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左の彼  作者: まつたね
3/5

3


不運、絶賛、更新中。



果たして不運というのだろうか。

これはもはや不運なのだろうか。



コーヒー粉が爆発(不運)


マグカップ粉砕(不運)


突然の残業(不運)


マグカップの破片で足負傷(不運)



そして、疲労困憊により床で就寝

(不運……?)





まず真っ先に確認したのは


ここはどこなのか、ということ。



軋む体で目だけ動かし、

ようやくじわじわと

昨日あの後寝落ちてしまったのだと理解。



私のベッドをこんなローアングルで

見たのは初めてだった。


それ故にここがどこだか

一瞬分からなかった。



ここは私の寝室で、

そして私は昨晩の姿のまま。



もういっそ今日は仕事を休もうか、

なんて思いながら確認した時計は5:17。



「(まだ間に合うかあ……)」



のそり、と起き上がり

痛む首、肩、腰、そして足の裏。



「いたい……」



そうだ、

足から血が出ていたんだった。



恐る恐る確認すると

血は固まっていて、

人体の強さを実感した。



それでも傷口は洗っておきたいし、

絆創膏も貼っておきたい。



ひとまずその場でもぞもぞとスーツを脱ぎ、

お風呂場へひょこひょこと向かいながら

ふと足を止める。



Q. 昨日何故足を負傷したのか

A. 割れたマグカップの破片をそのままにしていたから……!!



「(先に掃除機!!!!)」



ひょこひょこと慌てて寝室へ戻り、

愛用のコードレス掃除機を手に取る。



全裸で片手に掃除機とは。


何とも珍妙であったが、

一人暮らしなので問題はない。



負傷した右足を庇いつつ

ごおおと全体的に掃除機をかけ、


そして



「(お腹空いた……)」



それもそのはず、

昨日のお昼休憩から何も口にしていない。


いや、何もというのは嘘である。

おやつ時にクッキーを分けてもらったし、

残業中に備蓄のチョコを齧った。



でもそれだけである。

つまりお腹が空いている。



少し寝て回復したことで

ソテーを作る元気は戻っている。


またもや全裸で冷凍庫を漁る姿はなんとも珍妙だが

ここには私しか住んでいない。

つまり無敵なのである。



取り出したカチコチの鶏もも肉を

キッチンに置いておく。


今火にかけてはお風呂上りが

間に合わないので、

とりあえず出しておくだけ。



そのままお風呂へひょこひょこと向かい、

そして悶絶するのである。


固まった血が流れてむき出しとなった傷口には


シャワーのお湯がよく染みた。





―――――――





半べそをかきながらシャワーを終え、

見つけ出した絆創膏を貼る頃には

また疲労困憊であった。



それでもお腹は空いていたし、

ソテーで頭が埋め尽くされていたので

朝から焼くことにする。



キッチンにはリビングから椅子を持ってきた。


キッチンで椅子に座るのは

初めてのことだったけれど、

これはこれで案外楽しいなと思った。


見える景色がいつもと少し違う。


そして何より楽だった。



でもフライパンの中は見えにくいので

都度、様子を確認する為に背伸びをする。


その行動がなんだか懐かしく思えて、

なんでだろう、と考えて



ああ、子供の頃か、と納得をした。



子供の頃は当然今よりも小さく、

世の中の全てのものが大きかった。


だからテーブルの上の物を覗き込んだり、

母が料理する手元を覗き込んだり。


そういった仕草と似ていて、

それがなんだかとても懐かしく思えたのだ。



ソテーはすぐに完成した。


下味を付けて冷凍していたので、

本当にただ焼ける様子を見守っていただけ。


これだけで美味しく食べられるから素敵と思う反面

これすらも大変だと思う時があるのだと

何かに向かって必死に伝えたくなる時がある。



何に向かってかはいつも分からない。


今はただ、出来立てのソテーを食べるだけである。



コーンはパックから開けて、

新鮮そのまま頂くことにした。


気分的にはコンソメスープも付けたかったが

朝からさすがにそれは量が多い。


