川沿いの倉庫
それから三週間ほどが過ぎた。
エレーンは薬草店の仕事にもすっかり慣れた。
朝はジジと食事をし、街へ出る。
夕方には森の家へ帰り、どちらかが夕食を作る。
ジジが遅くなる時には、
「遅くなる」と言ってから出るようになった。
エレーンも、帰宅するたびに
いちいち家の中を警戒することはなくなった。
深緑のカップはいつの間にか
食器棚の定位置を得ていたし、
マリアの庭にはエレーンが手を入れる場所が増えた。
そんな生活が、当たり前になり始めていた。
——————————————————————
そしてその間も、
ダンテは古い記録を調べ続けていた。
「見つけたぞ」
仕事を終えたエレーンが守備隊へ着くなり、
ダンテは一冊の帳簿を机へ放った。
既に来ていたジジが、その横から覗き込んでいる。
「何が?」
「南東の荷揚げ場。
あの時期に使われてた倉庫の記録だ」
エレーンも机へ近づく。
帳簿は古く、紙の端が茶色く変色していた。
「これ」
ダンテが一行を指す。
河川沿いにあった第三倉庫。
所有者はノーカルミアだが、
当時は民間へ貸し出されていた。
「借りてたのは?」
「ベルグ商会」
「聞いたことある?」
エレーンが尋ねる。
ジジは首を振った。
「ねぇな」
「俺もない」
ダンテが別の書類を開く。
「それもそのはずだ。二年も営業してねぇ」
「潰れた?」
「記録上はな」
「記録上?」
「代表者も所在地も、その後全部追えなくなってる」
ジジの目が細くなる。
「怪しいな」
「ああ。しかも――」
ダンテが帳簿をめくる。
「この倉庫、夜間の荷受けがやたら多い」
エレーンは紙を見る。
日付と荷の数だけが並んでいる。
「中身は?」
「雑貨」
「全部?」
「全部」
ジジが鼻で笑った。
「雑だな」
「昔の役人もそう思ってりゃ良かったんだけどな」
ダンテは椅子へもたれた。
「昨日、現地を見に行かせた。
倉庫自体はまだ残ってる」
「使われてんの?」
「いや。何年も放置されてる」
「なら明日行く」
ジジが即答した。
ダンテがエレーンを見る。
「お前は?」
「行くわ」
「仕事は」
「ミレアにはもう話してあるの。
調べものがある日は休ませてもらえる」
ジジが横を見る。
「いつの間に」
「あなたに逐一報告する必要ある?」
「別に」
「ならいいでしょう」
「ああ」
ダンテが二人を見て小さく息を吐いた。
「じゃあ明日の朝。現地で隊員を二人待たせる」
「いらねぇだろ」
「お前のためじゃねぇ」
ダンテはエレーンを顎で示した。
「現場保存だ。勝手に壊すなよ」
「俺を何だと思ってんだ」
「扉が開かなきゃ蹴破る奴」
「開かなきゃ仕方ねぇだろ」
「ほらな」
エレーンは黙って二人を見た。
「……私もダンテに賛成だわ」
「何でだよ」
「あなた、本当に蹴りそうだもの」
「蹴らねぇよ」
「今、一瞬考えたでしょう」
ジジは答えなかった。
——————————————————————
翌朝。
三人が川沿いへ着いた頃には、
霧がほとんど晴れていた。
街から離れるにつれて建物は減り、
代わりに古い荷揚げ場や
崩れかけた石壁が目立つようになる。
川幅は広い。
流れも速かった。
「あそこだ」
先に待っていた守備隊員が指す。
木造の大きな倉庫。
屋根の一部は落ち、壁には蔦が這っている。
「随分古いわね」
「ああ」
ジジが建物を見上げる。
「入れるか?」
「正面は駄目です。床が腐ってます」
「裏は」
「確認済みです。そちらからなら」
「じゃあ行くぞ」
ジジが歩き出す。
エレーンも後を追った。
倉庫の中は薄暗かった。
埃の匂い。
湿った木材。
割れた箱や、錆びた道具が散乱している。
昔ここへ大量の荷が運び込まれていたとは
思えないほど、何も残っていない。
「……空っぽね」
