見えないものの先
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。
═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═
シャイアの診療所へ着くと、アグラディアはすでに来ていた。
机の上には何冊もの本と、束ねられた紙が置かれている。
「いっぱいある」
ルナリスが言った。
「分かるのか?」
ジジが聞く。
「紙の匂いする」
「ああ、そっち」
「昨日より増えてる?」
「増えたよ」
アグラディアが答えた。
「少し調べたいことがあってね」
「千里眼?」
「そう」
ジジはルナリスを椅子へ座らせ、その隣へ腰を下ろした。
「何か分かった?」
「いくつかね」
アグラディアが一冊の古びた本を手に取る。
「まず、前に話したことを全部やり直す必要はないと思ってる。
ルナリスに千里眼があることは、間違いない」
「ああ」
「孤児院にいた頃のことも、ラガードで受けた確認もある。
それに、脚が戻ってからまた発現した」
「人形?」
「そう」
ルナリスが少し嬉しそうに言う。
「机の下にあった」
「ちゃんと当たってたんだよね?」
「うん!」
「それで気になったんだ」
アグラディアが本を開く。
「前に、身体の再生へ大きな力を使ってるせいで、
千里眼が不安定になってる可能性があるって話したよね?」
「したな」
「脚の再生が終わって、その直後にまた千里眼がはっきり発現した。
今回はルナリスが意図して見た。
まだ一度だから断定はできないけど、
今後力を使えるようになる可能性がある。」
「じゃあ、これからまた見える?」
ルナリスが聞く。
「その可能性はあるよ」
「いっぱい?」
「そこまでは分からないな」
「そっか」
「でもね」
アグラディアが指先で本の頁を押さえた。
「今日話したかったのは、そっちじゃないんだ」
ジジが顔を上げる。
「何?」
「昔、千里眼を持っていたエルフたちの記録」
机に置かれていた数冊の本へ目を向ける。
「かなり探したよ。
千里眼自体が珍しいから、まとまった記録はほとんど残ってなかったけど」
「見つかった?」
「少しだけね」
アグラディアは一冊を開いた。
「遠く離れた場所を見る。壁や扉の向こうを見る。
ここまでは、ルナリスにも似たことが起きてる」
「ああ」
「でも、それだけじゃなかった」
「他にもあんの?」
「ある」
アグラディアが頁をめくる。
「遠く離れた土地で、その時まさに起きている出来事を見た記録がある」
「どんくらい遠く?」
「記録では、いくつもの国を越えた先」
「そんな遠くまで?」
「うん」
ルナリスが首を傾げる。
「知らないところ?」
「そういう記録もあるよ」
さらに頁をめくる。
「それから、本人がその場にいなかった出来事を、
まるでそこにいたみたいに話した記録も残ってる」
ジジが眉を寄せる。
「どういう意味?」
「誰がいたのか。何を持っていたのか。どんな場所だったのか。何が起きたのか。
そういうことを、実際に見てきたみたいに詳しく説明したらしい」
「……それも千里眼?」
「同じ力として記録されてる」
「ルナもできる?」
ルナリスが聞く。
アグラディアはすぐには頷かなかった。
「できるとは言えないよ」
「できない?」
「それもまだ分からない。
昔の千里眼を持ったエルフに、そういう例があったってだけだから」
「そっか」
「それに――」
アグラディアの指が、一枚の紙の上で止まった。
「まだ起きていない出来事を見た、という記録もある」
ジジの目が細くなる。
「未来ってこと?」
「そう書かれてる」
「ほんとかよ」
「僕にも分からない」
答えはあっさりしていた。
「そのエルフが話した光景とよく似た出来事が、数日後に起きた。
別の記録では、もっと後に起きたことを先に話していたとも書かれてる」
「未来が分かるってこと?」
「そこまでは言えないよ」
アグラディアは首を振る。
