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精霊は還る場所を知っている  作者: くおんあづき


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眠れない夜

その日の夜。


エレーンは暗闇の中で目を覚ました。


「…………」


息が浅い。

胸が早く上下している。

夢を見ていた。


どんな夢だったのかは、

目を開けた瞬間から少しずつ形を失っていった。

それでも、手首を掴まれた感触だけが

妙に鮮明に残っている。


エレーンは布団の中で手を握った。


鎖はない。

枷もない。


何度確かめても、それは変わらない。


天井を見る。


マリアというエルフが住んでいた古い家。

隣の部屋には、自分を買ったくせに

何も要求してこない人間がいる。

そして扉には、自分で閉められる閂がある。


「……馬鹿みたい」


誰に言ったのか、自分でも分からなかった。

喉が渇いている。

エレーンはベッドを抜け出し、扉の閂を外した。

廊下へ出る。


家の中は静かだった。


だが、台所の方から微かな明かりが漏れている。

足音を立てないよう近づくと、

テーブルにジジがいた。

薄い灯りの下で、剣を手入れしている。

黒髪は後ろで適当に束ねられ、

袖を肘まで捲っていた。


「……起きていたの?」


ジジが顔を上げる。


「ん」


「こんな時間に?」


「お前もだろ」


「私は……水を飲みに来ただけよ」


「そこ」


ジジが顎で水差しを示す。

エレーンはコップへ水を注ぎ、その場で飲んだ。


冷たい水が喉を通る。

少しだけ呼吸が落ち着いた。


「眠れないの?」


何気なく聞くと、

ジジは剣から目を離さないまま答えた。


「別に」


「起きているじゃない」


「目ぇ覚めただけ」


「……そう」


明らかに話す気はないらしい。

エレーンはコップを戻した。

部屋へ戻ろうとしたが、

ふとジジの右腕が目に入った。


朝、庭でも見えた火傷の痕。


灯りの下では、

それが思っていたより広いことが分かる。

肘の周辺から、腕へ不規則に伸びている。


「その傷」


ジジの手が止まった。


「何」


「火傷でしょう?」


「ああ」


「古いのね」


「そうだな」


エレーンは思わずジジを見る。


「……昨日話していた人と関係があるの?」


ジジは数秒黙った。


「そうだな」


それだけだった。


エレーンも、それ以上は聞かなかった。

聞いてほしくない時の顔くらいは分かる。

奴隷になってから、

そういう顔をした人間を何人も見てきた。

ただ、その中で一つだけ違うことがある。


ジジは自分を黙らせるために怒鳴らない。


質問したことを責めもしない。

答えたくないから、答えない。


それだけだった。


「……あなたも、夜に目が覚めるのね」


ぽつりと呟く。


今度はジジがエレーンを見る。


「も?」


「何でもないわ」


エレーンは目を逸らした。

だがジジは追及しなかった。


「茶、飲むか」


「え?」


「どうせすぐ寝ねぇだろ」


そう言って立ち上がる。

エレーンは少し迷った。


「……いただくわ」


ジジが湯を沸かす。


しばらくして、見慣れ始めた赤い茶が

目の前に置かれた。


「またローズヒップ?」


「ああ」


「本当に好きなのね」


「悪ぃかよ」


「悪いとは言っていないでしょう」


エレーンはカップを両手で包んだ。

温かい。

ジジは向かいに座り、また剣を手に取る。


「私がいて邪魔じゃない?」


「何で」


「剣の手入れをしていたのでしょう」


「見られて困るもんじゃねぇ」


「そう」


会話はそこで途切れた。


剣を布で拭く音。

時折、薪が小さく爆ぜる音。

それだけが部屋に響く。


不思議だった。


沈黙なのに、居心地が悪くない。

奴隷の頃の沈黙は、いつも次に何を命じられるのか

分からない時間だった。


機嫌を窺う時間。

呼ばれるのを待つ時間。


けれど、今は違う。


何も起こらない。

ただ二人とも、眠れずにここにいる。


「……ジジ」


「ん」


「明日は何をするの?」


剣を鞘へ戻しながら、ジジが答える。


「街に行く」


「また買い物?」


「違う」


「何をしに?」


「守備隊」


エレーンが眉を寄せる。


「守備隊?」


「ああ」


「あなた、冒険者でしょう?」


「だな」


「なぜ守備隊に?」


「ちょっと調べたいことある」


それ以上は説明しなかった。

エレーンはカップの中を見る。


「私も行くわ」


「来なくていい」


「なぜ?」


「用ないだろ」


「私はあなたを監視しているの」


「まだ言ってんのかそれ」


「当然でしょう」


ジジが呆れた顔をする。


「好きにしろ」


「ええ。そうするわ」


少しだけ間が空く。

ジジがエレーンを見る。


「でも明日朝早いよ」


「問題ないわ」


「今寝ねぇと起きれねぇだろ」


「それはあなたも同じでしょう」


「俺は起きる」


「本当に?」


「……たぶん」


「信用できないわね」


「お前、俺のこと信用してねぇだろ」


「最初からそう言っているでしょう」


ジジが鼻で笑った。


それを見て、エレーンもほんの少しだけ笑った。

自分が笑ったことに気づいて、

すぐにカップへ口をつける。

ジジは何も言わなかった。


部屋へ戻る前。

エレーンは扉の前で一度振り返った。


ジジはまた剣を手にしている。


「おやすみ」


そう言うと、ジジが顔を上げた。


「ん。おやすみ」


部屋へ入り、扉を閉める。

そして自分の手で閂をかけた。

今夜も鍵を閉める。

まだ、その方が安心する。


けれど。


扉の向こうに誰かがいることを、

ここに来る前ほど怖いとは思わなかった。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

お読みいただきありがとうございます。

くおんあづきです。

初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。

かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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