水底の星
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
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夜。
ヴァレイアの空には、雲一つなかった。
二人は集落を抜け、西へ向かっていた。
海から届く風は少し冷たく、月明かりが波を白く照らしている。
ジジが空を見上げた。
「やっぱ星すげぇな」
「昨日も見てただろ」
「何回見てもすげぇよ」
ガイアが笑う。
やがて海沿いの道を外れ、岩場へ入った。
「こっち」
「道なくね?」
「あるよ」
「どこに」
「俺には見える」
「俺には見えねぇ」
「ついて来いって」
ガイアが先を歩く。
岩の間を抜け、低い枝を避けながら進んでいく。
「お前、よく覚えてんな」
「ガキの頃よく来てたから」
「ここも?」
「ああ」
「一人で?」
ガイアが少しだけ振り返る。
「……まあ、一人の時もあったよ」
「ふーん」
「何だよ」
「別に」
少し先で、ガイアが足を止めた。
「ここ」
目の前には岩壁しかない。
「行き止まりじゃん」
「こっち」
岩壁の横に、人一人が通れるほどの細い裂け目があった。
「狭ぇな」
「お前がでけぇんだよ」
「ガイアが細いんだろ」
「普通だよ」
「俺も普通」
「どこが」
「全部」
「はいはい」
声を岩の間へ響かせながら進む。
やがて、突然視界が開けた。
「…………」
岩に囲まれた、小さな水辺。
海とは繋がっていない。
地下から湧いた水が溜まり、洞窟の天井から月明かりが差し込んでいる。
そして水の中には。
無数の青白い光が漂っていた。
「……何だこれ」
ジジが水辺へ近づく。
小さな半透明のクラゲが、淡い光を宿しながらゆっくりと泳いでいる。
まるで、水の中の星だった。
「これがホタルクラゲ?」
「ああ」
「……すげぇ」
「綺麗だろ」
「うん」
ジジがしゃがみ込む。
「触れる?」
「刺さねぇから大丈夫。けど掴むなよ。弱ぇから」
「分かった」
その横で衣擦れの音がした。
見ると、ガイアが上衣を脱いでいる。
「何してんの」
「入る」
「ここに?」
「そうだけど」
「見るだけじゃねぇの?」
「ここは中入んだよ」
「そういう場所なの?」
「そ」
何でもない顔で服を脱いでいく。
「…………」
「何」
「別に」
「入んねぇなら待ってろ」
「入るよ」
ジジも服へ手をかけた。
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「……あったけぇ」
胸元まで水に浸かり、ジジが呟く。
「地下から湧いてる水だからな」
すぐ横をホタルクラゲが通る。
指先でそっと触れると、青白い光が少し強くなった。
「光った」
「刺激で明るくなる」
「面白ぇ」
「ガキみてぇ」
「初めて見たんだからしょうがねぇだろ」
ガイアが笑いながら水の中を進む。
長い銀髪が水面へ広がった。
月明かり。
青白い光。
褐色の肌。
銀髪の間を、ホタルクラゲがゆっくりと通り抜けていく。
ジジはその姿を見つめた。
二日前。
海と風の中に立つガイアを見た。
あの時とは何もかも違うのに。
「……ガイア」
「何」
「お前やっぱ精霊なんじゃねぇの」
「まだ言ってんの?」
「だって」
「俺はエルフだよ」
「知ってる」
ガイアが笑う。
ジジはその側へ寄った。
「ここにいると……俺の知らねぇガイアばっか出てくる」
「何だそれ」
「祭祀の時も。セレナと話してる時も。こういう場所知ってんのも」
「そりゃ故郷だからな」
ジジが濡れた銀髪へ触れる。
指の間を、柔らかな髪が滑った。
「俺、ガイアのこと結構知ってると思ってた」
「俺もお前のこと大体知ってるよ」
「でも知らねぇことあんじゃん」
「そりゃあるだろ」
「まだあんのかな」
ガイアが少し笑った。
「あんじゃねぇの」
「知りたい」
「…………」
ガイアがジジを見る。
「全部?」
「ん」
「欲張りだな」
「駄目?」
「別に」
ガイアが視線を逸らす。
ジジはその横顔をしばらく見てから、水を掻き分けて入り江の淵へ向かった。
岩壁へ背中を預ける。
「こっち来て」
「どこ」
「ここ」
「…………」
「何」
「いいから」
ガイアがゆっくり近づいてくる。
青白い光が、その後を追うように水の中で揺れた。
ジジが腰へ手を伸ばす。
そのまま引き寄せると、ガイアは逆らわなかった。
向かい合うように、ジジの腿の上へ身体を預ける。
水面が大きく揺れた。
「…………」
ガイアの腕が、自然とジジの肩へ回る。
濡れた銀髪が二人の間へ落ちた。
近い。
額が触れそうな距離で、ジジがガイアを見る。
「…………」
「何」
「やっぱ精霊だわ」
「何回言うんだよ」
「何回でも」
「もういいって」
ガイアが笑った。
その顔が近づく。
言葉はそこで途切れた。
唇が重なる。
水面が小さく揺れた。
