2章『真実を求めて』:6
スケジュール構築は御影の手によって順調に進み、その結果3日後にはEUへと発つ事になった。
そしてその3日後の日、飛鳥達は空港に集まっていた。
行き先はイタリア、ターラントだ。
イタリア行きの飛行機が出るゲートのラウンジで、それぞれ別々に集まった研究所メンバーが顔を合わせる。
以前アメリカへ行った時はロビーの辺りで待ち合わせていたが、それから纏まって手続きをするのが思いのほか時間がかかったのだ。
そのこともあって、今回は各人が個別に手続きを済ませてラウンジで待ち合わせるという形になった。2度目だったことと、渡航経験のあるメンバーがほとんどだったことも理由だ。
唯一泉美だけが普通の方法での渡航経験が小学生以来無かったのだが、それは飛鳥が簡単にサポートする形で解決した。
そうして到着したラウンジ。居たのは遥と隼斗の二人だった。
「早かったね、アスカ」
ラウンジの椅子に腰かけて足を組んでいた隼斗が、やってきた飛鳥に気付いて片手を上げる。
キャスター付きの旅行鞄を転がしながら、飛鳥もひょいと手を上げた。
「うっす。二人は一緒に来たのか?」
隼斗の隣から視線を向けてきている遥に会釈しながら、飛鳥はそう尋ねる。
「いや、別々だよ。僕の方が先にこっちに居たんだ。アスカ達は?」
「俺達は住んでるアパートが同じだからなぁ」
わざわざ別々に行く意味もないし、と飛鳥は言外に語る。隣の泉美は微妙に不満げだった。
ともあれ、これで学生メンバーは揃ったことになる。
家庭の事情で一葉は来ていないが、今日に向けて何度か特訓には付きあってもらったりしたので、飛鳥としてもこれ以上望む事はない。背中を押された事をよく認識して、あとは本番で勝つのみである。
そして研究者メンバーも飛鳥達とは別で向かうという話だった。というより、今日以前から研究チームごとにそれぞれイタリアへ向けて出発している。既に共同研究に向けての最終準備が完了しているとのことだ。
というわけでこれで飛鳥達が乗る飛行機でイタリアへ向かう人間はほぼそろっているのだが、唯一引率役である教師の姿だけが無かった。
そんなもの必要なのかと飛鳥は思うのだが、特に海外へ行く場合は学生メンバーだけではダメだとのことだ。
飛鳥はラウンジをぐるりと見渡して、やはり学生メンバー以外の見知った顔が無いのを確かめると、ポツリと呟く。
「つか、付いてくるのって誰だっけ? 御影さん?」
「いえ、以前のアメリカの時と同じで、飛騨先生よ」
飛鳥の問いに、隼斗の隣に座っていた遥がそう答えた。
やっぱりか、と飛鳥は頷きつつも、また飛騨かと若干うんざりした様子を見せる。
最近になって研究所に訪れる事が少しだが増えたため、クラス担任ということもあって顔を合わせる機会がやけに多い。文化祭の際には飛騨にも無理をさせてしまったこと、そしてそれを快く引き受けてくれたこともあって飛鳥としても感謝はしているのだが、相変わらず飛騨の生徒に対する距離感はいまいち合わないのだ。
とはいえ今更あれこれ言ったところで生産性など有ったものではない。僅かな不満を呑み込んで、代わりに小さくため息を吐いた。
「……ま、別にいいや。御影さんはこういうのは来ないんだな」
誰に向けたものでもない呟きは、結局誰からも返事が無かった。
御影がこういった研究関係のことでも、計画を立てることまではするが現場には滅多に行かない。飛鳥が知る限りでは、飛鳥がアストラルへのパイロット登録をしたころに、オーストラリアへ研究協力に行っていたことぐらいだ。
遥では無理な話も、御影を通せば実現できたりと顔は利くようなのだが、あまり足で稼ぐタイプではないのだろう。
何にせよ今回も御影は来ず、代わりというわけではないが飛騨が来るということだ。
