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精霊は還る場所を知っている  作者: くおんあづき


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好きなのを選べ

朝食を片付け終えた頃、ジジは唐突に言った。


「出るぞ」


食器を拭いていたエレーンが振り返る。


「どこへ?」


「街」


「それは分かるわ。何をしに行くの?」


「買い物」


それだけ言うと、

ジジは壁に立てかけてあった剣を腰へ差した。


「お前も来い」


「……私も?」


「ああ」


エレーンは手元を見る。


昨日から着たままの服。

奴隷市場へ連れて行かれた時に与えられた、

粗末な薄い服だった。

洗われてはいるものの、布地は傷み、

ところどころにほつれがある。


「私はここにいるわ」


「何で」


「留守番くらいできるわ」


「別に留守番いらねぇ」


「なら、一人で行けばいいじゃない」


ジジは怪訝そうな顔をした。


「お前の物買いに行くんだけど」


「……私の?」


「ああ」


まるで当然のことのように言う。

エレーンは眉を寄せた。


「必要ないわ」


「いるだろ」


「今着ているものがある」


「それ一着でずっと過ごす気か?」


「…………」


正論だった。


だが素直に頷く気にもなれない。


「あなたに買ってもらう理由がないわ」


「俺が買うっつってんだからいいだろ」


「そういう問題では――」


「あー、めんどくせぇ」


ジジが頭を掻く。

エレーンの眉がぴくりと動いた。


「……何ですって?」


「必要だから買う。それだけだ」


「私は施しを受けたいわけではないの」


「じゃあ後で返せ」


「……え?」


「金できたら返せばいいだろ」


エレーンが黙る。

ジジは既に玄関へ向かっていた。


「行くぞ」


「ちょっと待ちなさい」


「何…」


「歩きながら言わないで」


仕方なく、エレーンは布巾を置いた。

玄関を出る直前。

自分でも理由は分からないまま、

一度だけ家の中を振り返った。

昨日までなら、

誰もいない場所へ置いていかれることに

不安を覚えたかもしれない。


けれど今は。


戻ってくる場所として、この家を見た。

そのことに気づいて、エレーンはすぐに前を向いた。


ノーカルミアの街は、昨日とは違って見えた。


奴隷市場から連れ出された時は、

周囲を見る余裕などなかった。

石造りの建物が並ぶ大通り。

露店から漂う焼いた肉や香辛料の匂い。

行き交う馬車。商人の声。


人間。

獣人。

時折、エルフの姿もある。


エレーンは無意識に歩幅を狭めた。


「どうした」


少し先を歩いていたジジが振り返る。


「何でもないわ」


「そ」


それだけ言って、また歩き始める。


急かしもしない。


だが気づけば、先ほどよりジジの歩調が

少しだけ遅くなっていた。

エレーンはそれに気づいたが、何も言わなかった。

代わりに街を眺める。

すると妙なことに気づく。


すれ違う者たちが、ちらちらとジジを見るのだ。

中には顔を見た瞬間、道を空ける者までいる。


「……あなた、随分見られているのね」


「ん?」


「さっきから皆あなたを見ているわ」


「そうか?」


「気づいていないの?」


「いちいち見てねぇ」


前から歩いてきた二人組の冒険者が、

ジジを見るなり小声で何かを話した。

エレーンの耳には聞こえた。


「……ガルシアだ」


「本物か?」


「昨日ノーカルミアに戻ったって――」


二人はそのまますれ違っていった。

ジジは振り返りもしない。


「有名なのね」


「知らん」


「自分のことでしょう」


「俺は俺の顔見ながら歩けねぇだろ」


「そういう話をしているのではないわ」


「じゃあ何の話だよ」


エレーンはため息をついた。

昨日、奴隷市場でも聞いた。


六ヶ国でただ一人のオリハルコン。


それがどれほどの存在なのか。

エレーンにはまだよく分からない。

 

