Never forgive
空には間もなく八つ目の月が昇ろうとしている。レグルス一家に連れられて城の門を潜ったエルネインは、城内を満たす昼間よりも明るい煌めきに酔いしれていた。隈無く磨き上げられた城内には重厚な黒の絨毯が敷き詰められ、所々に飾られた金の置物が目を楽しませる。舞踏会が始まるまではそれぞれの控え室が与えられ、そちらで待機しているらしい。大広間が開放される頃から順に入場していくのだとか。既に入場は始まっているのだが、レグルス一家は国の中でも一番家格の高い家柄になるので、入場するのも一番最後で舞踏会が始まる少し前らしい。
エルネインは入り口前で待っていた国王の侍従に手を引かれ、別室で待機することになっていた。控えの部屋と言っても豪奢な設えで、家具は机と椅子、それからベッドだけだが、どれも一級品なのが見て取れる。そして世話役の侍女が一人控えていた。
「短い間だけれどよろしくね」
そう侍女に声を掛けたのも、部屋に案内されて直ぐのことだったが、まるで穢らわしい者を見るような目つきをされ、エルネインは大人しく引き下がった。世話役と言ってもお茶の一つも用意することなく、隅の椅子に座ったまま動かない。普通なら憤慨して騒ぎ立てるのだろうが、エルネインはただじっと耐えていた。城勤めを許されるのは竜人だけ、つまりこの侍女は竜人なのだ。それなのに自分より下の身分、しかも孤児の人間の娘の世話をしなければならないのが我慢ならないのだろう。いくら人の悪意に鈍感なエルネインでも、ここまで徹底されれば流石に気付く。
人知れず溜息を吐いていると、足音が近づいてきた。エルネインの居る部屋の前で止まると扉が叩かれる。
「陛下の御命令でお迎えにあがりました」
「入りなさい」
常より晴れやかな格好に身を包んだ侍従とおぼしき青年が部屋の前で一礼し、しずしずと部屋の中央までやって来る。その際視界に侍女の姿を認めた筈だが、青年は何も言わず、エルネインの前で膝を折ると顔を上げた。初めて視線が合う。優しげな面立ちの青年はエルネインを見るなり切れ長の目で穴が開くほどエルネインを凝視する。
「……何か?」
「いえ、失礼致しました。まさかこれ程美しい方だとは思いもよらず……」
「まあ。有り難う御座います」
「では参りましょう」
白い手袋をした手を差し出され、エルネインは自身の右手をそっと上に添えた。足の力だけで立ち上がると、廊下を進んでいく。
「陛下は既に大広間の方へ向かわれておりますので、そちらへご案内致します」
「お願いします」
窓からは八つの月発する仄かな光が差し込んで、漆黒の絨毯を照らしている。外に気を取られていたエルネインは無防備だった。そんなエルネインを背後から襲った影は容易くエルネインの意識を刈り取り、異変に気付いた侍従が守ろうと動いた時には前から近づいていた影によって為す術もなく地面に伏す。遅い同僚を心配した侍従が迎えに来た時には、エルネインの姿も同僚の姿も何処にも見当たらなかった。
クロシュが別室に呼ばれたのは、漸く会えるだろうエルネインを今か今かと大広間で待っていた時のことだった。
一人ならまだしも竜の一族が全員集まる場所に近づく勇気のある者は、いくら高位の貴族ばかりであっても誰も居ない。午前午後の行事に参加していい加減辟易していたクロシュはシグルス達の存在に感謝したほどだ。それぞれの相手と一旦離れた三姉妹がクロシュの前でお辞儀する。
「ご無沙汰しております、伯父様」
「ココットか。大きくなったな」
「子供扱いなさらないで。もう私は立派な大人ですのよ、伯父様!」
「それは悪かったな」
あくまで子供扱いをするクロシュに、むうとココットは唇を尖らす。クロシュにとって甥や姪は何時までも子供のままで、そこに親愛の情以外を抱くことは無いのだ。
「立派な大人は相手をちゃんと見極めて潔く身を引くものよ。それが出来ない時点で貴方は未熟な子供」
「お姉様!」
「当家が迎えたエルネインさんに、日中妹が不作法を働きまして。申し訳ありません」
「エルに?成る程、ケイニアはどうしてそれを私に報告するんだ?隠していれば私は何も知らないままだったが」
「だって、あの御方、とても可愛らしいんですもの」
ケイニアはエルネインを一目見て気に入ったらしい。だからこそ、家の恥を晒してでも教えてくれたのだろう。
