4章『始祖の末裔』:4
「違う」
と、少女は言った。
言って、彼女は頭を覆っていたフードを外した。
瑠璃色の瞳と銀色の髪に変化はない。だがその銀髪が肩の高さで短く切りそろえられているのを見て、彼女の言葉が嘘ではないのだと感じた。
「だが同類ではある。……ふふっ」
怪しく笑いながら、彼女は両耳を覆っている大きなシルバーのヘッドホンの位置を整える。
彼女はパーカーのポケットに手を突っ込み直すと、言葉を失ったままの飛鳥に対してこう言った。
「そう身構えるな。別に何もしない、君が望まない限りは」
「…………」
短く息を吐いて、飛鳥は身体の力を抜く。いつの間にか強く握りしめていた拳を緩めて、両手を軽く握る開くと数度繰り返した。
わずかに屈めていた腰を伸ばして、少女と正対する。
「何者だ、お前」
力を抜いたつもりでも、口調の剣呑さまでは消えなかった。彼自身には分からないが、恐らく表情も険しいものだっただろう。
少女は愉快そうに目を細めて、しかし平坦な口調で答える。
「今言った通りだ。そして見て分かる通りでもある。同類だよ、君のところのお姫様と」
「は、…………っ」
「月見遥。隠さなくても、名前は知っているぞ?」
名前を出すべきではないと慌てて口をつぐんだにもかかわらず、少女は当り前のようにその名を口にした。
「どこまで……」
「君が気に掛ける程度の事なら恐らく全て。むしろ君の知識の方が不足しているだろうな」
底知れない。
目の前の少女は初対面の人間なのに、まるで頭の中が覗きこまれているような気がした。飛鳥の背を悪寒が走る。
全てを知っているという言葉が、飛鳥にはハッタリに聞こえなかった。戸惑いを隠せない表情の飛鳥を見ながら、少女は少し面倒そうに続ける。
「さて、何を語ればいいのやら。君がどこまで知っているかで変わるのだが。……始祖の末裔、私はそういう存在だ。聞き覚えはあるだろう?」
「始祖の、末裔……」
「どうだ?」
念押すように、少女は尋ねる。
飛鳥は表情を動かさないまま、小さく首を縦に振った。
少女は何かを指折り数えながら、納得した様子で頷く。
「1,2の……先日の分で合計13か。それだけコードを集めればさすがに開示されているか。それにある程度は最初の世界のこともいくらか見ているだろうしな」
「そんなことまで……」
「同じ話をする気はないぞ」
飛鳥の言葉を遮って、少女は苛立った様子で告げた。
飛鳥は唇を噛んで被りを振ると、こう尋ね返す。
「最初の世界……、あの夢のことか?」
「夢? ああ、君はそういう形で見ているのか。記憶だよ、あの時代に生きた人間の。それはわかるだろう? あれはそうと気付くように出来ているものだ。……ふふっ。ともあれ、やっと疑いは晴れたようだな」
飛鳥の言葉から、少女の認識に対する疑念が消えていたのを読み取って、彼女はまた笑う。
「ああそうか、そういえばもう13か。せいぜい半年程度だろうに、よくそこまで集めたものだ。感心するよ。そして少し恐ろしくもある。他の者とは倍以上の差がある」
「お前、俺だけじゃなくて、他の奴らのコードも……?」
「その通りだ。全て即時に把握できるわけではないがな。他に多く集めたものでせいぜいが8程度か。これも君のところのコードHだったな。それが最大だ」
やはり自分の集めたコードの数は多いのか、と飛鳥は顔をわずかに俯けて呟く。
その小さな声を聞き取って、少女は頷いた。
「多いさ。これほどまでに短期間で半数のコードを集めたのは過去に例がない。だからこそ、私がこうしてやってきたんだ」
言うだけ言って、少女はぼんやりと空を見上げる。
「やはり、この世界は争いに慣れている。戦争が歴史を動かすとはよく言ったものだ。そうして己を皮肉ることができるのは人間らしいが、自覚があって繰り返すのも人間らしい。全く愚かだよ。……そうは思わないか?」
「……さあ」
妙に達観したような言葉を受けても、飛鳥には同意も否定もできなかった。
「君はそうだろうな」
最初から答えなど求めていなかったかのように、少女は表情を変えないまま上に向けていた視線を下ろす。
