帰路
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。
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大きな翼が、月明かりを横切った。
ガイアがジジの腕の中で身体を起こす。
「……ジジ」
「ん?」
「来た」
ジジも空を見上げた。
遠くに見えていた影が、少しずつ大きくなっていく。
ファルコだった。
長く伸びた翼を広げたまま、夜空を滑るように近づいてくる。
「……早ぇな」
「ファルコだからな」
「それにしても早ぇだろ」
そう答えた声が、僅かに硬い。
ジジの腕が腹から離れる。
ガイアは立ち上がった。
肩から毛布が落ちそうになり、片手で押さえる。
ファルコは高度を落とした。
だが、その巨体ではこの庭には降りられない。
家の上空を大きく旋回する。
一度。
二度。
ガイアはじっと、その姿を見ていた。
三度目。
ファルコが庭の上を横切る。
その時。
何かが落ちた。
「……!」
ガイアが手を上げる。
風が動いた。
落下していたそれを下から掬い上げるように、柔らかな風が吹く。
一度浮き上がり。
ゆっくりと。
ガイアの手の中へ落ちた。
「…………」
手紙だった。
上空から、ファルコの低い鳴き声が聞こえる。
ガイアが顔を上げた。
「……ありがとな」
ファルコが大きく翼を翻した。
一度旋回すると、そのまま高度を上げていく。
長く伸びていた翼が、夜空の中へ遠ざかっていった。
ガイアは途中から、その姿を見ていなかった。
手元を見ていた。
「…………」
返事が来た。
さっきまで。
早く帰ってこいと思っていた。
親父は読んだだろうか。
何と思っただろう。
返事は来るだろうか。
そんなことばかり考えていた。
なのに。
いざ手の中にあると。
開けられない。
「…………」
折られた紙を見つめる。
親父が書いた。
自分の手紙を読んで。
その返事を書いた。
この中に。
「ガイア」
ジジの声がした。
「……ん」
「寒い」
「…………」
「毛布」
「あ」
肩に引っ掛かったままになっていた毛布を、ジジに渡す。
「中入る?」
「……いや」
「ここで見る?」
「うん」
ジジはそれ以上何も言わなかった。
ガイアの隣に立った。
ガイアはもう一度、手紙を見る。
「…………」
指が端に掛かる。
止まる。
「……怖ぇな」
ぽつりと漏れた。
「うん」
「さっきまで、早く来いって思ってたのに」
「うん」
「来たら来たで、開けたくねぇ」
「じゃあ、もうちょっと待つ?」
「…………」
ガイアが小さく息を吐いた。
首を振る。
「いや」
手紙の端を開く。
「見るぞ」
「うん」
ガイアが紙を開いた。
肩に毛布をかけたジジが後ろから少し身体を寄せる。
二人で覗き込む。
月明かりだけでは暗い。
ガイアが指先を僅かに動かすと、風が庭の灯りを揺らした。
紙面に文字が浮かび上がる。
最初の一行。
ガイアの目が止まった。
――息子へ
「…………」
それだけだった。
ガレイヴィアではない。
息子。
「……ガイア?」
「いや」
小さく首を振る。
続きを見る。
――承知した。
短い。
それだけで。
肩から力が抜けた。
「……いいって」
「ああ」
ジジの声も、少しだけ柔らかかった。
ガイアが次の行へ目を移す。
――帰路での無事を祈る。
「…………」
動きが止まった。
ジジも何も言わない。
ガイアは、その一行を見ていた。
もう一度。
読む。
帰路。
「…………」
帰らなかった。
帰れなかったんじゃない。
自分で帰らなかった。
あの日。
親父と喧嘩をして。
島を出た。
最初は、すぐに戻るつもりだったのかもしれない。
分からない。
いつからか。
帰れなくなった。
年月が積み重なるほど。
今さら、どんな顔をして戻ればいいのか分からなくなった。
それでもヴァレイアが気になって。
何度もファルコを飛ばした。
自分からは、一度も。
何も伝えなかった。
そんな息子が。
突然。
戻る。
二人に島を見せる。
そう書いた。
なのに。
