討伐
翌朝。
「……頭いてぇ」
酒臭い声が部屋中に響いた。
俺が目を開けると、テーブルに突っ伏したガルドが頭を押さえながら唸っている。
足元には空になった酒瓶が何本も転がっていた。
「朝から二日酔いか?」
「朝だから二日酔いなんだよ……」
「昨日あれだけ飲めば当然でしょ」
「うるせぇ……」
異世界に来て、まだ一日。
昨日、無一文だった俺をガルドは拾い、宿まで用意してくれた。
酒ばっかり飲んでいて髪もぼさぼさなので、老けて見えるが俺と同い年だという。
年齢が同じだと知った俺は、自然と敬語をやめた。
そして、この男の生活リズムも大体分かってきた。
飲む。
寝る。
飲む。
ギルドへ行く。
飲む。
頭がおかしい。
本当にこんな奴が剣士なのかと疑いたくなる。
「ほら、水」
俺がコップを差し出すと、ガルドは一気に飲み干した。
「生き返る……」
「酒じゃないと力が出ないんじゃ?」
「水飲まないと酒も飲めねぇだろ」
「もう意味分からない」
そんなくだらないやり取りをしながら、二人でギルドへ向かった。
重い扉を開ける。
ギィッ――。
朝にもかかわらず、ギルドは多くの冒険者で賑わっていた。
依頼書を眺める者。
朝食を食べている者。
武器の手入れをしている者。
受付では朝一番の依頼を受けようと長い列ができている。
「お、問題児コンビだ」
「先日パーティー組んだらしいぞ」
「新人も運がねぇな」
「アル中と組むなんて終わったな」
周囲からそんな声が聞こえてくる。
ガルドは気にした様子もなく、受付横に置かれた酒樽を見つめていた。
「飲むなよ」
「まだ飲んでねぇ」
「まだって言ったな?」
「バレたか」
こいつ、本当にダメだ。
受付嬢も俺たちに気付き、小走りで近寄ってくる。
「おはようございます、ジョーさん! ガルドさん!」
「おはようございます」
「おう」
「今日は依頼を受けるんですよね?」
「ああ。昨日飲み過ぎて、もう今日の宿分の金すらなくてな……」
「酒ばっかり飲むからでしょ!」
朝から受付嬢のツッコミがギルド中へ響く。
冒険者たちは苦笑いしていた。
どうやらこれもいつもの光景らしい。
俺は依頼掲示板へ近付く。
木製の大きな掲示板には、無数の依頼書が貼られていた。
薬草採取。
ゴブリン討伐。
荷物運搬。
迷子猫探し。
俺でも受けられそうな依頼も多い。
「最初はこの辺だな」
薬草採取の紙へ手を伸ばそうとした、その時だった。
掲示板の一番上。
赤い封蝋で留められた一枚の依頼書が目に入る。
他の依頼より一回り大きく、周囲だけ妙に空いている。
まるで誰も触れようとしないかのように。
俺は思わず読み上げた。
「緊急討伐依頼……?」
依頼内容。
北方、グレイロック渓谷。
ワイバーン一体確認。
討伐推奨ランク──A。
依頼達成報酬、金貨百二十枚。
思わず息を呑んだ。
周囲を見渡す。
これだけ高額な依頼なのに、誰一人として手を伸ばそうとしない。
むしろ依頼書から目を逸らしている。
「誰も受けないんですか?」
近くにいた冒険者へ尋ねると、男は苦笑いを浮かべた。
「当たり前だ」
「ワイバーンだぞ?」
「去年も討伐隊が組まれたが、半分以上が帰ってこなかった」
「生き残った奴も引退した」
別の冒険者も肩をすくめる。
「割に合わねぇんだよ」
「金は魅力だが、命がなくなりゃ意味がねぇ」
ギルドの空気が少し重くなる。
その時だった。
俺の隣で依頼書を眺めていたガルドが、ニヤリと笑う。
「面白そうじゃねぇか」
そう言うと、何の迷いもなく依頼書を掲示板から剥がした。
