拾った日ー後編ー
十三年前のある日。
十歳のジジは、いつものように森の道を歩いていた。
向かうのは、マリアの家。
薬草の匂いがする庭。
古い木の扉。
勝手に入れば怒られる。
でも、追い返されたことは一度もない。
「マリア」
返事はなかった。
庭にもいない。
家の周りを一周してみたが、人影もない。
「……いないの?」
しばらく待った。
石段に座り。
庭の草を眺め。
それでも戻ってこない。
マリアが留守にすること自体は珍しくなかった。
薬草を探しに遠くへ行くこともある。
誰かの治療へ出向くこともある。
だからジジは、それ以上気にしなかった。
「また来る」
誰もいない家へ言って。
孤児院へ戻った。
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太陽が西に沈む頃だった。
森から出て孤児院の裏を通った時。
細い声が聞こえた。
「……?」
足を止める。
また聞こえる。
泣き声。
壁際の草のそば。
一つの籠が置いてあった。
ジジは近づく。
中を覗いた。
「…………」
赤ん坊がいた。
真っ白な髪。
泣いて赤くなった顔。
小さな拳を握り締めている。
「何で赤ん坊いんの」
当然。
返事はない。
周りを見る。
誰もいない。
「おい」
赤ん坊は泣く。
「俺に言われても分からないんだけど」
しゃがみ込む。
「腹減った?」
泣く。
「寒い?」
泣く。
「どっち?」
もっと泣いた。
「……分からない」
しばらく考えて。
籠ごと持ち上げた。
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孤児院の中は、すぐに騒ぎになった。
誰が置いたのか。
いつからいたのか。
近くに人はいなかったのか。
ジジは何度も同じことを聞かれた。
「知らない」
「見てない」
「帰ってきたらいた」
それしか答えようがない。
赤ん坊は身体を拭かれ。
布を替えられ。
乳を与えられた。
ようやく泣き声が止まる。
ジジは、その様子をずっと見ていた。
「もういいのよ」
職員に言われた。
「別に」
「何してるの?」
「見てる」
「何を?」
「こいつ」
「赤ちゃんを“こいつ”って言わないの」
「名前ないだろ」
「だからって」
怒られた。
ジジは寝台の中の赤ん坊を見る。
寝た。
さっきまであれだけ泣いていたのに。
「静かになった」
「お腹いっぱいになったからね」
「じゃあ腹減ってたんだ」
「たぶんね」
「最初に言えばいいのに」
「赤ちゃんに無茶言わないの」
意味が分からなかった。
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夜。
また泣いた。
ジジは目を覚ました。
自分の寝床から抜け出し、赤ん坊のいる部屋へ行く。
「また?」
職員が乳を用意していた。
「ジジ、起きてきたの?」
「うるさかった」
「なら戻って寝なさい」
「何で泣いてんの?」
「今度は布かもしれないわね」
「腹じゃないの?」
「赤ちゃんが泣く理由は一つじゃないの」
「面倒だな」
「あなたも昔はこうだったのよ」
「覚えてない」
「でしょうね」
布を替える。
それでも泣く。
「まだじゃん」
「今度は抱いてほしいのかも」
「何で」
「寂しいとか」
「赤ん坊が?」
「赤ん坊だからよ」
職員が抱き上げる。
少しすると、泣き声が小さくなった。
ジジはじっと見る。
「抱くだけ?」
「そういう時もあるわ」
「変なの」
その夜。
ジジは赤ん坊が眠るまでそこにいた。
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次の日。
またマリアの家へ行った。
まだいなかった。
その次の日も。
いない。
三日経っても。
戻ってこない。
だからジジは、毎日赤ん坊のところへ行った。
乳を飲ませるところを見る。
布の替え方を覚える。
泣き声の違いを少しずつ覚える。
そして。
「抱いてみる?」
「俺が?」
「毎日見てるでしょう」
「見るのと抱くの違うだろ」
「だから覚えるの」
職員から赤ん坊を渡される。
「首を支えて」
「こう?」
「もっと優しく」
「落とさないよ」
「落とさないだけじゃ駄目なの」
「難しいな」
腕の中で赤ん坊が動く。
「うわ」
「動くわよ」
「急に動いた」
「生きてるんだから」
ジジは恐る恐る抱き直した。
白い髪。
開いた眼は、淡い碧色だった。
じっとジジを見ている。
「何」
答えない。
「俺の顔見ても何もないぞ」
小さな手が動いた。
ジジの指を掴む。
「…………」
「気に入られたんじゃない?」
「分かるの?」
「さあ」
「適当だな」
そう言いながら。
ジジは、その指を抜かなかった。
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マリアが帰ってきたのは、それから数日後だった。
「マリア」
「あら、小さい泥棒」
「遅い」
「ごめんなさいね。少し遠くまで行っていたの」
「これ」
ジジが籠の中に赤ん坊を入れて連れてきた。
「赤ちゃんを“これ”って言わないの」
「孤児院の裏にいた」
「そう」
「何日か俺が見てた」
「あなたが?」
「誰もいなかったから」
「孤児院の人はいたでしょう」
「そうじゃなくて」
「私が?」
「うん」
マリアが笑った。
「よく頑張ったわね、小さい泥棒」
「もう小さくない」
「十歳は十分小さいわよ」
「小さくない」
「はいはい」
籠には、一輪の白い花が残されていた。
ジジはそれを指した。
「これ何」
「月下美人よ」
「げっかびじん?」
「夜に咲く花」
「へぇ」
白い花。
白い髪。
ジジは赤ん坊を見る。
「ルナリス」
「名前?」
「うん」
「そう呼ぶの?」
「うん」
赤ん坊の顔を覗き込む。
「ルナ」
当然。
まだ返事はなかった。
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それから。
ルナリスは孤児院で預かられた。
ジジは、毎日のようにそばにいた。
泣けば見に行った。
熱を出せばマリアのところへ走った。
食べられるものが増えれば、自分が先に味を見る。
歩き始めた時は、
ルナリスはジジの後ろをついて回った。
「来るな」
「じじ」
「転ぶぞ」
「じじ」
「前見ろって」
転ぶ。
「ほら」
抱き起こす。
また歩く。
そして。
最初に覚えた言葉。
「……じじ」
だった。
ジジはしばらく、ルナリスを見た。
「俺?」
「じじ」
「……俺か」
ルナリスが笑う。
意味もなく。
ただ嬉しそうに。
十歳だった少年は。
その時初めて。
誰かに呼ばれる自分の名前が、
こんなに違って聞こえることを知った。
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「それで三年」
ジジが言った。
エレーンは何も言わなかった。
ダンテも。
寝台の上で、ルナリスが小さく笑っている。
「ルナ、最初からジジって呼んでたんだ」
「最初は言えてなかったけどな」
「じじ」
「そう」
「今と同じじゃん」
「だな」
ルナリスが手を伸ばした。
ジジが取る。
「ルナリスって名前、気に入ってる?」
「うん」
「ならよかった」
それだけだった。
エレーンは、繋がれた二人の手を見る。
十歳の少年と。
生まれたばかりの赤ん坊。
三年間。
たった三年。
けれど。
この二人の絆の深さに、月日は関係なかった。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




