百二十年の家路
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
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白い霧の中を、船は進んでいた。
どれほど進んだのか。
船室の中からでは分からない。
窓の外は、ずっと白い。
波の音は聞こえている。
船も確かに揺れている。
それなのに、進んでいるのか。
同じ場所を彷徨っているのか。
それすら分からなかった。
ルナリスは窓の前に立ち、外を見ていた。
「……ずっと真っ白だね」
「ああ」
ジジは椅子に座ったまま答える。
「ガイア、大丈夫かな」
「大丈夫だろ」
「でも、分かんないって言ってたよ」
「…………」
島に拒まれたら、自分がどうなるかも分からない。
確かに、そう言っていた。
ジジが扉を見る。
「…………」
立ち上がった。
「ジジ?」
「ちょっと見るだけ」
「外出ちゃ駄目って言ってたよ」
「出ねぇよ」
扉へ近づく。
手をかけた、その時。
「開けんな」
外から声がした。
ジジの手が止まる。
「…………」
「聞こえてんぞ」
「何で分かったんだよ」
「お前ならやると思った」
「開けてねぇだろ」
「開けようとしただろ」
「…………」
後ろでルナリスが笑った。
「怒られた」
「うるせぇ」
「もう少しだから待ってろ」
外からガイアの声がする。
ジジは扉越しに聞いた。
「大丈夫なの?」
「ああ」
「ほんとかよ」
「今んとこな」
「今んとこって何だよ」
返事はなかった。
「おい」
「集中させろ」
「…………」
ジジは仕方なく扉から離れた。
ルナリスはまた窓の外を見る。
「ガイア、道分かるんだね」
「そうらしいな」
「すごいね」
「……ああ」
何も見えない。
どこを見ても、同じ白。
その中を。
ガイアだけが迷わず進んでいる。
どれくらい経っただろう。
不意に。
船が大きく揺れた。
「……っ」
ジジが顔を上げる。
ルナリスが窓枠を掴んだ。
「何?」
「分かんねぇ」
また揺れる。
今度は横から。
波に押されたような揺れではなかった。
船そのものが、何かに引かれているような。
「…………」
ジジが立ち上がる。
「ガイア!」
返事がない。
「ガイア!」
「いるよ!」
すぐに返ってきた。
ジジが息を吐く。
「何だ今の!」
「風!」
「大丈夫なのか!」
「多分!」
「多分じゃねぇよ!」
「うるせぇ!」
直後。
帆が大きく鳴った。
船が傾く。
ジジは咄嗟にルナリスを抱き寄せた。
「きゃっ」
「掴まってろ」
「うん」
窓の向こうを、白い霧が凄まじい速さで流れていく。
そして。
少しずつ、揺れが収まっていった。
「…………」
静かになった。
さっきまで船を包んでいた風の音も消えている。
ルナリスが顔を上げた。
「……止まった?」
「いや」
船は進んでいる。
波の音もする。
その時。
「出ていいぞ」
外から声がした。
ルナリスが扉を見る。
「ガイア!」
ジジが扉を開ける。
甲板へ出た。
「…………」
まだ白い。
けれど。
何かが違った。
ジジが目を細める。
前方が明るい。
霧そのものが薄くなっているわけではない。
その向こうに、何か強い光がある。
船が進む。
白い霧が流れていく。
一筋。
青い色が見えた。
「……空?」
ルナリスが呟く。
さらに進む。
霧が左右へほどけていく。
風が抜けた。
視界が、一気に開いた。
「…………」
ルナリスが言葉を失った。
ジジも、何も言えなかった。
そこには。
島があった。
透き通るような青い海。
浅瀬では、海底の白い砂まで見える。
陽の光を受けた水面が、宝石を砕いて散らしたように輝いていた。
白い砂浜が弧を描き、その先には深い緑の森が広がっている。
見たことのないほど大きな木々。
色鮮やかな花。
森の間から、幾筋もの水が流れ落ちている。
高い岩壁から落ちる滝が陽光を受け、その周囲に淡い虹を作っていた。
鳥の群れが森から飛び立つ。
赤。
青。
黄色。
鮮やかな羽が、空を横切っていく。
さらにその上を。
ファルコが飛んでいた。
巨大な翼を広げ、島の上空をゆっくりと旋回している。
遠くには高い山々が連なっていた。
その斜面にも緑が広がり、所々に白い建物が見える。
森の中に家があるのか。
家の間に森があるのか。
境目すら分からない。
自然の中に、暮らしがそのまま溶け込んでいた。
霧の外にあった世界とは、何かが違う。
島そのものが、別の場所に存在しているようだった。
ルナリスがようやく息をした。
「……すごい」
それしか出なかった。
ジジも海から島へ視線を動かす。
「…………」
長い間、自分なりに大陸を歩いてきた。
いくつもの国を見た。
