それぞれの一歩
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。
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鍛錬所に、木剣のぶつかる乾いた音が響いた。
「遅ぇ」
ジジが振り下ろされた木剣を横へ流す。
相手の身体が前へ泳いだところで、足を払った。
「うわっ!」
候補生が背中から地面へ落ちる。
「剣振ることばっか考えんな」
「はい!」
「次」
返事と同時に、別の候補生が前へ出る。
鍛錬所で教えるようになってから、1ケ月が経とうとしていた。
少し伸びた黒髪は、稽古の邪魔にならないよう後ろで一つに束ねられている。
袖を肘まで捲った腕には、古い傷がいくつも走っていた。
候補生が木剣を構える。
その向こう――鍛錬所を囲う柵の周りには、今日も見物人が並んでいた。
「教官」
「何」
「今日、多くないですか?」
「何が」
「あそこ」
候補生が柵へ目を向ける。
町娘に、冒険者らしい女。
近くの色街から来たらしい華やかな服装の女たちもいる。
少し離れた場所には、供を連れた身なりのいい若い女まで立っていた。
「最近いつもいんじゃん」
「いや、そうですけど」
「見たいなら見せとけばいいだろ」
「……そうですね」
候補生が微妙な顔をする。
「何」
「なんでもないです」
「なら構えろ」
「はい!」
再び木剣がぶつかる。
候補生が横へ踏み込んだ瞬間、柵の方から女性たちの声が上がった。
「今日、髪結んでる」
「昨日も結んでたわよ」
「下ろしてる方が好きだわ」
「私はこっち」
ジジの木剣が止まった。
「……何の話してんの、あいつら」
候補生も止まる。
「教官の髪じゃないですか?」
「なんで?」
「なんでって……」
「おい」
低い声が飛んできた。
鍛錬所の入口に、バルトが立っていた。
その隣にはマーサもいる。両腕に何枚かの書類を抱えていた。
「候補生に聞くな。困ってんだろ」
「俺なんもしてねぇよ」
「してるだろ」
バルトは柵の外へ目を向けた。
「また増えたな」
「最近多いんだよ」
「お前を見に来てんだよ」
「俺?」
「他に誰がいる」
ジジが柵の外を見る。
「候補生じゃねぇの?」
「なんで候補生見るために色街の女まで集まんだよ」
「暇なんじゃね?」
「お前ほんっとそういうとこだよな」
バルトが額を押さえた。
マーサが小さく笑う。
「何」
「なんでもないわよ」
「変なの」
「ほら、休憩にしろ。こいつら死にそうだぞ」
バルトが顎で候補生たちを示す。
何人かが地面に座り込み、肩で息をしていた。
「まだいけるだろ」
「いけません!」
即座に声が返ってくる。
「だそうだ」
「……じゃあ休憩」
候補生たちから安堵の声が上がった。
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鍛錬所の入口近くにある木の下。
ジジは幹に背を預け、水袋を傾ける。
バルトとマーサも近くの木箱へ腰掛けた。
「そういえば」
マーサがジジを見る。
「ルナリスの訓練、どう?」
「順調」
「もう歩いてるの?」
「まだ。昨日は床当ててた」
「……床?」
バルトが眉を寄せる。
「俺も最初そうなった」
「――目見えねぇから。
足の裏で何踏んでるか分かるようにするんだって」
「ああ」
バルトが頷く。
「なるほどな」
「敷物とか木とか石とか。全部当てたって喜んでた」
マーサの表情が和らぐ。
「楽しそうね」
「ああ。毎日行きたがってる」
「最初、預けるの心配してたじゃない」
「まあ……」
ジジが水袋へ手を伸ばす。
「シャイアなら大丈夫そうだし」
「そう」
マーサはしばらくジジを見ていた。
「ルナリス、早く歩きたいでしょうね」
「毎日言ってるよ。歩いていい?って」
「ふふ」
「シャイアにも毎日聞いてるらしい」
「元気じゃねぇか」
バルトが笑った。
