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精霊は還る場所を知っている  作者: くおんあづき


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183/216

知っている海

【精霊は還る場所を知っている】

2026.9.25 47話一挙配信。

毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

それから、また数日が過ぎた。

船は変わらず南へ進んでいた。


朝になれば港を出て、日が傾く前に次の港へ入る。

天候にも恵まれた。

大きく航路を変えることもなく、予定より少し早いくらいの速度で進んでいる。


その朝も、海は穏やかだった。

ジジが船室から甲板へ出ると、ガイアは既に起きていた。


船縁に片手を置き、海を見ている。

長い銀髪が、風に流れていた。


「早ぇな」


声を掛ける。


「ん」


それだけ返ってきた。

ジジはガイアの隣まで歩いた。


「ファルコは?」


「先行ってる」


「そっか」


並んで海を見る。

青い海が、朝の光を反射していた。

しばらくして。

ガイアが小さく言った。


「……変わったな」


「何が?」


「海」


ジジはもう一度、水面を見る。


「どこが?」


「色」


「…………」


「分かんねぇ?」


「分からん」


ガイアが少し笑った。


「だろうな」


「何だよ」


「昨日より明るい」


言われてみても、ジジにはよく分からなかった。


青い。

昨日も青かった。


「同じじゃん」


「違ぇよ」


ガイアが船縁から身を乗り出し、水面を見る。


「潮も変わった」


「潮?」


「ああ」


船腹を流れる海水へ視線を落とす。


「流れが少し変わってる。水もあったけぇ」


ジジも海を見る。

それから腕を伸ばした。


「何してんの」


「触ってみる」


「落ちんなよ」


指先が海水へ触れる。


「…………」


「どう?」


「分からん」


「だろうな」


「昨日触ってねぇもん」


「じゃあ何と比べてんだよ」


「ガイアがあったけぇって言ったから」


「俺は昨日も触ってんの」


「いつ」


「お前が寝てる時」


「何で」


「潮見るのに」


ジジが腕を戻した。

濡れた手を振る。


「そんなことしてんだな」


「船乗ってんだからするだろ」


「知らん」


「お前、最近ちょっと手伝うようになっただけだろ」


「結構覚えたよ」


「係留くらいじゃねぇか」


「帆も分かる」


「名前だけな」


「十分だろ」


「何が十分なんだよ」


後ろで扉が開いた。


「何してるの?」


ルナリスが出てくる。

まだ少し眠そうだった。


「おはよ」


「おはよう」


ジジが答える。

ガイアも振り返った。


「起きた?」


「うん」


ルナリスが二人の間へ入る。


「何見てたの?」


「海」


「海?」


「変わったんだって」


ジジが言う。


「何が?」


「ガイアに聞いて」


ルナリスがガイアを見る。


「何が変わったの?」


「色と潮」


ルナリスも海を見る。

じっと見る。


「…………」


しばらくして首を傾げた。


「分かんない」


「だよな」


ジジが言う。

ガイアが二人を見る。


「お前ら親子だな」


「だって青いよ」


「昨日も青かった」


「そういう話じゃねぇんだよ」


「じゃあ何色?」


ルナリスが聞く。

ガイアが海を見る。


「昨日より少し薄い」


「水色?」


「まだそこまでじゃねぇな」


「じゃあ青じゃん」


「…………」


ジジが吹き出した。


「ルナの勝ち」


「勝ち負けじゃねぇよ」


ガイアが呆れたように息を吐く。

ルナリスが笑った。

いつもなら、ガイアも何か言い返す。

けれど。

今日はそれ以上続かなかった。

ガイアはまた海へ視線を戻した。


——————————————————————


昼を過ぎる頃。

海の変化は、ジジにも少し分かるようになっていた。


水の色が違う。

朝よりもさらに明るく見える。

深い青一色だった海に、透き通るような色が混じり始めていた。


時折、水面近くを色鮮やかな魚が泳いでいく。


「ガイア!」


ルナリスが船縁から海を指差す。


「何?」


「あれ!」


ガイアが覗く。

細長い魚の群れが、船の横を泳いでいた。

銀色の身体に、青い線が入っている。


「何あれ?」


「リュエラ」


「どこにいるの?」


「この辺から南」


「食べられる?」


「食えるよ」


「おいしい?」


「まあまあ」


「食べたことある?」


「ある」


「いつ?」


ガイアが少し黙った。


「……ガキの頃」


「ヴァレイアで?」


「ああ」


ルナリスがもう一度、海を見る。

魚の群れは船と並ぶように泳いでいた。


「じゃあ、ヴァレイア近い?」


「昨日よりはな」


「またそれ」


「毎日近づいてんだからしょうがねぇだろ」


「あと何回寝たら着く?」


「だから天気次第だって」


「大体」


「……二、三日」


ルナリスが振り返った。


「ほんと!?」


「多分な」


