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精霊は還る場所を知っている  作者: くおんあづき


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小さい泥棒

【精霊は還る場所を知っている】

2026.9.25 47話一挙配信。

毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

翌朝。


診療所を訪れたジジは、寝台に腰掛けたルナリスの隣に立ち、

シャイアの診察を見ていた。


膝から足首へ。足の甲、踵、一本ずつの指。

シャイアは場所を変えながら丁寧に触れていく。


「ここは?」


「わかる」


「じゃあ、こっち」


「わかるよ」


足首をゆっくり曲げる。


「痛くない?」


「いたくない」


「自分で動かしてみて」


ルナリスが足首を上下させる。

続いて指を曲げようとして、全部が一緒に丸まった。


「できた?」


「まあ、それもできたうちに入るわね」


「できた!」


ジジが横から覗き込む。


「昨日より動いてんじゃん」


「ほんと?」


「多分」


「ほんとって言って」


「動いてるよ」


満足したルナリスが、もう一度足の指を動かした。

シャイアは左右の脚を一通り確認すると、ようやく手を離した。


「問題なさそうね。感覚もあるし、動きも悪くない」


「じゃあ歩ける?」


ジジが聞く。


「まだ」


「足あんのに?」


「今まで使ったことがないのよ。立ち方から覚えないと」


「ルナ、立つ!」


「その前に準備」


——————————————————————


シャイアはそう言って、部屋の隅に置かれた桶へ湯を張った。

棚からいくつか乾燥した薬草を取り出し、指先で軽く揉んで湯へ落とす。


青い香りが湯気とともに広がった。


「足、入れてみて」


ジジがルナリスを抱き上げ、桶の縁へ座らせる。

ルナリスがおそるおそる両足を沈めた。


「……あったかい」


「熱くない?」


「だいじょうぶ」


「しばらくそのままね」


シャイアは別の葉を手に取った。

掌で軽く揉み、香りを確かめてから少量だけ湯へ落とす。

ジジの視線が、その指先を追った。


「……それ、先に入れんの?」


「ええ」


「ふぅん」


それ以上は言わなかった。


しばらくして、シャイアは湯から薬草を取り出した。

柔らかくなった葉を布へ包み、軽く絞ってからルナリスの膝へ当てる。


ジジの眉が寄った。

さっきから、妙に見覚えがある。


使っている薬草だけではない。

葉を揉むことも、湯へ入れる順番も、その後の扱い方も。


昔、何度も見た。


「……なあ」


「何?」


「それ、エルフはみんなやんの?」


シャイアが顔を上げた。


「これ?」


「薬草の使い方」


「まさか。

 薬草学は流派というほど大袈裟じゃないけど、それぞれ扱い方は違うわ」


「……誰に教わった?」


「私の師よ」


「誰」


「マリア」


ジジの目が僅かに見開かれた。


「……は?」


「薬草学者のマリア。ずいぶん昔に教わったの」


ジジは何も言わなかった。

シャイアの顔を見たまま、珍しく完全に言葉が止まっている。


「……どうしたの?」


「マリアって……銀髪の?」


今度はシャイアの表情が変わった。


「ええ」


「植物のことになるとうるせぇ?」


「……ええ」


「乾燥棚勝手に触ると怒る?」


「怒るわね」


「茶ぁ淹れると大体なんか浮いてる?」


「浮いてるわ」


二人の間に妙な沈黙が落ちた。

ジジが呟いた。


「俺もあいつに教わってた」


「――え?」


シャイアが目を見開いた。

今度は彼女がジジを見つめる番だった。


「あなたが?」


「悪いかよ」


「違うわ。そうじゃなくて……」


シャイアは驚いたまま、少しだけ笑った。


「こんなところで、同じエルフから教わった人に会うなんて思わなかった」


「俺も」


ジジはまだどこか信じられないように、湯に浮かぶ薬草へ目を落とした。


「……そりゃ見たことあるわけだ」


——————————————————————


「そろそろいいわ。立ってみましょうか」


湯から足を出して拭き、床へ敷物を広げる。

ルナリスをその前に座らせると、ジジが正面へしゃがんだ。


「ほら」


差し出した両手を、ルナリスが握る。

足の裏が初めて床へ触れた。


「……つめたい」


「さっきまで湯に入ってたからだろ」


「変な感じする」


「痛ぇ?」


「いたくない」


「ならいい」


シャイアがルナリスの後ろへ回った。


「まずは身体を起こしてみて。ゆっくりでいいから」


「うん」


ルナリスの腕に力が入る。

ジジの手を握り、身体を持ち上げようとする。


膝が震えた。


身体が傾く。


ジジがすぐに腕を引いた。


「おい、無理すんな」


「ジジ、支えすぎ」


「倒れんだろ」


「倒れそうになったら私も支えるわ。少し任せて」


「……」


「全部あなたが持ってたら、ルナリスが自分で立てないでしょう?」


ジジは眉を寄せたまま、手に込めていた力を少し緩めた。


「……ゆっくりな」


「うん」


「無理だったらやめろよ」


「うん」


「痛かったら――」


「ジジ」


「何」


「ルナ、いまやってる」


もう一度、ルナリスが足へ力を入れた。


細い膝が震える。

腰が上がる。


傾きかけた身体を、自分で戻す。

ジジの手に預けられていた重さが、少しずつ消えていった。


やがて。


