百二十年振りの便り
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。
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その日の夕方。
机の上には、一枚の便箋が置かれていた。
その前に座ったガイアは、さっきから何も書いていない。
ペンは持っている。
インクもつけた。
それなのに、便箋は白いままだった。
「…………」
向かいでは、ジジが茶を飲んでいる。
「……書かねぇの?」
「書くよ」
「さっきからずっと白いぞ」
「分かってる」
「何書くか決まってねぇの?」
「最初で止まってんだよ」
「最初?」
ガイアが便箋を睨む。
「百二十年振りに親父に手紙書くんだぞ、最初になんて書くんだよ」
「親父へ、でいいじゃん」
「…………」
「親父なんだろ?」
「……親父だけど」
「じゃあそれでいいだろ」
「百二十年ぶりだぞ」
「百二十年会ってなくても親父は親父だろ」
「…………」
ガイアはしばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐く。
「……もうそれでいいか」
ペン先が、ようやく紙へ触れた。
親父へ。
「書けたじゃん」
「うるせぇ」
ジジが少し笑う。
ガイアはそのまま続きを書こうとして。
また止まった。
「…………」
「今度は何」
「どこから書くか考えてんだよ」
「久しぶり、とか」
「百二十年を『久しぶり』で済ませるのか?」
「じゃあ百二十年ぶり、でいいじゃん」
ガイアが顔を上げる。
「お前もう黙ってろ」
「はい」
ジジは茶を飲んだ。
ガイアは眉間に皺を寄せたまま、再び便箋へ向かう。
しばらくして。
ペンが動き始めた。
――親父へ。
何の便りも寄越さなくて悪かった。
大陸で、ルナリスという少女と出会った。
人間とハイエルフの血を引く子で、精霊との結びつきが強い。
一度、この子にヴァレイアを見せてやりたいと思ってる。
ルナリスには、ジジ・ガルシアという人間の保護者がいる。
二人を引き離すつもりはない。
だから、ルナリスとジジを伴って、一度ヴァレイアを目指したい。
二人を島が受け入れるかは、俺にも分からない。
それでも、一度試させてほしい。
返事を待つ。
――ガレイヴィア
最後の一文字を書き終えて、ペン先が止まった。
「…………」
久し振りに書いた。
この名前を。
大陸へ渡ってから、名乗ることはなかった。
書くこともなかった。
けれど。
手は覚えていた。
迷うことなく書かれた文字を、ガイアはしばらく見つめる。
「…………」
ガイアは書いたものを最初から読み返す。
ジジが向かいから見ている。
「終わり?」
「……多分」
ガイアはもう一度、手紙を見る。
一度も帰らなかった。
手紙すら出さなかった。
その最初の便りが、これだった。
「終わった?」
ルナリスがすぐに振り返る。
「終わった」
「見ていい?」
「駄目」
「なんで?」
「親父に書いた手紙だから」
「ルナのこと書いた?」
「ああ」
「何て?」
「五歳のうるせぇガキ連れてくって」
「書いてないでしょ!」
「書いた」
「嘘!」
「何で分かんだよ」
「ガイア、そんなこと書かないもん」
「…………」
ガイアが少し笑った。
ジジも隣から紙を覗こうとする。
ガイアが伏せた。
「お前も見るな」
「俺のこと書いた?」
「書いた」
「何て?」
「でけぇ人間連れてくって」
「それは書いてそう」
「書いてねぇよ」
ルナリスが笑う。
ガイアは手紙を折った。
「ガイア」
「何?」
「ルナも書きたい」
「何を」
「こんにちは」
「…………」
「だめ?」
ガイアが折ったばかりの手紙を見る。
「別の紙にしろ」
「一緒がいい」
「何で」
「ガイアのパパに渡すんでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ一緒がいい」
「…………」
少し迷って。
ガイアはもう一度手紙を開いた。
「ちょっとだけな」
「うん!」
ルナリスが隣へ移動する。
ペンを受け取り、一番下の空いているところを見る。
「エルフ語で書く?」