しかしどうしたものだろう。そろそろ飛行機に乗らなければならない時間だというのに、一向に飛騨の姿が見えない。
「っていうか、飛騨先生来ないじゃん。間に合うのかよ」
「うん……。どうしたんだろうね?」
飛鳥が適当にキャリーバッグの上に腰掛けながら尋ねると、神妙な面持ちで隼斗が答える。
そろそろマズイ時間なんじゃないだろうかと不安に思いながら時計を眺めること数分、飛騨がラウンジに早足で現れた。
「すまない、遅くなった」
現れた飛騨は開口一番そう謝罪をした。
いかにも急いで来ましたという態度を見せられては、文句を言う気もそがれてしまう。代わりに、飛鳥はこう尋ねた。
「ギリギリっすね。何かあったんですか?」
「何かというか……、ちょっと二日酔いでな」
「…………へぇ」
「その呆れたような顔を教師に向けるな。本郷、お前もだ」
びしびしと飛鳥と泉美を連続で指さして、不満げな口調で飛騨は言った。
それでも飛鳥がほんのりと馬鹿にしたような表情を崩さないのを見て、飛騨は頭を書きながら言い訳めいたことを述べた。
「……俺は教師の中でも若い方だからな。飲み会とかは断り辛いんだ」
「飲み会?……ああ、そういうことっすか」
一人で飲み過ぎた飛騨という勝手なイメージを思い浮かべていた飛鳥だったが、どうやら一応の事情はあったようだ。
こればかりは飛騨の都合でどうにかなるようなものでもないだろうし、間が悪かったということなのだろう。仕方ない、と言えば確かにそうなのかもしれない。
飛鳥は早とちり気味な自分の反応を反省しつつも、特に謝罪はせず、飛騨から視線を外した。
「ですが、大丈夫なんですか、飛騨先生?」
飛鳥や泉美とは対照的に、心配した様子で尋ねる隼斗。
飛騨はこめかみを爪で掻きながら、やや歪な笑顔で答える。
「なに、大したことじゃない。少し頭痛がするだけで、飛行機に乗ってる間にでも治るだろう。心配はいらん」
二日酔いの影響もあってか、飛騨の口調はいつもよりぶっきらぼうだ。
ここで担任教師を心配するなら性根の良い人間なのだろうが、飛鳥はうざい絡みが減りそうなどと失礼なことを考えて、勝手に安堵の息を吐いていた。
「あんた露骨すぎるんじゃない?」
飛騨にはバレないようにとこっそりしていたつもりだったが、どうやら隣の泉美にはバレていたらしい。
肩をすくめる飛鳥に、泉美は続ける。
「そんなに話しかけられるのが嫌なら、飛行機に乗ってる間寝てればいいじゃないの」
「いくらなんでも十何時間も寝っぱなしなんてできるわけないだろ」
「どうせ授業中なんてほぼ全部寝てるんだから、その分まとめればそのぐらいいくんじゃない?」
「おい適当言うな、さすがにほぼ全部ってほど寝てはいないから」
しっかり誇張して語る泉美に対して、飛鳥は即座に否定する。
寝ていること自体は否定しない辺り飛鳥らしいが、そもそもそれは事実だ。
夏休み明けから遅刻はほぼ無くなったものの、授業中の居眠りは微増しているのが飛鳥の近況である。睡眠時間に対しては素直に反応する体質なのか、授業をまともに受けている時間はむしろ減ったようにすら感じていた。
生活パターンを改善するより打つ手はなさそうだが、とにかくこの場には関係の無いことだ。
「そろそろ時間ね」
遥の言葉に引っ張られる形で飛鳥は腕時計を眺める。
離陸まではまだ時間があるが、機内で待機する時間まではもうすぐだ。
飛鳥は時計から視線を外すと、腰かけていたキャリーバッグから降りて取っ手を掴む。
「あんたって海外旅行とかよく行くの?」
今更になってそんなことを尋ねてくる泉美に、飛鳥は肩をすくめながら応える。
「昔は。旅行っつーか、親の出張とか転勤であっちこっち付き合わされてただけなんだけどさ。最近なら半年ぐらい前にアメリカに研究で行ったとき以来だよ。そういや、泉美はこれで海外行くのって初めてなんだっけ?」
「中国の往路だけね。オーストラリアは船だったし」