「エルは怒っていたか?」
「いいえ。俯きもせず前を見ておりました」
「だろうね。……今のは聞かなかったことにしよう。エルが怒らないならばその程度のことだ」
エルネインを信じているからこそなのだろう。完全に妹に勝ち目は無いと悟ったケイニアは、後ろを向いて小さく肩を竦めた。姉の仕草で理解したらしいナナリエは、尚もきゃんきゃん騒ぐココットを引きずり、両親の元へ連れて行く。
「伯父様の噂は本当なのですね」
「許せないか?妹を袖にする私が」
「いいえ。私なら兎も角、あの子に万に一つでも勝ち目は無かったんですもの」
「おや、手厳しい。だがケイニア。お前も私の大事な姪だよ」
「存じております。何時までも不毛な恋はしておりませんもの」
ケイニアの初恋は、何を隠そうクロシュだった。父親以外に一番身近な男性がクロシュだったというのも理由の一つだが、時折家族だけに見せてくれる表情が、自分はクロシュにとって特別な相手だと幻想を抱かせたのだ。けれども十五年前のある日、ケイニアは自分は確かに伯父の特別であったが、それは唯一ではないと知ってしまった。あの時にケイニアの初恋は散ったのだ。
「伯父様はエルネインさんを愛しておられるのでしょう?」
「ああ。誰よりもね」
唯一を見つけてしまったクロシュは決してそれ以外を見ることは無いのだろう。数十年前の父のように。
「大公閣下」
物思いに耽っていたケイニアは意識を現実に戻した。竜や竜人は聴覚が良いので、周囲に聞かれたくない時は、音を出さない相手の口の動きで内容を知ることが出来る術を身につけている。偶々傍に居たケイニアは侍従の言葉を読んでしまった。報告を聞いたクロシュは押し黙ったまま、侍従の促す通路に姿を消す。一人残されたケイニアは、顔を青ざめさせながらその場に立っていた。
「事情を説明しろ」
「伯父上、落ち着いてください」
別室で待ち構えていたエリオスは伯父の姿を認めるなり立ち上がる。
「……お前は落ち着いていられるか?エルに何かがあれば、私はこの国を滅ぼすぞ」
クロシュは本気だ。嘗てほどの力の半分も保有してはいないが、それでもどんな手段を用いてでも国を滅ぼすくらい平気でやる。それが冷酷非道と呼ばれた前王の姿なのだ。
怒りの混じったクロシュの威圧感に今にも倒れそうな侍従長だが、それでも気力だけで踏ん張っていた。
「申し訳……ありま……せん。我々の失態……です」
「ご託はいい。詳細だけ話せ」
圧力から解放された侍従長は、傍らに立っていた警備責任長の助けを借りて、現状で分かるだけの内容を話す。
「エルは陛下に呼ばれるまでは確かに居たんだな?」
「見回りの兵がお嬢様のお姿を確認しております」
「手がかりはそれだけか」
クロシュはエルネインの位置が離れていても漠然とした場所は分かるのだが、それでも城の敷地内としか分からない。手詰まりの状態だった。
「隊長!今し方これがご令嬢の控え室に飛んできました」
兵士が持ってきたのは白い布の切れ端と文の括り付けられた弓矢だった。弓矢程度では竜人の身体を傷つけるにはたかが知れていると言っても、王城内に矢が投げ込まれることが問題だ。衛兵達は何をしているのかと問い質したい気持ちをぐっと抑えて、文字を目で追う。
「何と愚かな」
クロシュの横から文を覗いたエリオスは空を仰いだ。いくら何でもここまで耄碌しているとは。何時かと言わず早急に首を斬るべきだった、物理的にも。
「……老害は老害でしか無いらしい。そうだな、エリオス?」
相手の末路は決まったようなものだ。竜の逆鱗に触れればどうなるかくらい、幼い子供でも知っているのに。
「ご随意に。責任は全て私が被ります。その代わり今回の件は、」
「良いだろう。だが、二度は無い」
出て行くクロシュの背中を見送ったエリオスは、侍従長にナナリエを呼ぶよう言いつけると人払いをした。最後の一人が扉を閉めたところで、手当たり次第に蹴りつける。
クロシュの怒りには及ばないが、エリオスもまた怒っていた。ただ一度話しただけだが、あの優しいエルネインが奪われたのかと思うと腸が煮えくりかえる。竜は一度家族として迎え入れた者を大切にする。それが例え人間であっても変わらない。
「決して許さぬ……っ!」
『女は預かった。無事に返して欲しくば、竜の子を産め』




