Fallen in love
クロシュが向かった先はエルネインの故郷では無く、中央山脈を隔てた向こう側に位置する白の国サーインだった。ゼファに先触れを頼んでいたお陰で、面倒な手続きも無く白の王の元へ案内される。
「遠路はるばるよく来られたな、黒の王、いやクロシュ殿か?」
「長居をする気はない。私は約束を果たしてもらいにきただけだ」
素っ気ないクロシュの態度に気分を害することもなく、白の王は日だまりの中で穏やかに笑うのみ。白の王が住まいとする宮殿は柱を極端に少なくして光が窓から取り入れられる造りになっており、わざと影を多く作るように設計された黒の城とは正反対だ。
「そう焦らずとも時間はあろうに」
「エルが私の帰りを待ち侘びているのでね」
「ふぉっふぉっ。見ぬ間にそなたも随分と丸くなったものよ」
二人が最後に顔を合わせたのは15年前の誓約の地だ。あの時には既に、天帝は今の状態を見通していたのだろう。
「懐かしいのう。あれから15年経ったのか」
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降りしきる雨がこの特別な地でしか咲くことのない可憐な花を揺らす。中心に対峙するのは正反対の色を纏った男達。
「……いいだろう。貴殿の願い、受け取った」
「ああ、有難い!この礼は必ず」
返事もせずに、黒を纏った男は踵を返した。天帝が言うから仕方なく依頼を受けたが、正直面倒で堪らないのだ。去り際に天帝の告げた通りに一輪のエルネの花を摘み、男は漆黒の空に身を投げ出した。
花に導かれるまま辿り着いたのは自国の西に位置する山奥だった。叩きつけられる水滴を鬱陶しげに払った男は、暗闇も見通す目で周囲を窺ったが、それらしきものは見当たらずに肩を落とす。肝心の花は周囲を照らすばかりで役には立たず、仕方なく適当に歩き回る。
「竜の子供だっていうが、これはただのガキじゃねぇか馬鹿野郎!」
危険な道を渡ってまで手に入れた竜の子供だが、袋から現れたのはどう見ても人間の子供だ。
怒りのまま子供部屋から連れ去ってきた張本人の部下を怒りのまま殴りつける。それまで眠っていた赤ん坊だったが、大きな音に驚いたのか、火がついたように泣き出した。
「ああ!?煩ぇんだよ!」
気が立っていたのだろう。男は感情のまま要らない赤ん坊を全力で扉に投げつけた。男の凶行に蒼白にする手下たちの前で、泣かなくなった赤ん坊が床に落ちる。叩きつける雨音が妙に耳に焼き付いた。
どれだけの時が過ぎたのか、雨風はますます大荒れし、最早生物の気配も感じられない。いよいよ引き上げようかと本気で思案したところで、微かな声が届いた。弱々しく助けを呼ぶ声に引かれるまま辿り着いたのは小さな小屋だった。中に居るのはどうやら人買い達のようで、こんな嵐の中を出歩く者などいないと高をくくって居るのか外を警戒するそぶりはない。生憎と窓からは捜しものを目にすることは出来なかったが、居るのは分かっているのだ、男達をついでに始末しておけば良い。己が牙の代わりに剣を手にすると、彼は正面から挑んでいった。
一斉に男達の視線がこちらへ向く。それらを飄々と受け流した彼は一歩を踏み出した。そして足元に触れた何かに気付き……この瞬間、彼は囚われたのだ。この時湧き上がった感情をなんと表現すれば良いのだろう。やっと出会えたという驚喜と今にも息絶えんとすることへの絶望。それまで滅多に動くことのなかった彼の感情を揺さぶったのは今にも死にそうな、ちっぽけな存在だった。この時は失いたくない一心で、気付けば嵐の中を駆けていた。腕の中に抱いた何よりも大切なものは時間を経るごとに命を散らしている。漸く雨宿り出来る木の洞を見つけた時には、手を握り返すのもやっとだった。
どうすればいいのだろう?このまま黙って息絶えるのを見ているしかないのか?
「嫌だ」
漸く会えたのに、自分を一人で置いていくのは許さない!
