消えた文字
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
毎日21:00頃 2~3話ずつ更新しています。
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夜。
家の中は静まり返っていた。
エレーンは喉の渇きで目を覚ました。
隣ではシエラが眠っている。
起こさないように寝台を抜け、部屋を出た。
台所で水を飲み、戻ろうとした時。
窓の外に人影が見えた。
庭の奥。
月明かりの下に、ジジが座っている。
こんな時間に何をしているのだろう。
エレーンは扉を開けた。
「ジジ?」
顔を上げる。
「起きてたの?」
「水を飲みに来たの。あなたこそ何してるの?」
「ちょっと」
「ちょっと?」
エレーンは庭へ出た。
近づいてみると、ジジは一枚の古い紙を持っていた。
「それは?」
「マリアの手紙」
「マリアの?」
「ああ」
エレーンはジジの隣に腰を下ろした。
夜の庭を風が抜けていく。
「急にどうしたの?」
「別に」
ジジは手紙を見た。
「ちょっと思い出しただけ」
「マリアを?」
「ああ」
少し間が空く。
「ルナ、戻ってきただろ」
「ええ」
「喋るし、笑うし。前とそんなに変わらない」
ジジは庭へ目を向けた。
「でも、まだ見えないし。歩けない」
エレーンは黙って聞いていた。
「戻ってきたけど、全部戻ったわけじゃねぇ」
手の中の紙が、小さく揺れる。
「マリアがいたら、何て言うかなって」
「……それで、手紙を読んでたの?」
「ああ」
エレーンは古びた紙を見る。
「いつの手紙?」
「マリアが死んだ時」
ジジは手紙を開いた。
「死んだって聞いて、久し振りにここに戻ってきた」
「その時に?」
「ああ。置いてあった」
ジジは少しだけ笑った。
「置き手紙だったのね」
「そう」
エレーンはしばらく手紙を見ていた。
「……どんなことが書いてあるの?」
ジジが手紙を差し出す。
「読む?」
「いいの?」
「いいよ」
エレーンは受け取った。
何度も開かれた跡のある紙を、そっと広げる。
そこには。
ジジへ向けた、マリアの文字が残されていた。
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――わたしの愛する小さな泥棒 ジジへ――
お前がこの手紙を読んでいるということは、
わたしはもう死んだということ。
お前が初めて庭に来たときは、
やせ細り、叩いたら折れてしまいそうだったね。
人の庭の実を勝手に食べておきながら、
悪びれもしない顔をしていた。
あの小さな泥棒が、今はどんな姿になっているだろうか。
元々お前は孤児院でも大きい方だったからね。
きっと、わたしが見上げるほど大きくなっているのだろう。
毎日その姿を考え、無事を祈っていたよ。
ルナリスを連れて庭へ来るようになってから、
お前は少しずつ笑うようになった。
あの子を抱くお前を見ていると、
どちらが育てられているのか分からなかったね。
だから。
あの子がいなくなったあとのお前を見ているのは、
とても辛かった。
あの日。
「強くなりたい」と言ったお前を、
本当なら止めるべきだったのだろう。
まだお前は十五だった。
一人で背負うには、あまりにも大きなものを抱えていた。
ここにいなさいと。
もう少し大人になってからでいいと。
そう言うこともできた。
それでも、わたしには言えなかった。
ルナリスを失って、
何もかもなくしたような顔をしていたお前に。
あの子を探すため強くなることを諦めろとは、
どうしても言えなかった。
お前が出て行ったあと、
追いかけてやればよかったと思うことは何度もあった。
あの時、止めていればと思った夜もあった。
それでも。
お前の人生だ。
お前が好きなように生きたらいい。
ジジ。
お前は一人じゃない。
たとえこの家にわたしがいなくても。
この庭にわたしの姿がなくても。
この老いぼれエルフは、
お前の心の中で生きているよ。
だから。
守ることばかりに夢中になって、
自分の心まで置いていくんじゃないよ。
ジジ。
愛している。
心の底から。
マリア
——————————————————————