ビリッ、と紙の剥がれる音がギルド中に響く。
一瞬で空気が凍りついた。
「お、おい……」
「ガルド……本気か?」
「また無茶しやがる……」
受付嬢は顔を真っ青にして駆け寄ってくる。
「ガルドさん! 本当に受けるつもりですか!?」
ガルドは依頼書を肩に担ぎ、いつものように気の抜けた笑みを浮かべた。
「もちろん。金貨が百二十枚もあれば、高級酒が飲み放題だ」
そして俺の方を見る。
「ジョー」
「ワイバーン、狩りに行くぞ」
「ええ……。本気?」
俺はそう返したがガルドは迷いない目で俺を見てくる。
「ああ」
「わかったよ……」
俺はしぶしぶ了承した。
ギルドを出ると、街の喧騒は少しずつ遠ざかっていった。
北へ向かう街道を歩く。
ガルドは歩きながら酒瓶を口へ運び、鼻歌まで歌っている。
「……本当に戦う前から飲むんだな」
「飲まなきゃ剣が鈍る」
「普通は逆なんだけどな……」
一本道を抜けると岩山が見え始めた。
空気が重い。
草木は焼け焦げ、鳥の鳴き声すら聞こえない。
俺は無意識に唾を飲み込んだ。
グレイロック渓谷。
切り立った岩壁が幾重にも連なり、吹き抜ける風が低いうなり声を上げている。
足元には巨大な爪痕。
砕けた岩。
焼け焦げた木々。
ワイバーンがこの辺りを縄張りにしている証拠だった。
「……本当にいるんだ」
俺は思わず息を呑む。
ガルドは腰の酒瓶を一口あおると、大剣の柄へ手を添えた。
「静かにしろ」
その一言だけで空気が変わる。
普段のだらしない男とは別人だった。
ピクリ。
頭上から小石が転がり落ちる。
嫌な予感がして空を見上げた、その瞬間だった。
「ギャアアアアアァッ!!」
耳をつんざく咆哮。
巨大な影が太陽を覆い隠す。
翼を広げれば十メートルはあるだろうか。
黒緑色の鱗に覆われた巨体。
鋭い鉤爪。
槍のように尖った尻尾。
黄色い瞳が俺たちを見下ろしていた。
「あいつがワイバーン……!」
奴は翼を一度羽ばたかせる。
ドゴォッ!!
暴風が渓谷を駆け抜け、俺の体は数メートルも吹き飛ばされた。
「ぐっ!」
岩へ背中を打ち付け、息が詰まる。
強い。
こいつは殺られる。
本能が叫んでいる。
――逃げろ、と。
だが、ガルドだけは違った。
「酒のおともにちょうどいい相手だな」
こんな化け物を前にして、ガルドは笑っていた。
しかも、片手には酒瓶を持ったまま。
ガルドが剣を抜くとワイバーンが急降下する。
巨大な爪が一直線に振り下ろされた。
ドガァァン!!
地面が砕け、岩が宙を舞う。
だが、その一撃は空を切っていた。
ガルドは紙一重でかわし、一気に懐へ潜り込む。
「おらぁ!」
剣が閃く。
ギィィン!
金属同士がぶつかったような音が響いた。
鱗が硬すぎる。
浅い傷しか付かない。
ワイバーンは怒り狂ったように尻尾を振るう。
「危ない!」
俺が叫ぶより早く、ガルドは身を低くして回避する。
尻尾は背後の岩壁を粉々に砕いた。
「あれ食らったら即死だろ……」
冷や汗が止まらない。
その時、ワイバーンが大きく息を吸い込んだ。
嫌な予感しかしない。
「ガルド!」
次の瞬間。
ゴォォォォッ!!
灼熱の炎が一直線に放たれる。
地面が焼け、岩が赤く溶ける。
熱風だけで肌が焼けそうだった。
「終わった……!」
そう思った。
だが炎の中から飛び出してきた影があった。
ガルドだ。
鎧の一部は焦げていたが、その足は止まっていない。
「いい火力じゃねぇか!」
叫びながら跳び上がる。
信じられない跳躍力だった。
ワイバーンの首元まで一気に飛び上がり、渾身の一撃を叩き込む。
ズガァァン!!