「未来そのものを見たのか、起こる可能性の高い何かを見たのか、
それとも別の現象だったのか。古い記録だから確認する方法もない」
「じゃあルナが未来見えるかも分かんねぇ?」
「そうだね」
「分かんないこと多いね」
ルナリスが言う。
「多いね」
アグラディアは素直に認めた。
「本いっぱい読んだのに?」
「いっぱい読んでも分からないものはあるよ」
「もっと読む?」
「読む」
「やっぱり」
ルナリスが笑った。
アグラディアも少し笑う。
だが、すぐに表情を戻した。
「ただ、一つだけはっきりしてることがある」
「何?」
ジジが聞く。
「千里眼を持っていたエルフは、身の危険に晒された例が多い」
ジジの表情が変わった。
「……何で」
「利用できることがありすぎるからだよ」
アグラディアは開いていた本を閉じた。
「遠くの出来事が分かる。隠されているものが見える。
本人がその場にいなくても、そこで何が起きているのか知ることができる」
「……」
「もし、それを自由に使えるとしたら?」
ジジは答えなかった。
「敵の兵がどこにいるのか。どこから攻めようとしているのか。
何人いるのか。何を運んでいるのか」
「軍事利用か」
「そう」
アグラディアが頷く。
「過去には、千里眼を持っているというだけで権力者に囲われたエルフも
いたらしい。戦争に利用しようとされた記録もある」
シャイアが静かにルナリスを見る。
「だから、千里眼を持つエルフの存在は慎重に扱われてきたのね」
「そうだね」
ジジの顔から表情が消える。
十五年前。
黒蛇はまだ幼かったルナリスの異常な力に気づいた。
目隠しをしても部屋の人数を当てる。
壁の向こうにいる人間を指す。
そして――その力をより明確にしようとして、視力を奪った。
「……また狙われるって言いてぇの?」
ジジが低い声で聞いた。
「可能性の話だよ」
アグラディアは静かに答えた。
「ルナリスが千里眼を持っていることを知る人間は、今は多くない。
それに、ルナリス自身もまだ力を自由に扱えるわけじゃない」
「でも、足が戻った」
「そう」
「これから前みてぇに見えるようになるかもしれない」
「その可能性はある」
ジジは黙った。
ルナリスの手が、隣にいるジジの服を探して触れる。
ジジはその手を取った。
アグラディアが二人を見る。
「だから、ジジにもう一度提案したい」
「何」
「ルナリスを児童所へ通わせてほしい」
ジジがアグラディアを見る。
「……千里眼見るため?」
「それだけじゃないよ」
アグラディアの返答は早かった。
「ルナリスが同じくらいの年齢の子たちと過ごすことは大事だと思ってる。
それが一番」
「ルナ行きたい!」
「今話してるから待て」
「はーい」
「それに、昨日の様子を見る限り、
ルナリス自身も児童所を気に入ってくれたみたいだしね」
「ララノアいる!」
「いるよ」
「お花もいっぱい!」
「うん」
ジジがルナリスを見る。
「お前、行く気満々じゃん」
「行きたいもん」
「……そう」
アグラディアが続ける。
「その上で、千里眼の発現を僕が近くで確認できるのは大きいと思ってる」
「見えた時?」
「そう。絶対に無理に使わせたりはしないよ。
突然何かが見えた時に、どんなものだったのかを聞く。それだけ」
「研究すんの?」
「記録は取る」
アグラディアは誤魔化さなかった。
「でも、ルナリスを研究のために児童所へ通わせたいわけじゃないよ」
「……」
「児童所に来るなら、ルナリスは僕にとって他の子たちと同じ、
ここへ通う子供の一人だよ。
その上で、千里眼について何か起きた時には僕が確認できる」
ジジはしばらくアグラディアを見ていた。
「もう一つある」
「何?」
「安全のこと」
その言葉に、ジジの目が僅かに変わった。
「児童所があるエルフ居住区には結界が張られてる」
「結界?」
「うん。父上が張ってる」
「父上って……レグラス?」
「そう」
ジジはその名を聞いて黙った。
アグラディアが以前から口にしていた父親。