躊躇いは無かった。失敗するかもしれないとは微塵も思わなかったのだ。左耳を飾るピアスを引き千切ると黒い宝石の部分だけ取り出す。真珠大程のそれは、彼の力そのもの。
「絶対に死なせはしない」
彼は自らの口に含むと口移しで赤子に飲ませた。永遠にも似た一瞬の時を経た後、劇的な変化が現れる。冷たくなっていく身体は焼けるように熱くなり、顔をくしゃくしゃにして全身で泣く赤子の強い鼓動。
「もう大丈夫だから、泣くな」
自身の涙にも気付かないまま、男は赤子の頬を不器用に撫でていた。
泣き疲れたのか、はたまた男の腕の中は安全だと無意識に理解しているのか、赤子は安心しきった表情でウトウトし出す。ふっくらとした頬にキスを落とし、弟の嫁がやっていたようにぎこちなく腕を揺らす。
「ゆっくり眠るといい」
暫くして健やかな寝息が聞こえてくる。男は木に凭れ掛かったまま、ふと始末し損ねた人買達のことを思い出し、途端にわき上がってくる怒りが全身に立ち上る。丁度赤子が身動ぎをしなければ感情の高ぶるまま暴れていただろう。我に返った男は、赤子を強く抱き込むと息を吸う。赤子特有の乳臭さに混じる、赤子本来の香りに酔いしれる。気持ちが落ち着いたところで、男は周囲に散乱していた枯葉を掻き集めだした。両手に一杯の量を集めると、手で感触を確かめてからそっと赤子を上に寝かせてやった。
「良い子だから待っておいで」
大事な宝を傷付けたのだ、相応の報いを受けて貰わなければなるまい。だが、と男は小さな存在を見下ろす。赤子と言えど、血生臭い現場に連れて行くのは彼自身が許せなかった。故に男は安全な場所に赤子を置いて一旦離れることを選択した。身を切られるような想いだが、あの人買い共だけは許せない。
すり、と自分の鼻先を赤子の首に擦りつけ、男は空に舞い上がった。
男は土砂降りの中を走る人間の姿に気付くことはない。
凄惨という言葉ですら表せない室内を見回し、男は血汚れた牙を一振りして仕舞った。仕舞ったといっても暗闇と同化したという表現が適切か、それだけには留まらず、小さな小屋一帯が濃い闇に包まれていた。
証拠を残せば後々の始末が面倒くさい。
それだけの理由で、男はこの場が世界から消滅することを許容した。光と闇は表裏一体、光がある限り闇は在り続ける。そして今夜は男にとって最も力の行使がしやすい日でもあった。力の大半は置いてきてしまったが、それでも小さな小屋一つくらい消すことはわけもなく、翌日太陽の光が出れば、後は何もなかったように人が手を入れる前の緑が戻っているのだろう。それがこの世界の仕組みであり、世界の仕組みに手を入れられるのは一部の限られた者達だけだ。
その一端を担う男は人買い達のことを綺麗に忘れ、彼の大事な宝の元に戻ったのだが、予想に反して洞は空だった。その事実を脳が受け入れた瞬間、男は狂った。探すということすら思い浮かばず、ただただ世界を蹂躙する黒のケモノと化す。
血相を変えた弟がやって来るまで、男は本能のまま奪っていた。
それから三年を経て、時間と共に理性を取り戻していた男は、再び運命と出会うことになる。
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「望みのものは、」
「皆まで言わずとも良い。ここへ来たということは貴殿は約束を守ったのであろう」
「ならば、早く教えてくれ」
「せっかちじゃのう。まあ、儂も大概せっかちであるが」
反応するだけ余計に話す機会を増やしてしまうと短期間で見抜いたクロシュは沈黙を選んだ。好々爺然とした白の王はカカッと笑っていたが、次には何処か困ったように眉尻を下げる。
「年甲斐もなくはしゃいでしまってのぅ。娘らを貴殿の国に送り出してしもうた」
まさか行き違いになるとはのぅと呟く白の王に、クロシュは殴りつけたくなるのを堪えねばならなかった。エルネインと婚姻すれば白の王は義理の祖父になる。再生力に掛けては随一の力を持つ白の竜だから瞬く間に傷も無くなるのだろうが、心証を悪くしないに越したことは無かった。
「つまり?」
「貴殿の望みのものは貴国にある」
王としては孫娘の婚姻に対して最高の贈り物を用意したつもりだったのだ。それがよもや裏目に出るとは思わなかったのである。クロシュは今度こそ舌打ちすると、不敬も構わず王の目の前で飛び立った。




