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精霊は還る場所を知っている  作者: くおんあづき


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剣士

翌朝、エレーンは聞き慣れない音で目を覚ました。


一定の間隔で、風を切る音がする。


まだ日は昇ったばかりだった。

窓の外は薄く白み始めた程度で、

家の中も静まり返っている。


エレーンは寝台を降り、窓を開けた。

音は庭のさらに奥から聞こえている。


「……何?」


上着を羽織り、外へ出た。


マリアの庭を抜ける。

その先には木々に囲まれた小さな空き地があった。


そこでジジが剣を振っていた。

エレーンは足を止めた。


「…………」


昨日までとは別人に見えた。


黒髪を後ろで束ね、

薄いシャツの袖を肘まで捲っている。

手にしているのは、いつも腰に下げている長剣。


ただ、それを振っているだけだった。


相手もいない。

魔物もいない。


それなのに、エレーンは近づけなかった。


一歩。

踏み込む。

剣が走る。

止まる。

返す。

もう一度踏み込む。


速い、という言葉では足りなかった。

無駄がない。

剣先が通った軌跡だけ、

空気が遅れて動いているように見える。

奴隷として各地を転々としてきた間、

剣を持つ人間なら何人も見た。


傭兵。

冒険者。

兵士。


自分を所有していた者の中にもいた。


だが、誰とも違う。


力任せに振っているわけではない。

むしろ静かだった。


だからこそ、怖い。


ジジが動きを止める。


「……何してんの」


突然声をかけられ、エレーンの肩が跳ねた。


「気づいていたの?」


「ん」


「いつから?」


「庭出てきた時」


「…………」


こちらを一度も見ていなかったはずだ。

ジジは剣を下ろし、額の汗を腕で拭った。


「朝飯まだだよ」


「それを聞きに来たわけではないわ」


「じゃあ何」


「音がしたから見に来ただけ」


「そ」


それだけ言うと、再び剣を構える。


「まだやるの?」


「そだな」


「毎朝?」


「だいたい」


エレーンは少し離れた木の幹へ寄りかかった。


「六ヶ国で一人しかいないのでしょう?」


「何が」


「オリハルコン」


「ああ」


「それでも鍛錬するの?」


ジジが怪訝そうに振り返った。


「するだろ」


「もう十分強いのではないの?」


「やらなきゃ鈍る」


「……それだけ?」


「うん」


ジジはまた剣を振る。

エレーンは黙って眺めていた。


昨日、薬草へ毎朝水をやって

枯らしかけていた男とは思えない。

植物のことは何も分からない。

服にも興味がない。

自分が街で有名だということにも頓着しない。


けれど剣だけは違った。


一本振るたび、何百回、何千回と

同じ動きを繰り返してきたことが分かる。


「ねえ、ジジ」


「ん」


「いつから剣を?」


「十五」


「十五歳?」


「ああ」


エレーンは少し驚いた。


「もっと幼い頃からだと思っていたわ」


「何で」


「そのくらい慣れているから」


「十年以上やってりゃ慣れんだろ」


「普通はそれだけでオリハルコンには

 ならないでしょう」


ジジが少し考える。


「知らね」


「……本人が一番興味ないのね」


返事はなかった。

ただ剣が風を裂く。


しばらくして、エレーンはジジの手元に気づいた。


掌。

指の付け根。

古い豆が幾重にも重なっている。

新しい傷もあった。


「手」


「何」


「傷になってるわ」


ジジは自分の掌を見た。


「ああ」


「ああ、じゃないでしょう」


「いつものだ」


「だからって放っておくの?」


「そのうち治る」


エレーンはため息をついた。


「見せて」


「何で」


「いいから」


ジジは少し面倒そうな顔をしたが、

剣を地面へ置いた。

エレーンが近づき、その手を取る。


大きい手だった。


硬い。

指にも掌にも、小さな傷がいくつもある。


「薬草があるわ」


「別にいらねぇ」


「庭を任せると言ったでしょう」


「言ったけど」


「なら黙って座って」


「何で命令されてんだ俺」


「昨日まで植物を枯らしかけていた人に

 拒否権はないわ」


「関係ねぇだろ」


「あるわ」


「ねぇよ」


言い合いながら家へ戻る。

エレーンは庭から薬草を少し摘んだ。

葉を潰して布へ広げる。


「手を出して」


ジジが差し出す。


エレーンは掌へ薬草を当て、布を巻いた。


「こんなのすぐ取れるぞ」


「鍛錬が終わったならいいでしょう」


「飯作る」


「片手で作れるの?」


「じゃあお前作れよ」


エレーンの手が止まる。


「……私が?」


「ああ」


「いいの?」


「何が」


「台所を使っても」


ジジが不思議そうな顔をする。


「使えばいいだろ」


「…………」


まただ。

この男にとっては、おそらく何でもない。


庭も。

台所も。

自分で服を選ぶことも。


許可を取る必要などないと、本気で思っている。


「……分かったわ」


「飯」


「今作るから座ってなさい」


「偉そうだな」


「あなたが言う?」


ジジが鼻で笑った。

エレーンも少しだけ笑う。


その時だった。


玄関の扉が叩かれた。

二人が同時にそちらを見る。


「誰だ、朝っぱらから」


ジジが扉を開けると、

守備隊の制服を着た若い男が立っていた。


「ガルシア殿。ダンテ隊長から伝言です」


「何」


「例の古い記録について、

 少し確認したいことがあると」


ジジの表情が変わった。

ほんの少しだけ。

だが、エレーンにはもう分かる。

この男がこういう顔をする時は、何かがある。


「分かった。後で行く」


「承知しました」


兵士が去る。

扉を閉めると、ジジはしばらくそこに立っていた。


「……記録、見つかったのかしら」


「分からない」


「行くのでしょう?」


「ああ」


ジジは振り返る。


「とりあえず飯」


「……あなた、本当にそればかりね」


「腹減ってんだから仕方ねぇだろ」


エレーンは呆れながら台所へ向かった。

守備隊が何を見つけたのか。

気にはなった。

けれど今はまず、朝食を作る。

一昨日までなら、

それも誰かに命じられてすることだった。


今日は違う。


自分で決めて、台所に立つ。


背後では、六ヶ国でただ一人のオリハルコンが、

包帯の巻かれた手を眺めながら

大人しく椅子に座っていた。

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