走ること
【精霊は還る場所を知っている】
2026.9.25 47話一挙配信。
毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。
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ジジが目を覚ましてから、数日が経った。
シャイアは寝台の脇に立ち、ジジの左肩に巻かれていた包帯を外す。
部屋にはジジが目を覚ましたということをガイアから聞き、
バルト、ダンテ、グリム、マルセル、シーザーが集まっていた。
黒紫色に変色していた皮膚は、ほとんど元の色へ戻っている。
深く残っていた噛み傷も乾き、周囲の腫れは引いていた。
シャイアが傷の縁へ指を当てる。
「痛い?」
「ちょっと」
「ここは?」
少し下を押す。
「そこは平気」
「……そう」
シャイアは傷を見たまま黙った。
向かいに立っていたアグラディアも覗き込む。
「どう?」
「昨日より塞がってる」
「昨日より?」
「ええ」
アグラディアが傷を見る。
「…………」
ジジが二人を見た。
「何だよ」
「ジジ」
「何」
アグラディアが顔を上げる。
「本当に人間?」
「人間だよ」
「そう」
「何だよ、その確認」
「一応聞いておこうと思って」
「何でだよ」
シャイアが新しい布を手に取った。
「普通、こんな速度で治らないの」
「治ってんならいいだろ」
「いいけど」
「じゃあいいじゃん」
ジジが面倒そうに息を吐いた。
少し離れたところで、ダンテが笑う。
「相変わらずだな、お前」
「何が」
「死にかけてた奴とは思えねぇ」
「死んでねぇし」
「そういうとこだよ」
「うるせぇ」
壁際では、バルトが腕を組んでいた。
その隣にはグリム。
マルセルとシーザーもいる。
ガイアは窓際の椅子に座っていた。
シャイアが包帯を巻き直す。
「まだ無茶は駄目だからね」
「してない」
「昨日一人で歩こうとしたでしょ」
「歩けた」
「歩けるかどうかじゃないの」
「便所くらい一人で行ける」
「だから――」
「まあまあ」
アグラディアが間に入る。
「回復しているのは確かだから」
「甘やかさないで」
「でも、本当に驚くくらい早いよ」
アグラディアがジジを見る。
「この調子なら、思っていたよりずっと早く動けるようになるかもしれない」
「ほら」
「ただし」
「……何」
「シャイアの許可が出るまでは寝ていて」
「…………」
「返事は?」
「分かったよ」
シャイアが息を吐いた。
「最初からそう言えばいいの」
包帯を留める。
「終わり」
「ん」
ジジが服を戻した。
「それから」
ジジが眉を寄せる。
「……まだあんのかよ」
アグラディアが少しだけ笑う。
「あるよ」
「今度は何」
「それは――」
アグラディアが言いかけたところで、ジジが手元の器を見た。
「……その前に水」
「自分で取れ」
窓際の椅子に座っていたガイアが即座に返す。
「遠い」
「手ぇ伸ばせば届くだろ」
「傷痛い」
「さっきちょっとって言ってたじゃねぇか」
「…………」
ジジは無言でガイアを見る。
ガイアも見る。
数秒。
「……ったく」
ガイアが立ち上がった。
机の上に置かれていた水差しを手に取る。
傾けた。
何も出ない。
空だった。
「ねぇや」
「じゃあ取ってきて」
「お前な……」
ガイアはため息をついた。
「……取ってくる」
水差しを持って扉へ向かう。
その背中を見ながら、バルトが小さく笑った。
「甘ぇな」
「うるせぇ」
ガイアが振り返る。
「何も言ってねぇだろ」
「言っただろ」
ダンテが鼻で笑う。
「完全に世話係じゃねぇか」
「黙れ」
「はいはい」
ガイアは水差しを片手に部屋を出ていった。
扉が閉まる。
部屋に小さく笑いが広がった。
アグラディアも笑っていた。
けれど。
すぐに、その表情が少しだけ変わる。
「ジジ」
ジジが少しだけ眉を上げる。
「何?」
「......見てもらった方が早いかな」
「何を?」
アグラディアは答えなかった。
その時。
廊下の向こうから、足音が聞こえた。
一人ではない。
ゆっくりと近づいてくる。
ジジが扉を見る。
やがて。
扉が開いた。
そこにいたのはレグラスだった。
「レグラス?」
ジジが呼ぶ。
レグラスは何も言わない。
ただ、一歩だけ横へ退いた。
その後ろから。
小さな白い頭が覗いた。
ジジの表情が止まる。
「……ルナ?」
ルナリスが立っていた。
白い髪。
小さな身体。
見慣れた姿。
それなのに。
何かが違う。
ルナリスはすぐには動かなかった。
初めて見る部屋を確かめるように。
ゆっくりと顔を上げる。
瞬きをした。
一度。
二度。
ジジの呼吸が止まった。
白い髪の下。
十五年前。
