。アークの出現に伴い世界のどこかしらで散発的に生まれてくる。アークというシステムを円滑に動かすために、そのライセンスを持つに足る者を導く役割を与えられてな」
「役割、だと……?」
始祖の末裔という名は、アークからもたらされたものだ。目の前の少女の言葉を全面的に信用する事にはなるが、アークが実行するというシステムに内包された要素の一つであれば、それにシステムに関連する役割があることになる。
だがそれが事実であれば、目の前の少女のように、遥もまた始祖の末裔としての役割が与えられていることになる。それはいつか飛鳥が否定した、生まれや遺伝子やらで決まる生き方ではないか。
「嘘、だろ。じゃあ、遥さんも……」
否定したかった。口を突いて出た言葉は、そんな気持ちの表れだった。
「さあな」
少女は飛鳥の気持ちをくみ取ったわけではない。ただ事実として首を横に振った。
「生まれたときからやらなければならないことがはっきりしているわけではない。ただアークに関わり、その力に触れる中で、世界の記憶に近付いて行く。私達はそういう風にできているんだ。そいつがどこまで触れているかは、当人にしかわからんだろう。それをどう思うかも当人次第だ。意思をそれに支配されるかどうかもな。ただ私は私の意思でやっている。過去の記憶など、ただ知っているだけに過ぎない」
こうして飛鳥の前に現れ、語るだけ語っておきながら、少女はそう言ってのけた。
ならばなぜ、と飛鳥の疑問を口に出す前に、少女は答える。
「事実として、人類が滅ぶのはそう遠くない未来の話だ。アークが現れたということは、つまりはそういうことだからな。であれば、アークのシステムに滞りがあってはならない」
「……ならお前は、この世界を滅ぼしたいってのか? 修復できる形だとしても、結局一人以外全員死なせるってことなんだろ」
「滅ぼしたいだけなら、私は何もしなくていい。いずれシステムが条件を満たして、勝手にこの世界を消すだろうさ。問題はその後だ。過去にアークが世界を滅ぼして、やり直しても、今また滅びの時を迎えている。愚かにも人は歴史を繰り返しているんだ。アークの計画において、始祖たる一人の意思は重い。その一人が意思なき者であったなら、また次の世界でも滅びを繰り返すだろう。……君のことだよ」
「――っ」
ギリッ、と飛鳥は奥歯を軋ませる。
理不尽な言葉だった。
「だったら俺に何をしろってんだ。お前の言ってることが事実だとして! その滅びって奴が回避できないなら俺に何の意思を持てって……。ふざけてる、修復できるかできないかの違いだけで、結局全部無くなるのが同じなら意思なんて持ってどうなる! 人類って奴のためか? そんなもんのためにか? 知ったこっちゃねぇぞ。押しつけるだけで、ならお前が勝手にやってりゃいい! 従う義理がどこにある」
「なら抗え」
激昂する飛鳥に、少女は一言そう答えた。
「言っただろう、滅んで欲しいわけではない。まぁ滅んで欲しくないと思っているわけでもないが。だが避けられないなら、マシな世界を作れる人間に託したいんだ。私に滅ぶかどうかを決める力など無い。それは君たちが決めることだ」
試すように、少女は飛鳥を指さす。
「アークは兵器とはいえ、所詮ただの力だ。扱う者の意思によって何者にでも成れる。滅びを望むならそうなるし、ただ流されるまま行くならシステムが結末を決める。だがもし、人に修正不可能な滅びを乗り越える力があると示せるならば、アークは滅びを起こさないだろう。アークが世界をやり直すのは、破滅を迎えることの無い、存続可能な人類史を探すためなのだからな」
「…………」
「勝ち残れ、全て消えてなくなるのが嫌ならば。そして示せ、今この世界に生きる人間の強さをな」
その突き離したような物言いは、まるで自分は人間ではないとでも言うかのようだった。
「まぁ、君は最後まで戦うことになるだろうさ。今世界でもっとも多くのコードを持つのは君だから。より大きなアークの力を求める者は、まず君とコードAを討つことを考えるだろう。戦いはもう避けられない。いつのことと思っているかは知らんが、猶予は無いぞ。最初に言った通りだ」