「好きな方でいいよ」
「エルフ語にする」
「書ける?」
「書ける!」
ゆっくり。
一文字ずつ。
何度かガイアに確認しながら書いていく。
――はじめまして。ルナリスです。
書き終える。
「できた!」
「上手いじゃん」
「ほんと?」
「ああ」
嬉しそうに笑う。
そして。
二人同時にジジを見る。
「…………何」
「ジジも」
「俺も?」
「うん」
「何書くんだよ」
「こんにちは」
「俺も?」
「うん」
ジジがガイアを見る。
「書いていいのか?」
「何で俺に聞くんだよ」
「お前の親父さんだろ」
「好きにしろよ」
ジジがペンを受け取る。
少し考え。
ルナリスの下へ書いた。
――よろしく。
「短っ」
ガイアが言う。
「何書けばいいか分かんねぇもん」
「ルナより短い」
「うるせぇな」
ルナリスが覗き込む。
「ジジもエルフ語上手」
「まあな」
「ガイアに教わった?」
「マリア」
「あ、そっか!」
ガイアが二人を見る。
それから、手紙を見る。
父親への申し入れの下。
――はじめまして。ルナリスです。
――よろしく。
「…………」
何だこれ。
そう思った。
けれど。
消す気にはならなかった。
手紙を折る。
「じゃ、行くか」
「どこ?」
「ファルコんとこ」
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街を出た頃には、すっかり夜になっていた。
バインスの灯りが遠ざかる。
人気のない草原。
月明かりの下に、巨大な影があった。
ファルコ。
三人が近づくと、金色の瞳がこちらを見る。
「ファルコ!」
ルナリスが駆けていく。
ファルコが低く鳴き、大きな頭を下げた。
ルナリスが羽毛へ抱きつく。
「今からおでかけするの?」
ファルコがもう一度鳴いた。
「分かってんのかな」
ジジが言う。
「多分な」
ガイアが近づく。
ファルコの金色の瞳が、ガイアを見る。
「頼みがある」
低く鳴く。
ガイアは手紙を取り出した。
「ヴァレイア」
その名に。
ファルコの瞳が僅かに細くなる。
「親父に渡せ」
いつもとは違う。
島を見てこいでも。
様子を見せろでもない。
届けるものがある。
ガイアは手紙をファルコへ預けた。
「頼んだぞ」
ファルコが大きく翼を広げる。
風が吹いた。
銀髪が揺れる。
ルナリスが目を見開いた。
「……あ!」
翼の先。
羽根が伸びていく。
一枚。
また一枚。
普段よりも長く。
大きく。
両翼だけが、さらに広がっていく。
遠い南の島へ飛ぶ時だけ見せる姿。
「ファルコ、羽おっきくなった!」
「ああ」
「なんで?」
「遠くまで飛ぶから」
「ヴァレイアまで?」
「そう」
ルナリスが巨大な翼を見上げる。
「すごい……」
ファルコが低く鳴いた。
そして。
地面を蹴る。
一度。
大きく羽ばたく。
巨体が空へ上がる。
二度目。
さらに高く。
翼が月明かりを横切った。
「ファルコー!」
ルナリスが両手を振る。
「いってらっしゃーい!」
ジジも空を見上げている。
ガイアは何も言わなかった。
小さくなっていく影を見ていた。
やがて。
見えなくなる。
「……行っちゃった」
ルナリスが呟く。
「ああ」
「いつ着く?」
「四時間くらい」
「そんなに早いの!?」
「あいつ速ぇから」
「じゃあ今日着く?」
「着くよ」
「お返事も今日?」
「親父がすぐ書きゃな」
ルナリスはまた空を見る。
「楽しみだね」
「…………」
ガイアは答えなかった。
代わりに。
隣に立っていたジジの手が、ガイアの手に触れた。
「…………」
指が絡む。
ガイアは一度だけ、その手を見る。
振りほどかなかった。
「ジジ」
「何」
「……戻るって言っちまった」
「うん」
ガイアは南の空を見る。
何度も。
あの空へファルコを飛ばした。
島が気になった時。
家が気になった時。
親の顔が見たくなった時。
けれど。
自分の言葉を持たせたことは、一度もなかった。
今夜。
初めて。
自分の言葉が南へ向かっている。
ジジの手に、少しだけ力が入った。
ガイアも。
その手を握り返した。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




