名前の欠片
倉庫を出た頃には、昼をかなり過ぎていた。
守備隊員たちはそのまま現場に残り、
倉庫の中を改めて調べることになった。
ダンテは回収した紙片を持って、
一足先に本部へ戻っている。
ジジとエレーンは、川沿いの道を
街へ向かって歩いていた。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
川の流れる音と、土を踏む足音だけが続く。
「腹減った」
最初に口を開いたのはジジだった。
エレーンが横を見る。
「……今それ?」
「昼過ぎてんだぞ」
「分かってるわよ」
倉庫の中ではあれほど険しい顔をしていたくせに、
外へ出た途端これだ。
「何か食べて帰る?」
「ああ」
「どうせ肉って言うんでしょう」
「肉」
「でしょうね」
エレーンは小さく笑った。
そのまま数歩歩く。
「……ジジ」
「ん」
「さっきの鉄の輪」
「ああ」
「あなたはどう思った?」
ジジは前を向いたまま答える。
「人を繋いでた可能性は高いと思う」
「やっぱり」
「でも、まだ分かんねぇ」
ダンテと同じ答えだった。
エレーンは少し視線を落とす。
「もし、あそこで……」
「シエラもいたかもしれねぇって?」
「……ええ」
「あるかもな」
否定しない。
けれど、期待させるようなことも言わない。
「違うかもしれねぇ」
「分かってるわ」
「ああ」
それ以上、ジジは何も言わなかった。
エレーンも聞かなかった。
今は、そのくらいがちょうどよかった。
街へ戻り、遅い昼食を取ってから
守備隊本部へ向かった。
ダンテの部屋へ入ると、見知らぬ老人が一人、
机の前に座っていた。
眼鏡をかけ、倉庫から持ち帰った紙片を
明かりに透かしている。
「誰」
ジジが聞いた。
「文書管理官だ」
ダンテが答える。
「古い記録の修復や判読をやってる。
こういうのは俺より詳しい」
「紙見る仕事なんてあるんだな」
「お前には一生向いてねぇ」
「やりたくもねぇ」
老人は二人のやり取りを気にする様子もなく、
紙片を机へ戻した。
「これが倉庫に?」
「ああ」
ダンテが頷く。
「どこまで戻せそうだ?」
「汚れはある程度落とせた。
ただ、文字そのものが剥がれている部分が多い。
全部を読むのは無理だろうな」
ジジとエレーンも机へ近づいた。
倉庫で見た時より紙は丁寧に開かれ、
折れや土埃もいくらか取り除かれている。
それでも半分以上は失われていた。
「ここだ」
老人が紙の端を指す。
「人間の文字ではないようだが」
ジジが覗き込む。
「エルフ語だ」
「ええ」
エレーンも横から見る。
ダンテがジジへ目を向けた。
「読めるか?」
「普通のなら」
「普通のなら、か」
「古い言い回しとか難しいのは知らねぇよ。
俺が習ったのガキの頃までだし」
エレーンが紙片へ顔を寄せる。
「これは文章そのものは難しくなさそう。
ただ……表記が少し古いわね」
「読めるか?」
「全部は無理。欠けすぎてるもの」
ジジも目を細めた。
辛うじて残っている一文字。
その隣に、途中までしか残っていない線。
「……シ、だろ」
「ええ。“シ”ね」
二人の答えが重なった。
ダンテがエレーンを見る。
「シエラの可能性は?」
「あるわ」
エレーンは答えた。
だが、すぐに続ける。
「でも、それだけ。
シから始まる名前なんていくらでもあるもの」
「俺でもそこまでは分かる」
ジジが言う。
「次の字が残ってりゃな」
「残ってないから困ってるんでしょう」
「ああ」
ジジは紙を睨むように見る。
エレーンは少しだけ口元を緩めた。
「睨んでも文字は戻らないわよ」
「分かってる」
「顔が納得してない」
「うるせぇな」
ダンテが呆れたように息を吐いた。
「で、その横は?」
老人が別の箇所を示す。
「こっちは少し特殊だ。
略号か、古い書き方かもしれん」
ジジが見る。
「……これは分かんねぇ」
即答だった。
エレーンはしばらく眺める。
「私も自信はないわ」
「エルフでも?」
「私たちだって、
古い文書を全部読めるわけじゃないのよ」
「そういうもんなんか」
「そういうもの」
エレーンは文字の跡を追った。
「でも、たぶん名前の後ろに記号を書いている。
出身地か、特徴か……」
「確定は?」
「できないわ」