「もうすぐじゃん!」

「まだ騒ぐには早ぇよ」


そう言いながら、ガイアは帆を見る。

風向きを確かめる。


その横顔を、ジジは少しだけ見ていた。


——————————————————————


午後。

ファルコが戻ってきた。

遥か上空を、大きな影が横切る。

一度、船の周囲を旋回する。

ガイアが空を見上げた。


目を閉じる。

ファルコの視界を借りたのだろう。

しばらくそのまま動かなかった。

銀髪だけが風に揺れている。

やがて目を開けた。


「どう?」


ジジが聞く。


「問題ねぇよ」


「次の港は?」


「予定通りでいい」


「そっか」


ガイアが帆へ向けて手を上げる。

風が動く。

大きく膨らんだ帆に押され、船が速度を上げた。


ファルコは再び先へ飛んでいった。

ルナリスが空へ手を振る。


「またねー!」


巨大な影が小さくなっていく。


その時。

ガイアがふと顔を上げた。


「…………」


ジジが見る。


「何?」


返事がない。

ガイアは海ではなく、風の向こうを見ていた。

鼻先を掠めた風が、長い銀髪を後ろへ流していく。


「ガイア?」


「……この風」


「風?」


「ああ」


ジジには分からない。

さっきまでと同じように、少し暖かな風が吹いているだけだった。

ガイアは何も言わず、その風を受けていた。


「知ってる風?」


ジジが聞いた。

少しして。


「……うん」


それだけだった。

ジジは、それ以上聞かなかった。


——————————————————————


その日の夕方。

予定していた港へ入った。

いつものように船を係留する。


「こっち?」


ジジが綱を持ったまま聞く。


「…………」


「ガイア?」


「ああ。そこ」


「これでいい?」


「もう少し引いて」


ジジが綱を引く。

船体が岸壁へ寄った。


「これくらい?」


「ん」


短い。

ジジはガイアを見る。

ガイアは既に次の綱へ手を伸ばしていた。


「俺やるよ」


「いい」


「疲れてんじゃねぇの?」


「別に」


「じゃあそっちやる」


返事を待たず、ジジが綱を取る。

ガイアが少しだけジジを見た。


「……ありがと」


「ん」


それだけで終わった。


——————————————————————


港の町で夕食を取った。

ルナリスは相変わらずよく喋った。


今日見た魚。

海の色。

ファルコ。

あと何日でヴァレイアに着くのか。

ガイアも聞かれれば答えた。

笑いもする。

ルナリスの皿から落ちそうになった魚を戻してやったり、

口元についたものを指で取ったりもする。

いつものガイアだった。

ただ。


自分から話すことが、少なかった。

ジジは何も言わなかった。


——————————————————————


夜。

ルナリスが眠ったあと。

ジジは甲板へ出た。

ガイアがいた。

船縁に背を預けている。

海を見ていた。


「寝ねぇの?」


「もうちょいしたら」


ジジが隣へ行く。

肩が触れるくらいの距離に立った。

夜の海は暗い。

港の灯りが、水面に細長く揺れていた。


「……もうすぐなんだな」


ジジが言う。


「何が」


「ヴァレイア」


「…………」


少し間が空く。


「ああ」


「海変わったんだろ?」


「うん」


「風も」


「ああ」


また沈黙。

ジジは隣を見る。

ガイアは海を見たままだった。


「ガイア」


「ん?」


「緊張してる?」


「…………」


答えはすぐには返ってこなかった。


「……分かんねぇ」


「そっか」


「うん」


ジジは、それ以上聞かなかった。

代わりに、ガイアの手に触れた。

指先だけ。

ガイアが一度、その手を見る。

それから握った。


「……ジジ」


「何」


「俺さ」


「うん」


そこまで言って。

ガイアは黙った。

ジジは待った。

けれど、続きはなかった。


「……何でもねぇ」


「そっか」


「聞かねぇの?」


「言いたくなったら言うだろ」


ガイアがジジを見る。

少しだけ笑った。


「……お前、そういうとこあるよな」


「何が」


「何でもねぇよ」


「何だよ」


今度はジジが言った。

ガイアが小さく笑う。


そのまま、また海を見る。

手は離さなかった。

暖かな風が吹いた。

潮の匂いを運んでくる。

ガイアはもう何も言わなかった。

けれど。


その風も。

海の色も。

潮の流れも。

今日見た魚も。

全部、知っていた。


百二十年。

どんな顔をして戻ればいいのか分からないまま、帰れなかった島。

まだ、その姿は見えない。


それでも海はもう、

ガイアの知っている海へと変わり始めていた。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

お読みいただきありがとうございます。

くおんあづきです。

初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。

かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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