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精霊は還る場所を知っている  作者: くおんあづき


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190/216

還った息子

【精霊は還る場所を知っている】

2026.9.25 47話一挙配信。

毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

「おかえりなさい」


「…………」


ガイアの目から。

また、涙が落ちた。


「……ただいま」


イシルが笑う。

その目にも、まだ涙が残っていた。

けれど。

それ以上は何も言わなかった。


「そこへ座って」


「…………」


ガイアは用意された椅子を見る。

百二十年前まで。

何度も目にした光景だった。


「……まだ、やってんだな」


「何を言ってるの」


イシルが涙を拭う。


「あなたが帰ってきたんだから、当たり前でしょう」


「…………」


ガイアは少し俯いた。


「……そっか」


ゆっくりと椅子へ腰を下ろす。

履物を脱ぎ。

裸足を床へ下ろした。

イシルが、その前へ膝をつく。


「母さん」


「なあに」


「……俺、自分でやる」


「駄目よ」


即答だった。


「…………」


「帰ってきた人は、黙って座ってなさい」


ガイアの口が止まる。


「……はい」


イシルが少し笑った。

器へ手を入れる。


水を掬い。

ガイアの足へ、静かにかけた。


「…………」


水が流れる。


もう一度。


イシルが水を掬う。

幼い頃。

島の外から帰った者がいれば。

こうして家族が迎えていた。


父が帰ってきた時も。

親族が長い航海から戻った時も。

何度も見てきた。

けれど。

自分が迎えられる側に座ったのは。

いつ以来だっただろう。


「…………」


イシルの手が。

息子の足を包む。

大陸中を歩いた足。


森を越え。

山を越え。

砂漠を越え。

雪原を越え。

数え切れないほどの戦場を歩いた。

何度も傷つき。

それでも。

今日。

ここへ帰ってきた。


イシルが目を閉じる。


「風の精霊よ」


静かな声が響いた。

ガイアの睫毛が僅かに震える。


「この子を遠くまで運び」


水面が揺れる。


「波の精霊よ」


窓から。

柔らかな風が入り込んだ。


「この子を遠くから還し」


「…………」


「長い旅路を共に歩み、この子を守ったすべての精霊へ」


器の中で。

花びらが静かに回る。


「今日」


イシルの声が。

少しだけ震えた。


「この子が無事に、この家へ還ったことを」


一度。

息を吸う。


「……感謝します」


「…………」


ぽたり。

水面へ。

一滴落ちた。


イシルは顔を上げない。

何も言わず。

もう一度、水を掬う。


ぽたり。

また。

落ちる。


「……母さん」


「なあに」


「…………」


ガイアは俯いていた。


「ごめん」


イシルの手が止まる。


「帰んなくて」


「…………」


「何も言わなくて」


長い沈黙。

イシルは。

何も答えなかった。

やがて。


また水を掬う。

息子の足へ。

静かにかけた。


「ガレイヴィア」


「…………」


母の声で呼ばれる。

生まれた時から。

この家で。

ずっと呼ばれていた名前。


「おかえりなさい」


「…………」


それだけだった。

責めるでもなく。

許すでもなく。

ただ。

帰ってきた息子を迎える。


ガイアが唇を噛む。


「……ただいま」


声が震えた。

イシルは白い布を取る。

洗い終えた足を包み。

丁寧に水を拭った。


それから。

ゆっくりと立ち上がる。

ガイアが顔を上げた。

次の瞬間。

母の腕が。

その頭を抱いた。


「…………っ」


ガイアの身体が固まる。

イシルの手が。

長い銀髪を撫でる。

何度も。

何度も。


「……大きくなったわね」


「…………」


「母さん」


「なあに」


「俺、二百三十だぞ……」


「知ってるわよ」


「大きくなったって……」


「いくつになっても私の息子よ」


「…………」


ガイアの顔が。

また歪んだ。

腕を伸ばし。

母の身体を抱く。


「……母さん」


