風は南へ
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
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翌朝。
港は、すでに一日の仕事を始めていた。
沖から戻った漁船が次々と岸壁につき、籠いっぱいの魚が運び出されている。
朝市には店が並び、威勢のいい声が飛び交っていた。
「それ、こっちだ!」
「今日のはでかいぞ!」
「三籠追加!」
荷車が石畳を走る。
魚を抱えた男が、その横を抜けていく。
その中を、ジジたちは港の奥へ向かって歩いていた。
「船いっぱい!」
ルナリスが辺りを見回す。
「こんなにあるんだね」
「朝だからな」
ガイアが答える。
「漁から戻ってくる時間なんだよ」
「ガイアも魚捕ったことある?」
「あるよ」
「船で?」
「船でも捕るし、潜っても捕る」
「潜るの?」
「ああ」
「ルナもやりたい!」
「泳げるようになってからな」
「教えて!」
「いいよ」
少し前を歩く二人を、ジジが見ていた。
その後ろには、レグラスとアグラディアがいる。
朝の港では、その姿の方が目立っていた。
荷を運んでいた男が足を止める。
「……あれ」
隣にいた男も顔を上げた。
「レグラス・ルシーダじゃないか?」
「何でこんなところに……」
声が少しずつ広がっていく。
朝市の店先からも視線が集まった。
レグラスは気にした様子もなく歩いている。
アグラディアも、その隣を普段通りについていた。
やがて、一隻の帆船の前で足を止める。
周囲の漁船より一回り大きい。
船体は細く、長い。
大きな帆柱が二本立っていた。
ルナリスが見上げる。
「これ?」
「そうだ」
レグラスが答えた。
「快速帆船だ」
「大きい!」
ルナリスが駆け寄る。
ジジも船を見上げた。
「……ほんとにこれ借りていいの?」
「そのために用意した」
「三人しかいねぇけど」
「問題ない」
レグラスの視線がガイアへ向く。
ガイアは船体を眺めていた。
「これなら十分だな」
「船の人は?」
ルナリスが振り返る。
「いねぇよ」
「いないの?」
「ああ」
「誰が動かすの?」
「俺」
ルナリスが目を丸くする。
「ガイア一人で?」
「風がありゃ動くよ」
「すごい!」
「俺がすごいんじゃねぇよ」
そう言って、ガイアが荷物を持ち上げる。
「ほら。乗るぞ」
「うん!」
三人が船へ乗り込む。
荷物を船室へ運び終え、再び甲板へ出た。
岸壁には、レグラスとアグラディアが残っていた。
「ルナリス」
アグラディアが呼ぶ。
「何?」
「気をつけて行ってくるんだよ」
「うん!」
「ガイアの言うことをよく聞くこと」
「ジジは?」
「ジジの言うことも聞きなさい」
「分かった!」
ジジが眉を寄せる。
「なんで俺、後なんだよ」
「船の上ではガイアの方が詳しいだろう」
「まあ、そうだけど」
アグラディアが笑った。
レグラスは三人を見る。
「帰りを待っている」
「うん!」
ルナリスが大きく手を振る。
ジジも片手を上げた。
ガイアは少しだけレグラスを見る。
「行ってくる」
「ああ」
それだけだった。
ガイアが船尾へ向かう。
ルナリスがその背中を見る。
「ガイア?」
「出るぞ」
上空から、大きな鳴き声が響いた。
ルナリスが顔を上げる。
「ファルコ!」
巨大な鷹が、大きく翼を広げて旋回していた。
「ファルコも一緒?」
「ああ」
「ずっと飛んでくの?」
「まあな。あいつなら平気だよ」
「疲れないの?」
「疲れたらどっかで休むだろ」
「どこで?」
「岩場とか」
ルナリスが上空を見上げる。
「船には?」
「乗せたら沈むだろ」
「…………」
ルナリスが船を見る。
もう一度、遥か上空のファルコを見る。
「……だめだね」
「だめだな」
ガイアは船尾に立った。
銀色の長い髪が、朝の風に揺れていた。
海を見てから、ゆっくりと目を閉じる。
唇が動いた。
聞き慣れたエルフ語だった。
ジジには、その言葉が分かった。
風へ。
波へ。
これから海を渡ることを告げる。
旅路が穏やかであるように。
共に行く者たちが、無事に辿り着けるように。
静かな祈りだった。
そして。
最後に、ガイアが告げる。
「――ヴァレイア」
風が止んだ。
銀髪が、背へ落ちる。
港に立つ旗も動きを止めた。
「……?」
ルナリスが辺りを見る。
ほんの一瞬だった。
ガイアの足元を、柔らかな風が抜けた。
銀髪の先が浮き上がる。
風はそのままガイアの身体を巡り、甲板を走った。
