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精霊は還る場所を知っている  作者: くおんあづき


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184/216

霧の向こう

【精霊は還る場所を知っている】

2026.9.25 47話一挙配信。

毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

翌朝。

港を出てしばらくすると、ファルコはいつものように船を離れた。

巨大な翼が風を捉える。

船の上を一度、大きく旋回する。


「ファルコ、行ってらっしゃーい!」


ルナリスが甲板から手を振った。

ファルコが一声鳴く。

そのまま南へ向きを変え、ぐんぐん高度を上げていった。


ガイアは船尾に立ったまま、その姿を見ていた。

やがて大きな影が小さくなり、青い空の向こうへ消えていく。


「今日も先見に行くの?」


「ああ」


「どこまで?」


「さあな」


「ガイア分かんないの?」


「ファルコが決めるからな」


ルナリスがもう一度空を見る。


「遠くまで行くかな」


「行くかもな」


ガイアはそれだけ答えて、帆へ目を向けた。

今日も風は穏やかだった。

昨日より、少し暖かい。

海の色もさらに明るくなっている。


船腹の下を流れる水は透き通り、太陽が高くなるにつれて、

浅いところを泳ぐ魚の姿まで見えるようになっていた。


ジジが船縁から海を覗き込む。


「昨日よりすげぇな」


「何が?」


「下まで見える」


「ああ」


「ヴァレイアもこんな感じ?」


少し間が空いた。


「もっと綺麗だよ」


「へえ」


それだけだった。

ガイアはまた前を向いた。


——————————————————————


昼を過ぎた。

ファルコは戻ってこなかった。


いつもなら、一度くらい船へ戻ってきてもいい頃だった。

ルナリスも気づいたらしい。

何度も空を見上げている。


「ガイア」


「ん?」


「ファルコ遅いね」


「ああ」


「遠くまで行った?」


「かもな」


「大丈夫?」


「大丈夫だよ」


返事に迷いはなかった。

ガイアも南の空を見る。

ファルコの姿はない。


「見てみないの?」


「何を?」


「ファルコが見てるもの」


「遠すぎると疲れんだよ」


「そっか」


ルナリスは頷いた。

それから、また空を見る。


「帰ってくるかな」


「…………」


ガイアも同じ方角を見た。


「帰ってんじゃねぇかな」


「どこに?」


「ヴァレイア」


ルナリスが勢いよく振り返る。


「ファルコだけ!?」


「多分な」


「なんで!?」


「なんでって……」


ガイアが少し笑った。


「あいつの故郷でもあるからな」


「先に帰ったの?」


「ああ」


ルナリスが南の空を見る。


「ずるい」


「何が」


「ルナも早く行きたい」


「飛べねぇだろ」


「ファルコに乗ればいいじゃん」


「ファルコに乗れんのは俺だけだ」


「あ、そっか」


ジジが言う。

ルナリスがガイアを見る。


「じゃあガイアも先に行けるじゃん」


ガイアが黙った。

ほんの一瞬。

南を見る。


「……行かねぇよ」


「なんで?」


「三人で来たんだから、三人で行くだろ」


ルナリスが笑った。


「うん!」


ガイアも少しだけ笑った。

ジジは何も言わなかった。


——————————————————————


その日の夕方。

次の港へ入った。


いつものように船を係留する。

ジジも手慣れた様子で綱を取った。


「ここ?」


「ああ」


「もうちょい引く?」


「いや、それでいい」


ジジが綱を結ぶ。


「慣れたろ」


「まあな」


「最初何も知らなかったくせに」


「教えたのガイアじゃん」


「だから言ってんだよ」


ルナリスは船室で荷物を見ていた。


「あ」


「何?」


ガイアが振り返る。


「ガイアの服」


「服?」


「ヴァレイアの」


ガイアの視線が、荷物へ向いた。

