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精霊は還る場所を知っている  作者: くおんあづき


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134/149

ここにいてくれ

【精霊は還る場所を知っている】

2026.9.25 47話一挙配信。

毎日21:00頃 5話ずつ更新しています。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

診療所の窓から、夕方の光が差し込んでいた。

部屋の中は静かだった。


寝台の横には椅子が一つ。


ガイアはそこに座り、眠るジジを見ていた。

呪詛の処置が終わってから、二日が経っていた。


熱は下がった。

呼吸も安定している。

左肩の傷も、少しずつ塞がり始めている。


シャイアもアグラディアも、もう危険な状態ではないと言った。

あとは、目を覚ますのを待つだけ。


それでもジジは眠り続けていた。


「…………」


ガイアが頬杖をつく。


「よく寝るな、お前」


返事はない。


「もう起きていいんだぞ」


寝台の上に変化はなかった。

ガイアは小さく息を吐いた。


椅子へ深く座り直す。


「……今日もマーサ来るってよ」


「…………」


「毎日来てんだから、そろそろ起きてやれよ」


窓の外へ目を向ける。


「ルナも待ってんぞ」


「…………」


「バルトもうるせぇし」


少し間が空いた。


「俺もそろそろ暇なんだけど」


当然、返事はない。

ガイアがジジを見る。


「…………」


手を伸ばす。

布団の横から出ている手へ触れた。

温かい。


もう何度確かめたか分からなかった。

それでも触れるたび、指先で温度を確かめる。


「……湯たんぽ」


ガイアはその手を握った。


「ほんと、あん時何だったんだよ」


親指で手の甲を撫でる。


「クソほど冷たくなりやがって」


「…………」


「二度とやんなよ」


握った手を軽く揺らす。


「次やったらマジでぶん殴るからな」


しばらく待つ。


「…………」


「……聞いてねぇか」


ガイアが小さく息を吐いた。

手を離す。


「水もってくるわ」


椅子から立ち上がった。

その時だった。


「……ガイ……ア……」


動きが止まった。


「…………」


ガイアがゆっくり振り返る。

寝台を見る。


ジジは動いていない。


「…………ジジ?」


数歩で寝台へ戻った。


「おい」


顔を覗き込む。


「ジジ」


瞼が僅かに動いた。


「…………」


ゆっくりと開く。

焦点の合わない瞳が、天井を向いていた。


「ジジ」


ガイアの声が震えた。


「おい、分かるか?」


ジジの瞳が僅かに動く。

視線がガイアへ向く。


「……ガイ…ア」


「……っ」


ガイアの目から涙が落ちた。


「ジジ……」


「…………」


「お前……」


続かなかった。

次々に涙が溢れる。


「……ジジ……」


ジジはぼんやりとガイアを見ていた。

少しずつ、焦点が合っていく。


「……ガイア…」


「いる」


ガイアがすぐに答える。


「ここいるから」


「…………」


「分かるか? 俺だぞ」


ジジが僅かに眉を動かした。


「……分かる…匂い…」


「……そっか」


ガイアが鼻を啜った。


「よかった……」


また涙が落ちる。

ジジがその顔を見ていた。


「…………」


唇が僅かに動く。


「……泣いて……んの...?」


ガイアが袖で目元を拭った。


「泣いてねーし」


ジジの口元が僅かに緩んだ。

ほんの少しだった。


「……何笑ってんだよ」


「…………」


ジジがゆっくり腕を動かした。

力が入らない。

持ち上げた手が途中で止まりかける。


ガイアが気づく。


「おい、無理すんな」


それでもジジは手を伸ばした。

指先がガイアの頬へ触れる。


「…………」


親指が、頬を伝っていた涙を拭った。

ガイアの動きが止まった。


「……心配……かけたな」


「…………」


ガイアの顔が歪んだ。


「……っ」


俯く。


「おい……」


鼻を啜る。


「……そういうの……」


声が続かなかった。

もう片方の手で顔を覆う。


「……っ、くそ……」


肩が震えた。


「ガイア……?」


「……うるせぇ……」


「…………」


「お前が……」


息を吸う。


「お前……」


涙が止まらなかった。

そのまま、ガイアはジジの胸元へ額を置いた。


「……マジで、何なんだよ……」


「…………」


「ほんっと……訳わかんねぇ……」


ジジは何も言わなかった。


「…………」


ジジの胸がゆっくり上下している。

耳を寄せれば、心臓の音が聞こえた。


ガイアの肩が大きく震えた。


「……っ」


鼻を啜る。

涙が寝間着へ染みていく。


「……ジジ……」


返事はない。


「……っ……」


ガイアはそのまま泣き続けた。

ジジの手がゆっくり動く。


銀髪へ触れた。

力の入らない指が、長い髪の上へ置かれる。

ガイアの肩がまた震えた。


しばらく、部屋には小さな泣き声だけが続いた。

やがてガイアが鼻を啜り、顔を上げた。

目元は赤くなっていた。


「……シャイア」


「…………」


「呼んでくる」


椅子から立とうとする。


「待ってろ。すぐ――」


うなじへ腕が回った。


「……?」


弱い力だった。

それでも、ガイアの動きは止まった。

ジジの腕が銀髪ごと抱き寄せる。


「……ジジ?」


「もう……少し……」


掠れた声だった。


「…………」


「ここに……いてくれ」


ガイアは動かなかった。

ジジの胸元へ額をつけたまま、目を閉じる。

また一滴、涙が落ちた。


「……分かった」


ジジの腕から少し力が抜ける。

ガイアは離れなかった。


「……いる」


小さく言う。


「ここにいる」