「だからこうして現れた、ってことか」
少女は頷く。
「もう一人、目をつけている者がいる。その者はもう、世界を滅ぼしやり直すべきだと考えているぞ。この世界を続けても価値ある未来は無いとな」
「なんだって……!?」
「絶望してしかるべき生き方をしてきたんだ。今の君では想像もできないだろうが。その上で立ち上がり、この世界を終わらせると決めた。それがどれほどの覚悟かは、もはや私にもわからない。だが少なくとも、今の君に勝てる力ではないだろう。意思なき戦いを繰り返し、自分の力に意味を持たせられない君には」
それが誰かを、少女は語らない。
少女がわからないと言ったことは、飛鳥にもわからなかった。何故滅ぼす必要があるのかと、相手の境遇などまるで知らぬまま、一方的にそう思ってしまうほどに。
「今の君は、戦う理由も何もかも、全て誰かに押し付けている。それはつまり、孤独の中で絶望に立ち向かう覚悟を持てないことの、何よりの証拠だ。故に君自身が意思を持たなければならない、君自身の中にだ。今、とは言わない。だが近いうちに、君はまた戦うことになるだろう。そのときにまだ決意を持てないなら、もはや君に資格はない。アークは、その力は君自身に悲劇を生むだろう。だから望まぬとも、君は君の戦いに意味を示せ。君が力を振るう理由を。それを決めるのはアークではない、君だ」
「戦いの、意味……」
奇しくもそれは、アーク研究の第一人者である御影が飛鳥に対して語ったことと似ていた。アークの力に触れその真理に近付いた者は、同じ答えに行きついてしまうのだろうか。
だがそのことに考えが及んだとき、飛鳥は急速に冷静さを取り戻す自分に気づいていた。
「望むならば、私が君を導こう。君の望むままに、君の望む世界へ。もう一人の、滅びを望む者と同じようにな」
口を閉ざし拳を握る飛鳥に、少女は構わず続ける。
「私は、始祖の末裔はそのための存在だ。人の強い意志を、アークを介して世界に示す。君の望みがいかなものであろうとも、私はそうなる世界へと君の力を導こう。…………さあ、どうする?」
ポケットにつっこんでいた手を前へ伸ばして、少女は怪しく笑みを浮かべる。
妖艶で、どこか恐ろしい誘惑だ。まるで悪魔のそれのような、だが悪意ではない誘い。
「…………」
飛鳥はすぐには答えられなかった。
だがそれは結論を避けたのではなく、そこに差し出された安易な答えに縋らないための決意を固めていたのだ。
「いらない」
「……ほう」
感心したように目を見開く少女に、飛鳥は右手の甲を示した。そこに『A』という文字が青白い光を伴って浮かび上がる。
「俺が考えて、俺が決める。……俺の力だ」
少女はニヤリと笑って、差しのべていた手をひっこめた。
「それでいい」
楽しげな口調は、彼女の背中越しに聞こえた。振り向いた彼女は空を見上げながら、どこか嬉しげに続ける。
「そう言ってくれると思っていたよ。……ならば、君の力は君自身が導け。それが明日の世界を決める」
呟いて、少女は一歩前へと踏み出す。
「……行くのか?」
「所詮私には力がない。語り、望まれれば導くだけの存在だ。君が君の意思で決めると言うならば、私は君にとって無用の存在だろう? まぁ、これが私のやり方なんだ」
少女は当たり前のようにそう語る。
その口ぶりは、飛鳥にはどこか寂しげに聞こえた。役割にとらわれ自己を持てないことへの、空虚な感情に思えたのだ。
「名前、教えてくれよ」
「…………?」
振り返って、少女は首を傾げた。
「ここで会ったことに、意味はあったんだろ。……だったら」
「…………ふふっ、ふふふっ、……もう会うこともないだろうに、それを求めるか。合理からかけ離れた考え方だな。君のような者がアークに乗る、それも因果か。世界はまだ分からないものだな」
愉快そうに肩を震わせると、少女は外していたフードを被りつつ、横目にこう答える。
「ダチュラだ。そう呼んでくれればいい」
気分を良くしたように微笑むと、ついでにと少女は続ける。
「……『アヌビス』、この名を覚えておけ。それが動き出せば、もう答えを先送りにはできなくなる。君の意思が、この世界を変えることを望んでいるよ」