たとえ腹ペコでも、だ。



「(いただきます)」



ようやく食べられる温かいご飯。


色々あった割にはかなり優雅な

朝時間の始まりであった。





―――――――





スマホよし、鍵よし、替えの絆創膏、よし。



余裕を持った準備時間は

心にも余裕をくれる。



昨日のドタバタを活かした

持ち物チェックをして、


いざ。



靴を履くと、

さすがに少し傷が痛んだ。


しかし歩けない程ではなかったので

そのまま駅へと向かう。



しっかり地に足を着けると痛い。


優しく歩くとまだマシ。


傷口を浮かせるように歩くと足が吊りそう。



一歩一歩、

踏みしめるごとに痛さを確認して進む。



傷口自体は大したものではなかった。


しかし場所が場所なだけに、

全ての行動に響いてくる。



「(今日は座れるといいなあ)」



これから乗る電車に想いを馳せながら

辿り着いた駅で一番困ったのは階段であった。



最寄りの駅には数段の階段がいくつかある。


普段はなんてことないその階段も、

傷を負っている場合には牙を剥く。



なるべく左足から上るようにしながらも、

支えとなる右足が痛む。


負荷がかかる時も痛いけれど、

足裏が伸びる時も痛いのだとその時に感じた。



少々大変なことになったなあ、と苦戦しながらも

階段の端の方で、邪魔にならないようにしながら

なんとか上りきる。



そうして電車待ちの段になって、

あれ、と。




「(今日はまだいない)」




いつも先に来ている左の彼が、

今日はまだ来ていなかった。



これまで意識していなかったけれど


いないととても空白に感じる。



それでもいつも通りの列に並び、

電車の到着を待つ。



「(既に座りたい……)」



左足重心で立ちながら

右足の負荷を逃がすものの


ここまで歩いてきた蓄積か、

階段での追い打ちか、

ズキズキとした痛みが大きくなっていた。



本当に些細なケガなのに。


お風呂上がりには血も一切出ていなかったのに。



人体は強いようで脆いなあと

どこか他人事のように思う。



そうして、流れてくるのは

いつもと同じ

よく通るアナウンス。



つられてふと視線を上げると

丁度こちらに向かって来ていた左の彼と、

目があった


気がした。



気がしたのは、

まだ距離があったから。


それと彼が、俯きがちであったから。



あれ、

と思いつつも視線を元に戻す。



ただの気のせいか、


と気にしないことにして

電車の到着を待つ。



ごおおという大きな音、


そして目の前を通り過ぎ

いつも通りの位置に立つ彼。



二日ぶりの

いつも通りの朝である。



流れるようにホームに入ってきた電車は

今日も綺麗に停車をする。



出ていく数人を見送り


そして乗車して、


少し離れたところに

空いた席を見つけた。



でも傍には左の彼がいた。



だから諦めようとして、

いつも通り人の前に立とうとして、



彼と、今度こそ確かに目があった。



「(あ)」





何故か音が消えた気がした。


周りの一切の音が。



彼だけが空間に切り取られたように


彼だけが私の視界に居た。



なんて綺麗な人なんだろうと思った。


目がとても綺麗な人だった。



切れ長でシャープな、涼し気な目元。


この距離からでも深く濃く綺麗な茶色だと

何故だか分かる気がした。



そうやってその目に見惚れていたら、


彼がすっと

開いた席を指さした。



「え」



あの、え、どういう



と混乱する私を置いて、

彼はそのまま真逆の方へと

歩いて行ってしまう。



そして隣の車両へと移ってしまった彼と、


残された私と、


空いた席と、


動き出す電車。



「(何が起きた……?)」



思わず幻覚を疑う程

とても綺麗な光景だった。



朝日が後光のように差していたかもしれない。


でなければ説明がつかないくらい



「(映画みたいだった……!)」



とても、

綺麗な光景であったのだ。






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