花の香りがする場所
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。
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児童所へ行くことになったのは、それから数日後だった。
ルナリスも手を引いてもらえば歩けるまでになっていた。
「ここ?」
「たぶん」
「たぶん?」
「俺も来たことねぇもん」
ジジの腕の中で、ルナリスが首を傾げる。
目の前には、明るい色の石壁に囲まれた大きな建物があった。
開け放たれた窓から子供たちの声が聞こえてくる。
笑い声。
何かを取り合っている声。
誰かを呼ぶ声。
いくつもの足音が重なっていた。
ルナリスの手が、ジジの服を掴む。
「……子供いっぱい」
「いるな」
「みんなここにいるの?」
「そうじゃね?」
「ジジもいる?」
「いるよ」
掴んでいた指から少しだけ力が抜けた。
「いらっしゃい」
中からアグラディアが出てきた。
「本当に来てくれたんだね」
「ルナが行きたいってうるせぇから」
「うるさくないよ!」
「毎日言ってただろ」
「だって行きたかったもん」
「楽しみにしてくれてたならよかった」
アグラディアが笑う。
「今日は見て回るだけでもいいよ。疲れたらすぐ帰っていいし」
「遊んでもいい?」
「もちろん」
「歩いてもいい?」
「それは――」
アグラディアの視線がジジへ向く。
「俺に聞くなよ」
「一応ね」
「平らなとこならいいんじゃねぇの」
「じゃあ決まりだ」
ジジがルナリスを地面へ下ろす。
足が着くと、ルナリスはすぐに片手でジジの手を掴んだ。
そのまま三人で建物へ入る。
途端に、いくつもの声が近くなった。
「先生!」
「アグラディア!」
「これ見て!」
「僕が先!」
「待って待って。一人ずつ話してくれないと僕にも分からないよ」
あっという間に数人の子供に囲まれたアグラディアを、ジジが眺める。
「……人気あんじゃん」
「失礼だな。あるよ」
「本ばっか読んでんのかと思ってた」
「一応ここの所長なんだけど」
「一応なんだ」
「君が言ったんだろ」
子供たちが見慣れない二人に気づき、こちらを見る。
何人かが近づいてきた。
「誰?」
「この人間でっかい」
「髪真っ白!」
「きれい!」
知らない声が一度に増えた。
ルナリスがジジの脚に顔をうずめる。
「抱っこする?」
「……ううん、大丈夫」
アグラディアが子供たちへ声をかけた。
「今日は初めてだから、そんなに一気に囲まないであげて」
「はーい」
素直に散っていく子供たちの気配を聞きながら、ルナリスが小さく息を吐く。
「びっくりした?」
「ちょっと」
「ゆっくりでいいよ」
「うん」
その時だった。
ルナリスが鼻を動かす。
「……お花の匂い」
「ん?」
ジジが周囲を見る。
室内に花は見当たらない。
ルナリスはもう一度、ゆっくり息を吸った。
「いっぱいする」
「あら」
柔らかな女の声がした。
ジジが振り返る。
廊下の向こうから、一人のエルフが歩いてくる。
長い髪は複雑に編み込まれた三つ編みになっており、
その間にはいくつもの草花が飾られていた。
小さな白い花。
淡い紫の花。
青い花。
細かな葉も編み目に混じり、まるで髪そのものが一つの庭のようだった。
「ララノア」
アグラディアが呼ぶ。
「ちょうどよかった。紹介するよ」
ララノアはルナリスの前まで来ると、静かにしゃがんだ。
「こんにちは。ララノアよ。ここで植物のことを教えているの」
「ララノア……」
「ええ」
ルナリスがまた鼻を動かした。
「お花の匂いいっぱい」
「ふふ。これかしら」
ララノアが髪に挿していた小さな花へ指を添え、ルナリスの鼻先へ近づける。
ルナリスが匂いを嗅いだ。
「いい匂い!」
「今日は何種類か髪に挿してるの」
「いっぱい?」
「いっぱいよ」
「ガイアと違う匂い」
「ガイア?」
「ガイアもお花の匂いするよ。甘いの」
ジジが横から口を挟む。
「あいつは南の花」
「あら、そうなの」
「ココナッツとプルメリア!」
「よく覚えてるな」
「ガイアの匂いだもん」
ララノアが微笑む。
「ルナリスは、お花が好き?」
「大好き!」
さっきまでジジの脚を握っていたルナリスの声が、一気に明るくなった。
「お庭にもいっぱいあるよ!