ガイアの指が、濡れた黒髪へ入る。
ジジの腕が腰を抱く。
しばらくして。
唇が離れた。
けれど、どちらも身体を離さなかった。
目が合う。
青白い光が、水面から二人の顔を淡く照らしていた。
ジジはその顔を見つめた。
バインスで初めて聞いた名前。
この島へ来てから、何度も聞いた名前。
島の者たちが呼ぶ名前。
両親が呼ぶ名前。
セレナが呼んだ名前。
「…………」
ジジの唇が僅かに動いた。
「……ガレイヴィア」
金色の瞳が揺れた。
「…………」
ガイアは何も言わなかった。
今。
ジジは、その名を呼んだ。
――俺は勝手にいなくならねぇから。
言葉が、胸の奥へ落ちた。
ガイアだから、側にいると言ったんじゃない。
ガレイヴィアでいても。
こいつは、側にいる。
一人じゃない。
それだけでよかった。
「…………」
目の奥が、少し熱くなった。
ガイアは誤魔化すように俯く。
「……何」
「何でもねぇ」
ジジの指が、目元へ触れた。
ガイアはその手から逃げなかった。
頬を撫でた指が、そのまま耳へ触れる。
ジジの唇が、濡れた銀髪の隙間から覗く耳元へ落ちた。
「…………ジジ」
「ん?」
少しだけ迷って。
「……もう一回」
ジジが顔を上げた。
「ん?」
「もう一回、呼んで」
金色の瞳が、まっすぐジジを見る。
ジジは何も聞かなかった。
「……ガレイヴィア」
「…………」
胸の奥が、どうしようもなく熱くなった。
こんなに嬉しいとは思わなかった。
その名を、もっとジジの声で聞きたかった。
「……もう一回」
ジジの唇が、首筋へ触れる。
「ガレイヴィア」
「…………っ」
肩へ。
「……もう一回」
「ガレイヴィア」
鎖骨へ。
「……もう、一回……」
声が少し震えた。
ジジが顔を上げる。
目が合った。
もう、隠せなかった。
目尻から零れたものが頬を伝う。
ジジは何も言わない。
涙を拭う代わりに、頬へ唇を落とした。
それから、耳元へ。
「......ガレイヴィア」
ジジの手がさっきより強く腰を抱き寄せる。
触れている身体の間から、水が押し出されていった。
もう一度、二人の距離がなくなる。
「…………」
呼吸が僅かに乱れる。
ジジの唇が頬へ触れた。
そのまま、耳の下へ。
「ガレイヴィア」
「…………うん」
初めて。
その名前で、ジジに返事をした。
胸がいっぱいになった。
もっと聞きたい。
もっと呼んでほしい。
こんなにも、自分の名前を呼んでほしいと思ったことがあっただろうか。
そして。
それを呼ぶジジが、たまらなく愛おしかった。
ガイアの腕がジジの首へ回る。
強く引き寄せる。
「……ジジ」
今度は自分から、唇を重ねた。
名前を呼ぶその唇を確かめるように。
ゆっくりと、深く。
唇が離れても、ガイアの腕はほどけなかった。
近い距離のまま、互いの息が混じる。
ジジの唇が、今度は顎の下へ触れた。
そこからゆっくりと、首筋を辿っていく。
「……ジジ」
濡れた黒髪へ、ガイアの指が入る。
唇が首筋を下りるたび、指先に少しずつ力が籠もった。
やがて鎖骨へ触れる。
「…………っ」
身体が僅かに揺れた。
ジジが顔を上げる。
「嫌だったら言えよ」
「分かってる」
「ん」
また首元へ顔を寄せる。
腕が、ジジの頭を抱くように回った。
鎖骨。
その少し下。
胸元へ触れる。
「……ジジ」
さっきより小さな声だった。
ジジが止まる。
顔を上げると、目が合った。
「何」
「…………」
顔を背ける。
ジジはその顎へ手を添えた。
「こっち見て」
「……やだ」
「俺は顔見たい」
「ジジ……」
「見せて」
「…………」
ゆっくり顔が戻る。
頬が少し熱を持っている。
いつもの余裕は、もうほとんどなかった。
ジジはしばらくその顔を見ていた。
「……何」
「かわいい」
「…………」
眉が寄る。
「言うな」
「何で」
「うるせぇ……」
また顔を背けようとする。
ジジは腰を抱いたまま離さなかった。
「やっぱ、こういう時ちょっと違うな」
「何が」
「素直」
「…………」
「かわいい」
「二回言うな」
ジジが笑う。
不満そうに睨む。
けれど。
首へ回っていた腕は離れなかった。
ジジの額が、ガイアの額へ触れた。
青白い光が、水面から二人の顔を淡く照らしている。
水は温かかった。
その温もりの中で、ガイアの香りがいつもより濃く立っていた。
ココナッツとプルメリアの、甘い香り。
ジジはそれを、何度も近くで吸い込んだ。
胸の奥まで、ゆっくりと満ちていく。
「いい匂いする」
「知ってる」
「知ってんのかよ」
「お前がよく言うから」
ジジが小さく笑った。
ガイアの額が、ジジの肩へ預けられる。
濡れた銀髪が、腕へ流れ落ちた。
頭上には星。
水の中にも、青白い星。
二人は長い間、離れなかった
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