長い銀髪が大きく広がる。
帆が膨らんだ。
一枚。
また一枚。
大きな帆が、次々と風を孕んでいく。
それだけの風が吹いているはずなのに、ルナリスの髪は僅かに揺れるだけだった。
風は、船だけを包んでいた。
船体がゆっくりと岸壁を離れる。
「動いた!」
ルナリスが船縁へ駆け寄った。
「ジジ! 動いた!」
「動いたな」
「おじさん! アグラディア!」
大きく手を振る。
岸壁から、アグラディアが手を振り返した。
レグラスも片手を上げる。
港では、いつの間にか多くの人が仕事の手を止めていた。
風を纏う褐色のエルフ。
朝日に光る銀色の長髪。
その遥か上空を舞う、巨大な鷹。
「……すげぇ」
誰かが呟いた。
別の場所から、小さな声が聞こえた。
「綺麗……」
ジジは船尾を見る。
ガイアはまだ、南の海を見ていた。
何度も見てきた。
風を使うところも。
精霊と話すところも。
ファルコと空を見上げる姿も。
それでも。
今、船尾に立つガイアは。
少しだけ、いつもと違って見えた。
やがてガイアが振り返る。
ジジと目が合った。
「何?」
「いや」
「何だよ」
「綺麗だなと思って」
「……船が?」
「ガイアが」
「…………」
ガイアが顔を逸らした。
「朝からやめろ」
ジジが少し笑った。
船は港を離れていく。
風は迷わず、南へ吹いていた。
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港が見えなくなるまで、それほど時間はかからなかった。
快速帆船は波を切り、海の上を進んでいた。
「速い!」
ルナリスはずっと船縁にいた。
「ルナ、あんま身ぃ乗り出すなよ」
「大丈夫!」
「見えてねぇとこあるだろ」
ガイアがルナリスの腰を掴み、少し後ろへ戻す。
「ここまで」
「はーい」
返事をした直後。
「あ!」
「何」
「何かいた!」
ルナリスがまた身を乗り出しかける。
ガイアが腰を掴んだまま止める。
「どこ」
「そこ! 今、跳ねた!」
ガイアが海を見る。
水面から灰色の身体が飛び出した。
少し遅れて、もう一頭。
さらにその向こうにもいる。
「ああ。イルカ」
「イルカ?」
「そう」
「魚?」
「違う」
「じゃあ何?」
「俺らと同じで、息する生き物」
「海の中なのに?」
「ああ。だから時々上がってくる」
ルナリスが海を見る。
ちょうど船の横を一頭が泳いでいく。
「速い!」
「こいつら泳ぐの上手いからな」
「ガイアより?」
「……いい勝負じゃね?」
「ガイアそんなに速いの?」
「今度見せてやるよ」
「見たい!」
また一頭が跳ねる。
ルナリスが笑った。
「こっち見てる!」
「船についてきてんだよ」
「なんで?」
「遊んでんじゃねぇの」
「イルカも遊ぶの?」
「遊ぶよ」
「何して?」
「追いかけっことか」
「海の中で?」
「そう」
質問が止まらない。
海鳥が飛べば、何という鳥か。
水面に魚の群れが見えれば、何の魚か。
遠くに何かが浮かべば、あれは何か。
ガイアは一つずつ答えていた。
少し離れた甲板で、ジジは座ってその様子を見ていた。
「ガイア!」
「今度は何」
「あそこ!」
「ん?」
「でっかい魚!」
ガイアが目を細める。
「……ああ、魚だな」
「何ていうの?」
「遠くて分かんねぇよ」
「ガイアでも分かんないの?」
「俺を何だと思ってんだよ」
ルナリスが笑う。
ガイアも笑った。
ジジの口元が僅かに緩んだ。
海のことを何でも知っているガイア。
それを一つ残らず知りたがるルナリス。
二人の声が、風に乗って聞こえてくる。
ガイアが振り返った。
「ジジ」
「ん?」
「お前もこっち来れば?」
「見えてるからいい」
「何が」
「楽しそうな二人」
「俺ら見てどうすんだよ」
「別に」
「変な奴」
ルナリスも振り返る。
「ジジもイルカ見ようよ!」
「はいはい」
ジジが立ち上がる。
「はいは一回!」
「はい」
「一回!」
「分かったって」
ガイアが笑った。
三人の横を、イルカの群れがしばらく並んで泳いでいた。
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夕方。
空が赤く染まり始めた頃、船は一つ目の港へ入った。
ガイアが風を弱める。
帆がゆっくりと萎み、船足が落ちていく。
「今日はここ?」
「そ」
ルナリスが少し残念そうな顔をする。
「もう進まないの?」
「また明日」
「夜も進める?」
「進めるけど、急ぐ旅でもねぇだろ」
ガイアが係留索を取る。
