二十三番
翌朝。
エレーンが目を覚ました時には、
外はまだ薄暗かった。
しばらく寝台の上で天井を見る。
昨日見つけた文字が、頭から離れない。
――シエ。
たった二文字。
それだけなのに、目を閉じるたびに浮かんでくる。
隣の部屋から物音がした。
起き上がって居間へ行くと、
ジジが剣を腰へ差しているところだった。
「早いわね」
「ああ」
「採石場?」
「そのつもり」
エレーンは窓の外を見る。
「集合時間まで、まだかなりあるでしょう」
「起きたから」
「……そう」
ジジらしいと言えば、ジジらしい。
「私も行くわ」
「仕事は?」
「今日は休み」
「ああ、そっか」
エレーンは水差しへ手を伸ばす。
その手を見て、昨日のことを思い出した。
僅かに震えていた指。
「ねえ」
「ん」
「昨日の文字」
「ああ」
「あなた、本当にシエラだと思う?」
ジジは少し考えた。
「分かんねぇって」
予想通りの答えだった。
「そうよね」
「でも、違うとも思ってねぇよ」
エレーンが顔を上げる。
「……珍しい言い方ね」
「そう?」
「あなたなら“分かるまで調べる”で終わると思った」
「それも思ってる」
「でしょうね」
少しだけ笑う。
昨日より、胸の中の重さが僅かにほどけた気がした。
——————————————————————
採石場へ着くと、既に数人の守備隊員が
地下へ入っていた。
ダンテが入口で待っている。
「今日は奥を見る」
「昨日の続き?」
エレーンが尋ねる。
「ああ。地下の廊下が
途中で曲がってるのが分かった。まだ先がある」
「図面には?」
「相変わらず何もねぇ」
ジジが坑道へ入ろうとする。
「おい」
「何」
「俺が説明してる途中だ」
「聞いてる」
「歩きながらでもいいだろって顔してんな」
「分かるならいいだろ」
「よくねぇよ」
エレーンは二人を見て、小さく息を吐いた。
「ジジ」
「何」
「待ちなさい」
「……はい」
素直に止まった。
ダンテが少し驚いた顔をする。
「お前、俺よりエレーンの言うこと聞くな」
「二人とも同じこと言ってんだろ」
「俺が先に言ったんだが」
「知らねぇよ」
「知れ」
エレーンは口元を隠すように横を向いた。
昨日見つけた地下室を抜け、さらに奥へ進む。
古い廊下は途中で右へ折れていた。
こちら側は昨日の場所よりも状態が悪い。
天井から岩が崩れ、一部は木材で塞がれている。
「ここから先、気をつけろ」
ダンテが灯りを掲げる。
「床も何箇所か沈んでる」
エレーンは足元を確認しながら進む。
やがて、前方を歩いていた隊員が止まった。
「隊長」
「どうした」
「塞がってます」
大きな木材が斜めに倒れ、通路を塞いでいた。
その上には崩れた石がいくつも乗っている。
ダンテが近づいて様子を見る。
「昨日の夜に落ちたわけじゃなさそうだな」
「ずっとこの状態か?」
「たぶん」
ジジが木材へ手を掛ける。
エレーンが横を見る。
「何をしているの?」
「どける」
「一人で?」
「ん」
ダンテが何か言おうとした時。
ジジが木材を持ち上げた。
ゆっくりと。
上に乗っていた石がぱらぱらと落ちる。
「…………」
エレーンは黙って見上げる。
太い梁だった。
大人二人でも持ち上げられるか怪しい。
「持ってて」
ジジが言う。
「何を?」
「灯り」
「ああ、はい」
エレーンは反射的に受け取った。
ジジはそのまま梁を横へずらし、壁際へ置く。
鈍い音が地下に響いた。
ダンテがしばらく黙っていた。
「……お前さ」
「何」
「たまにオリハルコンなの思い出させるよな」
「何だそれ」
「普段が普段だから」
「失礼だな」
エレーンも灯りを返しながら言う。
「私も少し忘れていたわ」
「お前まで?」
「家では普通の人でしょう」
ダンテとエレーンが同時にジジを見る。
「何だよ」
「いや」
「何でもないわ」
二人とも、それ以上は言わなかった。
塞がれていた先には、小さな部屋が三つあった。
前の区画とは造りが違う。
鉄輪もない。
代わりに、棚や机の残骸が並んでいる。
「管理室か?」
ダンテが言った。
床には紙の屑が大量に落ちていた。
湿気で腐ったもの。
虫に食われたもの。
焦げたもの。
「記録を置いてたのかもしれないわね」
「ああ」
「全部見るの?」
「全部だ」
エレーンは部屋を見回した。
かなりの量がある。
「……今日は長くなりそうね」
「そうだな」
ジジは既にしゃがみ込んでいた。
「あなた、こういう作業嫌いじゃなかった?」
「嫌い」
「ずいぶん早いわね」
「探してるもんあんだからしょうがねぇだろ」
「なるほど」
エレーンも隣へしゃがんだ。
二人で紙片を一枚ずつ拾っていく。
読めない。
次。
数字だけ。
次。
破れている。
次。
同じ蛇の印。
時間だけが過ぎていった。
「これ」
しばらくして、ジジが声を上げた。
エレーンとダンテが近づく。
ジジの手には、小さな金属札があった。
泥と錆に覆われている。
布で軽く拭う。
黒い蛇。
倉庫で見つかったものと同じ印。
ジジが裏返した。
「……二十三」
エレーンの目が止まる。
「なかった番号?」
「ああ」
倉庫では二十一から二十七まで見つかっていた。
ただ一つ。
二十三だけを除いて。
「どうしてここに……」
エレーンが呟く。
ダンテが札を受け取る。
