この街のこと
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。
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翌朝。
庭には、昨日植えた二本のローズヒップが並んでいた。
ジジはルナリスを抱いたまま、その前でしゃがむ。
「大きくなった?」
「なってねぇ」
「昨日よりも?」
「昨日植えたばっかだぞ」
「ちょっとも?」
ジジが二本の苗を見る。
「……変わってねぇ」
「ちゃんと見た?」
「見てる」
「そっか」
ルナリスが手を伸ばす。
ジジはその手を取り、葉へ導いた。
「土も触る」
「ほら」
指先が根元の土に触れる。
「まだ冷たい」
「今日は水いらねぇな」
「分かった」
ルナリスはもう一度、葉をそっと撫でた。
「早く大きくならないかな」
「そのうちな」
「赤い実いっぱいできる?」
「できるといいな」
ジジが立ち上がる。
「今日は市場行くぞ」
「昨日ジジが行ったところ?」
「ああ」
「ルナも行く?」
「そのつもり」
「行く」
返事は早かった。
ジジはルナリスを抱き直し、庭を出た。
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朝の市場は、人の声で満ちていた。
通りの両側には店が並び、客を呼び込む声があちこちから飛んでくる。
荷車の車輪が石畳を転がり、その間を人々が行き交っていた。
「人いっぱい?」
「ああ」
「昨日も?」
「昨日もこんなもん」
しばらく進んだところで、ルナリスが鼻を動かした。
「いい匂い」
「パン屋」
「甘い?」
ジジが店先を見る。
「甘そうなのもある」
「どんなの?」
「丸いやつ」
「丸いだけ?」
「上になんかかかってる」
「何?」
「……砂糖じゃねぇか?」
店先から女主人の声が飛んできた。
「砕いた木の実と砂糖だよ」
「だって」
「ジジ分かってなかった」
「初めて見たんだから分かるかよ」
女主人が笑う。
「中に蜂蜜も入ってるよ。焼きたて」
ルナリスがすぐに言った。
「食べたい」
「朝飯食っただろ」
「小さいの」
女主人が笑いながら、小さなものを一つ取り出した。
「これならどうだい?」
「だって。食べる」
「はいはい」
ジジが代金を払う。
紙に包まれた菓子パンを受け取ると、通りの端へ寄った。
一口分を千切ってルナリスに渡す。
「熱くねぇから大丈夫」
ルナリスが口へ運ぶ。
「甘い」
「そりゃよかったな」
「ジジも食べる?」
「いらねぇ」
「一口」
差し出された欠片を、ジジが口に入れる。
少し噛む。
「甘っ」
「おいしい?」
「うまい」
ルナリスが笑う。
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市場を進む。
店が変わるたび、匂いも変わった。
焼いたパンの匂いが遠ざかり、果物の甘い香りが混じる。
香草を並べた店の前を通れば、青い葉の匂いが風に乗った。
「ジジ」
「ん」
「甘い匂いする」
ジジが周囲を見る。
「果物屋だな」
「何ある?」
「林檎。梨。……あれ何だ」
「知らない?」
「ちょっと待て」
店主が笑う。
「杏だよ」
「ああ、杏」
「今聞いた」
「うるせぇ」
「杏ってどんなの?」
ジジが店先の実を一つ見る。
「丸くて、黄色っぽい」
「大きい?」
「ルナの手に乗るくらい」
「甘い?」
今度はジジが店主を見る。
「甘い?」
「甘いよ。少し酸っぱいけどね」
「だって」
「食べたい」
「またか」
「一個」
「さっきパン食っただろ」
「あとで食べる」
「……ならいい」
杏が一つ、小さな袋に入った。
それを受け取り、また歩き出す。
「ジジ」
「ん」
「説明下手」
「聞きたいこと多すぎんだよ」
「でもジジに聞きたい」
「店の奴の方が詳しいぞ」
「ジジと一緒だから」
ジジはルナリスを抱き直した。
「……そうか」
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市場を抜ける頃には、人の声に水音が混じり始めた。
ルナリスが顔を上げる。
「水」
「ああ」
「運河?」
「そう」
「ここ来るとき言ってた」
「覚えてたか」
橋へ向かう。
下を流れる水の上を、小さな荷船が進んでいた。
「船いる?」
「いる」
「大きい?」
「今いるのはそんなにでかくねぇな」
「どれくらい?」
「……四人くらい乗れそうだな」
「四人?」
「ああ。荷物も積んでる」
「何乗ってる?」
「樽」
「中は?」
「そこまでは知らねぇ」
「そっか」
船が橋の下を通る。
水を切る音が足元を抜け、反対側へ遠ざかっていった。
ルナリスがその音を追うように顔を動かす。
「もっと大きい船もいる?」
「いる。向こう行けばな」
「どれくらい?」
「五つくらい」
「行く?」
「ああ」
「船乗れる?」
「乗りたいのか?」
「乗ってみたい」
「じゃあ今度な」
「約束?」
「ああ」
「約束」
ルナリスの腕がジジの首へ回った。