返ってきた言葉は。
帰路。
自分がこれから進む道を。
親父は、そう書いた。
「…………っ」
視界が滲んだ。
ガイアが一度、瞬きをする。
文字が揺れる。
もう一度。
――帰路での無事を祈る。
「…………」
怒っていない。
何をしていたとも聞かない。
なぜ百二十年も帰らなかったとも。
今さら何のつもりだとも。
何一つ。
書いていない。
ただ。
無事に帰ってこい。
それだけだった。
「……ちょっと待って」
声が掠れた。
ジジは黙っていた。
ガイアが目元を拭う。
もう一度、手紙を見る。
まだ続きがある。
――ルナリス 会えることを楽しみにしている
「…………」
また、涙が滲んだ。
ルナリスのことも。
何も聞かない。
ルナリスのことを、書いた。
一度、この子にヴァレイアを見せたいと。
ジジと共に、島を目指したいと。
けれど。
親父から返ってきたのは。
会えることを楽しみにしている。
それだけだった。
「……親父……」
次の行。
――ジジ・ガルシア ガレイヴィアを頼む
「…………」
ガイアの眉が僅かに寄る。
隣で読んでいたジジも、その一行を見ていた。
「俺?」
「……お前だよ」
「俺の名前書いてある」
「見りゃ分かる」
「何で俺にガイア頼んでんの?」
「俺が知るかよ……」
そう返した声が。
また震えた。
「…………」
ガイアは手紙を最後まで見る。
――父より
それだけだった。
短い。
あまりにも短い。
細かいことなんて、何一つ書いていない。
だから。
余計に駄目だった。
「…………」
涙が頬を伝った。
一つ。
もう一つ。
ガイアは俯く。
「……ごめん」
ジジが隣を見る。
「…………」
「……ごめん、親父……」
手紙を持つ指が震えた。
百二十年。
何も言わなかった。
心配しているかもしれないと、考えなかったわけじゃない。
ファルコを飛ばすたび。
家を見るたび。
一度くらい、手紙を持たせればよかった。
元気だと。
生きていると。
それだけでも。
伝えればよかった。
なのに。
何もしなかった。
「……俺……」
声が続かない。
「……っ、ごめん……」
ジジが何も言わず、肩の毛布を広げた。
ガイアの後ろから、その身体ごと包み込む。
毛布の端を前へ回し、その上から腕を重ねた。
ガイアも抵抗しなかった。
「……何も……言わねぇんだもん……」
「うん」
「怒ってもねぇし……」
「うん」
「……何でだよ……」
ジジの手がガイアの腕をゆっくり撫でる。
「俺、百二十年だぞ……」
「うん」
「……長ぇよ……」
「長いな」
「…………」
ガイアが小さく笑った。
泣きながら。
「……そこは否定しろよ」
「百二十年は長いだろ」
「……そうだけど」
「でも」
背後から回っていた腕が、僅かに緩む。
「いいって」
「…………」
「ルナに気を付けてって」
「……うん」
「俺にも、ガイア頼むって」
「…………うん」
ジジが手紙を見る。
それから、ガイアを見る。
「……よかったな」
「…………」
ガイアの顔が歪んだ。
「……うん」
また涙が落ちる。
ガイアを包むジジの腕の力が強くなる。
「……よかった」
耳元で、もう一度。
ガイアは目を閉じた。
「……うん」
そのまま。
ジジが顔を寄せる。
ガイアの首筋へ、そっと唇を触れさせた。
「…………」
少しだけ長く。
けれどガイアは何も言わなかった。
今は。
ジジの腕の中にいることも。
触れる唇も。
二人の体温も。
全部が心地よかった。
「……ジジ」
「何」
「もうちょっと、このままでいて」
「うん」
ガイアが再び身体を預ける。
手には。
父親から届いた、短い手紙。
もう一度だけ。
その文字を見る。
――帰路での無事を祈る。
「…………」
帰路。
その言葉を、胸の中で繰り返す。
「……帰るんだな、俺」
「うん」
今度は。
怖くなかった。
ジジの腕が、また少し強くなる。
ガイアは手紙を胸元へ寄せた。
百二十年ぶりの帰路が。
ようやく。
始まろうとしていた。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