「うん」


「……ただいま」


「おかえり」


何度でも。

返ってきた。


その少し後ろ。

ジジとルナリスは静かに立っていた。

ルナリスが。

そっとジジの手を握る。

ジジも。

その小さな手を握り返した。


「…………」


その横で。

ギルムが鼻を啜る。

ガイアが母に抱かれたまま見る。


「……親父、また泣いてんの?」


「泣いておらん」


「いや、泣いてんじゃん」


「うるさい」


イシルが笑った。


「あなたたち、百二十年経っても変わらないのね」


「こいつが悪い」


「親父だろ」


「ガレイヴィア」


「…………はい」


一言で黙る。

イシルがまた笑った。


やがて。

ガイアを離す。

目元を拭い。

ようやく。

その後ろに立っていた二人へ目を向けた。


「…………」


ルナリス。

そして。

ジジ。

ガイアも立ち上がる。


「母さん」


ルナリスを手招きする。


「この子がルナリス」


ルナリスがガイアの側へ来る。


「初めまして」


ぺこりと頭を下げた。


「ルナリスです」


イシルの顔が柔らかくなる。


「初めまして、ルナリス」


しゃがみ。

ルナリスと同じ高さになる。


「遠かったでしょう」


「うん」


「船、大丈夫だった?」


「大丈夫だったよ」


「怖くなかった?」


「ちょっとだけ」


ルナリスがガイアを見る。

それから。

ジジを見る。


「でも、ガイアとジジがいたから大丈夫だった」


「そう」


イシルが微笑む。


「よく来たわね」


「うん」


「ヴァレイアへようこそ」


ルナリスが嬉しそうに笑った。

イシルが立ち上がる。

そして。


もう一人へ目を向けた。


「…………」


ジジの背筋が。

僅かに伸びた。

ガイアが気づく。


「…………?」


普段なら。

どこへ行こうが。

誰を前にしようが。

ほとんど態度の変わらない男が。

妙に姿勢がいい。


「それから」


ガイアが言う。


「ジジ・ガルシア」


「初めまして」


ジジが頭を下げた。


「ジジ・ガルシアです」


妙に。

ちゃんとしている。

ガイアが見る。


「…………」


ジジは見ない。

イシルが笑う。


「初めまして」


「はい」


「あなたがジジなのね」


「……はい」


「ギルムから聞いたわ」


イシルが言う。


「ガレイヴィアと、長く一緒に冒険をしていたそうね」


「はい」


「随分長いんでしょう?」


ジジが考える。


「……十年近くになります」


ガイアが口を挟む。


「ずっと一緒だったわけじゃねぇけどな」


「お前が勝手にいなくなるからだろ」


ジジが即座に返した。


「放浪だよ」


「同じだろ」


「違ぇよ」


いつもの調子で返してから。

ジジが止まる。


「…………」


イシルが二人を見る。

ギルムも。


「…………」


ジジが少しだけ咳払いした。


「……まあ、長いです」


ガイアの口元が僅かに上がる。

ようやく分かった。


「…………」


ジジが睨む。

笑うな。

そう言っている。

ガイアは何も言わない。


「この子、昔から無茶ばかりするでしょう」


「します」


間髪入れず返った。


「おい」


「何だよ」


「少しくらい考えろよ」


「考える必要ねぇだろ」


「…………」


イシルが吹き出した。


「やっぱり」


「母さんまで何だよ」


「変わってないと思って」


「俺だって変わったよ」


「そう?」


「そうだよ」


「どこが?」


「…………」


ガイアが黙る。

ギルムが言った。


「見つからんようだな」


「親父は黙ってろ」


イシルが笑う。

ジジの肩から。

ほんの少しだけ力が抜けた。

その様子を。

ガイアだけが見ていた。


「…………」


なんだこいつ。

緊張してんのか。

そう思った瞬間。


妙に可笑しくなった。

同時に。

少しだけ。

胸の奥が温かくなる。


ジジにとっては。

ただの族長とその妻ではない。

自分の。

親なのだ。


「…………」


ガイアは何も言わなかった。

今ここで言えば。

間違いなく睨まれる。


イシルがルナリスとジジを見渡す。


「島の儀は済んだのよね?」


「ああ」


ガイアが答える。


「二人とも受け入れられた」


「そう」