「それに」
「それに?」
「腹減った」
ジジが頷く。
「俺も」
「ルナも!」
「だろ?」
船を岸壁へ繋ぐ。
ガイアが港町を見る。
「ここ、ロブスター有名なんだよ」
「ロブスター?」
「でけぇ海老」
ルナリスの目が輝く。
「食べたい!」
「じゃあ行くか」
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運ばれてきた皿を見て、ルナリスが固まった。
「…………」
皿の上には、大きな赤い殻が乗っていた。
「でかっ!」
「言っただろ」
ガイアが笑う。
「これ全部食べるの?」
「中身な」
「殻は?」
「食わねぇよ」
「どうやって食べるの?」
「貸してみ」
ガイアがルナリスの皿を引き寄せる。
慣れた手つきで殻を割り、中から白い身を取り出した。
「ほら」
ルナリスの皿へ置く。
「食ってみ」
ルナリスが口へ運ぶ。
「…………!」
「どう?」
「おいしい!」
「だろ」
「ジジも食べて!」
「食ってるよ」
「ガイアも!」
「俺も食ってる」
ルナリスは忙しそうに二人の皿を確認してから、また自分の皿へ戻った。
「明日もこれ食べたい」
「明日は別の港だ」
「そこは何がおいしい?」
「着いてからのお楽しみ」
「ガイア知ってる?」
「まあな」
「教えて!」
「明日な」
「今!」
「明日」
「なんで!」
ジジが笑う。
「明日の楽しみなくなるだろ」
「……じゃあ明日聞く」
「そうしろ」
「絶対教えてね」
「はいはい」
「はいは一回!」
ガイアがジジを見る。
「お前の真似じゃねぇか」
「俺のせい?」
「絶対そうだろ」
「ガイアも言うじゃん」
「俺は言わねぇよ」
「言うよ」
「いつ」
「結構言ってる」
「言ってねぇって」
「ねえ」
ルナリスが二人を見る。
「何?」
「二人とも食べないの?」
「…………」
「…………」
ジジとガイアが皿を見る。
料理がほとんど減っていなかった。
「食うか」
「食うわ」
——————————————————————
夜。
三人は船へ戻った。
一日中はしゃいでいたルナリスは、さすがに少し眠そうだった。
「船で寝るの初めて」
「そうだな」
「揺れる?」
「港ん中ならそんな揺れねぇよ」
ガイアが船室の扉を開ける。
中へ入る。
広い船室だった。
机もある。
荷物を置く場所も十分にある。
奥には、大きなベッドが一つ。
ルナリスが嬉しそうに声を上げた。
「おうちと一緒!」
「ほんとだ」
ジジが荷物を下ろす。
ルナリスはベッドへ駆け寄った。
「ルナ真ん中!」
「最初からそのつもりだろ」
ガイアも荷物を置く。
「うん! ガイアこっちね」
「はいはい」
「ジジこっち!」
「俺、どっちでもよくね?」
「だめ。いつもと一緒」
「分かったよ」
ジジが笑う。
ルナリスがベッドへ上がった。
「ふかふか!」
「靴脱げ」
「あ」
慌てて戻ってくる。
ガイアが笑いながらルナリスの靴を脱がせた。
「一日中騒いでたんだから、今日はすぐ寝るだろ」
「まだ眠くないよ」
「さっきから欠伸してんじゃん」
「してない」
「してたよ」
「してないもん」
「じゃあ起きてれば?」
「起きてる」
数分後。
三人がベッドへ入る。
真ん中にルナリス。
その両側に、ジジとガイア。
「明日もイルカいるかな」
「いるかもな」
「違うのもいる?」
「いるよ」
「何?」
「明日見つけたら教えてやる」
「うん……」
返事が少し遅くなる。
「ファルコは?」
「さっき近場の岩場に降りてたぞ」
「寒くない?」
「あいつは平気」
「そっか……」
目が閉じていく。
「ガイア」
「ん?」
「明日もいっぱい教えてね」
「ああ」
「ジジも……」
「何?」
「一緒に見ようね」
「うん」
それきり声がなくなった。
少しして、静かな寝息が聞こえ始める。
ジジがルナリスを見る。
「寝た」
「早ぇな」
ガイアが布団を少し上げ、ルナリスの肩まで掛け直した。
ジジはその手元を見ていた。
「何」
「いや」
「またそれかよ」
「楽しそうだなと思って」
「ルナが?」
「ガイアも」
「……まあな」
ガイアがルナリスを見る。
「海好きみてぇだし」
「うん」
船体を、静かな波が叩いている。
遠くから、港町の音が僅かに聞こえていた。
明日になれば、また海へ出る。
その次の日も。
さらに、その先も。
三人を乗せた船は、少しずつ南へ進んでいく。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