「そういう意味では、流され続けてここまで来たということか。危ういな、自覚はあるか?」
「それは……」
図星を突かれて、飛鳥は口ごもる。反論の余地は無かった。
飛鳥が答えを返せなくなっても、少女は何も言わなかった。ただ内容に関わらず、飛鳥の口から答えが返されるのを待っていたのだ。
苦々しげに顔を俯けたまま、飛鳥は微かに首を横に振る。
「わかってる。……けどわからないんだ」
「何が、ということか。ありきたりだが、仕方なくもあるだろうな。こんな場所では」
少女は静けさに包まれた町並みを無表情に眺めてそう言った。
そして、その言葉もまた事実だった。
現状最も多くのコードを集めているのは飛鳥とアストラルだ。アーク同士の戦いの、言わば最前線に居ながら、飛鳥は本当の意味での戦いというのを感じたことは無い。
戦争をにおわせるような情報や、徐々に張り詰めて行く国家間の緊張に晒されながらも、飛鳥は実際に戦うということがどういうことなのかを、感覚的には理解できないままだった。
理解しようという努力は飛鳥なりにしてきてはいるが、結局、長い年月をかけて培われてきた価値観をひっくり返すのは、ただ純粋に難しいことなのだ。
「自覚しているだけマシだろうが……。まぁ時が来れば、君も必要なことは理解するだろう。そうでなければ、また私が来るだけの話だ。ただ、その時というのは君が思っているより早く来る事になる」
「…………、お前は何がしたいんだ? なんで俺の前に」
少女に対する不信感はまるで拭えないが、それでいてどういうわけか悪意だけは感じなかった。目的が見えない不安を払おうと、飛鳥は根本的なところを尋ねる。
彼ははぐらかされると思っていた。しかし少女は迷わず答えた。
「是正だ。今の君の認識のままでは、君ではない者の意思で、君――ひいては世界の行く末が決まってしまう。それではアークというシステムの要求を満たせない。率直に言えば、今の君にアークはふさわしくない」
「っ…………」
遠慮のない少女の物言いに、飛鳥は気押されたように押し黙る。
「君自身が追いつけないほどに、君は少し早すぎる。本来なら時を待てば良いだけのことだったが、恐らくそれでは君が自覚を持つ前に世界の行く末が決まってしまう。それは本意ではない。だから考えるきっかけぐらいは与えてやろうとな。こういうことは自分で気付くべきだが、もう動きだした者もいることだしな」
「動きだした……? 何の話をしてる?」
「与太話だ。君にはまだ関係は無い」
まるで理解させる気の無い少女の言葉を受けて、飛鳥は思わず顔をしかめた。
彼の表情を意にも介さず、少女はただ一方的に語り続ける。
「人類を選別する。それがアークの作られた目的だ」
「選……別……?」
不穏な言葉に、飛鳥の表情がこわばる。
記憶を手繰るように目を閉じた少女が静かに語った。
「少し昔話をしよう。……かつてこの大地は、海は、人間のものだった。今の世界と同じ。そして今よりも遥かに栄華を極めていた。必要なものは全て自分たちで生み出し、他の何者の手も借りずに世界を支配していたんだ。あるいはこの大地ですら、彼らにとっては足をつけるための場所でしかなかったのだろうな」
足元を靴のつま先で軽く叩いてため息をつくと、少女は俯き気味に続ける。
「彼らが築き上げた技術は強大だった。アークを1から作り上げるに足る技術があったと言えば、それもわかるだろう? ことその時代に限っては、アークなど汎用品に過ぎなかっただろうがな。極端な言い方をすれば、個人が望むようなものは世界中全ての人間が手に入れることができた時代だったろう。病はなく、飢えもなく、老いすら遅らせ、死を遠ざけた世界。そこで人は思うままに生き、欲しいままに得続けたのさ。だがそんな世界でありながら、彼らは戦争を起こした。そこにアーク、それに類似したものが使われたんだ」
「なんで……」
望むものが全て手に入るなら、何のために争う必要があるのか。訝しげに眉を寄せる飛鳥に、少女はひらりと手を払ってみせた。