「そのうち走り回って、お前が追いかける羽目になるぞ」
「まだ走らせねぇよ」
「そのうちっつってんだろ」
「転んだら危ねぇ」
「子供は転ぶもんだ」
「怪我するじゃねぇか」
「怪我もするもんだ」
「しない方がいい」
バルトがマーサを見る。
「こいつ面倒くせぇな」
「前からよ」
「マーサまで何なんだよ」
笑い声が上がる。
その向こうでは、柵の周りの見物人がまだこちらを見ていた。
バルトがそちらへ顎を向ける。
「それにしても、選び放題じゃねぇか」
「何が」
「女」
「いらねぇよ」
返事は早かった。
バルトが目を丸くする。
「即答かよ」
「興味ねぇ」
マーサの手が、膝の上で僅かに止まった。
「お前、二十八だろ?」
「知ってるけど?」
「もうちょっとなんかねぇの?」
「何が」
「……もういい」
「なんだよ」
休憩終了を告げる鐘が鳴る。
ジジは立ち上がり、後ろで束ねた髪を締め直した。
「じゃ、戻る」
「ああ。殺すなよ」
「殺さねぇよ」
「半分くらい死んだ顔してんぞ」
「体力ねぇんだよ」
「お前基準で考えんな」
ジジは木剣を拾い、鍛錬所の中央へ戻っていった。
柵の外から、また小さな歓声が上がった。
バルトが呆れたように笑う。
その隣で、マーサはしばらくジジの背中を見ていた。
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同じ頃。
シャイアの診療所では、ルナリスが敷物の上に立っていた。
「今日は一歩だけ、やってみましょうか」
「……いいの!?」
声が弾む。
「一歩だけよ」
「二歩は?」
「一歩」
「一歩できたら二歩?」
「ルナリス」
「……一歩だけ」
シャイアが両手を取る。
「私の声、聞こえる?」
「うん」
「右足で、前の床を探してみて」
ルナリスの右足がゆっくり動いた。
つま先が床へ触れる。
「ある」
「ええ。急がなくていいわ」
「……うん」
足裏で床を確かめる。
少しずつ右足が前へ出た。
身体が傾く。
シャイアの手が支える。
「大丈夫」
ルナリスの右足が床につき、その隣に左足を寄せた。
しばらく動かなかった。
「……シャイア」
「なに?」
「いま、歩いた?」
「ええ」
「ルナ、歩いた?」
「一歩だけね」
数秒の沈黙のあと、ルナリスの顔が明るくなった。
「歩いた!」
「ええ」
「もう一回!」
「今日はおしまい」
「ええー!」
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夕方。
診療所の扉が開いた。
「ルナ」
「ジジ!」
椅子に座っていたルナリスが、声の方へ顔を向ける。
「ジジ、聞いて!」
「何」
「ルナ歩いた!」
ジジの足が止まった。
「……は?」
「一歩!」
「……歩いたのか?」
「うん!」
ジジがシャイアを見る。
「本当?」
「本当よ。一歩だけだけど」
「……俺いない時に?」
「あなた仕事でしょう」
「もう一回できる?」
「今日は駄目」
「一歩だけ」
「駄目です」
「俺まだ見てねぇんだけど」
「知りません」
「……」
ルナリスがくすくす笑った。
「ジジ、明日見る?」
ジジがルナリスの前にしゃがむ。
「明日やんのか?」
「シャイアがいいって言ったら!」
ジジの顔がシャイアへ向く。
「明日の脚の状態を見てから」
「だって」
「……じゃあ明日」
「うん!」
ルナリスが両手を伸ばす。
ジジはその身体を抱き上げた。
「歩いたか」
「一歩!」
「すげぇじゃん」
「明日は二歩!」
「焦んなって」
「三歩かも!」
「話聞けよ」
ルナリスの笑い声が診療所に響く。
ジジはそのままルナリスを抱き直し、シャイアへ軽く手を上げた。
「じゃあ、また明日」
「ええ。また明日」
扉が閉まる。
一日の鍛錬を終えたジジと、初めての一歩を終えたルナリスの声が、
夕暮れの通りへ遠ざかっていった。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