それだけ言うと、ダチュラと名乗った少女は背中を向けて歩いて行く。
黒いパーカーに包まれた後ろ姿が、夜の闇へと消えて行った。
ダチュラは街灯だけが照らす暗い道を歩いていた。
曲がり角に差し掛かった時、おもむろにその足を止めた。
「終わったのか?」
そこにいた女性に、ダチュラは振り返ることもなく尋ねる。
答えるように暗闇から姿を現したのは、黒いコートを纏った長身の女性。
「――亜紀」
月見遥の母、月見亜紀だった。
「ええ」
亜紀は頷いて、コートの内ポケットから小型のメモリを取り出し軽く振った。
そこには星印学園地下研究所での研究で得られた、研究成果の一部が収められている。
「そのまま出すのか?」
「今回は大丈夫そう。タイミングが良かったみたいだわ」
尋ねるダチュラに、亜紀は首肯して答えた。
「しかし、そろそろ限界だとは思うがな」
「そうね……。これ以上隠し続けるのはマズイわね、彼の身の危険にも繋がりかねないし」
「御影も仕込みに気付いて合わせてくれているが、完璧に意思疎通が出来ているわけでもない。……スパイの差し替えという発想自体は悪くないが、穴が二つになると考えれば、リスクも大きくなっているな。まぁどのみち折り返しに至った時点で、あとは時間の問題だ。もしコードAがさらなる力を示せば、次は交渉の段階に入る。そうなれば隠すことは不可能になる。潮時だ」
「本当は、全部終わるまで隠していたかったのだけど……」
腕を組んだ亜紀は、悩ましげにそう呟く。
その話は、きっと彼女らにしかわからないことだ。世界の裏で暗躍する者たちを、さらに裏から出し抜こうとする彼女らにしか。
亜紀は頭を振る。ここで考えても仕方の無いことだった。
「今回は運良く切り抜けられた、で今はいいでしょう。それより遥、あなたは……」
「やめてくれ」
亜紀の言葉を遮って、ダチュラは不機嫌そうに顔を背けた。
娘の名で自分を呼ぶ亜紀に、彼女は強い嫌悪感を抱いたのだ。
「こんな所でまであの子の代わりをさせるな。私はお前の人形じゃないんだ」
「……ごめんなさい」
僅かに目を逸らしつつ、亜紀は消え入るようなそう述べた。
パーカーの先を摘んで引っ張っているダチュラの背に向けて、亜紀は尋ね直す。
「ダチュラ、あなた星野君に会って来たの?」
「話をしてきた。持てあましていたしな」
「あまり必要のない事は……」
「わきまえている。少しからかってみただけだ。興味はあったしな」
一見平坦に聞こえる口調で答えるダチュラ。
だが亜紀は、その中にある僅かな心の機微をくみ取っていた。
「どうだった、彼は?」
「つまらない人だったよ」
口元に笑みを浮かべて、ダチュラは答える。
「非力で、愚かで、ありきたりな少年だ。自分の行く先すらわかっていない」
「それだけ?」
「まさか」
ダチュラは首を横に振る。
楽しげに問うのは、亜紀も同様だった。ダチュラの口から飛鳥の評価を聞くことに、強い関心を抱いていたのだ。
「彼は暗闇を臆さず進める力を持っている。これまでに誰も選ばなかった道だとしても、彼ならその導に成れるだろう。少々即物的なのが、気にはなるが。それも人間らしくはあるか。……所詮、人は過ちを犯す生き物だと歴史は嘯くが。であれば人の価値は、過ちを糧に自分と他者を変えていけるかにある。彼は信頼できるよ」
「ふふっ、いいわね、私の見立ても間違いなかったみたい。……それより、何か良いことあったの?」
饒舌なダチュラを見て、亜紀は優しく、それでいて悪戯っぽい笑みを浮かべて問う。
ああ、とダチュラは頷いた。
「……名前を聞かれたんだ」
「名前を?…………そう」
「私を見ていたよ、彼は。この血ではなく、私自身を。……ふふふっ、久々だ、こんな感覚は」
「嬉しかったのね」
「柄にもなく、な」
どこか恥ずかしそうに答えたダチュラは、振り払うように一歩を踏み出した。
「そろそろ時間だ、亜紀」
「そうね、帰りましょうか」
「ああ、帰ろう」
歩きだしたダチュラは、空に浮かぶ月を見上げて呟く。
「――――アヌビスに」




