Air travel
登城を催促する文が日に日に増えている。それらを纏めて火にくべると、愛しい少女のいる方角へ向けて切なげな息を吐く。
「一体何処から情報が漏れたのだか。……ああ、エルネインは今、何をしているのでしょう」
少しでもクロシュと釣り合うようにと日夜マァサに扱かれているのを知っている。何をしていいのか分からない、と語ったエルネインに出来ることが増えたのは喜ばしいのだが、そのお陰で二人で居られる時間は極端に減っていた。十数年離れていた反動か、常に手の届く位置に居ないと落ち着かない。今も筆を止めてはエルネインのことばかり考えてしまい、その間にインクが滲んでやり直すのを既に何十回と繰り返している。
「エルに会いたい……」
ふうと息を吐く。
「お前さっきからそればっかじゃねぇか!いい加減紙とインクの無駄遣いだろうがっ」
「居たのか、ゼファ」
「誰かが呼んだお陰でな!」
仕事のきりが良いところまでは黙っているのが二人の暗黙の了解だ。それを律儀に待っていたゼファだが、一向に筆は進む様子を見せず、事あるごとに呟くのは”エルに会いたい”。流石のゼファでも堪忍袋が切れた。
「お前が出立すると聞いてな」
「無視かよ!最近忘れがちだけど、お前はそういう奴だよな」
エルネインの前にいる時のクロシュが特別なのだ。
「……というわけで、暫くお前を拘束させてもらう」
「は?」
全く話を聞いていなかったゼファが間抜けな声を上げる。と同時にクロシュが部屋に備え付けの紐を引き、ゼファの立っていた床にぽっかりと穴が開く。完全に油断していたゼファは為す術もなく穴に吸い込まれていった。
貴族というのはただ着飾っていればいいだけではない。食事一つにとっても何十もの手順があって、それらを完璧にこなしてこそ貴族と呼ばれるのだ。
「1,2,3、1,2そこでターンを。はい、1,2,3、1,2……」
エルネインはマァサの手拍子を合図に一つずつステップを踏んでいく。根が素直なだけに飲み込みも早く、マァサの予想以上の速さでそれぞれの作法をものにしていた。
「……3。結構です。一旦休みましょう」
「はい」
まるで疲れを見せないしっかりとした足取りで、部屋の隅に備えられた椅子に腰を下ろす。頑丈な竜人用のダンスステップは普通の人間にさせると相当な負担を強いる。ところがエルネインは、呼吸一つ乱すことも無く、マァサが合図をするまで足を止めることは一度も無かった。
「お疲れ様です。おみ足は疲れておいでではありませんか?」
「いいえ、全く。実は体力は数少ない私の取り柄なんです」
やせ我慢しているのかもしれない。エルネインに予め断り、太腿に触れたマァサはエルネインが決して冗談を言っているわけではないと驚いた。
「失礼ですが、お嬢様は竜人ではありませんか?」
「私が?いいえ、普通の人間ですよ」
それだけの体力を持っていれば、少なくとも”普通の”人間ではない。敢えてそのことには触れず、飲み終えたら再開しましょうと声を掛けた。
「……1,2、ターン。違います、お嬢様!そこはもっと飛ぶように」
「そう言われても分からないわ」
相手が支えてくれてはじめて出来るターンを、一人でやれとは無茶な注文だ。
「でしたら、私がお相手しましょう」
「クロシュ様!」
ぱっと顔を輝かせるエルネインに軽く口付けをし、改めて踊っていただけますか?と誘う。エルネインも漸く板についてきた礼を返し、クロシュの手をそっと取った。ギルシュに目で合図を送り、音楽が響き渡る。
「同じ曲調を繰り返したら動くよ」
「はい」
本来の曲よりも遅い速度で音楽が奏でられる。だから、まだ動きをなぞるだけで精一杯のエルネインも焦らずステップを踏むことが出来た。
「1,2,3,1,2!」
ターンの部分でクロシュが軽々とエルネインを抱き上げる。片足で半回転すると、無理なくエルネインを地面に下ろし、再びステップを踏み始める。
「今のがターンだよ。あの見せ場は男のものだから、エルは大人しく抱き上げられていればいいんだ。……ほらもう一回」
クロシュの動きはとても鮮やかだった。束の間身体を襲う浮遊感は、前に空を飛んだ時の浮遊感を思い出させ、自然と頬が緩む。
「嬉しそうだね」
「はい。クロシュ様が空へ連れていってくれた時を思い出して……」
「成る程。お姫様は空を飛ぶのがお気に召したらしい」
「え?きゃあ!」
最後のステップを踏み終えたと同時に、クロシュが窓へ向かって走り出す。一瞬の浮遊感を得て、力強い羽ばたきが空を蹴る。エルネインは世界一安全な腕の中に守られて空を飛んだ。
「凄い!ずっと遠くまで見える!」
「こらこら、あんまり暴れないように。万一にでも落としたら、私が泣くよ」
クロシュ自ら泣いてくれるらしい。返事の代わりに首に回した腕に少しだけ力を込める。
太陽だけが幸せな恋人達を優しく照らし出していた。