「結局は同じさ、この世界の歴史と。どうしても作り出せない数限りあるものは、奪うより他にない。その時代では、人が生きるための最低限必要な空間だった。再現無く増え続ける人口を支えられるほど、世界は大きくない。であれば、奪い合うより他ないだろう。戦争が起こり、そして終わった。一月と待たず、99%以上の人間がその世界から姿を消したよ。残ったのは数えるほどしかいない人間と、わずかな文明の残滓と、そして破壊されつくした環境だった。人のエゴが起こした戦いの結末はそんなものだったんだ」
飛鳥はまたしても言葉を失ってしまう。あまりにも悲惨すぎる人間の末路と、それを他愛のない昔話のように語る少女の姿に。
「そこまで破壊されつくして、またその数を無節操に増やせるほど、人は強くなかった。残った人間は世界のあちこちに散った文明の欠片に縋り生きた。そうして世界を埋め尽くした人類の文明は、26の小さな集団へと姿を変えた。彼らのすがった文明の欠片というのが、人間を支えた文明を塵に砕いた兵器の一つだったのは、皮肉ではあるな」
「26……、もしかして、それがアークか?」
「その原型になったものだ。少数の人間とはいえ、生きるためにはエネルギーが要る。その供給源として、兵器のコアから放たれるエネルギーを利用したんだ。まぁ壊れかけのコア一つで大した力が出せるわけでもない。人間の生活水準は目に見えて下がっていた。数百年、いや数千年単位で逆行したと言っていいだろう」
数千年というのは、少女の話す時代の人間が重ねた歴史での話だ。飛鳥達が生きる時代における数千年前の水準とはいくらか差がある。
一度言葉を切った少女は、肩が凝りでもしたように首を左右に傾けてから、こう続けた。
「まぁ、それが一度世界が滅びかけた時の話だ」
「滅びかけたって、それが、世界が滅んだっていうことじゃないのか?」
「まだ文明は残っているだろう。とはいえ、人間はそこから繁栄する事は無かったがな」
空を仰いで、彼女は瞑目する。
「僅かばかりの文明にしがみつき生きる彼らに再び種を繁栄させる力は無かった。時が流れ、最盛期の文明を小規模ながら再現できるようになっても、それが変わることはない。縋る人型の残骸を神に見立て、文化すら退化させてひっそりと生きた。まるで老人が余生を過ごすようにな。わかるか? もう人類は死につつあったんだ。緩やかな、種としての死を迎えていた」
「緩やかな……死……」
「聞き覚えがあるという顔だな。ふふふっ、なるほど、ここまでで折り返しということか」
口の端を釣り上げて、少女は愉快そうに肩を震わせる。
飛鳥は目を見開いていた。
彼女の語った、緩やかな死。それはEUとの戦いで3つのコードを手に入れた飛鳥が、その数日後に見た夢、過去の記憶で耳にした言葉だったからだ。
話は早いと頷いて、少女は再び口を開いた。
「そんな時代に、後に巫女と呼ばれる人間が現れた。巫女は世界の全てを知り、人には真似できない自然を超越した現象を起こす力を持っていた。そして同じ巫女と呼ばれる者たちと、どれだけ離れていようと常に思考を共有することも」
少女はその存在を、神が種としての死を迎えた人類に手を差し伸べたのだと例えた。
「超常的な力を持っていた巫女は、人々に畏れられ、神の使いと呼ばれた。巫女というのはそういうことだ。何の因果か、26の文明全てで巫女は生まれていてな。旧時代の遺物である神の偶像と共に、人々の信仰の対象になったんだ。巫女は憂いていた、人類の未来を。だから一つのシステムを作り上げた。人類が致命的な破滅に直面した時、修復可能な形で全てを滅ぼし、たった一人の人間を起点に最初から世界をやり直すシステムをな」
飛鳥の背筋が凍った。
それは少女の言葉に対して驚愕したからでもあったが、それだけではなかった。
これから彼女が言おうとしている言葉に、恐怖を感じたのだ。
「そのシステムの中核として、旧時代が戦争の果てに遺した技術を基に、巫女達が人類の英知を結集して作りあげた兵器。それがアークだ」