今度は鱗が大きく砕け、鮮血が舞う。
「ギャアアアアッ!!」
初めてワイバーンが悲鳴を上げた。
しかし、それでも倒れない。
「クッソ。殺れないか」
怒りに染まった瞳がガルドを捉える。
俺は拳を握り締めた。
このままじゃ押し切られる。
俺も戦わなければ。
命を賭けるしかない。
俺は震える手を前へ突き出した。
「《ギャンブル》、発動――!」
青白いウィンドウが俺の目の前に浮かび上がる。
《イベント発生》
《対象:ワイバーン討伐》
《現在勝率 3%》
「三パーセント……」
思わず顔が引きつる。
こんなの勝負にもならない。
だが、その時。
《寿命をベットすることで勝率を上昇でき、ベット額が大きくなるほど確率は上昇します》
俺は迷わなかった。
「寿命三十日。ベットだ」
《受理しました》
《勝率 3%→18%》
まだ足りない。
ガルドは押しているように見えて、実際は押し返され始めていた。
肩から血を流し、息も荒い。
ワイバーンも傷ついているが、まだ倒れる気配はない。
「さらに三十日!」
《受理しました》
《勝率 18%→52%》
まだ決め手に欠ける。
だったら――。
「全部乗せだ!」
「あと三十日!」
《受理しました》
《勝率 98%》
その瞬間、頭の中へ一つの光景が流れ込んできた。
ワイバーンの左翼。
付け根。
鱗が一枚だけ割れている。
「あそこだ!」
俺は叫んだ。
「ガルド! 左の翼の付け根!」
ガルドは一瞬だけ俺を見る。
そしてニヤリと笑った。
「信用するぞ!」
ガルドは腰の酒瓶を片手で抜く。
グビッ。
一口飲み干した。
「よし」
「エンジンかかった!」
ワイバーンが咆哮を上げ、再び炎を吐く。
その炎へ向かってガルドは真正面から駆け出した。
「ちょっ、おい!」
普通なら避ける。
だが、この男は違う。
炎が迫る直前、地面を蹴る。
岩壁を踏み台にしてさらに跳躍。
炎の上を飛び越えた。
「うおおおおおっ!!」
空中で剣を両手に構える。
ワイバーンも迎え撃つように鉤爪を振るう。
激突まで、一瞬。
ガルドは空中で体をひねり、爪を紙一重でかわした。
そして。
「終わりだぁぁぁ!!」
渾身の一撃が、俺の見た傷口へ吸い込まれる。
ズバァァァァン!!
砕けた鱗が宙を舞う。
剣は翼の付け根から深く食い込み、そのまま首元まで斬り裂いた。
「ギャアアアアアアッ!!」
ワイバーンが断末魔を上げる。
巨体が大きく揺れ、翼が力なく垂れ下がる。
そして。
ドォォォォン!!
大地を揺らしながら、その巨体は渓谷へ倒れ伏した。
土煙が舞う。
しばらく誰も動かない。
やがて土煙が晴れ、そこには動かなくなったワイバーンだけが横たわっていた。
「……勝った」
《成功》
《寿命 90日返還》
《報酬》
《幸運値+50》
思わずその場へ座り込む。
全身の力が抜けた。
ガルドは肩で息をしながら剣を鞘へ納めると、懐から酒瓶を取り出す。
「ぷはぁ……」
「勝利の酒はうめぇ」
「まず治療してください!」
俺が叫ぶと、ガルドは豪快に笑った。
「生きてるから問題ねぇ!」
「問題だらけですよ!」
二人でワイバーンの討伐証明となる巨大な角を持ち帰り、俺たちは夕方にはギルドへ戻った。
ギィッ。
扉を開けた瞬間、ギルド中の視線が俺たちへ集まる。
「帰ってきたぞ」
「まさか……」
受付嬢が駆け寄ってくる。
「ガルドさん! ジョーさん! まさか討伐は……」
俺はワイバーンの角を床へ置いた。
ドンッ。
一瞬、ギルドが静まり返る。
次の瞬間。
「ワイバーンの角だ!」
「本当に倒しやがった!」
「嘘だろ!」
「二人だけでか!?」
「ガルドの奴、本当にやりやがった!」
歓声が一斉に上がる。
昨日まで俺を笑っていた冒険者たちも、信じられないという顔でこちらを見ていた。
「ジョーもいたんだよな?」
「あの新人も戦ったのか?」
「レベル三だろ?」
「いや……本物かもしれねぇ」
昨日とは違う視線。
疑いではない。
驚きと敬意が入り混じった眼差しだった。
受付嬢も目を潤ませながら笑う。
「お疲れ様でした!」
ガルドはそんな歓声など気にもせず、報酬の袋だけを受け取ると酒瓶を揺らした。
「よし」
「今日は報酬で飲むぞ!店で一番いい酒をここにいる全員分持って来い!!」
「うおおおお!!」
「ガルド!!」
「たまにはいいことするじゃねぇか!」
「また酒かよ」
俺が思わずツッコむと、ギルド中から笑い声が上がる。
こうして俺たちの名前は、少しだけギルド中に知れ渡ることになった。