失われたはずの場所に。
二つの瞳があった。
澄んだ碧色。
窓から差し込む光を映している。
その瞳が。
真っ直ぐ、ジジを見た。
「…………」
ジジは動かなかった。
動けなかった。
ルナリスも。
ただ、ジジを見ていた。
長い間。
ずっと。
目を逸らさずに。
「……ジジ」
小さな声が落ちた。
ジジの唇が僅かに開く。
「……ルナ?」
「うん」
一歩。
ルナリスが部屋へ入る。
壁には触れない。
誰の手も借りない。
自分で。
ジジのいる場所を見ながら歩いてくる。
「……ジジ」
もう一度呼ぶ。
「…………」
「ジジだ」
その声が震えた。
ジジの喉が大きく動く。
「……見えてんの?」
ルナリスの目に涙が溜まった。
「うん」
「……ほんとに?」
「うん」
「俺……見えてんの?」
ルナリスが泣きながら笑った。
「見えるよ」
「…………」
「ジジ、見える」
ジジの目から涙が落ちた。
一滴。
続けて、もう一滴。
「……マジかよ……」
声が掠れる。
「……ルナ」
「ジジ!」
ルナリスが駆け出した。
ジジが息を呑む。
十五年間。
暗闇にいた。
声を頼った。
その小さな身体が。
今は。
行きたい場所を見て。
そこへ自分の足で走ってくる。
「ジジ!」
ジジが両腕を広げた。
ルナリスが、その胸へ飛び込む。
「っ……」
ジジの顔が歪んだ。
傷に響いたはずなのに、そんなことはどうでもよかった。
両腕で小さな身体を抱き締める。
「ジジ……!」
「ルナ……」
「見える……!」
「……うん」
「ルナ、見えるよ……!」
「うん……」
「ジジが見える……!」
ジジはもう返事ができなかった。
ルナリスの背中へ顔を伏せる。
肩が大きく震える。
涙が止まらない。
十五年前。
炎の中。
泣きながら自分の名前を呼んでいた、小さな女の子。
馬車の上から手を伸ばしていた。
あの日。
ルナリスが最後に見たのは。
十三歳のジジだった。
「……よかった……」
掠れた声が漏れる。
「……よかった……」
ルナリスもジジの服を強く握った。
「ジジ」
「……うん」
「顔、見える」
「うん……」
「髪も」
「……うん」
「目も」
「うん……」
少しして。
ルナリスがゆっくり身体を離した。
涙で濡れた碧色の瞳で。
ジジの顔を見る。
じっと。
確かめるように。
黒い髪。
眉。
目。
鼻。
頬。
知らない傷。
十五年前にはなかった輪郭。
小さな手が、ジジの頬へ伸びた。
触れる。
それから。
ルナリスが小さく笑った。
「……大きくなったんだね」
ジジの顔がまた崩れた。
泣きながら笑う。
「……十五年経ってんだから、当たり前だろ……」
「全然違う」
「そりゃそうだろ……」
ルナリスは、まだジジを見ている。
何度も瞬きをして。
今のジジを覚えるように。
「でも」
「……何」
小さな手が、もう一度頬へ触れた。
「ジジだ」
「…………」
「ちゃんとジジだ」
ジジが目を閉じた。
また涙が落ちる。
「……俺だよ」
「うん」
「ずっと俺だよ……」
ルナリスが再び抱きついた。
ジジも強く抱き締める。
部屋の中から、鼻を啜る音が聞こえた。
バルトは顔を背け、目元を押さえていた。
ダンテは隠そうともしていなかった。
「……よかったな、ルナリス……」
声まで震えている。
シャイアも口元を押さえ、涙を拭った。
アグラディアは何も言わず、二人を見ていた。
レグラスも。
ただ静かに。
ルナリスを見ていた。
少しして。
ルナリスがジジの腕の中から顔を上げた。
初めて見る部屋。
初めて見るものばかりだった。
視線がゆっくり動く。
そして。
聞き慣れた声の主たちへ向かっていく。
まず、バルト。
「……バルト?」
バルトが目を丸くする。
「おう」
ルナリスはじっと見る。
「髭ある」
「最初にそこかよ」
部屋に小さく笑いが起きる。
ルナリスも笑った。
次にダンテを見る。
「ダンテ」
「おう、俺だ」
「大きい」
「ジジの方がでけぇぞ」
「でもダンテも大きい」
「……まあ、それならいい」
ダンテが目元を拭った。
その向こう。
「……グリム?」
グリムの太い眉が動く。
「おう。わしじゃ」
ルナリスがまじまじと見る。
「髭いっぱい」
「お主もそれか」
「バルトよりいっぱい」
「当然じゃ」
「何が当然なんだよ」
バルトが突っ込む。
ルナリスが笑う。
次にマルセルへ顔を向ける。
「マルセル?」
マルセルが一瞬、言葉に詰まった。
「……うん」
「ほんとにマルセルだ」
「……そうだよ」
マルセルが笑った。
もう目が潤んでいる。
「……よかったね」
隣では。
シーザーが黙ったまま顔を背けていた。
「シーザー?」
「……うん」
「泣いてる?」
「泣いてません」
「泣いてる声する」
「……」
「泣いとるの」