——————————————————————


廊下に、一人の女が立っていた。


マーサは扉の前まで来て、足を止めていた。

手には見舞いの包みがある。


『……泣いて……んのか?』


聞こえてきた声に、目を見開いた。


「……ジジ?」


扉へ手を伸ばしかける。

目を覚ました。

そのまま中へ入ろうとした。

けれど。


『もう少し……ここにいてくれ』


手が止まった。


「…………」


扉の向こうから、ガイアの声がする。


『……分かった』


少し間があった。


『ここにいる』


マーサは扉から手を離した。

一歩、後ろへ下がる。

壁へ背中を預けた。


「…………」


八年前。

十七歳でギルドの受付に入った頃。

二十歳のジジがいた。

今より少し若くて。

今と変わらず無愛想で。

必要なことしか話さないくせに、依頼から戻れば必ず受付へ報告に来た。


そして、その隣にはよく銀髪のエルフがいた。

最初の頃は、二人で言い合っている姿を何度も見た。

怪我だらけで帰ってきた日もあった。

酒の匂いをさせて、くだらないことで笑っていた夜もあった。


ガイアがしばらくバインスを離れていたこともある。

それでも帰ってくれば、いつの間にかまたジジの隣にいた。

二人がミスリルになった時も。

ジジがオリハルコンになった時も。


ずっと見てきた。

ジジを見ていたから。

その隣にいるガイアのことも、ずっと見ていた。


『マーサ、お前まだ言ってねぇの?』

『うるさいわね』

『八年経つぞ、そのうちババアになんぞ』

『あんたに関係ないでしょ!』

『さっさと言やいいじゃん』

『簡単に言わないでよ!』


何度、そんなやり取りをしただろう。

ガイアは知っていた。

ずっと。

自分がジジを好きなことを。

それなのに。


数日前の光景が浮かんだ。

診療所の脇。

芝生の上に座り込み、長い銀髪を地面へ垂らしていたガイア。

『俺ならよかったのに……』

『ジジじゃなくて俺なら……』

『俺、あいつ死ぬの嫌だ……』

あんな姿を見るのは初めてだった。


二百年以上生きているくせに。

いつも余裕そうに笑って。

自分のことを散々茶化してきたくせに。

あの日は、子供みたいに泣いていた。

そして今も。


扉の向こうから、時折小さく鼻を啜る音が聞こえてくる。

マーサは俯いた。


「…………」


頬を一滴、涙が伝った。

指で拭う。

また落ちる。

それでも。

少しだけ、口元が緩んだ。


「……馬鹿じゃないの、ガイア」


小さな声だった。

自分が八年間ジジを好きだったことを、ずっと知っていた。

散々からかって。

面白がって。

背中まで押そうとしていた。

その本人が。

よりにもよって、ジジを好きになっている。


「……ほんと、馬鹿」


涙を拭いながら、少し笑った。

いつからだったのだろう。

ガイア自身も自分の気持ち、きっと分かってない。

分かっていたのなら、あんなふうに自分とジジのことを茶化したりはしなかった。

何より。


あんなふうに泣いたりはしなかった。


『俺ならよかったのに……』


あの声を思い出す。

マーサは目を閉じた。

怒れなかった。

少しくらい、ずるいとは思う。

自分は八年間も言えなかったのに。

ガイアだってきっと何も言っていないくせに。

それでも。

あんな姿を見てしまったら。


「…………」


マーサは扉を見る。


八年間。

ずっと好きだった。

毎日のように顔を見て。

依頼へ行けば無事に帰ってくるのを待って。

怪我をして戻れば心配して。

何でもない話ができただけで嬉しかった。

いつか。

いつか自分を見てくれたらと思っていた。


出発の朝。

初めて、その気持ちを少しだけ外へ出した。

『絶対、帰ってきて』

あの時は、それ以上言えなかった。

好きだとは言えなかった。

八年間ずっとそうだった。

今の関係が壊れるのが怖くて。

明日も、その次の日も。

当たり前みたいに受付へ来るジジを見ていたくて。

ずっと隠してきた。

でも。


いつまでも同じ明日が来るわけではなかった。

今回、初めてそれを知った。

ジジが帰ってこないかもしれなかった。

何も伝えられないまま、二度と会えなくなるかもしれなかった。

そして。


目を覚ましたジジは、ガイアを引き止めた。

『ここにいてくれ』

マーサの目から、また涙が落ちた。


「…………」


自分には、ガイアのような愛し方はできない。

代わってやりたいと泣くことも。

何日も寝台の横から離れられなくなることも。

目を覚ましてほしいと、あれほど泣くことも。

けれど。

だからといって、自分の八年間が小さかったわけではない。

好きだった。

ずっと。

本当に、好きだった。

マーサは見舞いの包みを胸元へ抱えた。


「……ありがと、ジジ」


声は小さかった。

八年間、好きだった。

それでよかった。

好きになったことを、後悔したくはなかった。

だから。


最後くらいは、ちゃんと言おう。

ジジがもう少し元気になったら。

八年間ずっと好きだったと。

本人に伝えよう。

伝えて。

それで終わりにしよう。


マーサは袖で目元を拭った。

一度だけ、扉を見る。


「…………」


今日は入らない。

踵を返し、静かに廊下を歩き出した。

その口元には、まだ僅かに笑みが残っていた。


「……馬鹿エルフ。あんたのことも大好きなんだから」


それ以上は言わなかった。

扉の向こうでは、ガイアがまだジジのそばにいた。

═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═•⊰❉⊱•═

お読みいただきありがとうございます。

くおんあづきです。

初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。

かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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