丁寧に畳まれた装束が入っている。


「明日着る?」


「まだ分かんねぇよ」


「着いたら着るんでしょ?」


「ああ」


ジジが綱から手を離した。


「やっぱあれで降りんの?」


「当たり前だろ」


「普段着じゃ駄目なん?」


ガイアがジジを見る。


「あれが普段着」


「そっか」


「一応、俺にも立場あんの」


「知ってるよ」


「お前たまに忘れてんだろ」


「普段のガイア見てたらな」


「どういう意味だよ」


「そのまんま」


ガイアが何か言い返そうとして。

やめた。


「……飯行くぞ」


「腹減った?」


「減った」


「ルナ」


「行く!」


三人で町へ向かった。


——————————————————————


夜。


ルナリスは眠っていた。

ジジも横になっていたが、ふと目を開けた。

ガイアがまだ起きている。

ベッドの端に座り、荷物を見ていた。


その中にある、ラハシェル族の装束。

一度だけ、バインスで袖を通した。

けれど次に着る時は。


本当に、ヴァレイアへ帰る時だった。


「寝ねぇの?」


ガイアが振り返る。


「起きてた?」


「今起きた」


「寝るよ」


荷物を閉じる。

ガイアがベッドへ入った。

ルナリスを挟んだ反対側。


ジジが暗闇の向こうを見る。


「……ファルコ」


ガイアが小さく言った。


「ん?」


「多分もう着いてる」


「ヴァレイア?」


「ああ」


「そっか」


「…………」


「どうした?」


「いや」


少し間が空いた。


「島の奴ら、気づいてるかもな」


「ファルコに?」


「あいつ目立つから」


ジジが少し笑った。


「じゃあ行ったら、みんな知ってたりして」


「…………」


ガイアが黙った。

少しして。


「ジジ」


「ん?」


「もし島に入れたら」


「うん」


「……近くにいて」


ジジは暗闇の向こうを見た。

ガイアの表情はよく見えない。


「いるよ」


「ん」


それだけだった。


——————————————————————


翌朝。

まだ太陽が昇りきる前に、船は港を出た。


ルナリスはまだ船室で眠っていた。

ジジは甲板に立ち、ガイアが帆へ風を送るのを見ていた。


船首が南へ向く。

風を受けた帆が大きく膨らんだ。

昨日より暖かな海。

透き通った水。

穏やかな波。


しばらくは、昨日までと何も変わらなかった。

やがて太陽が昇り始める。

水平線が明るくなる。

ジジが前方を見た。


「…………」


目を細める。

遠くの水平線が、僅かに霞んでいた。


「ガイア」


「何?」


「あれ霧?」


ガイアが前を見る。


「……ああ」


薄い霧だった。

最初は、海面の上を這う程度。

けれど船が進むにつれ、白いものが少しずつ広がっていく。

水平線が消えた。

さらに進む。


霧は濃くなった。

さっきまで見えていた青空と海の境目が、もう分からない。


「結構すげぇな」


ジジが言う。


「…………」


ガイアは答えなかった。

風が湿っていく。

周囲の景色が、一つずつ消えていった。

後ろを振り返っても、もう港のあった方角は見えない。


右も。

左も。

前も。

海と空の境目さえない。


「……何も見えねぇ」


ジジが呟く。

ガイアは船尾へ立った。

霧の中から吹く風が、長い銀髪を揺らす。


「ここからもっと濃くなるよ」


「これより?」


「ああ」


「航路見えんの?」


「見えねぇよ」


「じゃあどうすんの」


ガイアがジジを見る。


「分かるから」


「何が」


「道」


ジジは白い海を見る。

何もない。

目印になる島も。

岩も。

太陽さえ、霧の向こうへ霞み始めている。


「この辺は昔から、外じゃ魔の海域って呼ばれてる」


「魔の海域?」


「ああ」


「何で?」


「こうなるから」


ガイアが霧を見る。


「進んでるつもりでも方角が分からなくなる。

 戻ろうとしても戻れねぇ。気づいたら全然違う場所にいる」


ジジが周囲を見渡す。


「……怖ぇな」


「そう?」


「お前は道分かるからだろ」


「まあな」


「ファルコも?」