グリムが言った。
「グリムさん」
部屋にまた笑いが広がった。
その時。
廊下から足音が聞こえた。
ジジが扉を見る。
「……ガイア?」
ルナリスの顔がそちらへ向く。
扉が開いた。
水差しを持ったガイアが入ってくる。
「ジジ、水――」
声が止まった。
水差しを持ったまま。
動かない。
部屋の中央。
ルナリスが。
自分を見ていた。
「…………」
金色の目が大きく開く。
「……ルナ?」
ルナリスの顔が、一気に明るくなった。
「ガイア!」
ガイアの手から水差しが落ちそうになり、慌てて掴み直す。
「……ルナ……」
声が出ない。
ルナリスが走った。
真っ直ぐ。
ガイアへ向かって。
「ガイア!」
「っ、おい――」
ガイアは慌てて水差しを近くの台へ置き、しゃがんだ。
次の瞬間。
小さな身体が胸へ飛び込んでくる。
ガイアが受け止める。
「……ルナ」
ルナリスが顔を上げた。
碧色の瞳が。
真っ直ぐガイアを見ている。
「見える!」
ガイアの唇が僅かに震えた。
「……見えてんのか?」
「うん!」
「……俺、見えてる?」
「見えるよ!」
「…………」
ルナリスは嬉しそうにガイアの顔を見た。
褐色の肌。
金色の目。
腰よりも長い銀髪。
何度も触った髪。
何度も抱きついた身体。
知っていた声。
初めて見る姿。
「ガイア、髪すごい長い!」
「……そこ?」
「銀色!」
「知ってただろ」
「見るの初めてだもん」
「……そっか」
ルナリスはさらに顔を近づけた。
「目、金色」
「ああ」
「すごい綺麗」
「…………」
「ガイアもすごく綺麗!」
ガイアの顔が歪んだ。
一気に。
耐えきれなくなったように。
涙が落ちた。
一滴。
二滴。
ルナリスが目を丸くする。
「ガイア」
「……何」
「泣いてる」
「……泣いてねぇよ」
「泣いてるよ」
「うるせぇ」
声が掠れていた。
袖で乱暴に目元を拭う。
けれど。
次から次へと涙が落ちる。
ルナリスはそれを見ていた。
見えている。
ガイアが泣いている顔を。
ガイアはそのことに気づいて。
また泣いた。
「……ほんとに、見えてんだな」
「うん」
「……そっか」
「ガイア」
「ん」
「ルナね」
「何」
「走れた」
ガイアの動きが止まった。
「一人で走れた」
「……」
「ジジのところまで走った」
「……ああ」
「ガイアのところにも走れた!」
ガイアの唇が震えた。
「ずっと走りたかったの」
「……知ってる」
「走れたよ!」
「……うん」
ガイアはルナリスを抱き締めた。
強く。
けれど壊さないように。
顔を小さな肩へ伏せる。
長い銀髪が床へ流れた。
「……よかったな」
「うん!」
「……よかった……」
声が崩れる。
ルナリスもガイアの背中へ腕を回した。
しばらくして。
「ガイア?」
「ん」
「ありがとう」
ガイアの身体が止まった。
「……何が」
「心臓」
「…………」
「シャイアが教えてくれた」
ガイアは何も言わない。
「ガイアが、ファルコですごく急いで持ってきてくれたって」
「……」
「ルナのために」
ガイアの目から、また涙が落ちた。
「ありがとう、ガイア」
「……いいんだよ」
「でも」
「いい」
ガイアはルナリスを抱いたまま、目を閉じた。
「……いいんだ」
あの日。
心臓を受け取って。
ファルコへ飛び乗った。
後ろを振り返らなかった。
ジジを残した。
そして。
バインスに戻ったジジを見て。
何度も思った。
自分は戻るべきだったんじゃないか。
あそこに残るべきだったんじゃないか。
あの選択で、本当によかったのか。
「ガイア?」
ルナリスが顔を上げる。
ガイアは何も言わなかった。
ただ。
その碧色の瞳を見る。
自分を見ている。
ガイアが顔を上げた。
少し離れた場所に、バルトがいた。
目が合う。
「…………」
バルトは何も言わなかった。
ただ。
一度だけ。
ゆっくり頷いた。
ガイアの顔が止まる。
その頷きを見つめる。
しばらくして。
唇を噛んだ。
また涙が落ちる。
けれど今度は。
少しだけ笑った。
「……うん」
小さな声だった。
バルトも目元を拭った。
ガイアはもう一度、腕の中のルナリスを見る。
「ガイア?」
「何」
「また泣いてる」
「……うるせぇな」
「嬉しい?」
ガイアが笑った。
涙でぐしゃぐしゃのまま。
「ああ」
ルナリスの頭を撫でる。
「……めちゃくちゃ嬉しい」
ルナリスも笑った。
その笑顔を。
ガイアは初めて、正面から見た。
そしてルナリスも。
初めて。
ガイアが笑う顔を見た。
窓辺。
誰にも気づかれないまま。
薬草の枝先に。
小さな白い花が、一輪だけ開いた。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