ただ少なくとも、

この街の人間たちは知っているらしい。

そんな男が朝から庭の枝を切り、

パンを食べ、皿を洗っている。


どうにも結びつかなかった。


「着いたぞ」


ジジの声で顔を上げる。

衣料品店だった。


「入れ」


「……本当に買うの?」


「ここまで来て帰る気か?」


ジジはさっさと店へ入っていく。

エレーンも仕方なく後に続いた。


「いらっしゃ――」


店主の女性がジジを見て、一瞬言葉を止めた。


「あら。ジジじゃない」


「久しぶり」


「本当に久ぶりね。いつ戻ったの?」


「昨日」


どうやら顔見知りらしい。

店主の視線がエレーンへ移る。

その目が、首元で一瞬止まった。


そこにはまだ、首輪の擦れた痕が残っている。

エレーンの肩が僅かに強張った。

だが店主は何も尋ねなかった。


「今日は?」


「こいつの服」


「なるほどね」


女性はエレーンへ柔らかく笑いかけた。


「好きに見てちょうだい。

 サイズが分からなければ声をかけて」


「……ありがとう」


店内には色とりどりの服が並んでいた。


シャツ。

ズボン。

スカート。

外套。

靴。


エレーンはその前に立ったまま動かなかった。


ジジが後ろから声をかける。


「何してんの」


「見ているのよ」


「さっきから同じとこしか見てねぇだろ」


―選べ―


そう言われても。

何を選べばいいのか分からなかった。

最後に自分で服を選んだのは、いつだっただろう。


まだ村にいた頃。

母が仕立ててくれた服の色を、

シエラと二人で選んだ。


それが最後だった。


それから先は、いつも与えられたものを着た。

着ろと言われたものを着る。

脱げと言われれば脱ぐ。

破れれば、別の物を渡される。


服とは、そういうものだった。


「……何でもいいわ」


エレーンは言った。


「適当に選んで」


「何で俺が」


「私は何でもいいの」


「俺、お前が何好きか知らねぇぞ」


「だから何でも――」


「好きなの選べばいいだろ」


エレーンは黙った。

ジジは棚を眺めながら続ける。


「俺が着るわけじゃねぇんだから」


「…………」


「色くらい好きなのあるだろ」


好きな色。


問われたことすら、随分なかった。

エレーンは服を一つずつ見ていく。


白。

赤。

淡い黄色。

青。

そして、深い緑。


指先が止まった。


「……これ」


呟くように言った。


ジジが見る。


「それ?」


「ええ」


「じゃあそれにしろ」


あまりにも簡単だった。


「……いいの?」


「何が」


「その……」


エレーンは緑の布を手にしたまま、言葉を探す。


「あなたは、それでいいの?」


ジジが本気で意味が分からないという顔をする。


「お前の服だろ」


「…………」


「俺が決めてどうすんだ」


エレーンは手元の服へ視線を落とした。


「……そうね」


ほんの少し。


口元が緩んだ。


結局、普段着を数着と、外套、

それに新しい靴を買った。

会計を済ませたジジが袋を持つ。


「自分で持つわ」


「別にいい」


「私の物よ」


「じゃあ持て」


あっさり渡された。

エレーンは袋を受け取る。


「……本当に遠慮というものがないのね」


「持ちたいっつったのお前だろ」


「普通、一度くらい断るものじゃない?」


「何で」


「…………もういいわ」


店を出る。


しばらく歩いたところで、エレーンが口を開いた。


「ジジ」


「ん」


「さっきの服代」


「ああ」


「必ず返すわ」


「好きにしろ」


「忘れないで」


「忘れたらお前が覚えとけ」


エレーンは横目でジジを見る。


「あなた、本当に適当ね」


「細かいよりいいだろ」


「限度があるわ」


そんなことを言いながら、二人は街を歩いた。

昨日までなら、

エレーンは人混みの中で常に出口を探していた。


誰が自分を見ているか。

誰が近づいてくるか。

誰から逃げればいいのか。


だが今は、ほんの少しだけ違う。


腕には、自分で選んだ服。

隣には、妙に無愛想な男。


まだ信用しているわけではない。

そう自分に言い聞かせる。


それでも。


十五年ぶりに自分で選んだ深い緑色が、

袋の隙間から覗いていた。


家へ戻り、エレーンは新しい服を部屋へ運んだ。

着ていた古い服を脱ぎ、ベッドの上へ置く。


捨ててしまえばいい。


そう思った。

けれど手が止まった。


十五年間の最後に与えられた服。


好きだったわけではない。

思い入れなどあるはずもない。

それなのに、簡単に捨てることもできなかった。


そのまま見つめていると、

開いた扉の向こうをジジが通りかかった。


「それ捨てんの?」


エレーンが振り返る。


「……分からないわ」


「そうか」


ジジはそれだけ言って通り過ぎようとした。


「待って」


「何」


「捨てた方がいいと思う?」


ジジは古い服を見る。

少し考えてから、エレーンへ視線を戻した。


「好きにしろ」


「……」


「お前のだろ」


「…………」


「捨てたきゃ捨てろ。残したきゃ残せ」


「自分で決めろ」


それだけ言って、今度こそ廊下の向こうへ消えた。

エレーンはしばらく扉を見ていた。

やがて古い服を手に取る。

丁寧に畳んだ。


今日は捨てないことにした。


明日になれば、捨てるかもしれない。

それでもいい。

決めるのは、自分なのだから。


窓から差し込む光の中で、

椅子の背に掛けた深い緑の服が、静かに揺れていた。

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お読みいただきありがとうございます。

くおんあづきです。

初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。

かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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