「少なくとも、倉庫とここが
同じ流れで使われてた可能性は上がったな」
「二十三番がここまで来た?」
「それもまだ分からん」
「ええ」
エレーンは頷いた。
期待だけで結論を作らない。
分かっている。
それでも胸が速くなる。
「札があった場所は?」
「棚の下」
ジジが指す。
古い棚が倒れ、その下に紙の束が潰れていた。
「こっちも見るぞ」
ダンテが隊員を呼ぶ。
倒れた棚を慎重に動かし、
下の紙を一枚ずつ回収する。
ほとんどは使い物にならなかった。
だが、その一番下。
革張りの薄い帳面が挟まっていた。
「これ……」
エレーンが息を止める。
表紙は腐りかけている。
中も半分ほど失われていた。
それでも、数ページは読める。
ダンテが文書管理官へ渡した。
老人が慎重にページをめくる。
「数字……分類……」
「帳簿と同じ?」
「ああ。似ている」
ジジとエレーンも横から見る。
二十一。
二十二。
次の行。
二十三。
「ある」
エレーンの声が少しだけ低くなった。
二十三の横には、いくつかの記号。
そして文字。
老人が読み上げる。
「女性」
エレーンの指先が強く握られる。
「種族は?」
「……これは」
文字が滲んでいる。
だが、ジジにも読めた。
「エルフ」
「ええ」
エレーンも頷く。
その次。
出身地らしき欄。
端が失われている。
残っているのは――
“リュゼ”
そこで切れていた。
「…………」
誰もすぐには話さなかった。
「リュゼル」
ジジが言う。
「たぶんな」
ダンテも低く答えた。
エレーンは帳面から目を離せない。
女性。
エルフ。
リュゼル。
二十三番。
「名前は?」
エレーンが聞く。
老人が欄を追う。
「ここだと思うが……」
紙が大きく欠けている。
残っているのは、最初の僅かな部分だけ。
エルフ語。
一文字。
そして二文字目の半分。
「シ……」
エレーンが呟いた。
壁に残っていた文字。
――シエ。
今日の帳簿。
――シ。
心臓が強く鳴った。
「エレーン」
ジジの声がする。
「分かってる」
すぐに答えた。
「まだシエラとは限らない」
「ああ」
「女性のエルフで、リュゼルから来ていて、
名前がシで始まる人なんて……」
そこで言葉が止まる。
何人いるのだろう。
村には他にもいたかもしれない。
覚えていないだけかもしれない。
十五年も前だ。
「でも」
エレーンは帳面を見る。
「……昨日よりは、近いわね」
「ああ」
ジジはそれだけ答えた。
さらに帳面を調べる。
二十三番の行は、途中で大きく破れていた。
だが末尾に、小さな印が残っている。
「これ何だ?」
ジジが指す。
丸の中に、斜めの線が二本。
昨日まで見たどの分類記号とも違う。
文書管理官が首を傾げた。
「分からんな」
「他にもある?」
エレーンが尋ねる。
ページを遡る。
二十一。
ない。
二十二。
ない。
二十四。
同じ印があった。
二十六にも。
「三人だけ?」
「ああ」
ダンテが眉を寄せる。
「移送先を示してるのかもしれねぇな」
「ここからさらに別の場所へ?」
「可能性はある」
エレーンは印を見つめる。
採石場が終点ではなかった。
そう考えれば、少しだけ胸が軽くなる。
同時に、別の恐怖が生まれた。
「二十三番は……
ここで終わってない可能性があるのね」
「ああ」
ジジが答える。
「次を探せる」
エレーンは彼を見る。
「そうね」
それは希望と言うには、まだあまりにも細かった。
けれど昨日までにはなかったものだった。
——————————————————————
その日の調査が終わる頃には、
外は橙色に染まっていた。
採石場を出て、森の道を歩く。
エレーンはいつもより口数が少なかった。
「大丈夫か?」
ジジが尋ねる。
エレーンは少し考える。
「分からないわ」
「そっか」
「嬉しいような、怖いような……変な感じ」
「うん」
「もし二十三番がシエラだったら、
少なくともここまでは生きて来たことになる」
「そうだな」
「でも、その先が分からない」
「うん」
エレーンが横を見る。
「さっきから返事しかしか言ってないわよ」
「何て言えばいいんだ」
あまりにも真面目な顔で返され、
エレーンは一瞬黙った。
それから少し笑う。
「……それでいいわ」
「そう?」
「ええ」
しばらく歩く。
「ねえ、ジジ」
「ん」
「ありがとう」
「何が」
「一緒に探してくれてるでしょう」
ジジは少し眉を寄せた。
「今さら?」
「今さらでもよ」
「俺も探したいからやってるだけだ」
「ルナが関係しているから?」
「まぁ。それもある」
「それも?」
ジジは前を向いたまま答える。
「お前が探してるから」
エレーンは何も言えなくなった。
ジジは気づかず歩き続ける。
「……そういうの」
「何」
「いえ」
一度言葉を飲み込む。
そして、少し笑った。
「ありがとうって言ったら、
普通は“どういたしまして”くらい言うものよ」
「どういたしまして」
「今言うの?」
「言えっつっただろ」
「……もういいわ」
エレーンは笑いながら前を向いた。
ジジには、やはり何の意味もないのだろう。
それでも。
胸の奥に残った温かさまで、
なかったことにはできなかった。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