イシルはそれ以上、何も問わなかった。


「なら、私から言うことはないわ」


ギルムも頷く。


「先ほども言ったが、島が受け入れた者を、わしらが拒む理由はない」


「…………」


「滞在している間は、自分の家だと思えばいい」


ジジが少し目を見開く。


「……ありがとうございます」


「ありがとう」


ルナリスも頭を下げる。

イシルが微笑んだ。


「そんなに畏まらなくていいのよ」


「…………はい」


まだ硬い。

ガイアが横から見る。


「ジジ」


「何だよ」


「いや」


「何だ」


「別に」


「…………」


ジジが目を細める。

ガイアが顔を逸らした。


「……あとで覚えてろよ」


小さな声が飛んでくる。


「何でだよ」


「顔がうるせぇ」


「お前がそれ言う?」


「二人とも」


イシルの声が飛ぶ。

二人が止まる。


「…………」


「…………」


ルナリスが見上げる。


「怒られた」


「怒ってないわよ」


イシルが笑う。


「でも」


少しだけ声を変える。


「話したいことは、山ほどあるわ」


ガイアの顔が引き攣った。


「…………」


「百二十年分」


「母さん」


「なあに?」


「それ今日全部やる?」


「まさか」


ガイアが少し安心する。


「一日で終わると思ってるの?」


「…………」


ジジが横を向いた。

肩が少し揺れている。


「笑ってんじゃねぇよ」


「笑ってねぇ」


「笑ってんだろ」


「気のせいだ」


「お前な」


「ガレイヴィア」


「…………はい」


また。

一言で止まった。

ギルムが小さく笑う。


「大陸では随分偉くなったと聞いていたが」


「関係ねぇだろ」


「母親には勝てんか」


「親父だって勝てねぇだろ」


「…………」


今度は。

ギルムが黙った。


「ほら」


「うるさい」


ルナリスがくすくす笑う。


さっきまで。

涙ばかりだった部屋に。

少しずつ。

いつもの声が混じっていく。


イシルがそんな三人を見て。

ふっと笑った。


「さあ」


手を叩く。


「話はあとにしましょう」


「…………?」


ルナリスが見る。


「長旅だったんでしょう」


イシルが扉へ向かう。


「食事にしましょう」


ルナリスの顔が明るくなる。


「ごはん?」


「ええ」


「お腹空いた」


「でしょうね」


イシルが笑う。


「たくさん用意してあるわ」


ルナリスがすぐに後を追う。


「何があるの?」


「いっぱいあるわよ」


「お魚ある?」


「もちろん」


二人の声が。

回廊へ遠ざかっていく。

ギルムも後へ続く。


「行くぞ」


「ん」


ガイアが履物を履く。

その横で。

ジジも歩き出そうとして。


「ジジ」


小さく呼ばれた。


「何だ」


ガイアが近づく。

声を落とす。


「お前、緊張してんの?」


「…………」


「やっぱり」


「うるせぇ」


「お前でもそういうことあんだな」


「あるだろ」


「初めて見た」


「…………」


ジジがガイアを見る。

少しだけ。

言うか迷って。


「……お前の親だろ」


「…………」


ガイアが止まった。


「だから何だよ」


「分かれよ」


「…………」


数秒。

ガイアが瞬きをする。

それから。

意味に気づいた。


「…………ああ」


「行くぞ」


ジジが先に歩き出す。

ガイアは。

その背中を見た。


「…………」


口元が。

少しだけ緩む。


「ガイアー!」


遠くからルナリスの声がする。


「早くー!」


「今行く!」


ガイアが答える。

そして。

ジジの隣へ追いついた。

二人で。


家の奥へ続く回廊を歩いていく。

その先から。

食事の匂いがしていた。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

お読みいただきありがとうございます。

くおんあづきです。

初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。

かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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