「今の結界でも居住区は守られてる。
でも、ルナリスが本格的に通うことになるなら、父上に話すつもりだよ」
「何を?」
「結界を強めてもらう」
「できんの?」
「父上ならできる」
アグラディアは当然のように答えた。
「居住区に用事のない者が簡単に入れないようにしてもらう。
少なくとも、ルナリスが児童所にいる間は今より安全性を高くできると思う」
ジジは黙って聞いている。
「もちろん絶対なんて言わないよ」
アグラディアが続けた。
「どんな結界にも絶対はない。でも、何もない場所よりずっと安全なのは確かだよ」
ジジは結界術そのものを知らないわけではない。
旅の途中、魔物除けや侵入防止の結界を見ることはあった。
エルフが扱う結界術が、人間のものより遥かに精緻なことも知っている。
まして、エルフ居住区そのものを覆う規模のものなら、その強度は想像できた。
「……父親に、ルナのこと話すのか?」
「千里眼については、もう報告してる」
ジジがアグラディアを見る。
「いつ?」
「調べ始める時に」
「何で?」
「父上はエルフ居住区の長だからね。特別なことがある場合は報告しているよ。」
アグラディアはいつもの穏やかな口調で答えた。
「千里眼を持つエルフがいる可能性があるなら、僕一人で抱える話じゃない。
それに、昔の記録を調べるにも父上の許可が必要なものがあったからね」
「……そうか」
「結界を強めるなら、改めて詳しく話すことになる」
ジジはルナリスの手を握ったまま、少し考えた。
黒蛇。
十五年前に奪われた。
ようやく取り戻した。
そして、その原因になったかもしれない力が、また強く現れ始めている。
「ジジ」
「何」
「ルナ、児童所行きたい」
「聞いてる」
「だめ?」
「……」
「ララノアとお花の話する」
「それも聞いた」
「お友達もできるかも」
ジジが小さく息を吐く。
「行っていい?」
「……うん」
ルナリスの顔が明るくなる。
「やった!」
「ただし」
「なに?」
「勝手にどっか行くな。アグラディアか先生の言うことちゃんと聞け」
「聞く!」
「何か見えたら?」
「アグラディアに言う!」
「具合悪くなったら?」
「シャイアに言う!」
「児童所にシャイアはいねぇだろ」
「あ」
シャイアが笑った。
「先生に言って、私のところに来てもらえばいいのよ」
「そうする!」
「ほんとかよ」
「ほんと!」
ジジはまだ少し納得しきれていないような顔をしていた。
それでも、ルナリスの手は離さなかった。
アグラディアが机の上の本をまとめる。
「じゃあ、父上には僕から話しておくよ」
「……頼む」
「うん」
アグラディアは微笑んだ。
「大丈夫。できる限りのことはするよ」
シャイアが立ち上がる。
「さて。難しい話はここまでにしましょうか」
ルナリスがすぐに反応した。
「歩く?」
「歩くわよ」
「いっぱい?」
「今日は昨日と同じくらい」
「もっと歩けるよ」
「歩けることと、歩いていいことは別なの」
「えー」
「文句言うな。シャイアの言うこと聞け」
「ジジもいっぱい歩くじゃん」
「俺とお前は違ぇの」
「なんで?」
「何でも」
ジジが立ち上がり、ルナリスの腕を支える。
床へ両足をつける。
ルナリスはまだ何も見えていない。
それでも自分の足で立ち、シャイアの声がする方へ身体を向けた。
「じゃあ行くよ」
「ゆっくりね」
「うん!」
一歩。
もう一歩。
自分の足で進んでいく。
アグラディアはその姿を見つめていた。
机の上には、過去の千里眼を記した古い文献が残されている。
けれど、そこに書かれている誰とも、ルナリスは同じではない。
何が見えるのか。
どこまで見えるのか。
それはまだ、誰にも分からなかった。
═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═
お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