橋を渡り終え、そのまま市場の外れを歩く。
しばらくすると、昨日立ち寄った苗屋が見えてきた。
ジジの足が止まる。
「あ」
「なに?」
「ローズヒップ買ったところ」
「また買う?」
「……見るだけ」
店先へ近づく。
昨日と同じ店主がジジに気づいた。
「お。昨日の兄ちゃん。ちゃんと植えたか?」
「植えた」
「朝、水やったか?」
「土湿ってたからやってねぇ」
「それならいい」
ジジは並んだ苗を眺める。
色の違う花。
小さな果樹。
何種類もの香草。
その中に、小さな白い花が揺れていた。
ジジがしゃがむ。
「これ、カモミール?」
「ああ。ちょうど花がつき始めたところだよ」
ルナリスが顔を上げる。
「カモミール?」
「ああ」
「マリアの庭にあった」
「そうだな」
「ルナ、好き」
「俺も好き」
ルナリスの手が伸びる。
「触る?」
「うん」
ジジが手を取り、花のところまで導く。
「茎折るなよ」
「分かってる」
指先が、小さな花に触れる。
ルナリスが顔を近づけた。
「匂いする」
「ああ」
「マリアのところと同じ」
ジジは並んだ苗を見る。
「……一つ買うか」
「うん」
店主が一株を選んだ。
「庭に植えるのか?」
「ああ」
「昨日のローズヒップの近くなら、少し間を空けてやりな」
「分かった」
小さな鉢が一つ、ジジの手に渡った。
「カモミールも家に来る?」
「ああ」
「赤いのと一緒」
「そうだな」
ジジは片手に鉢を持ち、もう片方の腕でルナリスを抱き直した。
「今日はこれだけ?」
「ああ」
「また今度?」
「欲しいのあったらな」
二人は苗屋を離れた。
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昼になる頃には、ドーラの酒場に着いていた。
扉を開けると、昼時の店内には市場や運河で働く人々が集まっていた。
「いらっしゃい」
ドーラが二人に気づく。
「何してきたんだい?」
「市場行った」
ジジがルナリスを椅子へ座らせる。
その横にカモミールの鉢を置いた。
ドーラがすぐに気づいた。
「カモミールかい?」
「ドーラ分かるの?」
ルナリスが聞く。
「そりゃ分かるさ。料理屋だからね」
「ジジも分かった」
「へえ。やるじゃないか」
「それくらい分かる」
ドーラが笑う。
「それで、市場はどうだった?」
「パン食べた」
「朝から?」
「小さいの」
「木の実と蜂蜜入ってた」
「そりゃ美味そうだ」
「杏も買った」
「ずいぶん楽しんできたねえ」
「運河も行った」
「船は?」
「いた。四人くらい乗れる」
「ちゃんと教えてもらったのかい」
「うん。でもジジ、杏分かんなかった」
「それは言わなくていいだろ」
ドーラが声を上げて笑った。
「ジジ説明下手」
ドーラは笑いながら厨房へ戻っていった。
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昼食を終えると、二人は家へ戻った。
玄関を開ける。
カモミールの鉢を持ち、庭へ向かう。
二本のローズヒップの前で止まった。
「赤いの大きくなった?」
「朝も聞いただろ」
「朝からは?」
「数時間しか経ってねぇよ」
「ちょっとは?」
ジジが二本の苗を見る。
「……変わってねぇ」
「ちゃんと見た?」
「見た」
「そっか」
ジジはカモミールの鉢を地面へ置いた。
「カモミールはどこにする?」
「赤いのの近く」
「じゃあ、この辺だな」
ルナリスを庭に座らせる。
ジジが少し離れた場所の土を掘り始めた。
「何してるの?」
「穴掘ってる」
「大きい?」
「カモミール入るくらい」
「ルナもやる?」
「植える時手伝うか?」
「うん」
穴を掘り終える。
ジジが鉢から苗を外し、ルナリスを植えるところに連れてきた。
「手出して」
両手が伸びる。
その手に、小さな苗が触れる。
「持つぞ」
「うん」
ジジが一緒に支え、掘った穴へ下ろしていく。
「ここ?」
「もうちょい下」
「こう?」
「ああ。そこでいい」
土を戻し、根元を整える。
ローズヒップが二本。
少し離れたところに、カモミールが一株。
ルナリスが手を伸ばす。
「触る」
「こっち」
ジジが手を導く。
指先が小さな葉と花に触れた。
「カモミール」
「ああ」
「三つになった」
「そうだな」
「マリアの庭みたい?」
ジジが庭を見渡す。
「全然」
「まだ?」
「まだ三つしかねぇだろ」
「マリアの庭、いっぱいあった」
「ああ」
ルナリスがカモミールの花を指先で撫でる。
「また増やす?」
ジジは土のついた手を払った。
「そのうちな」
「少しずつ?」
「ああ」
「じゃあ次、何にする?」
「まだ決めなくていいだろ」
「お肉につけるやつ。いい匂いする葉っぱ」
「ローズマリーか?」
「多分」
「また店行く?」
「うん」
ルナリスが笑った。
ジジも小さく息を漏らし、立ち上がる。
庭にはまだ、何も植えられていない場所が残っていた。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