カモミールと、ローズマリーと、ローズヒップと――」
「そんなに?」
「うん! あとね――」
一つ思い出すたびに、また一つ。
ルナリスの口から次々に植物の名前が出てくる。
ララノアは途中で止めることなく、一つずつ聞いていた。
「ローズマリーは触ったことある?」
「あるよ! 触ると手も匂いする!」
「そうね。葉を少し擦ると、とてもよく香るもの」
「マリアお庭にもいっぱいあったの!」
「マリア?」
「ルナとジジの大事な人」
ララノアがジジを見る。
ジジは短く頷いた。
「薬草学者だった」
「それでこんなに植物を知っているのね」
ララノアの視線が、ルナリスの髪へ移る。
腰を越えて伸びる真っ白な髪。
そっと一房を手に取る。
「それにしても、とっても綺麗な髪なのね」
「ルナの?」
「ええ。こんなに長いのに、すごく綺麗」
「ジジにあぶらつけてもらってる」
「椿油な」
すぐ後ろから訂正が入る。
「椿油?」
「うん!毎日洗った後ジジが髪とかして、あぶらつけてくれる!」
ララノアがジジを見た。
「愛されてるのね。素敵ね」
「……」
ジジが僅かに視線を逸らす。
「髪の毛にうるせぇエルフがいるからな」
「ガイア!」
「名前出すなよ」
「あら。そのガイアって人も髪が長いの?」
「長いよ!銀色なんだって!」
「毎日手入れしろってうるせぇんだよ」
「大切にしてるのね」
「異常にな」
「ジジもちゃんとやってるよ!」
「俺の話はいいだろ」
ララノアが楽しそうに笑った。
「ルナリス。よかったら庭へ行ってみる?」
「お花ある?」
「たくさん」
「行く!」
即答だった。
「まだ歩くの慣れてないんだ」
ジジが言う。
「そうなのね」
ララノアはルナリスへ手を差し出した。
「じゃあ、私につかまる?」
ルナリスはすぐには手を取らなかった。
「ジジも来る?」
「行くよ」
「ずっといる?」
「いるって」
「じゃあ行く」
ジジの服を掴んでいた手が離れた。
代わりに、ララノアの手を握る。
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児童所の裏手には、広い庭があった。
花壇だけではなく、香草や薬草、小さな果樹まで植えられている。
「ここから少し段差があるわ」
「どれくらい?」
「足一つ分くらい。右足からゆっくり下ろしてみて」
「うん」
ララノアの腕につかまりながら、ルナリスが慎重に足を下ろす。
ジジはすぐ後ろを歩いていた。
「できた!」
「上手ね」
「もう一個ある?」
「しばらくないわ」
「そっか」
少し進むたびに、ララノアは植物を一つずつ教えた。
葉を触らせる。
指先で少し擦って、香りを嗅がせる。
「これ知ってる?」
「……ミント!」
「正解」
「こっちは?」
「待って」
ルナリスが葉へ触れ、鼻先へ持っていく。
「……タイム?」
「よく分かったわね」
「ジジに教えてもらった!」
嬉しそうな声が庭に響く。
いつの間にか、ルナリスはジジがどこにいるか聞かなくなっていた。
ララノアの声を追い、花に触れ、香りを嗅ぐ。
新しい植物を見つけるたびに笑っている。
ジジは少し離れた場所で、その様子を見ていた。
「意外?」
隣からアグラディアが声をかける。
「何が」
「楽しそうだなと思って」
「花好きだから」
「それだけ?」
「何」
「いや。ずっと見てるから」
「目見えねぇんだから見てるだろ」
「そうだね」
「何だよ」
「何も」
アグラディアは笑って、それ以上言わなかった。
庭の向こうでは、ルナリスがララノアの髪に触らせてもらっていた。
「すごい! お花いっぱい!」
「取れないようにね」
「どうやってつけてるの?」
「編む時に一緒に入れてるのよ」
「ルナもできる?」
「もちろん。今度やってみる?」
「やる!」
ジジはその声を聞きながら、木の幹へ背を預けた。
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帰る頃には、ルナリスはすっかり疲れていた。
結局ジジに抱かれ、肩へ頬を預けている。
「いっぱい歩いたな」
「うん……」
「眠い?」
「ちょっと」
児童所の入口で、ララノアが手を振る。
「またね、ルナリス」
「ララノア」
「なあに?」
「明日もいる?」
「いるわよ」
「お花も?」
「もちろん」
ルナリスが顔を上げた。
「ジジ」
「……何」
「明日も来たい」
「そう言うと思った」
「だめ?」
ジジは少しだけ黙る。
「シャイアの訓練は?」
「シャイアの前?」
「疲れるぞ」
「疲れない!」
「今眠そうじゃん」
「眠くない」
ララノアが口元に手を添えて笑う。
「またいつでもいらっしゃい」
「うん!」
ジジはルナリスを抱き直した。
「あ、ジジ」
アグラディアが呼び止めた。
「ん」
「明日、シャイアのところに行くんだよね?」
「行くけど」
「僕も行くよ。千里眼について調べてた記録を、少し整理できたから」
「何か分かった?」
「少しだけね。それと、人形が見えたことも合わせて考えてみたい」
「分かった」
「じゃあ、明日」
「じゃあ」
歩き出してしばらくすると、肩に乗っていたルナリスの力が抜けていく。
「……ルナ?」
返事はなかった。
小さな寝息だけが聞こえる。
ジジは一度だけ児童所の方を振り返った。
それから眠ったルナリスを抱き直し、家へ向かって歩いていった。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