「やっぱそうか。……機体に乗ってる時は起こらないけど、耳抜きっつーの? あれ気をつけた方がいいぞ」
「知ってるわよ。唾飲めば治る奴でしょ?」
「そうそれ」
気にならない人は気にならないのだが、気圧差で生まれる耳鳴りや耳の痛みは、人によってはかなり強烈に感じるものである。特に海外へ行くとなれば長時間飛行機に乗り続けることになるわけで、その間ずっと耳鳴りに悩まされるというのはなかなか大変な事だ。対策を知っているに越したことはない。
しかしアークはコックピット内の気圧が完全に一定に保たれているのか、飛鳥はアストラルで高高度を飛行していても耳に異常を覚えた事はない。もともと飛行機などでもあまり影響を感じないタイプだというのもあるかもしれないが。
そんなことを適当に喋っているうちに、どうやら飛行機に登場する時間がきたようだ。
「さて、それじゃあ行きましょう」
遥の言葉と、先を歩き始める飛騨に続く形で、飛鳥達はゲートへと向かっていった。
海外での合同研究であっても、2度目ともなれば、移動中に特筆する事など起こりようもない。
アメリカの時と比べてやや飛行時間は長かったもの、無事にイタリアに到着した。その後は飛行機を乗り継いだり、EU研究所から寄越された車に乗るなどしてターラントへと到着した。
かなりの長旅で結構な疲労もある。ある程度は見越していたのか、その日の内にターラントにあるアーク研究施設へと行く事はなく、近くにあるホテルで一泊する事となった。
「あ~、やっぱり座りっぱなしは疲れる」
自分に割り当てられた部屋へと入って来た飛鳥は、鞄をどさっと放り出して、疲れた声を上げながらベッドに腰掛けた。一つ息を吐くと、靴を脱いでベッドに横たわる。
飛鳥達学生メンバーの待遇は一般の研究員たちよりもいくらかリッチなようで、ホテルの部屋は結構な広さでありながら、宛がわれているのは飛鳥一人だった。
飛鳥としては誰かと同室でも構わなかったのだが、それでは落ち着かないという人もいるかもしれないし、そもそも普段の研究費用から考えれば宿泊費など微々たるものなのだろう。
しかし、広い部屋を一人で使うというのも落ち着かないものだ。
飛鳥が普段暮らすアパートも独り暮らしにはやや手広いが、この部屋と違って落ち着かないなどということはない。その辺の理由は単に普段暮らす場所とは違うからだろう。静寂が奇妙な不安感をかき立てるようだった。
「あーあ」
無意味に声を上げたり、身体を動かしたりしてみる飛鳥。
その時だけは部屋に多少の音が生まれるが、それもすぐに消えて静寂が戻ってくる。
「することもないし……」
彼はいっそひと眠りしてしまおうかと考える。これから皆で夕食を食べることになっているのだが、それまで少しだけ時間があった。
果たしてこのタイミングで眠ってしまって、時間が来た時に起きられるかどうか、飛鳥はあまり自信を持てない。しかしどうしようかとつらつら考えているうちに、だんだんと瞼が下がってきてしまう。
視界の暗闇が意識の方にまで手を伸ばしていき、
「あんた寝るの早過ぎよ」
「……っ!?」
眠りに落ちかけた飛鳥は、頭上から投げ掛けられた言葉に飛び起きた。
飛鳥の顔を上から覗き込んでいた泉美は、上半身を跳ね上げた飛鳥の頭をギリギリのところで避けて、びっくりしたように眼を見開きながら息を吐いた。
そんな泉美の様子など気付いた風もなく、飛鳥は飛鳥で驚いた表情を浮かべる。
「え、なんでお前部屋入って来てんの? オートロックだろ」
「何言ってるの? オートロック以前に、ドア閉まってなかったじゃない」
「……マジ?」
怪訝そうに尋ねる飛鳥に、泉美は「ええ」と軽く答える。
そうして後ろ、入口のドアの方を少し振り返ってから、飛鳥に対しこう忠告した。
「あのドア軽い割に結構硬いから、ちゃんと引いとかないと閉まらないわよ」
