黒い蛇
エレーンが薬草店の仕事を終え、
川沿いの倉庫へ着いた頃には
空が夕暮れ色に染まり始めていた。
昨日より多くの守備隊員が出入りしている。
外された床板が壁際へ積まれ、
倉庫の中には細かな埃が漂っていた。
「ジジ?」
「こっち」
奥から声が返ってくる。
声のする方へ向かうと、ジジは床にしゃがみ込み、
何かを見ていた。
「何か見つかった?」
「ああ」
顔を上げたジジの表情に、
いつもの気の抜けたところがない。
「これ」
指した先には、割れた木箱があった。
表面は黒く焦げ、一部は炭化している。
ずいぶん古いものらしい。
「箱?」
「横」
エレーンはしゃがんで側面を見る。
焼け残った木の上に、薄い刻印が残っていた。
細長い身体を丸めた蛇。
その頭は、自らの尾へ向かっている。
「……蛇?」
「ああ」
ジジの声が低い。
後ろからダンテもやってきた。
「見覚えがあるのか?」
ジジはすぐには答えなかった。
しばらく刻印を見つめ、それから短く言う。
「ある」
「どこで?」
エレーンが尋ねる。
「追ってる連中が使ってた」
ダンテの表情が変わる。
「名前は?」
「黒蛇」
エレーンは初めて聞く名前を、頭の中で繰り返した。
「何をしている組織なの?」
「人攫い。奴隷売買。他にも色々」
「……そう」
エレーンはもう一度、蛇の刻印を見る。
奴隷が売り買いされる現場を見てきた人間たち。
それらが頭を過ったが、
今はそこへ引きずられないようにした。
「この倉庫を使っていたってこと?」
「可能性はある」
ジジが答える。
「でも箱がここにあっただけだ。まだ分からん」
期待だけで答えを作らない。
ここ最近、何度も聞いてきた言葉だった。
「あなたは、どうして黒蛇を追っていたの?」
ジジが黙る。
ほんの少しだけ、目の色が変わった。
エレーンはそれを見て、先へ踏み込むのをやめた。
「……今はいいわ」
「ああ」
短い返事だった。
ダンテが木箱を見下ろす。
「これが本物なら、倉庫の意味が変わってくるな」
近くの隊員を呼ぶ。
「箱も回収しろ。刻印は傷つけるな」
「はい」
隊員たちが動き始めた。
エレーンは黒い蛇をもう一度だけ見た。
シエラに近づいたのか。
それとも別の何かを見つけただけなのか。
今はまだ分からない。
「こっちも見てくれ」
文書管理官の老人に呼ばれ、
三人は簡易机へ向かった。
昨日より多くの紙片が並べられている。
「同じ形式のものが三枚出てきた」
老人が一枚を指す。
「数字と、この記号。昨日の紙と同じだ」
ジジが覗き込む。
「三種類あったやつか」
「ああ。それから、これ」
別の紙片を寄せる。
消えかけた文字が残っていた。
エレーンとジジが同時に目を細める。
「……女」
エレーンが読む。
「ああ。“女”だな」
ジジも頷いた。
その文字の隣には、三種類ある記号の一つが
記されている。
「じゃあ、この印は……」
「女性を示している可能性が高い」
老人が答えた。
エレーンの表情が少し硬くなる。
「残り二つは?」
「まだ分からん。
年齢、種族、状態……何でも考えられる」
ジジが別の部分を見る。
「ここは?」
途中で欠けたエルフ語だった。
「……森?」
少し考えて言う。
エレーンが横から覗く。
「いいえ。綴りが古いわ」
「読める?」
「たぶん……“村”」
ジジも改めて文字を追う。
「その次は北?」
「ええ。北西……かもしれない」
二人が顔を見合わせる。
リュゼルがあった方角。
「まだ決めつけるなよ」
ダンテが言う。
「分かってるわ」
エレーンは素直に答えた。
北西にある村はリュゼルだけではない。
「名前は?」
ジジが老人に尋ねる。
「今日見つかった分には完全なものはない。
昨日の“シ”が一番残っている」
「そうか」
ジジは不満そうに紙を見る。
「睨んでも出てこねぇぞ」
ダンテが言う。
「睨んでねぇ」
「少し睨んでるわね」
エレーンが静かに付け加える。
ジジが横を見る。
「お前まで言うのか」
「見たままを言っただけよ」
エレーンの口元が少しだけ緩んだ。
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日没前に、その日の調査は終わった。
木箱と紙片は守備隊へ運び、
倉庫は翌日以降も調べることになった。
帰り道。
エレーンはしばらく黙って歩いていた。
やがて口を開く。
「黒蛇」
「ん?」
「ルナと関係があるの?」
ジジの歩調がほんの少し変わった。
「ある」
「……どんな?」
少しの沈黙。
「ルナを連れてった奴らだ」
エレーンは足を止めかけた。
「……そう」
ようやく、一つ繋がった。
ジジが長い間探し続けている人物。
古い火傷。
黒蛇。
「じゃあ……シエラとルナが、
同じ組織に連れて行かれた可能性があるのね」
「あるかもしれねぇ」
「ええ」
「でも、まだ――」
「分かってるわ」
エレーンが先に言った。
ジジを見る。
「まだ分からない、でしょう?」
「ああ」
それだけで会話が終わる。
二人はまた歩き始めた。
聞きたいことはあった。
ルナとは誰なのか。
どうして連れ去られたのか。
ジジはその時、何を見たのか。
けれど今は、無理に聞こうとは思わなかった。
いつか話せる時に話せばいい。
そう思えるくらいには、
二人の間に時間が積み重なっていた。
その日。
エレーンとジジがそれぞれ追っていたものの間に、
初めて同じ名前が現れた。
――黒蛇。
まだ、細い一本の線だった。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