山も。
森も。
海も。
それでも。
こんな場所は、見たことがなかった。
「……こんなとこあんだな」
小さく呟く。
返事はなかった。
ジジが隣を見る。
ガイアは、島を見ていた。
長い銀髪が風に揺れている。
表情はほとんど動いていない。
「ガイア」
「……ん?」
「ヴァレイア?」
分かりきったことを聞いた。
ガイアは少しだけ目を伏せた。
「ああ」
それだけだった。
ルナリスがガイアを見る。
「ガイア、ここで生まれたの?」
「ああ」
「ここで大きくなった?」
「うん」
「……すごいね」
「…………」
ガイアは答えなかった。
島を見たまま。
ただ、僅かに息を吐いた。
「…………」
しばらくして。
ガイアが口を開いた。
「……まあ」
ジジが見る。
「第一関門突破だな」
「え?」
ルナリスが振り返る。
ジジの眉が寄った。
「……第一?」
「ああ」
「まだあんの?」
「あるよ」
「聞いてねぇぞ」
「言ってねぇからな」
「お前な……」
ルナリスがガイアを見上げる。
「次は?」
「島に着いてから」
「何するの?」
「後でな」
ガイアは帆へ風を送った。
船が、島へ向かって進み始める。
霧はもう、背後にあった。
近づくにつれ、遠くからは緑に埋もれていたものが少しずつ形を持ち始めた。
森の間を縫う道。
斜面に建つ白い家々。
木々の間を流れる水路。
海岸沿いには小さな船がいくつも浮かんでいる。
ルナリスはずっと船首から島を見ている。
「…………」
不意に。
その目が大きくなった。
「……いっぱい、いる」
ジジが隣を見る。
「何が?」
ルナリスは答えない。
目で何かを追っている。
海面から空へ。
森へ。
滝へ。
「ルナ?」
「精霊」
ガイアが振り返った。
「見える?」
「うん」
ルナリスが頷く。
「すごい」
「…………」
「海にもいる。森にも。あそこにも」
小さな指が、島のあちこちを指していく。
「みんな動いてる」
ジジには何も見えない。
ただ。
ルナリスの瞳だけが、嬉しそうに動いていた。
ガイアはその横顔をしばらく見つめる。
「……そうか」
ガイアは小さく答えた。
ルナリスが振り返る。
「ガイアも見える?」
「見えるよ」
「こんなに?」
「ああ」
「ずっと?」
「ここじゃな」
ルナリスがまた島を見る。
その顔が、嬉しそうに笑った。
「…………」
ガイアも島へ視線を戻した。
船はさらに進む。
やがて。
島の南側に、海へ張り出した船着き場が見えてきた。
「…………」
ガイアの表情が変わった。
「ジジ」
「ん?」
「ちょっと任せる」
「何を?」
「船」
「は?」
ガイアが舵を渡す。
「真っ直ぐでいい。風は俺が残しとく」
「お前どこ行くんだよ」
「着替えてくる」
ジジがガイアを見る。
「……今?」
「ああ」
「何で今」
ガイアは船着き場の方を見る。
「今だからだよ」
それだけ言って、船室へ入っていった。
「…………」
ジジは閉じた扉を見る。
ルナリスも見る。
「着替えるんだって」
「聞いてたよ」
「何着るのかな」
「……多分、あれだろ」
少しして。
扉が開いた。
ジジが振り返る。
「…………」
ルナリスも目を丸くした。
「あ」
銀の長い髪。
褐色の肌。
けれど、さっきまでそこにいたガイアとは違う。
「その服」
ルナリスが言う。
「ああ」
「ガレイヴィア?」
ガイアの手が一瞬止まった。
「…………」
ジジが見る。
ガイアはルナリスへ視線を落とす。
「ああ」
短く答えた。
その声に、以前のような引っ掛かりはなかった。
ガイアはジジから舵を受け取る。
そのまま船首を、真っ直ぐ船着き場へ向けた。
ジジが隣に立つ。
「ここからガレイヴィア?」
「まあな」
「俺はガイアって呼ぶけど」
「お前はそれでいい」
「ルナもガイアがいい」
「いいよ」
「うん」
ガイアは小さく息を吐いた。
けれど、少しだけ笑っていた。
島が近づいてくる。
船着き場も、もうはっきり見える。
その先に、人の姿があった。
ガイアはそれを見つめる。
「二人とも」
「ん?」
「着いても、まだ島には降りるな」
ジジが眉を寄せた。
「……第二関門?」
「ああ」
ルナリスがガイアを見る。
「何するの?」
ガイアは答えず、船着き場の先へ目を向けた。
そこには。
海に面するように、古い石造りの場所があった。
「着いたら説明する」
「…………」
ジジもその先を見る。
ガイアは正面へ向き直った。
風を受け、銀髪と正装の布が大きく揺れる。
百二十年前。
ここから出ていった時と同じ姿で。
ガレイヴィア・イル=ネア・ラハシェルは。
故郷へと近づいていった。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