エレーンは、しばらく何も言えなかった。
紙から顔を上げる。
隣にいるジジは、庭を見ていた。
この手紙を。
マリアが亡くなってから、何度読んだのだろう。
「……愛されてたのね」
ジジが少しだけ目を伏せる。
「そうだな」
短い返事だった。
けれど。
それだけで十分だった。
エレーンはもう一度、手紙へ目を落とす。
その時。
署名の下にある文字が目に入った。
「……あれ?」
「何?」
「まだ続きがあるわ」
「それ?」
ジジが手紙を覗き込む。
「そこは読めねぇ」
「読めない?」
「ああ。マリアにエルフ語は教わったけど、それは分かんなかった」
エレーンは文字を目で追う。
確かに、今使われているエルフ語とは違う。
「これ……古エルフ語よ」
「古エルフ語?」
「ええ」
「エレーンは読める?」
「たぶん」
エレーンは少し身体を寄せ、文字を確かめた。
古い言い回しだった。
一文字ずつ意味を拾う。
「……読めそう」
ジジがエレーンを見る。
「何て?」
「待って」
エレーンは最初の文字へ戻った。
そして。
ゆっくりと声に出す。
「ジジ・ガルシアを――」
夜の庭に、エレーンの声が落ちる。
「その心を預ける者のもとへ――」
最後の一節。
「導き給え」
その瞬間。
文字が淡く光った。
「……え?」
エレーンが目を見開く。
ジジも手紙を見る。
「光ってる」
「ええ……」
光が文字の上をゆっくりと走る。
そして。
最初の一文字が消えた。
「ジジ」
「ん」
次の文字。
その次。
二人が見ている前で、古エルフ語だけが次々と紙の上から消えていく。
エレーンが指先で触れる。
「待って……」
止まらない。
やがて最後の一文字まで消え。
マリアの署名の下には、何も残らなかった。
夜風が吹いた。
庭の草木が揺れる。
二人とも、しばらく何も言わなかった。
「……消えたな」
「消えたわね」
「何で?」
「私に分かるわけないでしょう」
ジジは手紙を受け取り、消えた場所を見る。
「何かの術?」
「精霊術かしら……」
「精霊術…」
エレーンにも、それ以上のことは分からなかった。
「何て書いてあった?」
ジジが聞く。
―ジジ・ガルシアを、その心を預ける者のもとへ導き給え―
「心を預ける者……」
ジジが少し考える。
「どういう意味だ?」
「さあ」
エレーンはそう答えた。
けれど。
胸の奥に、何かが引っかかった。
「マリア、何したんだろうな」
ジジは消えた文字を見つめている。
「……きっと、何か意味があるんでしょうね」
「そうだな」
ジジは手紙を丁寧に畳んだ。
「ありがと」
「何が?」
「読んでくれて」
「私は読んだだけよ」
「ああ」
ジジは立ち上がった。
「もう寝る?」
「ええ。水を飲みに来ただけだったもの」
「そっか」
二人で家へ戻った。
——————————————————————
部屋へ入る。
シエラはまだ眠っていた。
エレーンは静かに寝台へ入り、目を閉じた。
けれど。
眠れない。
マリアの手紙が、頭に残っていた。
十五歳のジジを送り出したこと。
ずっと無事を祈っていたこと。
愛してると、最後に残したこと。
そして。
あの一文。
―ジジ・ガルシアを、その心を預ける者のもとへ導き給え―
寝返りを打つ。
自分が読み上げた瞬間、文字は消えた。
古エルフ語を声にしたから。
きっと、それだけだ。
誰が読んでも同じだった。
そう考えるのが、一番自然だった。
「…………」
もう一度、寝返りを打つ。
―その心を預ける者―
なぜか、その言葉だけが離れない。
ジジの顔が浮かぶ。
昼間、剣を教えていた時の顔。
笑った顔。
庭で手紙を見つめていた横顔。
エレーンは布団を少しだけ引き上げた。
「……寝よう」
目を閉じる。
しばらくして、また開いた。
エレーンは隣で眠るシエラを一度見てから、
布団の中へ顔を半分埋めた。
古エルフ語を読んだだけ。
文字が消えただけ。
それだけなのに。
胸の奥に生まれたものを打ち消すように、もう一度目を閉じる。
今度こそ眠ろうとした。
その夜。
エレーンが眠りにつくまでには、随分と時間がかかった。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