「長ぇこと放置されてるからな」
ジジは床を見ながら奥へ進む。
エレーンも周囲を見回した。
何か見つかると思っていたわけではない。
それでも胸の奥が落ち着かない。
もし。
本当にここを通っていたのだとしたら。
シエラも。
自分も。
この場所に――。
「エレーン」
呼ばれ、顔を上げる。
ジジが少し離れた場所に立っていた。
「こっち」
その声がいつもより低い。
エレーンは近づいた。
床の隅。
古い木箱に隠れるように、
鉄製の輪が壁へ打ち込まれている。
一つではない。
等間隔に、いくつも。
「……何これ」
ダンテがしゃがみ込んだ。
「荷を固定するためのもんにも見えるが……」
ジジが一つを掴む。
「低すぎる」
「何?」
「荷物縛るなら、こんな下に並べる意味ねぇだろ」
エレーンは鉄輪を見る。
床から、ほんの少し高い位置。
腰掛けることもできないほど低い。
そして、その下の木材だけが妙に傷んでいる。
「……傷?」
エレーンがしゃがむ。
鉄輪の周囲に、細い傷が何本も残っていた。
古い。
けれど、自然にできたものには見えない。
ダンテの表情から軽さが消えた。
「隊員呼べ」
一人が外へ走る。
ジジは別の鉄輪を見る。
「こっちにもある」
エレーンは立ち上がれなかった。
胸の奥に、嫌な感覚が広がっていく。
「……人を」
声が出た。
「ここに繋いでいたの?」
誰もすぐには答えなかった。
やがてダンテが言う。
「まだ決めるな」
「でも」
「状況だけ見れば可能性はある。
だが、証拠にはならねぇ」
正しい。
分かっている。
それでもエレーンは鉄輪から目を離せなかった。
ジジが隣へ立つ。
「エレーン」
「……平気よ」
「まだ何も言ってねぇ」
「言いそうな顔だったから」
「どんな顔だよ」
「知らないわ」
エレーンはゆっくり立ち上がった。
「調べる」
「ああ」
「全部」
「ああ」
短い返事。
それだけでよかった。
倉庫の奥には、小さな部屋があった。
扉は壊れ、机も棚もほとんど残っていない。
ジジが床へ落ちていた板を退かす。
「何かある」
ダンテが近づく。
埃にまみれた紙片だった。
「触るな」
「触ってねぇだろ」
「今触ろうとした」
「見てただけ」
「嘘つけ」
ダンテが紙を拾う。
文字はほとんど消えている。
エレーンも覗き込む。
「読める?」
「……数字くらいだな」
ダンテが慎重に紙を広げた。
いくつかの日付。
人数らしき数字。
そして端の方に、一文字だけ残っている。
「これ……」
エレーンが目を細める。
人間の文字ではない。
「エルフ語?」
ジジも覗く。
「ああ」
「何て?」
エレーンは紙へ顔を近づけた。
「文字が途中で切れてる。でも……」
一文字。
その後に、ほんの僅かに残った線。
「名前かもしれない」
ジジの表情が変わる。
「読める?」
「これだけじゃ無理よ」
「そうか」
エレーンは紙片を見る。
シエラ。
そう書いてあるわけではない。
まったく別の名前かもしれない。
期待するには、あまりにも小さな痕跡だった。
「持ち帰れる?」
ダンテを見る。
「ああ。調べさせる」
「お願い」
「分かった」
エレーンは頷いた。
以前なら、今すぐ答えを知りたくて
仕方なかったかもしれない。
けれど今は。
分からないものを、
分からないまま追うことにも少し慣れてきた。
隣を見る。
ジジは壁の鉄輪をじっと見ていた。
「ジジ」
「ん」
「帰る?」
「もうちょい見る」
「そう」
エレーンは隣へ並んだ。
今度は二人で、倉庫の奥を調べ始めた。
═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═
お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