「あいつも分かる」


霧がさらに濃くなる。

船の周囲すら、白く霞み始めた。

その時。


船室の扉が開いた。


「……真っ白」


ルナリスが出てきた。

寝起きのまま、目を丸くしている。


「何これ?」


「霧」


「すごいね」


ルナリスが船縁へ行こうとする。


「ルナ」


ガイアがすぐに呼んだ。

足が止まる。


「今日は船縁寄んな」


「なんで?」


「危ねぇから」


「落ちないよ」


「見えねぇ時は駄目」


「……はい」


素直に戻ってくる。

ジジの隣に立ち、周囲を見た。


「どこ向いてるか分かんないね」


「ああ」


ジジが答える。


「ガイアは分かるんだって」


ルナリスがガイアを見る。


「ほんと?」


「ああ」


「ヴァレイア?」


「…………」


ガイアは前を見たまま答えた。


「ああ」


「この先?」


「この先」


ルナリスが白い霧を見る。


「何も見えないよ」


「まだな」


「いつ見える?」


「そのうち」


「どれくらい?」


「分かんねぇよ」


「またそれ」


「しょうがねぇだろ」


ルナリスが少し笑う。

けれど、ガイアは笑わなかった。


しばらく霧を見つめてから、口を開く。


「……そろそろ二人とも船室入れ」


ジジがガイアを見る。


「何で?」


「ここから先はヴァレイアの霧だ」


「今までは違ぇの?」


「外側だ。ここからが結界」


ルナリスが首を傾げる。


「結界?」


「ああ」


ガイアは白い先を見る。


「島に近づく奴を排除するための、最初の結界だ」


ジジの眉が僅かに寄った。


「排除って」


「島に拒まれたら、ここから先には行けねぇ」


「どうなんの?」


「さあ」


「さあ?」


「俺も拒まれたことねぇから知らねぇよ」


ガイアは平然と答える。


「聞いてんのは、船ごと霧に呑まれて外に放り出されるか」


「…………」


「そのまま永遠に、この霧の中を彷徨うか」


「怖ぇことさらっと言うなよ」


「聞いたのお前だろ」


「ルナたち、ずっと霧の中にいるの?」


「だから船室入れっつってんの」


「船室にいたら大丈夫なの?」


「少なくとも外にいるよりはな」


「…………」


ジジがガイアを見る。


「お前は?」


「俺はここにいる」


「危なくねぇの?」


「分かんねぇ」


「お前も分かんねぇのかよ」


「島に拒まれたら、俺がどうなるかも知らねぇよ」


「…………」


ガイアは少しだけ肩を竦めた。


「百二十年帰ってねぇしな」


「おい」


「でも俺がいなきゃ船動かせねぇだろ」


ジジは黙った。

白い霧を見る。


ガイアがルナリスを見る。


「ルナ。何があっても外に出てくんな」


「……うん」


ルナリスは頷いた。

それでも少し不安そうにガイアを見る。


「ガイア気を付けてね」


「…………」


一瞬だけ。

ガイアの目が柔らかくなる。


「ああ」


ジジがルナリスの背中を押す。

二人が船室へ入っていく。

扉が閉まった。


甲板に残ったのは、ガイア一人。


白い霧が迫っていた。

ガイアは船尾に立つ。

目を閉じる。


湿った風が銀髪を揺らす。

帆が大きく膨らんだ。

船の向きが僅かに変わる。

ガイアが目を開ける。


その先には、何も見えない。

白い霧だけがある。

けれど迷いなく、船を進ませた。


海の色も。

潮の流れも。

風も。

そして、この霧も。


ガイアは知っていた。

ずっと戻ることのできなかった場所。

その島を隠す霧の中へ。

船は静かに入っていった。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

お読みいただきありがとうございます。

くおんあづきです。

初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。

かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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