「ああ、そういうことか」
肩越しにドアの方に視線を向けた飛鳥は、得心した様子で頷く。
鍵のかかっている部屋に侵入されたと思い込んで身構えていたが、そこでようやく肩の力を抜く事ができた。彼はベッドの上でわずかに居住まいを正すと、泉美の方に視線を向けた。
「んで、泉美は何しに来たんだ? 夜這いか?」
「あたしも長旅で疲れてるから一発で許してあげるわ」
「グーパン引っ張り出すの超早いんだけど全然疲れてないだろ!」
「普段なら気の済むまでよ。さあ、歯を食いしばりなさい」
「冗談だから! 冗談だから! そのマジな顔止めて!」
気のせいか血管が浮き出ているようにも見えるぐらい力強く握りしめられた拳を見て、飛鳥は冷や汗をたらしながら顔の前で手をパタパタと振る。
その情けない態度に気がそがれてしまったのか、短く息を吐いた泉美はベッドから離れる。手近にあったデスクの椅子をくるりと回して、そこに腰かけた。
「暇だったから」
はらりと手を払って、泉美はそう答える。
「暇ってだけで鍵のかかった部屋まで…………、かかってなかったか」
「押せば開く扉に手間なんていらないんじゃない?」
「あーはいはい俺の不注意だよ」
ぶっきらぼうに言った飛鳥は、ふてくされたように再びベッドへと横たわった。
しかし再び静けさが訪れる前に、泉美がこう尋ねる。
「ところでアスカ、課題はもってきてるの?」
「課題?……確か、一応持ってきたと思うよ。やる気はともかく、時間はあると思うし。やる気はともかく」
「2回言わなくてもわかってるわよ。いっそ1回も言わなくてもわかるぐらい」
「お前がわかってることぐらい言われなくてもわかってるっつーの」
相変わらず軽口を叩きあう二人だが、緊張感が生まれる事はない。冗談の言い合いだということは、言外にでも伝わっているようだ。
「で、やるの?」
「やる……と、思う」
「本当に?」
泉美の見透かすような視線に射抜かれて、飛鳥は言葉を失ってしまう。眉を寄せてしばし瞑目していた飛鳥は、それとなく腰を曲げながら尋ねた。
「…………泉美さん写させてくれませんかね?」
「あんたは欠片でもプライドを持つべきじゃないかしら」
「プライドで課題は終わらないんだよ! お願いします!」
「えー。まぁいいけど? ……うーん、でもタダっていうのはなー」
「じゃあもういいよ! 隼斗に見せてもらうし!」
わざとらしく渋る態度をとった泉美に対し、飛鳥はヤケを起こしたような勢いで入口付近を指さす。
そこでは、部屋に入ってきていた隼斗が困ったような表情をしていた。
「僕は自分でやるべきだと思うけどなぁ」
「そんなことを言ってても、頼んだら写させてくれると思うんだ」
「はは、まぁ否定はしないけどね。でもどうせなら、あとで皆でやればいいんじゃないかい? 僕もまだ課題には手をつけてなくてさ」
そう言いながら、部屋の中へと入ってくる隼斗。
彼が手近な椅子に座ったのを確認すると、飛鳥は泉美にジト目を向けた。
「っていうか泉美、入ったらドア閉めろよ」
「閉まってなかったから閉めなかったのよ」
全く悪びれる様子の無い泉美の態度に、飛鳥はムスッと鼻を鳴らした。
気を取り直して、隼斗の方に向き直る。
「隼斗は何しに?」
「そろそろ夕食を食べに行く時間だから、呼びに来たんだよ。準備はできてるかい?」
「ああ、もうそんな時間か」
言って、飛鳥は靴を履いて立ち上がった。
「準備は出来てるよ。それじゃあ行くか」
「そうだね」
隼斗の言葉に合わせて泉美も立ち上がり、誰からともなく部屋を出ていく。
今度はちゃんとドアを閉めたし、鍵を部屋に置いたままなんていうベタなミスもしなかった。
「ふん、完璧」
「わざわざ言うことじゃないわよそれ」
ニヤッと笑って、即座にたしなめられてしまった。