二本の足が、床の上で小さな身体を支えた。


ルナリスは動かなかった。

ジジも何も言わない。


しばらくして、ルナリスが小さな声を出した。


「……ジジ」


「ん」


「ルナ、立ってる?」


ジジは足元を見た。


まだ膝は震えている。

両手だって離せない。


それでも、自分の足で立っている。


「……立ってる」


「ほんと?」


「うん」


ルナリスの顔がぱっと明るくなった。


「立ってる!」


「立ってるよ」


「ルナ、すごい?」


「すげぇよ」


嬉しそうに笑った途端、身体がぐらりと傾いた。

ジジがすぐに抱き止める。


「ほら」


「転びそうだった」


「だから無理すんなって」


「最初はそんなものよ」


シャイアが言った。


「少し休んだら、もう一度やりましょう」


「やる!」


その後もルナリスは何度か立つ練習を繰り返した。

最初より二度目。二度目より三度目。

ほんの僅かずつではあったが、

自分の足で身体を支えていられる時間が長くなっていく。


——————————————————————


ルナリスが休憩している間、シャイアは使った薬草を片付けていた。


「ジジ」


「ん」


「マリアには、いつ頃から教わっていたの?」


「十歳くらい」


「え?」


ジジはルナリスへ水を渡しながら答えた。


「知ってんのはもっと前。五歳くらい」


「そんなに小さい頃から?」


「庭の実取ってたら捕まった」


シャイアの手が止まった。


「……何?」


「腹減ってたんだよ」


「そうじゃなくて」


シャイアがゆっくり振り返る。


「庭の実を……勝手に取ってたの?」


「ああ」


「何度も?」


「……まあ」


シャイアはじっとジジを見た。

その顔から、さっきまでの笑みが消える。

代わりに、何か遠い記憶を探るような表情が浮かんだ。


「……まさか」


「何だよ」


「あなた……」


シャイアが一歩近づいた。


「小さい泥棒?」


ジジの眉が寄る。


「……は?」


「マリアの手紙にいたの」


「何が」


「小さい泥棒よ」


ジジの目が、また僅かに見開かれた。

シャイアの声には、今度は驚きだけではないものが混じっていた。


「庭の実を勝手に取っていく、孤児院の子。

 最初は追い払ってもまた来るって書いてあった」


「……」


「そのうち、今日は来なかったとか。

 この実はあの子が好きみたいだとか……

 少しずつ、あなたのことを書くようになった」


ジジが黙る。


「名前は一度も書いてなかったから、知らなかった」


シャイアは目の前の二十八歳の男を、改めて見た。

傷の残る身体。無愛想な顔。

その隣では、ルナリスが水の入った杯を両手で持っている。


「……あなたなのね」


その声が少しだけ柔らかくなった。


「マリアが気にしていた、小さい泥棒」


ジジは視線を逸らした。


「……あいつ、そんなこと手紙に書いてたのかよ」


「ええ」


「余計なことばっか書きやがって」


「ふふ」


シャイアは笑った。

けれど、その目にはまだ懐かしさが残っていた。


「会えてよかった」


「……何で」


「ずっと、どんな子なんだろうと思ってたから」


「二十年以上経ってんだけど」


「それでもよ」


そこへルナリスが顔を上げた。


「ジジ、どろぼうだったの?」


「違ぇよ」


「でも実とった?」


「……取った」


「ちいさいどろぼう」


「ルナは覚えなくていい」


——————————————————————


帰り支度を始めた頃、シャイアがジジを呼び止めた。


「ジジ」


「ん」


「しばらく、ルナリスを私に預けない?」


ジジの手が止まる。


「……何で」


「歩行訓練。毎日じゃなくていいわ。

 あなたが鍛錬所で仕事をする日の、昼から夕方まで」


「連れてくれば一緒にいる」


「それでもいいけど、ずっと付き添うつもり?」


「……」


「これから立つだけじゃなくて、

 重心の取り方や一歩踏み出す練習も必要になる。

 あなたもいつまでも鍛錬所を空けるわけにはいかないでしょう?」


ルナリスがジジの服を引いた。


「歩く練習?」


「そうよ」


「ルナ、やる」


「……」


ジジはルナリスを見た。

それからシャイアへ視線を戻す。


「……考えとく」


「ええ」


シャイアはあっさり頷いた。


「急がなくていいわ」


診療所を出ると、ルナリスはいつものようにジジの腕の中にいた。


「ジジ」


「何」


「ルナ、今日立った」


「知ってる」


「明日も立つ」


「明日は休めよ」


「やだ」


「じゃあ無理すんな」


「早く歩けるようになりたい」


「……そうだな」


ジジは短く答えた。


腕の中にいるのは昨日までと同じルナリスだった。

けれど、その身体にはもう二本の脚がある。


今日、その脚で初めて立った。


いつか歩いて、走って、自分の行きたいところへ行くようになる。

ジジはルナリスを抱き直した。


シャイアの提案への答えは、まだ出さなかった。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

お読みいただきありがとうございます。

くおんあづきです。

初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。

かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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