「そっか」
「——こっちの数字は?」
ジジが紙の中央を指した。
四。
七。
三。
十一。
「日付じゃねぇよな」
「日付は別の欄だ」
老人が答える。
「人数か数量だろう。
ただ、何を数えたものかまでは分からん」
「荷物?」
「その可能性もある」
エレーンが紙を見つめる。
「人かもしれない」
「ああ」
老人が頷く。
「もう一つ気になるのが、この印だ」
数字の横に、小さな記号が並んでいる。
三種類。
ジジが眉を寄せた。
「これもエルフ語?」
「違う」
今度はエレーンがすぐに答えた。
「文字じゃないわ」
「じゃあ何」
「分類記号だと思う」
老人が拡大鏡を動かす。
「荷の種類を分けたものかもしれん。
もし人間やエルフを記録していたのなら、
性別、年齢、種族――
考えられるものはいくらでもある」
「結局これだけじゃ分からねぇってことか」
「そういうことだ」
ジジが露骨に嫌そうな顔をする。
ダンテが鼻で笑った。
「そんな顔すんな。
昔の紙一枚で全部分かったら苦労しねぇ」
「また書類増えんの?」
「増える」
「最悪」
「帰ってもいいぞ」
「嫌だ」
「どっちだよ」
「書類は嫌だけど見る」
エレーンは思わず笑った。
少し前なら、この男が書類を目前に
ここまで粘る姿は想像できなかった。
だが、探すことに関してだけは違う。
面倒でも。
時間がかかっても。
必要ならやる。
「同じ形式の紙があれば、分かることも増える?」
エレーンが老人へ尋ねる。
「ああ。記号を比較できれば
意味を絞れるかもしれん。
名前も、別の一覧が残っていれば照合できる」
「なら、倉庫をもう一度探す価値はあるのね」
「十分ある」
ダンテが立ち上がった。
「明日は人数増やして調べる。床下も壁もだ」
「俺も行く」
ジジが言う。
「お前は勝手に床剥がすなよ」
「今日見つけたの俺だろ」
「紙を見つけた功績と、
建物壊していいかは別問題だ」
「壊さねぇって」
「加減を覚えろ、オリハルコン」
「それやめろ」
「頼むから俺が着くまで何もするな」
「分かったよ」
守備隊を出る頃には、空が赤く染まり始めていた。
エレーンは明日、薬草店の仕事がある。
「私も行きたいけど……」
「仕事行け」
ジジが言った。
「分かってるわよ」
「終わってから来ればいいだろ」
「そのつもり」
少し歩いてから、エレーンが横を見る。
「何か見つかったら持って帰ってきて」
「ああ」
「古いエルフ語だったら、私も見たいから」
「分かった」
それだけだった。
エレーンも、それ以上は確認しなかった。
ジジは約束したことを守る。
そのくらいは、もう知っている。
その夜。
食卓には、エレーンが作った煮込みと
パンが並んでいた。
ジジは既に二杯目を食べている。
エレーンは深緑のカップに
ローズヒップティーを注ぎ、
しばらく赤い水面を見つめていた。
「ねえ」
「ん」
「もし」
少し迷う。
「シエラが、もう生きていなかったら……
どうすればいいと思う?」
ジジの手が止まった。
「…………」
珍しく、すぐには答えない。
「知らねぇよ」
エレーンは小さく笑った。
「そう言うと思った」
「分かんねぇもん」
「そうね」
ジジは少しだけ黙ってから、スプーンを置いた。
「でも、死んでるって分かったわけじゃねぇだろ」
「ええ」
「生きてるって分かったわけでもねぇ」
「……ええ」
「分かるまで探せばいい」
静かな声だった。
エレーンはしばらくジジを見ていた。
やがてカップへ視線を戻す。
「……そうね」
「ああ」
ジジは何事もなかったように食事を再開した。
エレーンもローズヒップティーを一口飲む。
少し酸っぱい。
「ジジ」
「何」
「明日、気をつけてね」
「ああ」
「あと床壊さないで」
「壊さねぇよ」
「ダンテが着くまで待ちなさいよ」
「分かってる」
「ならいいわ」
エレーンはそれだけ言って、カップを両手で包んだ。
明日になれば、何かが見つかるかもしれない。
何も見つからないかもしれない。
それでも、今はまだ決めなくていい。
答えが出るまでは探せばいい。
少しずつ。
確かなものだけを拾いながら。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




